#020 見たくないです



 「それで、マヒロさんは読んだわけですか。あっちゃん先輩の引退作、『冬灯ふゆともしに聞く』を。」朔良さくらちゃんの視線は私に向いていなかった。まっすぐ正面、私の家のブラウン管テレビに注がれていた。

 「あ、うん。時間もないわけだし、昨夜のうちに読んだと思う。」そう返す私の視線も、朔良ちゃんの隣、わずか斜めからではあったが、テレビの画面に向いていた。朔良ちゃんはプレイステーション2のコントローラーを操作しながら、「部長としては大歓迎の企画なんですけど、申し訳ないというか気の毒というか。烏海ううみ奈尋なひろに勝てと言われるほうも、『冬灯ふゆともしに聞く』を読まされて、じゃあがんばれってなるほうも。」どこか呆れたふうに言った。

 朔良ちゃんはコントローラーに置いた指の動きを止める。「ひととおり見て回りましたけど、これ、次はどうすればいいんですか?」画面の中央には、ぽつんと小さく描かれた王宮戦士が立っている。ひげを生やしているわりに、どうしてか鎧はピンク色。新しく着いた村で話を聞き、壺やタンスに隠されたアイテムを見つけた後だった。つまり私は、朔良ちゃんがゲームをするのを見守っている。「布の服は売ってしまって、これまでに稼いだお金で、木の帽子を買うのが無難かな。それで戦闘は危なげなくなると思う。」

 なぜこうなったかとなると、朔良ちゃんの恋心ゆえとするべきか。睦人むつとくんがゲーム業界で仕事をすることになったのに、朔良ちゃんの家にはゲーム機がひとつもなく、今までずっとゲームに縁がなかったそうで、マリオもドラゴンクエストも知らないから、少しだけ触れさせてほしいと、そういうことだった。睦人くんの仕事はパソコンゲーム、さして詳しくはないが、ゲームと言うよりノベルと表すほうが近いはずで、今やっているドラゴンクエストⅣ(プレイステーション版)とはかけ離れたものであるのだけど、まあ、後輩の恋情に水を差すのも野暮というものか。

 ただ、「いいのかな、こんなふうに呑気に話してて。」という疑問は生じてくる。わりと深刻な話のように思えたのだけど。「いいと思いますよ。確かに睦人さんは泣いてましたけど、あたしは相互理解の仲立ちをしようってだけなので、もっと全然、ポジティブな話ですし。」朔良ちゃんはプレイキャラクターを操作し、言われた通りに木の帽子を購入した。「あたしからすれば、睦人さんの仕事を理解する手助けもしてもらってて、暗くなる理由、どこにもないですし。」こんなふうにさばさばと考えられることは、朔良ちゃんの人柄のとても大きな美点だろう。

 朔良ちゃんは防具屋の後、独断で武器屋も覗いていた。顔つきは真剣で、睦人くんへ向ける思いの強さがうかがわれる。私としては、大事な後輩なので、せめて二番目か三番目にしてあげてほしい。女癖の悪さを直せとは言わないから。「これまで、一回の戦闘でもらえるゴールドって、せいぜい20くらいだったじゃないですか。これ、一番高い武器、880ゴールドもしますけど、買うんですか?」あえて自分に制限をかけるのでなければ、遅かれ早かれ買うだろう。「うん。今じゃないけど、そのうちには。」「ひゃー、気が長いというか、面倒なんですね、ゲームって。」RPGの醍醐味を面倒と言い表すべきかはさておき、朔良ちゃんの気風からすれば、マリオかロックマンでもやってもらったほうがよかった気がする。ただ生憎、この家にはない(実家に残してきた)のだった。

 装備を整え、でもやっぱりピンク色の鎧をまとった戦士は、これから村の外に出て、敵と戦いながら時刻が夜に変わるのを待つ。「話が戻っちゃいますけど、」プレイが単調な繰り返しになるところで、朔良ちゃんは言った。「部長として大歓迎の企画には違いないです。睦人さん、下手な同情は嫌がるので、あたしは話に乗りましたけど、睦人さんからすれば、どう思えば、どう感じればいいのかさえ、はっきりわからないんだと思います。」朔良ちゃんが操作する戦士は敵に遭遇し、戦闘画面に切り替わって後、〈こうげき〉のコマンドが選ばれた。

 ほんの少し、指の動きが遅れるようになる。ボタンを押すまでに、ごくわずかな空白が挟まれるようになる。

 「あっちゃん先輩の前では言いにくいですけど、でも、誰よりも、がまた小説を書くことを望んでいたのは睦人さんで、そして、誰よりも、烏海奈尋と競い合いたかったのは睦人さんだって、あたしは、そう思うから。」でも、寂しげに話していてなお、指はためらいながらも、朔良ちゃんはそのままゲームを続けた。「やっぱり、わかんないですよ。どう思ったらいいかなんて。一番望んでいたことが叶って、一番望んでいたことを、その、取られちゃったんですから。」ここで私が謝るのは、まるっきり違うのだろう。朔良ちゃんも、責める気はないのだと明言していた。

 ひとつ、気になったことがある。「睦人くんから差し入れをもらったけど、それは真滉まひろさんにも何か? 私だけ?」深い葛藤の中、私に差し入れが届くこと自体、不自然だ。「あっちゃん先輩だけです。兄貴のほうには、何も。」それなら、余計に疑問が積まれる。「どうして、」そこで、朔良ちゃんはすっと私に目を向けた。

 「いっそ勝て。それなら納得できる。」

 朔良ちゃんは、口ぶりを睦人くんに似せて、言った。

 「兄貴に負けることなら、俺にもできる。」

 わずか、私を向いた目は、またすぐに画面に戻った。けれど、声色はそのまま。

 「俺じゃ代われないっていうんなら、勝てよ。」

 私は言葉を失っていた。「と、いうことだそうです。」朔良ちゃんの雰囲気はすぐに和らぎ、コントローラーのボタンを押す指からためらいが消える。キャラクターのレベルが上がって、それに喜ぶ気色さえ見せた。



 自分の家で別々に執筆をして、それでもって真剣勝負、とはいうが、職場は一緒なのだった。ゲームステーション・かぐや堂のことだ。

 私と真滉さんは、客のいない店内、レジカウンターの内側でふたり並んで立っている。ふたりきりであることはとても嬉しいのだが、これでは店が潰れやしないかと、いささか心配になってくる。

 最近、シフトが新しく決まるごとに、私と真滉さんが一緒に店に入る機会が増えている(ついでに夜番に偏ってきている)。どうも店長は、このふたりが一番組み合わせだと、そんなふうに思っているらしく、一緒に店に立てる代わり、だいたいその日は面倒な仕事が待っているのだった。先日、他の店から流れてきた大量の在庫があったのも、そのうちのひとつか。昼番の仕事をあえて残しておく日さえある。

 隣に立って、熱心ではなく手持ち無沙汰ゆえに、ファミコンソフトの端子を綿棒で掃除しながら、真滉さんは言った。「まあ、篤芽あつめの記憶力の良さのおかげで、店長の思うより俺たちがいるわけだけど。」今日やったことは、売価の変更に伴うプライスカードの差し替えだ。千百円のものが九百八十円になったなら、値札を差し替えるわけである。まさか全商品というわけではないが、今日は二百タイトル近くあった。「半分はそうでも、半分は真滉さんの手際の良さでしょう。」と、私は部分的に反論する。

 ふたりがかりで、というほどでもなかった。新しい値札を印刷した後、商品の場所を細かく覚えている私が、効率的に作業できるよう、それを並べ替えた。値札の束を受け取った真滉さんは、それをさらさらと入れ替えていくわけだが、ひとつ終えて、次の商品はすぐ右か、あるいはすぐ下にあるという具合だ。

 真滉さんは綿棒を捨て、ソフトをいったん置くと、「ちょっと、買いたいソフトがないか、物色してくるよ。」と言い、カウンターから出た。あれだけ新作の予約を入れておきながら、さらにソフトを買おうとしていることには今さら驚かない。店長にこれ以上出来ると思わせても、面倒が増えるばっかりで損なので、私と真滉さんは多少手を抜くことを申し合わせていた。

 私はカウンターの内側にひとりになる。真滉さんと私は相対する者同士ゆえに、意識的に勝負の話を避けていた。今こうなると、雑談が混じらない分、自然、思いが向く。

 私は勝つと言った。

 けれど、私の望みは間違いなく、負けることだった。

 今、その願いを、ありのままに求め、信じることができない。

 真滉さんには負けてほしくない。勝ってほしい。

 けれど、私は?

 そんなふうに思う私、そんな甘さで臨む私が、烏海奈尋に挑む者としてふさわしいというのか。

 いったい誰に?

 誰に挑むつもりでいるんだ?

 そして、私、私は。私自身は、藤ノ木ふじのき篤芽は――何なのか。

 別れ際に、朔良ちゃんが迷いなく言ったことが、心のうちで再び聞こえる。

 ――これは、睦人さんのこととは関係なく、ひとりの後輩として。

 ――逢館おうだての伝説が負けるところは、見たくないです。

 自らの誇りをも含ませた眼差しとともに、言われたのだ。

 ――勝ってください。




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