第6話 無限回廊

「ただいまー」

 家に帰るとお母さんが夕飯の準備をしていた。

「おかえり。今日は終業式なのに遅かったわね」

「うん、部活の方が盛り上がっちゃって」

「あんまり無理しちゃダメよ。昨日だって制服のままベッドで寝てたじゃない」

「あー、昨日は、ちょっとね」

「いくら揺すって起こそうとしても全然目が覚めないから心配したのよ」

「ごめん…」

「カレーもうすぐできるから、早く着替えてらっしゃい」

「はーい」

 返事をして階段を登って自分の部屋に入った。向こうの世界に行っている間に誰かに見られるのはマズいなあ。その間、こっち側で何が起こっているか全く分からないなんて。病院にでも運ばれててもおかしくなかった。


 ライムから将棋を教えてくれと言われていたから夕飯前にちょっと魔法の国の方に顔を出しておこうと思ったんだけど、もしものことがあったら困るから、ご飯を食べた後にしたほうがいいな。

 夕飯を食べて、お風呂に入ってからすぐパジャマに着替えてベッドに入った。これならお母さんに見つかっても問題ない。


 目を閉じてまぶたの裏の暗闇の中を進み、扉を開けて部屋に入ると、この前と同じようにライムが盤の前に座って一人で魔棋を動かしていた。

「こんにちは」

 それとも、こんばんはなのかな? わたしが声をかけると、彼は目をまんまるにしてこっちを見て言った。

「今日はまたずいぶんと面白い格好をしているな」

「へ?」

 そう言われて自分の姿を見下ろして、自分がパジャマ姿であることに気づいた。いつも制服でしかこの部屋に来ないから、その時着ていた服のままでこちらに現れるなんて気づかなかったのだ。

「わわ! これはその、寝る時の服で、ここに来ている時は向こうに残っているわたしの体は寝たままになっちゃうから、それで、」

 しどろもどろになって説明しているわたしを、やれやれ、と言った表情で見たライムは、

「どちらにしてもその格好ではどうしようもない。ちょっと待っておれ」

 と言って、自分の側の扉を開けて部屋を出て行ってしまった。


 まずったなあ。着替えてくればよかったかな。でも普通の服のまま寝ていたら絶対おかしいし。

 そんなことを考えているとやがて扉が開いて、一人の女の子が姿を現した。白い生地に黄色の縁取りをした可愛らしいローブを羽織っていて、ふんわりとした髪の毛は明るい色で、くりくりっとした丸い目をしていて、

「はじめまして!」

 この元気な声は、

「杏ちゃん! 杏ちゃんじゃない!」

「いえいえ違います。わたしはマスター・ライムの弟子、アルピコと申します。マスターに頼まれてあなたが着る服を持ってきました」

「あ、ごめんなさい。わたしがいる世界にはあなたとそっくりな人がいるもんだから」

 それを聞いて杏ちゃん、じゃなかったアルピコはニッコリと笑った。

「ええ、それもマスターから聞いています。そちらの世界はこちらの世界の平行世界だとか。魔棋とよく似たゲームの達人なんですってね」

「達人っていうほどじゃないよ」

「でも、あのラクテアさんをこてんぱんにしたそうじゃないですか。今日はあの人、朝から機嫌が悪くて、冬眠明けの火竜みたいだってみんなで話をしていたんですよ」

そう言ってクスクスと笑いながら、わたしに青い色のローブを差し出した。

「これをどうぞ。わたしが以前使っていたものなので、サイズが合うといいんですが」

「ありがとう。じゃあちょっと着替えるね」

 アルピコに後をむいてもらって、パジャマを脱いでローブを羽織った。腰のベルトを締めてひらりと一回転してみる。うん、なるほど。魔法使いっぽい。

「用意はいいですか? では、ここを出て屋敷に行きましょう」

 差し出されたアルピコの手を取って、二人で扉を通って広間に抜けた。扉の向こうで待っていたライムは、わたしの格好を見て嬉しそうに目を細めた。

「いいね。その方がずっといい」

「そうですか? こういうの着たことないから、似合うかどうか分からなくて」

「似合ってますよ、カオルコさん」

「この前のような服装だとさすがに目立つからな。今後はあの部屋にそのローブを置いて、着替えてからこちらに来るといい」

「わかりました」

「それでは早速教えてもらおうか、君の”ショーギ”の技を。せっかくだからアルピコ、君も見ていくと良い」

「わかりました。マスター」




 それからこの前と同じ庭園の中の東屋あずまやに移動して、そこで二人を相手に将棋講座をすることになった。

 ところがこれが、全く思うとおりに行かない。とりあえず最初だからと棒銀戦法から始めてみたんだけど、すぐに二人から物言いがつくのだ。

「それで、こうやって銀をどんどん繰り出していくの」

「カオルコ、これではルーンの連結が弱すぎる」

「そうよ。オーラの輝きが全然少ないじゃない」

「魔法のことはいいの! 次にこうやって、銀を交換すればこちらの駒が捌けるんだから」

「どうして君は魔具を手元に戻すのを優先するのかな」

「手元に戻しちゃうと好きなところに置けるけど、集めた魔力が失われるから損なんだよ」

「そんなの知らないわよ。もう、二人して文句ばっかり。わたしは魔法が分からないって言ってるでしょ?」

「しかしなカオルコ、魔棋というのはその、駒を動かせばいいというものではないのだ」

「カオルコも魔法が使えれば、わたしたちの言ってること理解できるのに」

 アルピコがため息まじりで言った言葉に、ライムがぽんと膝を打った。

「それだ!」

「それって、どれですか? マスター」

「魔法だよ。カオルコも魔法が使えるようになればいいんだ」

「それはいいですね! カオルコさん、魔導師になりましょうよ」

「ちょ、ちょっと待ってよふたりとも。わたし魔法なんてわからないし、そもそもわたしが住んでいる世界では、魔法そのものが無いのよ」

「そちらの世界のことは分からないが、ここでは誰でも魔法を覚えることはできる。魔法を使える者が魔法使いになるのではなく、魔法使いが魔法を使うのだよ。素質によって伸びしろは違ってくるがな」

「そうよ。わたしもマスターに弟子入りする前は普通の女の子だったんだから」

 ふたりともノリノリで、これはもう断り切れない流れのようだ。でも考えてみれば、将棋の駒を操って魔法を使う棋士というのはすごくカッコいいかもしれない。魔法将棋少女、か。うん、悪くない。

「分かった。やってみる」

「よし決まった。さあ行こう」

「マスター、行き先は”無限回廊”ですか?」

「そうだな。カオルコがどんな系統の魔法を使えるかわからないし」

「じゃあわたしが騎竜になって、カオルコを乗せていきます」

「分かった。わたしは少し寄るところがあるが、すぐに追いつくだろう。軽く街を案内してやってくれ」

「了解です。マスター」

 そう言ってアルピコは懐から魔具を一枚取り出すと、指で弾いて、

「変身!」

 の言葉とともに、その姿を二足歩行で歩く竜へと変化させ。

 騎竜はわたしの前にひざまずくと、アルピコの声で、

「さあ、背中の鞍にまたがって」

 と言った。言われるままに彼女の背にまたがって手綱を掴んで鐙に足をかけると騎竜は立ち上がり、視線が普段より1mぐらい高くなった。地面を見下ろすと、あまりの高さに目が眩みそうになる。

 それに慣れる間もなくいきなり騎竜が駆け出したので、あやうくわたしは振り落とされそうになった。

「やめて! もっとゆっくり!」

 騎竜のゴツゴツとしたウロコだらけの首にしがみついてわたしは叫んだ。

「すいません。騎竜に乗るのは初めてですもんね。もっとゆっくり歩きます」

 騎竜の姿をしたアルピコはそう言って、人が歩くぐらいの速度まで歩みを遅くしてくれた。

「竜どころかわたし、馬にも乗ったこと無いの」

「そうなんですか! カオルコのいる世界ではどこに行くにも歩いていくんですか?」

「ううん、自動車っていう車輪がついた機械が一家に一台あって、遠くに行くときはそれに乗るの」

「車輪がついた、ってああいうのですか?」

 騎竜は顔を横に向けて、館の隅に転がっている荷車を指した。

「ちょっと違うかな。人や馬が引かなくても自分で走るようにできているの」

「へー! すごいですね。想像もできません」

「それはお互い様かな。わたしもこの世界のことは、何もかも想像の範囲外だよ」




 やがてわたしたちは門をくぐって屋敷の外に出た。屋敷は小高い丘の中腹あたりにあって、ここから石畳の道が街の中心に向かって伸びている。道の両側には、白い漆喰の壁に赤いレンガの三角屋根をした家が整然と並んでいた。さらに視線を遠くに向けると、高い城壁がそびえ立っていた。

「きれいな街。ねえ、向こうに見えるのは海かな?」

「はい。ここフレイアの街は、海を挟んで向かい合っている南の大陸との貿易の拠点になっているんですよ」

 石畳を爪音高くパカパカと進みながら、アルピコはガイドさんのように、目に映る風景のことを説明してくれた。

「この白い石造りの建物は公会堂です。街の人の代表たちがここに集まって、マスターはみんなの意見を聞いて街のことを決めます」

「ねえねえ、ライムってこの街の王様なの?」

 その質問を聞いて、アルピコはおかしそうに笑った。

「王様は王都にいますよ。マスターは、セト王国の評議会から派遣された、この街の守護魔導師なんです」

「この街で一番偉いってこと?」

「偉いかどうかは分かりませんが、守護魔導師がいなければ、街は魔獣や蛮族に攻め滅ぼされてしまいます。城壁があっても火竜は空を飛んできますし、地鬼は穴を掘ってきます」

「平和そうに見えるけど、けっこう物騒なのね」

「最近は特に妖魔たちの動きが活発で。ラクテアさんは毎日騎竜に化けて、この周辺の見回りをしています。昔は軍隊がそれぞれの街を守っていたんですが、軍隊は街の領主の私兵となって、隣の国に攻め入ったり反乱を起こしたりして、この国は長い長い戦乱に明け暮れていたんです。それで今は軍隊を廃止して、魔導師が街を守るようになったと聞いています」

「詳しいのねアルピコ」

「えへへ。これはマスターの受け売りです。一人前の魔法使いになるためには歴史の勉強も必要だって。さあ、着きましたよ。ここが”無限回廊”の入り口です」

 そう言って降ろされたのは、街の中心にある広場の、そのまたさらに真ん中にそびえ立つ尖塔のふもとだった。

 まわりをぐるりとお店に囲まれていて、たくさんの人が買い物をして賑わっている。とても”無限回廊”だなんて物騒な名前のものがあるように見えない。騎竜から女の子の姿に戻ったアルピコに尋ねた。

「ここが無限回廊なの?」

「いえ、無限回廊はこの街の地下に広がっているんです。この塔はいわば蓋のようなもので…、あ、マスターが来ましたね」

 アルピコの視線に合わせて上空を見上げると、背中に生えた大きな羽をはばたかせてライムが降りてくるところだった。地面に降り立つと羽はしゅるしゅると縮んで消えてしまった。

「ずいぶん待ったかい?」

「いえマスター。ゆっくり歩いてきたので、いま着いたばかりです」

「それは良かった。実はね、カオルコのためにこれを持ってきたんだ」

 そう言ってライムは袖の中から、赤い宝石が埋め込まれた銀色の細い棒を取り出した。

「あのエーテルの木の枯れ枝をいつまでも使わせておくのは悪いと思ってね、”学びの間”に道具を持ち込んで、きちんとした魔法のワンドを作ってきたんだよ」

 手渡されたワンドを見ると、持ち手は握りやすいように手の形にあわせた作りになっているし、そこから先の真っ直ぐにのびた部分にはびっしりとルーン文字が彫られていた。最初にもらった枯れ枝だって銀色に光ってきれいだったけど、精緻に細工を施されたこれは、本物の銀細工以上に美しく仕上げられていた。

「素材はあの枝と同じものだが、意志の力を魔力に変換しやすいように細工を施してある。これがあると無限回廊の中でも役に立つだろう」

「こんな凄そうなものを、もらっても、いや、使わせてもらって本当に良いんですか?」

「遠慮しなくてもいい、君のために作ったんだから」

 わたしのための魔法のワンド。手にとって振ってみるだけで、体の奥底から不思議な力が湧いて出てくるような気がした。

「ありがとうございます。すごく嬉しいです」

「いいなあ。マスター、わたしにも作ってくださいよ」

「ははは。アルピコが一人前になったらな。それでは無限回廊に入ろうか」




 ライムが塔の壁面に触れると壁の一部が窪んで両側に開き、小部屋が現れた。

 わたしたちがその中に足を踏み入れると壁は自動的に閉まって、部屋の中は一瞬闇に包まれた。だけどすぐに壁面にルーン文字が青白く浮き上がって、それと同時に部屋全体がゴトゴトと動き始めた。体が一瞬浮き上がるような感覚があったので、部屋がエレベーターのように地面の中へと沈んでいっているのが感じられた。

 やがて部屋の動きは止まって再び扉が開いた。

 その先はドーム状になった薄暗い空間になっていて、ドームの頂点あたりに浮かんでいる明るく光る球体がこの部屋をぼんやりと照らしていた。その真下には木で作られた古く重厚な机が置かれており、ライムはその上に置かれている呼び鈴を鳴らした。

 呼び鈴の音はリン!と明るく響いたけれど、特になにも起こらない。しばらくしてもう一度鳴らすも反応がない。さすがのライムもしびれを切らしたのか、今度はリンリンリンリン!と呼び鈴を連打した。すると、

「はいは~い。いま行くからちょっと待ってて」

 と、どこからともなく妙に色気のある間延びした声がして、しばらくすると、目の前にボンっという音を立てて煙が上がり、その中からやたらと露出度の高い服を着た、というか着ているのかこれは?と疑わしくなるぐらい、豊満な体にほんのわずかな布を貼り付けただけの姿をした女の人が姿を表した。

 女の人とは言ったけれど、瞳は赤く、血のように赤い口紅が塗られた唇からは長い牙が顔を出していて、さらに頭にはねじ曲がった2本の角があって、ひと目で人間じゃないと分かった。

「あら、守護魔導師様じゃない。いらっしゃい。直々にここにやってくるなんて随分と珍しいわね。今日はどうしたのかしら」

「新しく魔法を覚えたい子がいるんだけど、ちょっと面白い才能を持っているようだから一緒についてきたんだ」

「ふーん、そんなこともあるのね…。あなたはレベル30のアルピコちゃんよね。最近来てくれないからさみしかったのよ」

「あはは、ごめんなさい。ちょっと最近いそがしくて」

「こちらのお嬢さんは初めてね。お名前を聞いてよろしいかしら?」

「はい。わたし、カオルコといいます」

「カオルコちゃん、ね。あたしはこの無限回廊を守る血の悪魔、サングリアよ。これからよろしくね」

「はい。よろしくおねが、ひゃ! なにするんですか!?」

 わたしが挨拶を言い終える前にサングリアはふわりと宙に浮いて、わたしの顔のすぐそばに顔を寄せてぺろりと首筋を舐めたのだ。

「ねえライムちゃん、この子、なんだか変な味がするわよ。ほんとに大丈夫なの?」

「ちょっと特殊な事情があってね。大丈夫。才能はわたしが保証する」

「それならいいけど。じゃあカオルコちゃん、手続きをするから机の前においで」

 また変なことをされないか警戒しながら促されるままに机の前まで行くと、向かい側に立った彼女は胸と胸の谷間から鉄色のプレートを取り出した。

「これがあなたのライセンスカード。魔法使いとしてのレベルが記録されるのと同時に、どれだけの魔力を使っていいのかの許可証になっているのよ」

「私のカードはこれだ」

「わたしのはこれよ」

 二人のカードとわたしのカードを見比べると、どうにもわたしのは安っぽく見えた。そこら辺に落ちている鉄板を切り出しただけ、みたいな。ライムのカードは燃えるようなオレンジ色に輝いていて、アルピコのはエメラルドのように緑色に透き通っている。

 密かに落ち込んでいるわたしのことにはお構いなしにサングリアは、

「それじゃ、認証するから手を出して」

 と言ってわたしの手を取った。

 彼女はしげしげとわたしの手を観察して、

「きれいな手ね。傷一つないなんて。どこかの貴族のお嬢さんなの?」

「いえ、わたし、痛い!」

 答えている間にサングリアはわたしの人差し指に、鋭く尖った彼女の爪を突き立てていた。

「ちょっと痛いわよって言ったわよ」

「言ってません!」

 私の言葉を完全に無視した彼女は、わたしの血の滲んだ指先にライセンスカードをぐっと押し付けた。すると、地味な鉄色だったカードはまぶしく輝きはじめた。

「このカードの色で、あなたがどんな魔力の持ち主なのかが分かるようになっているのよ。ほら、見ていてごらん」

 やがてカードの輝きは収まりだし、プレートの模様が分かるようになってきた。これはなんだろう。マーブル模様? 茶色と黄土色がしましまになっている…?

「あら! こんな模様、今まで見たことないわ」

 サングリアの驚いた声に、ライムとアルピコもわたしのライセンスカードを覗き込んだ。

「本当だ。これは私も初めて見る。一体どんな魔力なんだ」

「これってもしかして木目かな? でも、植物の魔法を使うんだったらわたしと同じ緑色になるはずなのに」

 アルピコの言葉で、よく似た模様のものを目にしたことがあることを思い出した。

「これってもしかしたら虎斑じゃないかしら」

「”トラフ”?」

 ライムの問いに、わたしはうなずいた。

「将棋の駒は木で作られているんだけど、中にはこういう虎の毛皮のような模様になっているものがあるの」

 本物の虎斑の駒はそれこそ何百万円もするので、わたしは触ったことすら無いほどの代物だ。タイトル戦のテレビ中継で見たことしかないけれど、将棋界の頂点に立つ名人やその挑戦者がその白い指をしならせて、宝石のように輝く駒を自由自在に操っている様子は印象強く残っている。

「あんまり見たことない色だけど、木だったらわたしと同じ属性ってことですね」

 と、アルピコが話しかけてきた。それを聞いたライムは難しい顔をして天井の方を向いてしまったけれど、わたしはとりあえず

「そうだね、仲間だね」

 と言っておくことにした。




 登録が済むとサングリアは、

「じゃ、帰ってきたらまた呼んでね」

 と言って、出てきた時と同様に、煙とともに消え去った。

 アルピコはわたしの手をとって、

「あっちに入口があるんだよ。はやく行きましょう」

と急かすのだけど、ライムはまだ難しい顔をしていて、

「ねえカオルコ、もう一度さっきのライセンスを見せてくれないか?」

 と言った。

 ライムはわたしが手渡したカードを、ひっくり返したり斜めから見たり、ためつすがめつしたあげく、

「うーん、やはり見たことがない」

 とさじを投げた。

「この色のこと?」

「ああ。魔力の系統には七種類あって、そのどれかの色がカードに反映される。炎はオレンジ色、植物は緑色といった具合に。だがカオルコ、君のカードは7種類のどれにもあてはまらないんだ」

「わたしが別の世界から来たからかな」

「そうかもしれない。しかし…」

 わたしにカードを返した後も、ライムは一人でぶつぶつと考え事を続けていた。

「ふむ。すまない、私は屋敷に戻ってちょっと調べ物をしてくる。このまま二人で試練を受けておいてくれ」

「え!? ふたりだけで?」

「アルピコがついているから大丈夫。せっかくここまで来たんだから、少し体験していくといい」

「わたし、こう見えてもレベル30までクリアしているんですよ。低層階ならまかせておいてください!」

「は、はあ」

「危険を感じたら、無理をしないで脱出するんだよ」

「わかりましたマスター!」

 アルピコは元気いっぱいやる気十分だけど、わたし個人としてはこの先に待ちかまえている試練とやらが不安でたまらなかった。ライムがいてくれたら安心なのにな。

 でも、ここまで来たし魔法のワンドだって作ってもらったし、やってみるしかないか。




 わたしとアルピコは、ライムに見送られながら部屋の隅に開けられた通路に入った。通路の中は暗く、アルピコが杖の先端に灯した明かりを頼りに進んだ。通路は左側にカーブしながら下っていて、土がむき出しの地面は気を抜くとズルズルと滑り落ちてしまいそうになる。

「ねえねえ、アルピコはよくここに来ているの?」

「はい。魔法使いはみんなここで修行をします」

「さっきレベル30って言ってたけど、それってどのぐらいの強さなの?」

「この無限回廊は、地の底の底まで試練場が続いています。この通路を抜けた先にレベル1の試練場があり、それをクリアできたらレベル2、という具合で、クリアした深さに応じてさっきもらったライセンスカードに記録されるんです。レベル40で一人前と言われているので、わたしはまだまだですね」

「そうなんだ。じゃあライムはどのくらい?」

「マスターはレベル200に近かったはずです。ただ、守護魔導師になってからはほとんど入られていないと聞いています。魔力を回復させながらなので、深く潜るのには何日もかかるんですよ。レベルを更新する実力があってもなかなか時間が取れないのだとおっしゃっていました。レベル40まで進めば、それ以上はあまり意味が無いのだとか。あっ、もうすぐ着きますよ」

 通路の先は金属製の壁によって完全に塞がれていた。試しに力いっぱい押してみたけど、まったくビクともしない。

「はあ、これは無理。まさかこの扉を開けるのが試練じゃないよね」

「ふふ。このくぼみにライセンスカードを入れるんですよ」

「あ、ここね」

 壁の一部分に、カードがちょうど収まりそうなくぼみがあった。

「最初なので私のカードを使いますね」

 そこにアルピコがライセンスカードをあてると、壁の表面に青くルーン文字が浮かび上がったかと思うと、壁は左右に分割して通路が開いた。


 その先は広い空間になっていて、壁際に人が一人歩けるぐらいの通路があり、その内側は2mほど低くなっていた。水が入っていないプールに似ているけれどちょっと違うのは、床面に3体の石で作られた彫像が置いてあるところ。

 そのうちの2つは兵士の像で、わたしたちに背を向けるようにして立っている。もう一体は豚みたな醜い顔をした、でっぷりと太った魔物の像で、手には巨大な戦斧をぶら下げている。プールというよりも四角い闘技場といったところだろうか。

「あのオークを倒せばクリアになります。とりあえずお手本を見せますね」

 と言ってアルピコは、ハシゴを降りて闘技場に降り立った。

 それからつかつかとオークの彫像の前まで進み出ると地面に何かをパラリと巻くと、杖を顔の正面に構えておもむろに呪文を唱え始めた。

 すると、彼女の足元に撒いた種から一斉に芽が出て、みるみる伸びてオークの体に巻きつき、赤いトマトの実をつけた。その瞬間オークの彫像は、まるで石化の魔法が解けたかのように生身に戻り、怒りに満ちた雄叫びを上げた。そして戦斧を持ち上げ、目の前にいるアルピコに向かって勢い良く振り下ろした。


 ガシィン!


 すさまじい音に思わず首をすくめた。アルピコは!?

 見ると、戦斧は床を叩いただけでアルピコまで届いていなかった。腰から下をトマトの茎で絡め取られていて踏み込みが出来ず、間合いを取りそこねていたのだった。

 不満そうに鼻を鳴らし、戦斧を地面において両手で蔦をむしりはじめるオーク。その隙をアルピコは見逃さなかった。すかさず次の呪文を口にし、杖を振りかぶって跳躍!

 杖を振り下ろしまでの間に杖の先端はみるみると巨木のように膨れ上がって、そのままオークの脳天を一撃した。

 重さが何トンもありそうな木の塊の一撃を受けて、さしものオークもたまらずその場に倒れこみ、そして次の瞬間、煙となって雲散霧消した。




 ふぅ、と大きく息をついてアルピコは、オークにまとわりついていたトマトの木から、赤く実ったトマトのみをもぎ取ると一口かじり、

「うん、今回も良く育ちました」

 と言ってまんぞうくそうな顔をした。それからこっちを向いて、

「だいたいこんな感じです。それじゃあカオルコさんもやってみてください」

 と手を振ってきたけれど、いやいやいや。無理でしょこんなの。

「えーと、わたし魔法とか使えないんだけど…」

「大丈夫です。さっきマスターからもらった杖を使えばいいんです」

「これ?」

「そうです。その杖に向かって意識を集中させてください」

 アルピコに言われたとおり、ぐぬぬぬぬ、と歯を食いしばって全身の力を杖の方に集中させてみようと試みる。

「いい感じです! カオルコさん、目を開けて見てください」

「あ、光ってる」

 杖に埋め込まれた宝石が光を放ち、杖全体が銀色の鱗粉で覆われたようになっていた。

「成功です。こうやって意志の力を魔力に変換して、」

「変換して?」

「ガツンとやっちゃうんです!」

「え、これで?」

「はい!」

「でも、さっきは杖を巨大なハンマーみたいにしてぶん殴ってたじゃない? こんなので大丈夫かな」

「当たりどころが良ければ大丈夫です!」

 そんな。いくら杖に魔力があるからって、さっきのアルピコは言ってみれば魔力+物理じゃない。それをこんな細い棒一本で倒せるのかな。

「大丈夫ですよ、カオルコさん」

 やる気を失っているわたしを、アルピコは下からのぞきこんだ。

「私、回復魔法も得意なんです」

 そう言ってエッヘンと胸を張るんだけど、本当に大丈夫なのかな。

 この世界では、戦斧で真っ二つにされても簡単に蘇生することができるんだろうか。っていうか、たとえ生き返るとしても真っ二つにはされたくないんですけど。

「うーん、それは最後の手段に取っておきたいかな。ところであそこにいる兵士たちは何の役に立つの? 味方?」

 と言って、わたしは闘技場にまだ立っている二人の兵士の彫像を指差した。

 オークの彫像は消えてしまったけれど、2体の兵士の彫像は部屋に入ってきた時のままこちらに背を向けて立っている。

 わたしの疑問に、アルピコは小首をかしげた。

「確かですね、魔棋の兵士と同じように操れると聞いたことがあります」

「アルピコは使ったことがないの?」

「はい。まだ魔棋は使えませんし、そもそも魔法使いですから、魔法で倒すのが正攻法だと思うんです」

 うーん、そうか。やっぱりライムにも来てもらえばよかったかな。ゲームをクリアできるのと、ルールをきちんと知っているのは別の問題なのよね。

 それから闘技場の中をもう一度、改めて見回しながら考えた。

 オークは最初、闘技場の一番右隅に立っていた。一人の兵士はオークの斜め前に立っていて、もう一人はその兵士の右斜め後ろ、オークの真向かいに立っていた。三体が「く」の字に並んでいる、といえば分かりやすいだろうか。

 もしこれが詰将棋だとして、オークが玉将、兵士が歩兵だとしたら、どうやっても解けない。わたしにはもちろん、名人だって無理だ。例えば歩が進んだとする。王手。でも次に、相手の玉に取られて終わってしまう。これはゲームセットだ。

 やっぱり、アルピコみたいに力づくで倒すしかないのかな…。

 でも、待てよ。もしかしたら…。

「わたし、やってみる」

 意を決してそう言った。




「じゃあ一旦この部屋を出て、リセットしないとね」

 ふたりで部屋の外に出るとすぐに壁が元通りに一枚に戻ったので、今度はわたしのライセンスカードをセットした。再び部屋の中に入ると、オークの彫像が元通りの位置に復活した。

 ハシゴを降りるのは今度はわたしの番。

 闘技場の地面に降り立ってあのオークたちと同じ地面に立つと、思わず身震いがする。

 体に身に着けているのはアルピコから借りたローブ一枚。手にしているのは小さなワンド一本。これであの巨大で醜悪な魔物を相手にするなんて、不安がないと言ったら嘘になってしまう。

 だけどその反面、気持ちのどこかで「いけるんじゃないか」と思っていた。

(それはどうしてかな)

 自分に問いかけながら、兵士の彫像のそばまで足を進めた。わたしの真正面と右側に兵士がいて、わたしからちょうど桂馬飛びに跳ねた位置にオークの彫像がある位置だ。

(それはきっと)

 自分への問に答えながら、わたしは意識をワンドへと集中させた。

 石が光り輝き、その輝きは地面に向かって広がっていき、兵士たちをも含めた闘技場全体をすべて見渡せるような感覚が頭のなかに広がっていった。

(この世界が、将棋でできているからだ)

 わたしは右隣に立っている兵士の彫像に意識を送り、指揮をするようにワンドを前へと振った。

 その瞬間、彫像に命が吹き込まれ、生身の兵士となって前に向かって歩き始めた。石で作られた皮膚は血が通って肌色になり、槍の穂先には光が宿り、そしてオークを突き刺すべく槍を構え直した。

 しかしその刹那、オークの両目がギラリと赤く光ったかと思うと一瞬にして石化が解け、兵士が突き出した槍の穂先をかわしたかと思うと、突進して巨大な戦斧で兵士を薙ぎ払った。

 まるで自動車にでも跳ねられたような勢いで闘技場の壁に向かって吹き飛ばされる兵士に、

(ごめんね)

 と心のなかで謝りながら、手にしたワンドでオークを


ぺしっ


 と叩いた。

 わたしに叩かれたことに気づいたオークがこちらを見た。

 わたしの視線と、オークの血走った赤い瞳から放たれる殺意とが交錯する。

 豚のような鼻からは、ふしゅー、という荒い息。

 そして戦斧を持ち上げわたしの方に向き直り、その次の瞬間、オークはきらきらときらめくチリになってしまった。チリはしばらくオークの形に浮かんでいたけれど、それからわたしの周りを渦巻きのようにゆるく回転し、そのままわたしの体に吸収されるようにして消えてしまった。


 緊張で足が動かない。もし倒せなかったらあの兵士みたいに吹き飛ばされてしまっていたのかと思うと、ワンドをつかんだ手がブルブルと震えた。

「カオルコさん凄いです! こんなやり方があるんですね」

 アルピコが興奮した声で声をかけてくるまで、彼女がすぐ側に来ていたことさえも気が付かなかった。左手にびっしょりと汗をかいていることに気がついてローブで手のひらをぬぐって、右手は?と考えたけれど右手はワンドを握ったまま開かなくって、体が全然言うことを聞いてくれない状態になっていた。

「カオルコさん? 怪我をしたりしていませんか?」

 アルピコの問いに首を縦に振った。

「うん、大丈夫」

「無事でよかったです。それでは、そこにあるカードを受け取ってください」

 顔を上げると、ちょうど目の高さぐらいのところにライセンスカードが浮かんでいた。手にとって見ると、表面にはさっきまで存在しなかったマークが刻印されている。五角形? アルピコは、わたしのカードを覗き込んで、

「カオルコさんのマークは面白い形ですね。わたしのは葉っぱになっているんですよ」

 と言った。彼女のカードを見せてもらうと、大きな葉っぱのマークが3枚と、小さな葉っぱが2枚刻印されていた。

「マスターは炎のマークだし、ラクテアさんは流れ星になっているんですよ」

 みんなそれぞれ、使える魔法の属性に関連しているマークがつけられるのか。

 このマークは一体なにを表しているんだろう。もしかして、将棋の駒?

「試練をクリアしてカードに刻印がされると、次の部屋への扉が開くようになります」

「あそこの通路から?」

「はい、って、カオルコさん、もう次に行くんですか!?」

 次の部屋に続く通路に向けて歩き出したわたしを、アルピコは驚いた声を出して引き止めた。

「え、まだ行けないの?」

「いえいえ、いつでも大丈夫なんですけど、カオルコさんの方は大丈夫ですか?」

「うん、わたしは大丈夫よ」

「まだ、体が震えているように見えますけど…」

「うん、これは多分武者震いだから」




 次の部屋に向かう通路に入ると、横を歩くアルピコが話しかけてきた。

「カオルコさんすごいです。わたし、最初に入った時はレベル1もクリアできませんできたから」

「最初の時もああいう魔法を使ったの?」

「その時はわたし、青くて固いトマトを相手にぶつける魔法しか使えませんでしたから」

「それは弱そう…」

「それでも達人が使うと凄いんですよ! 家一軒ぐらいの大きさの青いトマトがゴロゴロゴロ!、ってそれはいいんですけど、当時のわたしのレベルの魔法をオークに当てても怒らせるばかりで、いつも闘技場の中を逃げまわってばかりでしたよ。地上で魔法の修行をして、地下に戻ってそれをぶつけてみて、の繰り返しでした」

「みんなそうやって、この無限回廊に挑戦しているんだ」

「そう、だと思います。他の人が魔法を修行するところを見たことがないし、そもそも他人に見せたり見たりすることはあまりよろしくないことだと言われています」

「魔法の修行は完全に秘密主義なんだ。将棋とは随分違うね」

「”ショーギ”は魔法よりも自由なんですか?」

「うん。棋士同士で研究会を開いたり、あと、対局? ここでいう魔棋の試合みたいなのは、内容を知りたい人は誰でも見ることができるようになっているの」

「そんなことができるんですか! それならすぐに強くなれそうですね。でもうらやましい反面、怖いですね。自分の手のうちが相手に分かってしまうのは。魔法使いに同じ魔法は通用しないといいますから。あ、もうすぐ入り口ですよ」




 金属の壁にカードをセットして、レベル2の部屋に入った。さっきの部屋よりもさらに敵の数が増えていて、巨大なオークの前にはコボルドが立って守りを固めていた。こちらの味方は歩兵が一人と、槍を構えた騎士が一人。

「槍を持って突進するのか。なるほどね」

 そう独り言をつぶやいてから闘技場へと降り立ち、そのままスタスタとコボルドの彫像の真横まで歩み寄った。

 こちらが先に攻撃しないかぎり動き出すことはない、はず。そうだろうと思っているけど、地獄から蘇ってきたネズミのマスコットキャラクターみたいな邪悪なコボルドの横顔と、ノコギリみたいに刃がギザギザした剣を見ると、背筋がゾクゾクと寒くなる。

 万一の時はいつでも逃げ出せるよう警戒しながらワンドに意識を集中し、槍騎兵をコボルドに向かって突進させた。

 石の地面を高らかに蹴りあげて馬は速度をあげ、激しい衝撃音とともにコボルドは騎兵のランスで串刺しにされた。コボルドは塵となり、騎兵はランスを振ってその塵を払って、オークに向けて狙いを定めた。

 狙われたオークは転げるようにして横に身をかわすも、そこは歩兵の目の前だった。わたしはワンドを振って兵士に指示を出す。

 兵士が突き出した槍は正確にオークの鎧の隙間を貫いて、心臓を一刺しにした。

 ゴフっという音とともにオークの口からは大量の血が溢れ、わたしは思わず視線を逸らしたけれど、すぐにコボルドと同様に塵となって消え去った。

「すごいよ、二連勝だよ!」

 アルピコが駆け寄ってきた。彼女の笑顔は、まるで自分のことのように喜んでくれているみたいに見えた。

「普通はレベル2になるとものすごく苦労するものなんです。1体1ならまだしも、敵が二人に増えてるじゃないですか? それを一瞬で見極めてクリアしてしまうなんて! 初めてとは思えないです」

「ほんと言うとね、初めてじゃないの」

 アルピコの賞賛の言葉に照れながら、わたしは答えた。

「どこか他のところで修行してたってことですか?」

「うん、まあね」

 このレベル2で仮定が確信に変わったんだけど、この試練は『詰将棋』によく似ている。詰将棋とは相手の王様を、王手の連続で追い詰めていく将棋の駒を使ったゲーム。将棋は相手の王様を追い詰めて動けない状態にしたほうが勝つゲームなので、子供の頃からそれこそ計り知れないぐらいの時間を、詰将棋を解くのに費やしてきたのだ。

「この調子なら、今日中にぜんぶ解けちゃうかも」

 と言ってアルピコに笑いかけた。

 その言葉に、彼女の驚いていた顔が心なしか引きつったように見えたのは気のせいだったろうか。




 レベル3に進むと、敵はオークとコボルドのほかに、翼を生やしたガーゴイルが増えていた。こちらの味方はさっきと同じで、兵士が一人と槍騎兵が一人。ただし、兵士はレベル2の時よりも一歩後ろに立っている。

「なるほど、ここにいたら危ないってことね」

 わたしは兵士の横まで進んでガーゴイルを眺めた。そこからさらに一歩前に進んで、右斜め前にガーゴイルが、右斜め後ろに兵士がいる位置に立った。レベル2でコボルドの真横にいた時はすぐに槍騎兵に倒されることが分かっていたからまだ安心だったけど、今回はちょっと不安が大きい。羽が生えているのに、飛ばなかったら困るなあ。


 この試練が詰将棋に似ているけれどちょっと違うのは、『双玉』、つまり、相手の王様だけじゃなくてこちらの王様も盤上にあるというところ。この試練の場合、こちらの王様というのはもちろんわたし自身のことだ。

 普通の詰将棋なら相手の王様を攻撃することだけを考えていればいいんだけど、双玉だとこちらの王様の安全も確保しながら進めていかなければならない。

 今回は、もしこのガーゴイルがわたしの読み通り『桂馬』じゃなかったらヒドいことになってしまう。その鋭い鉤爪で引き裂かれるのは、とても痛そうだ。


 それでも覚悟を決めて、槍騎兵をコボルドに向けて突進させた。

 コボルドが串刺しにされ、そしてわたしの目の前にいるガーゴイルが翼を広げた。その羽音に一瞬ひるんだけれど、そいつは思った通りわたしの頭上を飛び越えて、槍騎兵に掴みかかった。ガーゴイルの爪に両肩を掴まれた槍騎兵は上空に持ち上げられ、顔や頭ををくちばしで突かれている。

 ひどい目にあっている彼には悪いけれど、わたしは右斜め後ろに立っていた歩兵を一歩前へと進ませた。

「2二歩成!」

 思わず符号を叫んだ。進むだけじゃなくて、成ってと金にならなければ勝つことができない。

 叫んだ瞬間、わたしの周りの空気が渦を巻いてワンドへと集まり、そしてそこから金色に光る粒子が溢れだして歩兵を包み込んだ。光の粒子を浴びた歩兵の体はみるみると成長し、体は筋骨隆々に、粗末な皮の鎧は金色に輝く黄金のプレートメイルに、手にしていた槍は複雑な飾りのついたハルバードへと形を変えた。

 金色の重装歩兵が雄叫びを上げると、そこにオークが巨体を震わせ突進してきた。


 ガキィン!


 金色の戦士は、オークが振り下ろした戦斧をかろうじて盾で受け止めた。だけどその盾にはバキバキとヒビが入り、このまま押し切られてしまいそうだ。

 せっかくパワーアップしたのに、もうやられちゃうんだね。でも彼はわたしのために、一瞬の猶予を稼いでくれた。

 金色の戦士の背後から身を躍らせたわたしは、回転しながら逆手に持ったワンドでオークを打った。


 パシィン


 と小気味いい音とともに、オークも戦士もガーゴイルも、周りの全てが煙になって消え去った。

「よっしゃ!」

 思わずガッツポーズ。遠くに立っているアルピコに手を振って、

「ねえ! 見てた、今の?」

 と聞くと、うんうんとうなずきながらこちらにやってきた。

「うん、すごい。すごいよ」

「すごいでしょ!」

 エヘンと胸を張ったけど、どうも反応が悪い。

「あんまりすごくない?」

 と尋ねるとなんだかバツが悪そうで、

「いや、たしかに凄いんですけど」

 とモゴモゴと言いながら、わたしと目を合わそうとしない。変なの。

「じゃあ次に行こうよ」

 そんな彼女の手をとって、また通路を降りて次の部屋へと進んだ。


 続いての部屋には、敵に鎖帷子を身につけたダークエルフが加わっている。お互いの配置を一瞥して「よし」と気合を入れて、闘技場の中へと歩き出そうとしたところを「ちょっと待って」と手首を掴まれてしまった。おっとっと。

「どうしたの?」

「どうしたのじゃなくて…」

 なにか困った顔をしている。

「どうしてそんな簡単にクリアできちゃうんですか!?」

「分かるよ、そりゃ!」

 笑いながらそう答えた。だってこんな五手詰めぐらい、将棋を覚えたての子だってひと目で解けちゃう…。そうか!

「そうか、アルピコはこれを一体一体、直接攻撃で倒していたんだもんね」

「はい。だから…」

「だから?」

「なんだかズルいです!」

「そんな! 別にズルなんてしてないよ!?」

「分かってます。ズルしてクリアできるようなところじゃないですから。でも、わたし、このレベル3まで進むのだって、何ヶ月もかかったんですよ! なのにカオルコさんはいとも簡単にクリアしていくから、わたし…」

「…ごめん」

「ごめんじゃないです。謝ることはなにもないです」

「でもごめん。泣かないでアルピコ」

「泣いてなんかないです!」

 そうは言っても、うつむいた彼女の顔からこぼれた涙のしずくは、ポタポタと地面にしみを作っている。

「私、もう魔法使いなんてやめます」

「ええっ! ねえアルピコ、ちょっと待って」

「カオルコさんのことを見ていたら、私に才能が無いことが分かりました。もう辞めます」

「待って待って、色々と誤解があるのよアルピコ」

「ぐすっ、なんですか、誤解って」

「ねえアルピコ。わたしもね、あなたと同じように、いえ、もっと小さい頃から練習を積んできたのよ」

「でもカオルコさんは、魔法を使えないじゃないですか」

「わたしが住んでいる世界には魔法がないのよ。だけどその代わり、将棋という魔棋によく似たルールの競技があって、わたしはまだ5歳か6歳ぐらいの時から毎日、何時間も取り組んできたの」

「わたしも将棋を覚えたら、もっと魔法が強くなりますか?」

「なるよ絶対! 今日のところはもう帰ろう。わたしまた来るから。一緒に頑張ろう」


 まだ半べそをかいているアルピコと手をつなぐと、一瞬で無限回廊を出て、ドーム状の地下空間に移動した。すると再びボンっという音を立てて煙が上がり、例のセクシー悪魔、サングリアが姿を現した。

「あらあなたたち、思っていたより帰りが早いわね。ライセンスカードを見せてごらん」

 わたしがサングリアにカードを差し出すと、彼女は驚いて、

「あら! もうレベル3までクリアしたの? どんな手品を使ったのかしら」

 と言いながら、わたしの周りをぐるぐると飛んだ。

「アルピコちゃんがズルをしたわけじゃないわよね?」

 その問いに、アルピコがぶんぶんと首を横に振る。

「そうよね。そんなことをしたらすぐに分かっちゃうもんね。まあいいわ。そこらへんの詳しいことはあなた方のマスターが調べてるでしょ」

 そう言って、わたしに向かってカードをぽんと放り投げた。

「そういえばそのカードの模様、もしかしたらどこかで見たことがあるかもしれないわ」

「この模様のカードを持っている人が、わたしの他にもいるんですか?」

「いるというか、”いた”というか。なにせもう何百年もここの門番をやっているからね。はたしていつ頃のことやら、本当に見たのかどうか」

 そう言ってサングリアは楽しそうに笑った。

「まあいずれ思い出すだろうから、またおいで」

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