#021 もちろんそう思ってるんですよね



 「真滉まひろさん、ひょっとして疲れてます?」と、私は要らぬことを心配してしまうのだった。

 所在なく丸椅子に座る私の前で、真滉さんはてきぱきとレジ締め他諸々の作業を片づけていく。連戦連敗だった閉店後の実況パワフルプロ野球で、私はうっかり勝ってしまい、締めの仕事は真滉さんがひとりで引き受けることになった。そろえた硬貨を数えつつ、真滉さんは、「疲れてないわけじゃないけど、篤芽あつめが勝った要因を知りたいんだとしたら、これまで三振にできてた球をホームランにされたから。」と説明した。まさか本物の野球の通り九回裏までやるだけの時間はなく、いつも三回までの勝負としていた。今夜の結果は私から見て二対一、決勝点になった二回裏の逆転ツーランホームランのことを言っているらしい。珂雪かゆきを付き合わせて練習した甲斐があったということだが、こんな時期であれば素直に喜べない。

 こんな時期――だ。深く思い悩み、書けずにいることは認められないと思えた。勝ちを望まれればこそ、そうだろう。かといって近道もできない。ならば、ただ進むことだけが残る。

 自分が書いたものが何なのか、自分とは何なのか、それに答えられないことを思い知らされた。烏海ううみ奈尋なひろに棲む幽霊が何であるか答えられないのと同様に、また、藤ノ木ふじのき篤芽に棲む幽霊が何であるか、やはり答えられないのだと。烏海奈尋に――睦人むつとくんではなく、私が――挑むだけの価値がそこにあるのか、誇りを託される逢館おうだての伝説とは何?

 もし、原点をたったひとつに求めるならば――

 『冬灯ふゆともしに聞く』に遡らなければ、私は進めない。

 「これは敵に塩ということではなくて、私のために訊ねるんですが。ついでに、乙女心でもありますが。」私が切り出すと、真滉さんは、「敵のためになる返事はできないな。乙女心として聞こうか。」と応じてくれた。

 あの冬の初め、高校生活最後の作品を前にして。「去年、冬の初めに、とっても美人でかわいい女子高生がクレームをつけに来たの、覚えてます?」正直、もし記憶に残ってなかったら(乙女として)ショックが大なので、ついおどけてしまうと、真滉さんは「ファミコンのソフトが起動しないってんで文句をつけに来た女子高生と、つい長話しちゃった記憶ならあるけど、とっても美人でかわいいかは――」と言いながら私の顔を覗き込み、しまいには「――個人の主観によるね。万人にとってそうだとは言えないな。」などと言うので、もちろん真滉さんはそう思ってるんですよねと詰め寄りたくなった。

 真滉さんは「やっぱり俺、釣り銭間違えてたな。」と、心当たりがあるふうに言って、しかし良心が咎める様子は全くなく、自分の財布から一円玉をひとつ取り出して、レジのお金に加えた。客に一円多く渡してしまったので、自分のお金を足して誤差をごまかしたということだった。はさておき、真滉さんがお金のやりとりでミスをするのは本当に珍しい。

 真滉さんは、カウンターの内側、諸々を管理するパソコンに向かうメッシュのチェアに座り、数字を打ち込みながら言い足した。「まあ、これが予想できてたから、ホームランにできるボールをわざとゴロにしたんだけど。三回表で、三振を狙わずに内角に投げたシュートを二回。配球はもう少し考えたほうがいいね。」真滉さんは平然としていたので、私も遠慮なく(しかし内心で)腹を立てた。一方、ある意味ではいつもの真滉さんで、どこか安心した。

 「それで、俺と篤芽の出会いが何か? あの時点ではさすがに、逢館の藤ノ木篤芽とは一致してなかったな。いい趣味をしてるゲーム好きの女の子だった。」一円をごまかした結果、レジの金額は問題のないものとなり、販売や買い取りの額などと合わせ、本社にデータが送信された。

 と言うよりは、はっきりとだったのだが、私と私の持ってきたソフトがあまりにもミスマッチだったというのが、長話のきっかけとして確かにあるようなのだ。

 「あのソフト、思い出の品として大切にしまってあるんですが、それはさておき、」私は話を主題に移す。「藤ノ木篤芽が『冬灯に聞く』を思い浮かべたのは、真滉さんと話したすぐ後です。もっと別な話を書くはずだったのを、急遽きゅうきょ差し替えることにもなりました。」私はしみじみと言ったのだが、真滉さんは、「勘弁してよ。」と言い、実際にすごく嫌そうな顔をして、「あのゲームが発端だったなんて知ると、せっかくの感動が薄れるんだけど。冬灯ふゆともしの。」と続けた。今まで散々ロマンスを否定してきたんだから、出発点が残念すぎるソフトであることくらい許容してください。感動してもらえて嬉しいです! ありがとうございます!

 どう繕えばいいかわからず、結果としては知らんぷりで、私は話を前に進めた。「だからどう、と、そういうことはないんです。ただ、あの頃を思い返すのなら、真滉さんが覚えているかどうか知りたくて。そして、作品のきっかけだったと、伝えたくて。」私が見つめ直すことが、真滉さんのうちにもってほしかった。

 他の細々とした入力を見惚みほれる勢いで済ませつつ、真滉さんは画面を見ながらで言った。「それなら、俺のほうだって、改めて考える前に、篤芽に知っていてもらいたいことがある。」真滉さんは仕事を終える最後のエンターキーを押して後、マウスの操作で出退勤時刻を管理するソフトウェアを開いた。午後十一時三十一分になったら、退勤の処理をする。

 真滉さんは席から立ち、監視カメラに映らない位置まで移動すると、ポケットから煙草とライターと携帯灰皿を取り出し、くわえた一本に火をつけた。野球が長引かなかったにせよ、さすがの貫禄と言おうか、五分弱も時間が余っているのだった。バックヤードでの喫煙なら許されているのだが、わざわざここで吸うあたり、真滉さんはいつも私のそばにいたいのだろう。決して話が途中だからとかじゃなくて。

 私は残り五分をどうしようかと思ったところで、真滉さんは言った。「結果として敵に塩になれば無粋だし、俺には乙女心もないわけだし、まあ最低限で。」真滉さんの顔つきに、自嘲と本当の微笑みが混じる。「聞いてみてくれ。睦人のやつに。あいつ、今回は篤芽の味方なんだろ。わざわざ俺に断りを入れてきたよ。」「聞くって、何をですか。」そういえばと、私はレジになっているほうのパソコンで商品を検索する。睦人くんがシナリオ制作に加わったパソコンゲームは、取り扱う予定があるらしい。受付時刻が閉店後というのは好ましくなく、次に店に来た時に予約を入れようと思った。

 煙草を指で挟んだまま、カメラの視野に入るのを承知で私の隣に立ち、真滉さんは言った。「俺が、篤芽の作品に何を見たのか。」息を呑むのを押し殺した。私が私に脅えてはいけない気がした。

 「睦人のやつなら、よく聞いてるよ。で。」真滉さんはあっさりと言う。「俺は、昔の俺を棄てなきゃ勝てない。でも、篤芽に知られないまま棄てられちゃうのも味気ない。そんなわけ。」最低限と言うにしては十分過ぎるほどで、ならばもう話の続きはないと、私はただ、「わかりました。」と返した。



 なんとなく予感はあった。だから携帯の画面をちらちらと見やりながら、店から家までの道を歩いていた。開きっぱなしにした折りたたみの携帯の画面は、とうに明かりを減じて、夜の街並みに点々と続く街灯の光を受けている。

 そのまま歩くこと少々、果たして、登録されていない番号から電話がかかってきた。普段なら電話に出ようか出まいか迷うところだが、今夜のこれは心当たりしかなかったので、すぐに通話ボタンを押した。

「もしもし。」とだけ言うと、『ま、おそらくあんたの予想できてた通り、永坂ながさか睦人だよ。』と、電波に乗せられた声で聞こえてきた。私と睦人くんは会って話をしたわけだけど、仲良くなるよりもむしろ互いにとげはぐくんでいったという有様ありさまだったので、結局、どちらとも(それで当然と)連絡先の交換を求めなかった。

 睦人くんはさすがに呆れたふうだった。『なあ、今回については言ってくれないか。あの人に。連日でデートの邪魔はいくらなんでもだって。』睦人くんが逆らえない相手は明らかなのであり、また、弟分より私のことを優先する人も明らか。「言うけど。あと一応言っておくけど、私は何も頼んでない。」『聞いてる。誰に言われなくてもそうだとわかる。』

 その後、睦人くんのため息が聞こえた。『俺が昨日の埋め合わせをすることも織り込み済みなんだとしたら、震える。恐怖で。』独り言のように聞こえたので、直接には言葉を返さず、「連帯責任は感じる。」と、伝えた。

 デートの邪魔をされて困っているという語調は、どうしてか消えた。『そいつはいい。兄貴が全部悪いとわかっちゃいるが、連帯責任は取らせるはらだったからな。兄貴の話を聞きたいんだろ? だったら来てくれよ。責任、その辺に捨ててくるなよ。』と、睦人くんは言うので、来てくれとなると歩みを進められず、私は立ち止まった。

 「これから? どこへ?」うっかり忘れていたのだが、真滉さんと睦人くんは兄弟分なのであり、(悪い)影響を与え合っているのであり、片方が強引ならもう一方は紳士的だなんてことがあるわけない。『あんたの働く店から、十分ほど歩いたところにあるビジネスホテル。ああ、心配すんな。払いは俺だし、ついさっき取ったあんたの部屋はシングル、俺たちの泊まるデラックスダブルとは別だよ。』

 俺というのが睦人くんと誰を指すのか、おおよそ想像はつくとして、その正誤がどうあれ、私と真滉さんってデートらしいデートをしたことがないなと思わされるのである。真滉さんとふたり並んでどこへ行ったかといえば――墓地に文句は言えまい、たくあんがいけない。真滉さんの執筆のお供がクレープだったら、どんなによかったか。




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