#014 書き上げた私に



 たまたま携帯の電波の入りが悪かったと、それだけのことなのだが、私はいったん家の外に出て、朔良さくらちゃんに電話をひとつかけてから、すぐ、真滉さんが難しい顔をしている部屋の中へ戻ってきた。

 何かの駆け引きをしようなどとは到底思えず、私は結論に近しいところから口にした。「朔良ちゃんに連絡をして、合作の件、特別にルール変更してもらいました。大喜びでした。」真滉さんは釘の一本を指でもてあそびながら(いっそ本当に打ち込まれたいのかもしれない)、「この経緯の後で改めたルールで、どう喜べるのか、想像つかないな。」思案顔で言った。

 私は真滉さんが持っていた釘を取り上げた。危ないからではなかった。そんな形で許されることなど、認めない。もはや認められない。真滉さんはさしたる抵抗をせず、釘は私の指に渡ったので、それをそのままケースに収めた。「今年の逢館おうだて高校の文化祭で、烏海ううみ奈尋なひろは電撃復帰を果たします。ただし、烏海奈尋が逢館の卒業生であることは伏せます。あくまで、特別ゲストとしての参加です。」筆を折ること、それは各人の自由だ。真滉さんだって、烏海奈尋であったって、それは好きにすればいい。私はそれを責めない。今まで通り、未来の妻でいる。

 私が許さないことは、それとは違うものだ。

 そしてそれは、たったひとつだけだ。

 あろうことか、私に、こうして目の前にいる私に、

 勝手に負けるんじゃない!

 真滉さんの思案顔に、さらなる困惑が混じった。「今さらノーとは言わないけど、それで筋が通るの? あくまで、文芸部の活動でしょ?」高校と無関係のゲスト、それだけであれば、文化祭の趣旨に反するかもしれない。もっともな心配ではあった。

 「通ります。」いくら朔良ちゃんが辣腕でも、無理押しすることを良しとはしない。今回は口実があった。「私が、藤ノ木ふじのき篤芽あつめが、逢館高校文芸部の全世代の代表として、烏海奈尋と直接対決をするからです。」烏海奈尋が逢館の文芸部にいたと知られていないのならば、逢館を背負って立つのは、私しかいない。すでにして、朔良ちゃん曰く、レジェンドであるならば。

 「急な話ですが、合作ではなくなりました。」電話で導かれた結論、朔良ちゃんの大喜びの理由はそこにあった。「『時雨心地しぐれごこち』という、同じテーマを使い、けれど全く別個の小説を、私たちは書くんです。お互いにひとりで。」何もかもが違う小説を、それぞれが力を出し切ったひとつずつの小説を、何ら協力を求めないで書き上げる。合作ではないから。それは、決着を求めるための、戦いであるから。

 「私の書いた小説と、真滉さんの書いた小説が、ひとつの冊子に並んで載ります。どちらの作品が優れているか、読者の投票によって決するんです。投票のやり方については、朔良ちゃんがいいように考えてくれるそうです。」電撃復帰を果たした天才小説家に、逢館高校文芸部の伝説が挑む、いかにも朔良ちゃんの欲しがりそうな構図だった。嬉々として協力してくれるはずで、実際、遊び紙が確保できる程度の規模では収まらないだろう。

 「なるほど。」と、真滉さんはひとつ納得した。いったん受けた話を断らないということ以上に、腑に落ちたものがあるようだった。

 「私は、気づかないうちに烏海奈尋に勝ってたなんて、嫌です。」変更されたルールに加え、趣旨を、私は私の気持ちを伝えなければならなかった。「嬉しくありません。」それを聞き、真滉さんはひとつ頷いたが、その頷きがまるで見当違いのものであることを、私はもうわかっていた。

 「篤芽の、書き手としての誇りということ。」思った通りに、真滉さんは誤解している。私にだって、それはある。おそらくは人並み以上に持っている。けれど違う。今ここにいるのは、ちまたのどこにもいるではない、真滉さんの妻になる予定の、私だ。「違います。」はっきりと明言しなければならない。「誇りはあります。でも全然違います。」

 書いてみせる。

 そのためにこそ、どうしたって、書く。

 「真滉さんへの、愛です。」

 高校を出てから、なぜか書けなくなっているだと?

 真滉さんは、書けもしない女に負けたのか?

 同じく書けなくなっている真滉さんが、打ち克ち、名作をものするとして、書くとして、勝つとして、その相手は凡才の素人なのか?

 その相手は、本当に真なる、恥ずべきところのない、逢館高校の生ける伝説ではないのか?

 私は、書く。

 「勝ってください。」

 そう言う自分の声が、ほんの少し、涙声に近づいているような気がした。

 「本気を出して、全力を出して、魂の全てを傾けて、そして今までで最高の作品を書き上げた私に、絶対に勝ってください。」

 こう言えばこそ、真滉さんが後に引けなくなることもまた、わかっていた。

 きっと考える。

 ――もし、藤ノ木篤芽を負かす者がいるのだとしたら、藤ノ木篤芽の才能を、たとえ瞬間的にでも、凌ぐ者がいるとするならば、それは、烏海奈尋こそがふさわしい。

 ――そして今、烏海奈尋は、それを成せる。今ならばまだ勝ち目がある。成さねばならない。本当の意味で、いつか、藤ノ木篤芽自身が、藤ノ木篤芽の才能を証明するために。誰かが独りよがりに見込むのではなく、疑いの余地のない事実として!

 ――藤ノ木篤芽こそが唯一の至高であると万民に知らしめる、その時まで、烏海奈尋は何人なんぴとにも屈してはならない。

 ――未来にいる藤ノ木篤芽が打倒すべきは、超えるべきなのは、余人には持ち得ぬ感性で、極致の名文を紡ぎ上げる天才作家、烏海奈尋。そうでなければ、何であるのか。

 真滉さんはきっと考える。

 私が必ずしも望んでいないことを。

 それでいい。

 才能? 関係ない。

 真滉さんは、魂の奥底おうていから、そうあるべくして、作家であるから。

 私のことを、その魂に基づいて考える。

 私とは違う考え方で、私のことを考える。

 別の生きもの。

 それでいい。

 だから愛せる。

 私も考える。

 私なりの考え方で、真滉さんのことを。

 「私は必ず、逢館高校文芸部の全てを背負い、真滉さんに、烏海奈尋に勝ってみせます。だから、だから、お願いだから、そんな私に、勝ってください。」

 負けないでください。

 私なんかに、過去に、自分の才能に、そして、かつての烏海奈尋に。

 忘れています。

 もう、変わっているんです。

 世界が。何もかもが。

 私もやっと気づきました。

 書けないなんて、あるわけがないんです。

 あなたが目の前にいるなら、それは今までとは全く別の世界なんです。

 私がここにいることを、見てください。知ってください。

 「私は、他の誰でもない、真滉さんに負けたいんです。」




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