#016 『雪映りの雪』より抜粋 上編
――――
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
どうして、どうして思えるだろう、これとは違ったと、どうして思わずにいられるだろう、間違いなく、ここに、眼前に在る景色と同質のものが、今までの
とうに汗に沈んでいた、白のタンクトップと黒のハーフパンツ、今さら何を吸えるでもなく、変わりようのない服の重さが、きみの体感のうえで増し、動きが鈍る。
そもそも、
何を求め、得るべくして?
その問いかけは、きみの脚を止めるには至らない。しかし、答えられもしない。明確な解を持てぬまま自転車を漕ぎ続けるために、きみの不調和は注ぎ、積もる。どうして、胸中の痛痒は、目の前の景色を直視するほど、どうして、どうして、と、確かな痛みに変わる。昨夜のきみが抱いた願いが、烈日を浴びて消えていく。痛い、照り返す光の一粒だけでも、こんなにも痛い。
どうして?
何故に?
少なくとも、疎外感を
人々の息づき、命と暮らし、連なる何もかもが、間違いのない姿で、ここに在る。
今さら、自分の心を、その感じ方を、捨てることなどできない。それが全てだったと、気付くのが遅すぎたと、きみは心魂に染み込ませてしまっている。ゆえに殉じる、殉じたいと願う。自らの主観の導くところに。
見えている、けれど遠すぎる。そばにあるから痛いのに、遠い。
どうしてこんなにも離れているのか、確かにきみは、間違いなく思っている。眼前にあるはずの息づきから
なぜか、息づきのうちにある者たちが、無風の中で、
しかし、やはり、きみの脚は止まることを忘れてしまっている。
動く。ペダルは漕がれてしまう。チェーンを滑らかに巡らせ、
違う、そうじゃない、求めていたはずのものは、と、ここじゃない、ここにはない、と、正答を撥ね除けたいがために、
とうに知っているはずだ。きみが望む何らかのものは、どこにもない、と。
横目にしては過ぎゆく。命、暮らし、息づきに連なる全て。ありのままの世界。遠くに思うのではない、きみは思っていたい。ここではない自分を思い、旅路の続きを守りたい、そんなきみが行き過ぐ。
行くほどに見える。
その瞳に映る。
感じてさえいるはずだろう。
きみは自転車を走らせ、人と人の
きみは彼らと同じ道にいて、同一の連なりの中に在る。きみはただ、息づきに連なるもの、そのうちのひとつに過ぎない。裏切られた主観が、きみの世界においてだけ、さらにきみをひとりにする。
噴く汗と、盛る夏の匂いに塗れ、塗れすぎて、頼りにしていた
道筋の先に請うものが、決して、雪映りの雪でだけはあってはならない、それを唯一の確たるものとして、季節の隔たりのうえで、きみは発った。
きみはふと、羨ましいと思う。
すれ違う人の耳には、おそらく、
きみは腿に力を込め、ペダルを踏み付ける。信号が青に変わったゆえに。はめたグローブの内側、ハンドルを掴む握力に、怒りに似たものが混和して、すぐ、どちらなのかわからなくなる。
何故に、何を求めて、得ようとしているか、きみは最初から、答えられはしなかった。もはや、得られるとも思わない。それでもきみは喘ぐ。夏の街よりも重い深度で喘ぎ続ける。雪映りの雪を求めるよりは余程ましだ、そう思うことさえ、次第に難しくなりながらも。
どこまで走れば、きっと無理だ。どこに辿り着いても、雪映りの雪を求めずにいることは、無理だ。今、きみがはっきりと答えられるとすれば、そのことだけだ。
本当はわかっていたはずだ。走り出す前から、きみならば。
受け入れていたはずだろう。それこそ、有り体として。
何故に、もしそれに、無理に解を与えるならば、きみはただ、逃げたかった。
きみは知っている。
今年の冬、来年の冬、その先も、あるいは春と秋、そして夏でさえ、雪映りの雪を求め、探して、けれど何も手にできずにいる自分がそこにいることを。雪映りの雪を欲さずにいることも、また、それを手にすることも、ない、と。
いつまでも、きみは墓前に花を捧げることしかできない。
熱に浮かされるまま、こんなに遠くまで来てしまって。きみが先途に請うことがなくとも、もしかしたら、あるのかもしれない。きみの世界に、たとえ夏の
しかし、そのどこかは、きみに、もっとも残酷な有り様を教える。
その時、その場所、きみの隣に淡雪はいない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます