第5話 終業式
明けて12月25日は終業式だった。
この日は半日で終わるし、昨日の夜は変なことがあったせいで体もダルいからサボろうとも思ったんだけど、ご飯を食べて深夜になってから桂太に送った「ごめん、寝ちゃってた」とのメールの返事もまだ来てないし、直接会って謝ろうと思って学校に行くことにした。ヌクヌクと暖かい布団の中から寒い室内へとエイヤっと飛び出して、昨日の残り物のフライドチキンをおかずに朝ごはんを食べて家を出る。
昨日までの雪は明け方には降り終わったらしく、玄関を出た時にはすっかり青空が広がった日本晴れだった。白く積もった雪に朝日がはじけて眩しいぐらい。冷たい空気を肺に送り込むとさわやかな気持ちになって、学校に行くのも悪くないな、と思った。布団から出てしまえばこっちのものよ。
そんな感じに元気に明るく学校までたどり着いて、まずは桂太のクラスの様子を覗きに行った。始業時間も近いのでクラスのほとんどの人は来ているようだったけど、桂太の姿は見えない。バスが雪で遅れているのかな、と思ったその時、嫌なやつと目があった。
「おう成田! どうしたんだこっちのクラスの様子なんて見に来て。偵察か?」
垂井に見つかってしまった。声が大きい! 何が偵察よ。
そんなことを思うまもなく垂井はわざわざ、わたしがいるところまでやってきた。
「なになに、どうしたの?」
「いや、あの、桂太来てないかなって思って」
「なんだ。三井を探しに来てたんだ。休み、休み」
「今日休みなの?」
「そ。さっきメール来てた。風邪っぽいから休むって。今日なんて半日で終わるんだから出てくりゃいいのにな」
「風邪、引いたんだ」
「三井になんの用?」
「あ、いや、特に用とかはないんだけど」
「ってか休むの聞いてないの? お前ら仲いいじゃん」
「全然大した用事じゃないから! ただちょっと見に来ただけで」
「なになに? ケンカでもしたのか?」
「そんな、ほんとになんでもないって」
「水臭いなあ。オレとお前の仲じゃんかよう」
いつからどんな仲になったというんだ。
「うん、分かった。またね」
無理やり話を切り上げて自分の教室へと逃げた。
コートを教室の後にかけて自分の席についたところでチャイムが鳴って、先生が教室に入ってきた。朝礼が終わるとすぐに終業式なので、椅子を持って体育館に向かう。
校内アナウンスの声に従ってぞろぞろと廊下出ると、杏ちゃんがすぐ横にやってきた。
「おはよ。今日は遅かったね」
「ちょっと寝坊しちゃって」
へへへ、と愛想笑いで誤魔化した。
「昨日はどうだったの?」
「どうって?」
昨日?
「興奮して寝られなかったんじゃないの?」
「え!? 何が?」
いきなりなにを言い出すの? 驚いているわたしの顔を見ても、杏ちゃんはニヤニヤしているだけで答えない。
「ねえねえ、教えてよ。何か知ってるの?」
「桂太くんのこと!」
「桂太がどうしたの?」
「もう! とぼけちゃって」
「とぼけてなんかないよ!」
「またまた~。昨日お呼びがかかったんでしょ?」
「あ、え、なんで杏ちゃんが知ってるの?」
「だってさ、昨日部活を休みにしようって言い出したの、桂太くんなんだよ。本人は楓那のことを引き合いに出していたけど、普段はそんなこと気にするタイプじゃないじゃない。で、昨日はどうだったの?」
「うーんと、会おうとは言われていたんだけど」
「だけど!?」
「家に帰ったら疲れがどっと出て寝ちゃって、起きたら真夜中だったの」
「なにそれ~、約束すっぽかしたの? ひどいよ香子」
「いや~、わたしも我ながらひどいと思ったんだけど」
「それで、謝ったりしたの?」
「うん、メール送ったんだけど返事がなくて」
「あーあ、桂太くん傷ついてる」
「そうかな」
「そうだよ! あとで部室に来たらちゃんと謝らないと」
「そう思ってさっき教室を見に行ったんだけど、今日は風邪で休みだって…」
「はぁ、かわいそ。わたし香子のこと、見損なっちゃったな」
「うん、ごめん」
「謝るのは桂太くんにでしょ」
「うん」
そのあとは沈黙のまま体育館までたどり着いた。椅子を置いて席について、また杏ちゃんが話しかけてきた。
「正直なところさ、香子は、桂太くんのことどう思ってるの?」
「どう、かな」
その言葉に、わたしは深く考えこんだ。果たして自分は桂太のことをどう思っているんだろう。子どもの頃からの友達で、将棋仲間。それ以上の関係になりたいのかどうか。
やがて校長先生がやってきたので起立して、長々とした冬休みに向けての注意事項を右から左に聞き流しながら、桂太のことを考えていた。
いまこうやって偶然同じ高校に入って、同じ部活にいるけれど、小学生の頃のように親密な関係かといえば全然そんなことはなく、普通の友達になってしまった。昔と違って桂太しか友達がいないわけじゃないし。
だけど桂太的にはずっと、昔のままの気持ちを持っているのかな。
そんなことを考えているうちに校長先生の話も終わり、再び椅子を持って教室へと戻った。その途中で杏ちゃんは、
「ねえ、さっきの答え」
と難問を掘り起こしてきたけれど、わたしは
「考え中」
としか答えることしかできなかった。
「なにさ、長考のつもり?」
「うん。冬休みの宿題」
「ふーん」
「ふーんってなによ」
「ふーんだからふーんなの!」
変な杏ちゃん。
教室に戻って先生から通信簿をもらい、冬休みの注意事項を聞いてその日はおしまいとなった。机の中に入れっぱなしの教科書や辞書を積めて重くなったカバンをよっこらせと背負ってから杏ちゃんに、
「部活行こうか」
と声をかけて、一緒に教室を出た。部室に入るとふーちゃんはすでに一年生の女の子と対局をするべく、壁に積まれた碁盤を二人がかりで運んでいるところだった。
「香子、将棋やろっか」
カバンを部室の隅に置いていると、杏ちゃんからそんな提案があった。
「いいよ。囲碁でもいいけど」
「囲碁だったら香子は13路盤じゃないとできないでしょ。将棋がいいの」
「駒は落とす?」
「ううん、今日は平手で」
「ほー、それじゃ、本気で相手をしないとね」
杏ちゃんは高校に入ってから将棋を始めたので、そんなに強いわけではない。だけど応援するイケメンの将棋棋士ができてからすっかり観る将棋ファンになって毎日のように棋譜中継を見ているし、囲碁の方は団体戦のメンバーになるぐらいなので、元々ゲームの素質があるタイプではある。
そうは言っても、このわたしが平手で引けをとるような相手じゃないけどね。
駒を並べ終えて「どうぞ」と先手を譲ったら、以外にも杏ちゃんは首を横に振って、
「今日は香子が先手でいい」
と言った。
先手は自分から戦い方を選ぶ権利があるので勝率も有利だし、普通は上級者が譲るものなんだけど、今日は何か考えがあるみたいだ。
お互いに角道を開けてからわたしが角交換を拒否して、普通の矢倉定跡に進んで、それから彼女が△4五歩から△4四銀と盛り上がり、矢倉にさらに銀が一枚追加された『菱矢倉』の形にしたところで杏ちゃんの意図に気がついた。
これは、おとといのわたしと来島四段との対局を踏襲している。
それに気がついた瞬間、全身の毛が逆立つような感覚がわたしを襲った。周りで雑談をしていた下級生たちの話し声や廊下から聞こえていた雑踏も、一瞬にして遠くなる。
「わ、戦闘モードだ」
こういうのって顔つきにも現れるんだろうか。杏ちゃんのつぶやきにちょっと心が動かされたけれどすぐに対局に気持ちを集中させて、とりあえずは前例をそのまま進めさせてあげよう、と決めた。
こうやってわたしの対局をなぞってくるぐらいだから、どこかで変化して後手が勝つ順に持ち込んでくるに違いない。今はコンピュータ将棋が強くなっているから、ネットに上がっているわたしの棋譜を解析させれば、何が悪手でどうすれば逆転できたのかなんて一目瞭然なのだ。
しばらく局面が進んで、わたしの攻めが続くか切れるかという中盤の山場、ついに杏ちゃんが変化してきた。
(やっぱりここか)
ここは来島四段との感想戦でも出てきた局面。わたしが相手の玉の頭にただで取れる歩を打って、彼がそれを取らずに玉を逃がしたところ。勇気を出して取っていれば勝てたかもしれないと言っていた歩を杏ちゃんは取ったのだ。
だけどそれもわたしの想定していた局面。わたしは角を打って王手をかけ、さらに攻め続けた。
杏ちゃんは途中までいい感じに指していたけれど、徐々に「あれ、どうだっけ」とか「おかしいな」みたいなボヤキが増えていき、やがて簡単な詰め手順を見逃して投了した。
「うーん、昨日予習してきたのに負けちゃった!」
「ソフト使って予習してきたんでしょ?」
「そうだけどさ、私のほうが勝てるはずだったのになんで負けるかなあ」
「最初から最後までソフトが指したんだったら、勝てたかもしれないけどね」
「香子、本気出してたでしょ。途中から勝負師の顔になってたよ」
「なにそれ。そんな怖い顔してた?」
「なんかね、空気がピンと張り詰めるみたいな」
「自分じゃ見たことないからなあ」
「でもアレはやらなかったね。眠り香子」
「杏ちゃん相手には、ね」
「来島四段は強かったから出たの?」
「うん。すごく強かったよ。たまたま勝てたけど、きっとわたしよりも強いと思う」
「桂太くんと香子だったらどっちが強い?」
「昔は、小学生の頃は同じくらいだったけど、今は多分、わたしの方が強いかも」
「桂太くんって、自分より将棋が強い人が好きなのかな」
「な、なにをいきなり言い出すの?」
「なんでもないよー」
そう言って杏ちゃんは盤上の駒を両手でざざーっと崩した。
「次は普通にやる」
「そう? じゃあ二枚落ちでやろうか」
「飛車も角も!? 屈辱だ…」
「そういうのはわたしに勝ってから言ってよね」
駒を並べながら、隣で囲碁を打っているふーちゃんの方を見た。背筋をスラリと伸ばし、駒を持った指から爪の先までもピンと緊張感を持っていて、パシリと石を碁盤に打ち付ける所作は芸術的で、思わず見とれてしまった。
「ねえ、はやくやろうよ」
「ごめんごめん。人が指してる姿って、意外とあんまり見ないなって思って」
「そうかもね。まず盤面の方を見ちゃうし」
「ふーちゃんは美人でいいよね」
「和風だもんね。去年のお正月に和服を着てたけど、あんまり似合いすぎているから江戸時代かと思っちゃった」
「それ、あんまり褒めている感じしないよ」
横であーでもないこーでもないと喋っていると、
「ふたりとも、うるさいよ」
ふーちゃんに叱られてしまった。それから咳払いを一つして、膝においたピンク色のハンカチで右手を拭いてから石をつまみとった。
「あれ? 楓那、そんなハンカチ使ってたっけ?」
「ああ、これ?」
そう言って見せてくれたタオルハンカチは全体が薄いピンク色で、隅のところにワンポイントで桜の花びらの模様に刺繍がしてあるかわいらしいものだった。
「へー、かわいいね。クリスマスプレゼント?」
「そうよ。塚本先輩からもらったの」
「やっぱり二人、つきあってたんだ」
「別に内緒にしておくことでもないしね。言い出すタイミングが無かったから黙ってただけだし」
「公然の秘密みたいなかんじだったもんね」
「まあそういうことだから」
そう言ってふーちゃんは再び盤に向き直ったけれど、その横顔はほんのり桜色に染まっているように見えた。
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