第3話 魔法の国

 桂太からのいきなりの告白予告に頭の中がぐるぐるしてきた。

 白く曇った窓ガラスに額を押し付けると、ひんやりとした感触が気持ちよい。火照った頭に冬の冷たさが染みこんでいくのを感じる。

 ガラスからただよう雪の匂いのせいで、桂太と出会った頃のことが思い出されてきた。むかし通っていた将棋道場で、よく窓ガラスを使って○×ゲームをしていたなあ。


 わたしが将棋に興味を持ったのはたしか小学1年生ぐらい。最初は父が教えてくれていたんだけど、すぐに歯が立たなくなって道場へと連れて行かれた。そこには同年代の子どもたちが何人もいて、その中のひとりが桂太だった。

 小学校のうちは数えきれないぐらい対局をして、一緒に遊んだりして、中学に入ってからはわりと疎遠になったけど偶然高校で一緒になって、おなじ部活に入って、なんだかんだで10年近く一緒にいたけれど、いままで全く彼のことを恋愛とかそういったものの対象だと思ったことは正直言って、無かった。

 そもそも今まで誰のことも恋愛の対象として見たことすらないわたしにとって、『人を好きになる』現象からして想像の範囲外にあった。好きか嫌いかの二択だったら桂太のことは決して嫌いではないんだけど、それは友達としての好きであって、杏ちゃんやふーちゃんと同じカテゴリの中。それじゃダメなのかな。友達以上の、何を桂太はわたしに望んでいるんだろう。手を恋人つなぎにして観光地を歩いたり?

 ふーちゃんはこれから、塚本先輩と一緒なのかな。元町でクリスマスのイルミネーションを見たりするのかな。それでもって、ちゅーとかしちゃうのかな。さすがに高校生だし、そのぐらいはしちゃうよね。それから? それから?


 そんな不埒な妄想をしているせいで危うく乗り過ごしてしまうところだったけれど、ギリギリセーフでバスを降りて家にたどり着いた。お母さんはまだパートから帰っていないので、家の中はひんやりと冷えきっている。

 2階に上がって自分の部屋のストーブをつけて、コートを脱がないままベッドの上に倒れこんだ。

「どうしよう」

 困った。わたしはどうすべきなんだろう。行くか、行かないか。受けるか、受けないか。どっちにしてもいろいろと面倒なことになりそうで、それが憂鬱だった。いまの状態がいちばん楽しいので、それが壊れてしまうのは怖かった。

 どうにかして、全方位的に丸く収まるような方法はないだろうか。この局面での最善手は、なんだ。

 時計を見ると、あと10分もすればお母さんが帰ってくる時間になっていた。まずい。それまでにどうにか、会いに行くとしたら外に出る理由を考えなければならないとして、どう考えても持ち時間がない。


 ここは、あの部屋を使うしか無いか。


 将棋の対局以外で使うのは悪い気もするけど、それと同じぐらいに今は緊急事態だし。しょうがないしょうがない。

 寝返りを打って仰向けになり、大の字のまま目を閉じた。それからいつものように、まぶたの裏側にある暗闇に向けて意識を集中させていく。

 やがて現れた扉に向かって近づいて、取っ手を引いて部屋の中に入った。

 その瞬間、わたしは部屋の違和感に気づいた。盤上の様子が明らかにおかしい。わたしが普段触っている平べったい石ではなく、チェスの駒のような小さな兵士たちがホログラムのように浮き上がっている。鎧を着込んで一列になって、槍の穂先を並べているのが歩だろうか。兵士の足元のマス目が光ると、駒が自分で歩いて前のマス目に進んだ。

 盤が光っているせいでよく見えないけれど、どうやら向こう側には誰かが座っているようだった。薄暗い部屋の中だというのにフードを目深に被っているせいで顔はよく見えない。その人が空中で手を動かすたびに、自陣と敵陣の兵士たちが交互に一歩ずつ動いている。

(これはどういうこと?)

 疑問に思ったその時、わたしの後ろで扉がガチャリと音を立てて閉じた。

(まずい!)

 と思った時にはすでに遅く、フードの人の視線がわたしをとらえた。

「何者だ!」

 するどい声とともに立ち上がってこちらに向かってくる。やばい、逃げなきゃ。背を向けて扉の取っ手をつかもうとすると、わたしの両手首が何者かにつかまえられた。

 いつの間に誰が? と思う間もなく完全に取り押さえら、それから体を部屋の方に向き直されて、歩いてきたフードの人と向かい合わせにさせられた。

「女か。どうやってこの部屋に入ってきた」

「え、え、あの、わたし」

 言いよどんでいると、顔の横のあたりの壁をバン!と叩かれた。

「ひっ」

「ふん、どこぞの魔道士が潜り込んだのかと思ったが、本当にただの迷い子のようだな。魔力が感じられない」

 フードの男はさっきまで座っていた椅子に腰掛け、

「ここに座れ」

 と言って盤を挟んで向かい側にある席を指差した。わたしが戸惑っていると、両側の二人がわたしの腕を持ち上げるようにして前に進ませた。

「ちょ、ちょっと」

 わたしを拘束している二人は黒いドレスに白いエプロンをつけたメイド姿で、黒い髪の毛を後ろでお団子にしたスタイルは瓜二つ、どころか、顔も双子のようにそっくりだった。

 腕は細いのにわたしが身をよじってもびくともしないぐらい力が強く、抵抗むなしく椅子に座らされてしまった。

「逃げようとしても無駄だ、女よ。素直に質問に答えれば帰してやらないこともないぞ」

 もう諦めたほうが良さそうだ。両側の双子メイドはわたしから手を離して一歩後ろに引いて立っている。あの扉を開ける以外で現実に戻る方法があればいいんだけど。

「もう一度聞こう。どうやってこの部屋に入った?」

「どうやって、というか、理由は自分でもよくわからないんです。いつの間にかここに来れるようになっていて」

「私がいない間に何度も侵入していたのか」

「はい。誰かいるとは思わなくて。すいません」

「それはまあいい。それでは、なんという国から来たのか答えよ。そのような服は今まで見たことがない」

「国? ですか。日本です」

「ニホン…? それも聞いたことがないな。興味深い。では女よ、何故にこの部屋に入ったのだ。盗めるものなど何もなかろう」

「いえ、これを使うためにです」

 と言って、机の上にある盤を指差した。

「ほう、貴様は魔法も使えないくせに、魔棋マギをやるというのか」

「マギ、かどうかはわからないんですけど、わたしの国ではこれと似たような道具を使った勝負が行われるんです。それで、分からないことがあるとここに来て研究していました」

 それを聞いてフードの男は愉快そうに大きく笑った。

「はっはっは。面白い。魔法も使えない別の世界に、魔棋と同じものが存在するというのか。いいだろう。女よ、私と試合え。見事私に勝つことができたら、ここから帰してやろう」


 フードの男が右手を上げ「戻れ」の掛け声でわたしの両サイドに立っていたメイドさんたちが光につつまれ、そして小さな石となって彼の右手に吸い込まれた。彼がその石を盤上に戻すと、両端の、香車の位置に駒現れた。

 それから兵士たちは、フードの男の指示によってわっせわっせと移動を始めた。定位置に戻った駒たちを見て、わたしはほっと胸をなでおろした。良かった、将棋と同じ配置で。あとは動かし方が合っていればいいんだけど。

「さあ、貴様が先でいいぞ」

「あの、動かせと言われても、これをどうやって…」

 指でつまもうとしても実体がないので、掴みどころがない。

「おいおい、直接手で触れるものじゃない。これだから蛮族は…。ちょっとまっておれ」

 そう言ってゴソゴソとポケットの中を探して、細い棒のようなものを見つけ出してこちらにほおってよこした。木の枝のように見えるけど、表皮は銀色で、指に吸い付くような不思議な感触がした。

「それはエーテルという木の枝だ。魔力を含んだ樹液が流れる木だから、枯れ枝になっても意志を魔力に変換して伝える助けになるだろう。それで動かしたい魔具を指して、それから動く先の場所を指し示すといい」

「それじゃ、こうかな」

 わたしが枝で指し示すと、歩兵が一歩前に進んだ。

「ははは。やればできるじゃないか。そんなところから始めるのは筋が悪いが、動かし方が分かることでまず褒めてやらねばな」

 フードの男が半笑いで動かしたのはなんと、玉将を一歩前に進める手だった。角道を開けるような普通の手を筋が悪いと言うくせに、なんだこれは。

 でも、まだわたしの知らないルールが隠れているだけかもしれないし、とりあえず慎重に駒組みをすすめることにしよう。中途半端に口出しして機嫌を悪くされたら帰れなくなるかもしれないし。

 そう決めたわたしは、自分の玉を左端の方に進めて金と銀とでガッチリと守る、穴熊囲いを目指すことにした。その一方で飛車の先の歩を突いて『攻めは飛角銀桂』のことわざ通りの攻める体勢をきっちりと整える。

 一方でローブの男は王様と金銀を盤の中央へとどんどん進ませて、5五のあたりを中心に空中楼閣を作り上げていた。こんなの、攻めも守りもあったもんじゃない。わたしが何もしなかったからいいようなものの、もし速攻をかけていたらどうなっただろう。

 やがてこちらの駒組みも飽和状態になり、そろそろ攻めてみようかと思った時だった。彼は突然立ち上がり、

「フーハハハ。貴様の負けだ」

 と叫んだ。

「へ?」

 何を言われているのか分からない。詰みどころか王手さえかからない状態だ。この人はいったい何を言っているんだろう。

 大げさな身振りで銀将を一歩動かし、王様を中心に駒がひとかたまりに集まった。すると駒たちが怪しく輝きだし、駒たちが進んできたマス目にも様々な文字が浮き出てきた。そしてその文字は駒たちの頭上に集まって魔法陣を描いて、弾けて消えた。

「どうだ、今のが私の究極秘奥義のひとつ、『完全なる地獄の業火』だ。この盤の上だったから良かったものの、本物の魔棋であったならば貴様の体は消しくずになっていたところだ。自らの運のよさを喜ぶが良い」

「ごめんなさい。わたしそーゆーのよくわからなくって」

 目が点になりながら、わたしは飛車の前の歩を相手の歩の目の前に進ませた。

「おい、無視するな!」

「え、だってまだ終わってないでしょ?」

「あのな、普通の人間がこの奥義を食らったら消し炭になって吹き飛んでいるって説明しただろ」

「でも、わたし消し炭になってないし」

「ぐ、しかし…」

「はいはい、言い訳はなし。続きを指すの? 指さないの? ここで降参?」

「なにを! 生意気な小娘め。それではこうだ」

「歩を取ったのね。そしたら飛車で取るわよ」

「そんなところに構ってられるか!」

「それじゃあ桂馬もいただき!」

「くそ、姑息な手を。ではこうだ!」

「あれ? ちょっと待って。これをこうしたらどうする?」

 わたしは、取ったばかりの桂馬を打って王手をかけた。

「なんだそんなもの。すぐに取り返してやるわ」

 そう言って彼は歩兵に桂馬を取るように指示を出したんだけど、歩兵は前に進むことがどできない。彼の方を振り返って、その小さな首をふるふると横に振った。

「なぜだ、なぜ言うことを聞かぬ!」

「ほら、こっちを見てごらん」

 わたしは自陣にいる角を指差した。そこから斜めにひとマスずつ進めていくと…。

「この桂馬トルーパーを取ると、我が玉将ウィザード角行ドラゴニュートに奪われてしまうということか。それでは…、なんと、逃げる道もないとは」

そうして彼はガクッと頭を垂れた。

「わたしの、負けだ」

「じゃあ約束どおり、わたしを帰して…」

「しかし納得がいかぬ!」

 バン、と机を叩いて立ち上がり、彼は叫んだ。その勢いで目深にかぶっていたフードが後ろに倒れ、彼の顔があらわになった。その顔を見てわたしは息を呑んだ。


「来島、四段…?」


 間違えるはずもない。黒縁のメガネに伸びすぎた前髪、切れ長の目に似合わない少し犬っぽい雰囲気の鼻。それはまさしく、昨日対局していた来島四段その人だった。

「え、なんで? どうして?」

 いくつもの疑問が重ね合わせに浮かんできた。なぜ彼がわたしにこんなイタズラを仕掛けるのか、なぜ彼がこの部屋に入ることができたのか。

「待て、なんだ、そのクルシマとかいうのは」

「だってあなた、昨日わたしと対局したじゃない。なんでこんなこと」

「待てと言っているだろう。貴様と会ったのは今回が初めてだ」

「違う! ここでじゃなくて、向こうで!」

 背後にある扉を指差して叫んだ。

「分からん女だな。貴様と私は違う世界の住人だと先ほど言ったであろう」

「嘘よ、ドッキリかなにかでしょ。わたしのことを騙そうと思って」

 そう言って、どこかでカメラが隠し撮りをしていないか探すことにした。だけどすぐに来島四段と同じ顔の男が近くまでやってきて、わたしの腕を掴んで引っ張りあげた。

「証拠を見せてやる。ついて来い」

 そう言って強引に、わたしが入ってきた扉と部屋の反対側にある扉に向かってわたしを引っ張った。

「やめて、やめてよ」

 身をよじって逃れようとしたんだけど、細い腕のくせして意外と力強くて、抵抗むなしく扉の中に引きずり込まれてしまった。

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