第7話 初詣
「香子あけおめ~」
「あ、アルピっ、杏ちゃん、あけましておめでとう」
「なに? アルピって」
「ううん! なんでもない。噛んでないよ!」
冬休みに入ってからというもの、毎日のように向こうの世界に行ってアルピコと二人で無限回廊を攻略していたので、ついつい杏ちゃんのことをアルピコって呼んでしまった。
「まいっか。お母さん! 香子と初詣に行ってくるね」
「はーい。滑って転ばないように気をつけるのよ」
「はいはーい」
「それじゃ行こっか」
杏ちゃんの家を出て、わたしたちは初詣のため、近所にある大きな神社へと向かった。
「天気いいね」
「うん、日本晴れだね」
「ところでさ、」
「なに?」
「冬休みに入ってから、桂太くんと連絡取れた?」
「ううん。何回かメール送ってるんだけど全然返事がなくて」
「そうなんだ」
「うん」
「今日ね、誘ってあるんだ」
「桂太を? 初詣に?」
「垂井くんに、連れ出すようお願いしたの」
「そ、そうなんだ」
「さっき垂井くんからメールがあって、もう神社の前で待ってるって。あ、あそこ。ほら」
杏ちゃんが指差した先に、桂太と垂井が立っていた。ふたりともスマホを両手に持って一心不乱に操作している。
「あけましておめでとう」
わたしが声をかけても、垂井は
「あ、ちょ、ちょっと待って。もうすぐ終わるから」
と言って取り合わない。やがて、
「だー! 詰んだ」
と言って垂井はがっくりとうなだれた。
「終わり?」
「終わり終わり。今日は三連敗だよ。こいつさ、冬休み中特訓してるとか言っててさ、もう超強くなってんの」
特訓だったんだ。垂井の言葉に桂太の方を見ると彼もわたしの方を見ていて、だけど目が合った次の瞬間には目をそらされてしまった。
「ささ、それじゃあ初詣しましょうよ」
杏ちゃんの言葉に、4人で行列に並んだ。
今日は天気が良かったせいもあって人出がすごくて、いつもよりも人がたくさん並んでいるような気がした。長い長い行列に並びながら、わたしは何をお願いしようか考えていた。
わたしの左隣りには杏ちゃんがいて、さらにその隣の桂太に何やら色々と話しかけている。桂太の隣には垂井がいたんだけど、
「ちょっとごめんね」
などといいながら行列を横断して、わたしの右隣りにまでやってきた。
「なによ垂井」
「いやー、暇でさ。伊藤がずっと三井に話しかけてるからさ」
「将棋でもやればいいじゃない」
「歩きながら? ダメだよ。クリックミスで負けんの一番辛いんだぜ」
「対戦じゃなくてコンピュータとやれば?」
「スマホのソフトじゃダメだよ。全然弱いじゃん。あー、でも三井のやつなら別かな」
「桂太の? 彼、将棋のソフトなんて作れるの?」
「いや、フリーソフトのプログラムをスマホに移植したらしいぜ。最近はプロ同士の対局を読み込ませて強くしているって聞いた」
「へー、そんなことできるんだ」
桂太がそんなにパソコンに詳しいなんて知らなかった。そのことを聞こうと彼の方を見たけれど、そっちは杏ちゃんと盛り上がっているようなのでうまく声をかけられない。
そのうちにお賽銭箱の前までやってきたので、一礼して5円玉を入れた。それから鈴をガランガランと鳴らし、手を合わせてお祈りをした。
「香子はなんてお祈りしたの?」
「普通だよ。将棋が強くなりますようにって」
「普通だ!」
「普通だって言ったじゃない。杏ちゃんは何をお願いしたの?」
「わたしのは、ひ・み・つ」
「なにそれ! ずるーい」
「おーい、早くおみくじ引こうぜ」
垂井にうながされて、4人で神社の横にある社務所に行っておみくじを引いた。
「あ、大吉だ」
「なになに? 恋愛、愛情を信じなさい、だって。ヒュー」
「わたしのはいいよ。杏ちゃんはどうだったの?」
「もう木に縛っちゃった」
「どうして隠すのさ!」
「なあ、これからどうする?」
「どうするって、どうする?」
「どうしよっか」
カラオケか、ボーリング場か、どっちも混んでるかな。かと言って学校だって閉まってるし…。
どこに行こうか考えていると、今日はじめて桂太がわたしに向かって口を開いた。
「なあ、香子」
「あ、なに?」
「道場行かない?」
「道場って、将棋道場?」
「ああ。来る時のぞいてみたらやってたから」
「お正月でも開いてるんだ。でも、将棋指すってことだよね? 二人はいいの?」
「あ、わたし道場に行ったこと無いから見てみたい」
「オレもオレも」
「じゃあ、そうしよっか」
むかし桂太とわたしが通っていた道場への道は除雪された雪がたまって狭くなっていて、二人並んで歩くのが精一杯だった。先導するわたしと桂太の二人の後を、垂井と杏ちゃんがついてきている。
「ねえ、どうして道場に行くって言ったの?」
隣を並んで歩いている桂太に尋ねた。桂太はわたしの問いにしばらく考えてから、
「うーん、なんとなくかな」
とだけ答えた。
「クリスマスの時、ごめんね」
「ああ、いや、いいよ。疲れたんでしょ」
「え、うん」
「それとも、他に用事があった?」
「ううん、ごめん」
「謝らなくていいよ」
「うん」
それからはほとんど会話もないまま歩き続けて、10分ぐらいで道場が入っている雑居ビルについた。
ガラス戸を開けて中に入ると、やはり正月だけあってガランとしている。
「こんにちは」
声をかけると、席主の丸田さんが顔を出した。
「ごめんねえ、今日は休みなんだよ。あれ? 君は香子ちゃんじゃないか」
「お久しぶりです。今日は休みだったんですね」
「いやいや、明日の大会の準備のために開けただけだから、気にならないなら自由にやってもらって構わないよ。ちょっとバタバタしてるけど」
「そんな、悪いです」
「いいんだよ。いま大活躍だから、ほら、そこの壁に特設コーナーも作ってるんだよ」
指差した先を見ると、新聞の切り抜きやら、小学生の頃のわたしが将棋を指している写真やらが貼られていた。
「わあ! これって香子の子どもの時の写真? かわいい~」
「こんな写真、いつの間に撮ってたんですか!?」
「将来強くなって有名になった時のために撮っといてあるんだよ。それにほら、いつテレビの取材が来るか分からないだろ?」
「応援してもらえるのは嬉しいけど、ちょっと恥ずかしいです」
「ははは。じゃあ私は準備があるから、そこら辺で好きなようにやってていいよ」
「ありがとうございます」
それからわたしたちは古ぼけた長机につき、桂太が塩化ビニール製の薄い将棋盤と、使い古されて文字が消えかけたプラスチックの駒を持ってきた。
「よろしくお願いします」
「はい。よろしくお願いします」
桂太が振り駒をして、歩が4枚出たのでわたしが後手になった。机も盤も駒も昔のままで、小学生の頃に戻ったような気持ちになった。だけどそんな懐かしい気持ちも勝負が始まる前までのこと。すぐに気持ちが引き締まった。
戦型は桂太の居飛車に対して、わたしは飛車を4筋に動かして戦う四間飛車戦法。こちらから角交換して飛車を2筋に振り直し、向かい飛車にして相手の攻めを牽制した。
(このまま金と銀で押さえ込めば勝てるかな)
そう思った瞬間だった。桂太がすっと目を閉じた。
それを見て、わたしは全身の毛穴が逆立つのを感じた。
(それって)
まばたきでもなく、単に集中するために目を閉じたのでもなく、まるで意識がなくなるようにストンと気配が薄くなる様子は、
「ねえ、これって香子のアレじゃない」
杏ちゃんが小声でささやく。
「アレって、”眠り香子”か?」
垂井の言葉に、疑念が確信に変わった。桂太の今の状態は、わたしが”あの部屋”に入っている時の状態によく似ているのだ。
まさか、そんな。固唾を飲んで見守るうちに、桂太はゆっくりと目を開けてニヤリと微笑んだ。そして銀を手にとり、私の歩の目の前に進めた。
「え、タダじゃん」
「しっ!」
なんでも口に出す垂井を、杏ちゃんが注意した。
確かに銀はタダで手に入るけど、銀を取るために歩が動くと、次に飛車に走ってこられたら王手金取りになってしまう。こんな手があったなんて。思わず頭に手をやる。
迷ったところでこんなのは取る一手だ。同歩、8四飛、8三歩、6四飛と回られて金を取られた。こうなると桂太の飛車と角の睨みが強く、押さえ込めるような状況ではない。わたしは△6三銀と強く打って、飛車を追い返しにかかった。
それを見て、再び桂太はまぶたを閉じた。
(また!?)
はったり? 嫌がらせ? 盤外戦術? いや、きっとどれも違う。
わずか1分ほどで目を開けた桂太は、迷った素振りも見せずに角を切り飛ばして銀を取った。同金にかまわず飛車で取って、飛車角と金銀の交換になった。こんな駒損で寄せきれるはずがない、と思っていたんだけど、
「ありません」
数手後に頭を下げたのはわたしの方だった。いつの間に桂太は、こんな鋭い攻めをものにすることができたんだろう。そして、
「あ、あの、桂太?」
「さっきのこと? 驚いただろ」
「うん」
「香子だけじゃないってことだよ、アレができるのは」
「え、それってどういう…」
とまどうわたしを桂太は鼻で笑って立ち上がり、そのまま道場を出て行ってしまった。
わたしもそこで二人に別れを告げて、ふらふらと歩いて自宅まで帰った。
桂太もあの部屋に入れる? そうだとしたら、わたしがやっている”ズル”のことがバレてしまっている。というか、あの部屋に入ることが不正行為だということになってしまう。
持ち時間をほぼ無限に使えるあの部屋のことを、今まで自分はグレーゾーンだと思いこむようにしていた。不正だと決めつけるにはあまりに便利すぎて、そしてそれによる棋力の向上は魅力的すぎた。
明らかにズルっぽくても、それが自分の特殊能力ならばしょうがないじゃないか、と開き直っていたのも事実だ。だけどそのことを公にされたら? 魔法の国の存在なんて誰も信じないとは思うけれど、ズルをしていると後ろ指を指されるのは嫌だ。これからどうしたらいいんだろう。
迷っていても結論が出ないので、”魔法の国”に入ることにした。直接ライムに聞いてみるのが一番話が早いはず。扉を開くと、ライムが座って分厚い本を開いて、なにやら調べ物をしていた。
「やあカオルコ。今日も修行かい? 最近は熱心だね」
「あのねライム、質問があるの。わたし以外でこの部屋に、わたしの世界から尋ねてきた人はいる?」
「いや、わたしが会ったことがあるのはカオルコだけだ。それに、カオルコがこの部屋にはいるようになってから、ここに監視の目を置いてある。カオルコでも誰でも、この部屋に何者かが入ったらすぐに私の方に通知が来るようになっている」
「じゃあ、ライムが知らない間にこの世界に来ることはできないのね」
「ああ。少なくともこの部屋には。どうした? 誰か君の知り合いがこちらの世界に来ているとでもいうのかい?」
「もしかしたら、だけど。本人に確かめたわけじゃないから本当かどうかはわからないんだけど、ちょっと疑問に思って」
「そうか…。いや、わたしもそれを考えていたんだ。君以外にもそちらの世界の住人が、この世界に入ってきていてもおかしくない、と」
「そういうのって結構あることなの?」
「いや、わたしは聞いたことがないが。なにせ今年は節目の年だからな。君の魔法についてずっと調べていたんだが、ひとつだけ分かったことがあるんだ。ライセンスカードを見せてくれるかい?」
ライムの言葉に、わたしは壁にかけてあるローブのポケットからライセンスカードを取り出してみせた。彼は机のうえの分厚い古文書をパラパラとめくって、ひとつのイラストを指差した。
「これを見てごらん」
「あ、この模様…」
そこには、わたしのカードにそっくりの模様が描かれていた。虎の毛皮のような模様。
「この古文書は今から400年以上前に書かれたもので、今のような形の魔法が根付く以前の魔法について記されている。その当時にはカオルコのような魔力の持ち主が存在していたようだ」
「それって、どんな種類の魔法なの?」
「そこはまだ調べられていないんだ。分かったのは、400年前に一度失われていること。そしていま、カオルコがそれを蘇らせた、ということ」
「わたしが蘇らせたなんてそんな、大げさな」
「いや、もしかしたら、君がこの魔法を使えることと、君がこの世界に入ることができたということ、この2つは密接な関係にあるのかもしれない」
「わたしにこの魔法の素質があるから、この世界に入れたということ?」
「もしくは、この世界が君を必要としていた、か」
「まさか、そんな」
「実はこの国ではこれから、4年に一度の大魔導大会が開催されるのだ。わたしも含めた各地の守護魔導師が王都に集結し、魔棋の腕を競い合う。そして、400年前に王国が成立してから今回が100回目の節目に当たる。もしかしたら君がこの世界にやってきたことと何か関係があるのかもしれない」
「何か必要があって呼ばれたということ?」
「君のようによその世界から誰かがやってきたというのはこれまで聞いたことがない。このタイミングだから、つまり、魔導大会に出るために君が呼び寄せられたに違いない」
「そ、そうなの?」
「そうに違いない。カオルコ、君も王都に来て、一緒に魔導大会を戦うんだ」
「魔導大会って、この前ラクテアさんと戦った時みたいなこと? 別にいいけど、王都ってここから遠いのかな。あまり時間がかかるようだと困るんだけど」
「それは大丈夫だ。この部屋の出口を向こうに移動させるから」
「だったらいいわよ。この街以外のところも見てみたかったし」
「王都はフレイアとは比べ物にならないぐらい賑わっているぞ。そうだ。魔導大会に出てくれるお礼に、市場で何かカオルコの好きなものを買ってあげるよ」
「ほんと! 嬉しいな。でも、わたしの世界の方に持って行くのは無理だよね」
「いままで試したことは?」
「ううん。ないけど」
「カオルコがこの部屋に現れるときは、その時着ていた服のまま現れるんだろう。いつだったか寝間着のままで来たこともあったし」
「そのことはもう忘れてよ! でもそっか。服を持ってこれるんだったら他のものも持っていけるかもしれないわね。なにかいいものないかな」
立ち上がって部屋の中を物色すると、ライムに制止された。
「ここのものはダメだよ。魔法で創りだしたものだから実体がない。ここから出したら消えてしまうんだ。代わりにこれを持っていくといい」
そう言って差し出したのは、最初にここに来た時に使った、エーテルの木の枝だった。
「ありがとう。試してみるね」
「来週には王都に着いている。開会式があるから忘れずに来てくれよ」
「わかった。それじゃまたね」
ライムからもらった枝をポケットに入れて部屋を出た。
目を開けて自分の部屋に戻っていることを確認してポケットに手を伸ばすと、あった!
ポケットから取り出して眺めてみると、エーテルの木の枝は、その銀色の輝きを失わないままだった。魔法の国ってもしかしたら自分の夢の中だけに存在する世界なんじゃないかと思ったこともあったけど、この世界とは別に存在する違う世界だったんだ。指先に伝わる確かな存在感を感じながら、わたしはそう考えた。
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