#012 普通としか答えようがない



 あなたの命、あなたの躰、あなたの心。

 わたしの恋、わたしの愛、わたしの心。

 それら全てを結びつけるつかを探している。

 誰かが罪だと決めたそれを。




 ――――藤ノ木ふじのき篤芽あつめ錆朱さびしゅ涓滴けんてき』より抜粋




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 なぜ私は、ファミレスの喫煙席にいて、見知らぬ男を前にしながら、フォークにナポリタンの麺を絡めているのだろうか。「あの人も大概むちゃくちゃなところあるよな。初対面なんだから少しは話の流れを作って行けっての。」と、目の前の男(名を永坂ながさか睦人むつとという)は言った。あの人とは真滉まひろさんを指す。私も全くの同感だ。

 真滉さんがことだけがネックなのではなく、私も同様に書けなくなっていることを思い出さねばならなかった。共作するのだとなれば、私もまたそこから脱しなければいけない。それがために、真滉さんは、いい刺激になるだろうからと、私をここに置いていった。永坂さんはなかなかの美男子であるが、まさか浮気させたいわけではあるまいし、言葉通りの意味なのだろう。

 目の前でバニラアイスを掬っている永坂さんは、デートの途中だったという。やはり真滉さんは横暴だ。悪いことをした。「永坂さん、」言いかけて遮られた。「睦人でいいよ。聞いたところでは、同い年みたいだから。」ちっとも動じない様子からして、二、三、上だと思っていたのだけれど。「じゃあ、睦人くん。せっかくのデートなんでしょう、無理せず戻っても私としてはいいんだけど。真滉さんには私から言っておくから。」睦人くんは行き場のない感情を整理するように、スプーンでバニラアイスを何回かつついてから、「そういうわけにもいかねぇんだよなぁ。あの人には散々世話になってるから、今更逆らいようがないわけ。舎弟みたいなもんさ。呼ばれちまったら、目の前に裸の女がいても、服を着せるしかない。」と、諦め顔で言った。どうやら、真滉さんは最悪のタイミングで声をかけてしまったらしい。未来の妻として謝罪したいが、さすがにそれを言うのはためらわれる。

 「真滉さんには、後で私からしっかり言っておくから。」「いやあ、あの人、全部わかってやってんだろ。俺が色ぼけしてんのはいつものことだし、平日の夜なんて、どうせ三人目とか四人目とかだろって、そんな感じで。まあ実際にそうだったわけだし。」その言いようからすると、どうも一途な恋愛を好むたちの人ではないようだ。だからと言って、こうして迷惑をかけていい理由にはならないのだが。

 迷惑であることは明白でも、いかんともしがたく、結局、ここまで来てくれた睦人くんに非礼のないように努めるとするなら、私が気持ちを切り替えるしかないようだった。「私、真滉さんが言う“刺激”を、あなたから受けないといけないみたいなんだけど、それって何のことか、わかる?」そう話を切り出したところで、睦人くんは食べかけのアイスを脇にどけた。「たぶん、俺の仕事の話をしてやれって、そういうことなんだろうな。」「仕事って?」尋ねたが、その問いに直接の回答は返らなかった。「聞いたけど、書けなくなってるんだって?」どうやら、最低限のことは伝えておいてくれたらしい。「あの人さ、呆れちまうくらい天才肌だから、今の状態を除けば、スランプらしいスランプなんてなったことないんだよ。だから立ち直り方がわからない。」

 「行き詰まったらたくあんを食べるって、そう聞いてたけど。」睦人くんを疑うではなかったが、疑問は生じた。「ああ、あの人の言うは、たくあん一枚噛んだら終わる程度のものだから。物書きの艱難辛苦かんなんしんくを馬鹿にしてんのかって感じで。」話に聞くだけで腹立たしかった。そして烏海ううみ奈尋なひろがそうあっても、自然に思えるばかりで、何ら違和感を覚えなかった。そのうち、真滉さんがぐっすり寝ている時、こっそりと頬をつねろう。「こっちがどれだけ悩んでて、いくら真剣に相談したって、煙草一本吸ってる間に打開策が浮かばなかったら嘘だろってふうさ。あの人が、俺には特別厳しいってこともあるにはあるけど。目をかけてもらってるっつうか。」

 バニラアイスがじわりと、緩慢に、それでいて途切れなく溶けていくが、睦人くんにはもう、それを口に入れる気はないようだった。「そういう言い方をするってことは、睦人くんも何かを書いてるってこと?」ようやく、話が見えてきた。「そう。仕事ってのはそれ。」私と同い年で、書き物をしていて、それでお金をもらっている。だから刺激になる。そういうこと。「シナリオライター、と言っても、男性向けのアダルトなパソコンゲームで、まだ始めて半年のど新人だけど、それでも仕事は仕事。プロはプロ。気後れしてたら次の仕事がもらえない個人事業主。そういう。」迷惑をかけるべきではないが、真滉さんの思惑は納得できた。私は文筆家を志している。先立ってその世界に飛び込んだ同輩を前にして、何も思わないわけがない。

 「そういうゲームって、私がやっても平気なのかな。睦人くんがシナリオを書いたゲームってことだけど。」うちの店、かぐや堂でも、その手のゲームは扱っている。商品として触れたことはあれど、実際にプレイしたことはない。「そりゃ、あんたの性嗜好によるけど、ああ、それは、間接的にあの人の性嗜好を聞くことになるから、言わなくていい。知りたくねぇし。」普通、としか答えようがないんだけど、それにしたって聞きたくないんだろうな。皆無ではないのだから。

 「無難なことを言えば、秋に出る新作はストーリー重視でハードじゃないから、そう問題もないだろ。」後でタイトルを聞いて、まずもってうちの店で予約を入れておこう(前日だろうと発売後だろうと、キャンセルによるペナルティはない)。「俺はヘルプで呼ばれただけだから、全体の三割くらいしか書いてないけど。俺がメインで書いたゲームを遊ぶには、来年の今頃まで待ってもらわなくちゃならない。昨日、初めての企画会議をやったばかりだ。」つまりそれは、始めてから半年の新人が、すでにタイトルをひとつ背負っているということ。睦人くんに並々ならぬ文才があることは容易に察せられる。

 「いろいろ、尋ねてみたいことはあるけど、目的から言えば、私はまず、スランプの脱し方を睦人くんに聞くべきなのかな。」それを聞いて、睦人くんはあからさまに眉をひそめた。「スランプの脱し方、ねえ。」睦人くんは眉根を寄せたまま、煙草を一本取り出し、咥え、ライターで火をつける。「そんなもん知ってたら、あの人の天才っぷりに腹を立てたりしねぇって。」そりゃそうだ。



 睦人くんには睦人くんの立場というものがあり、言わば兄貴分である真滉さんに私のことを託されてしまったからには、妙案などなくとも手を尽くさねばならないらしかった。睦人くんが言うところには、真滉さんがいなければ、プロになるだけの実力を持つことは望めなかったのだそうだ。少なくとも、ずっと先のことになっただろうと。今回の件、真滉さんの横暴とするよりも、真滉さんと睦人くんが独特の信頼関係を築き、お互いに頼りにしていると、そう捉えるほうが正しいのかもしれない。心が軽くなったような、羨ましいような。なんてものじゃなくはっきり嫉妬が湧くのだけど、どうにも憎みづらい。

 夜空を見回していた。まっすぐ頭上から地平線に視線を落とすと、街の明かりに触れて、夜の色がぼやける。睦人くんは私とは反対のほうを向き、色彩を失った湖面を見やりながら煙草をふかしているはずだ。先日は眺めるだけだった神手湖こうでこの堤防に、私と睦人くんはいる。スランプの脱し方は知らないが、面倒な現実から一時ひとときだけ逃れる方法はいくらでも知っていると、そのうちのひとつとして、ここがあるのだと、そう言っていた。このくらいの時間になれば、夏の、暑気の穏やかな晩であっても、そう人は通らないのだそうだ。確かに、世俗から自分を切り離すのに具合がよく、また、実際に悪くない心持ちでいた。

 もちろんこれで書けるようにはならないだろうけれど、ここにはあくまで逃避のために来ていて、目的は果たされている。感謝を伝えなければと振り向いたら、煙草を咥えている睦人くんと目が合った。いつの間にか、こっちを向いていたらしい。「もしかしたら、俺に話してほしかったことは、仕事のことじゃないのかもしれないな。だって、烏野の兄貴、刺激って言ったんだろ?」「うん、言ったけど。でも、同じ年の人がプロをやってるって、刺激そのものだと思う。」睦人くんは煙草を指で放って、靴で潰して火を消してすぐ、またやっちまった、と呟いて、放ったばかりの吸い殻を拾った。「最近、兄貴にうるさく言われてんだよ。捨てるなって。」血縁関係はないが、常日頃、真滉さんのことを兄貴と呼ぶらしい。嫉妬のメーターは振り切れそうなのに都合のいい発露がない。吸い殻を道に捨てるか捨てないかで言えば、捨てないほうがいいだろう。

 「刺激って言ったって、中辛と激辛があれば、どっちを出してほしがってるか、わかんないだろ?」「もっと別の話もできるってこと? それも、ずっと過激な。」睦人くんの仕事について聞いて、価値があるとは思えど、それで書けそうな気配はない。ならば、求められているのは、より一層強い衝撃なのかもしれない。「そりゃまあ、付き合い長いからな。兄貴とは。」うん、今ここに藁人形と五寸釘と金槌があったら、全身全霊で打ち込んでる。

 「激辛のやつを話すことはできる。けどそれを、俺の口から言っちゃいけないんだってことは、すげえわかる。兄貴の考えがどこにあるとしてもだ。」睦人くんでないなら、誰の口から発せられるべきものなのか、話の流れからすれば、それは明らかと言っていい。「私はそれを、真滉さんから聞けばいいの?」そう問うたところで、睦人くんは、不意に頭を下げた。わずかな角度ではあったけれど、間違いなく。

 「悪かったな。つい意地悪しちまって。」「えっ、良くしてくれてるばかりで、意地の悪いことなんて何も、」そう信じていたのだが、どうも違ったらしい。「さっきみたいな言い方をすれば、あんたが嫉妬を持て余すことくらい、わかってたさ。伊達に女が五人もいねぇよ。」どうやら、今夜つれなくされた人よりもっと不遇な人が、一人か二人いるらしい。なんだろう、真滉さんと睦人くん、本当に兄弟分なんだな。わかっててやってる、ってあたり。悪い影響を与え合うの、よくないと思う。

 「ま、こっちにも気持ちの問題ってのがあってな。それを整理させることも含めて、俺をご指名だったのかもしんねぇや。兄貴、掌の上で人を転がすの、うまいから。」それは心の底から同意する。「何も言うべきじゃないんだが、ひとつだけヒントを出させてくれないか。恨み言混じりになっちまうけど。」睦人くんは真剣な面持ちでいたので、私は頷き、「どうぞ。」とだけ返した。

 天上を仰ぎ、何か別なものを見ながら、睦人くんはそれを発した。「俺さ、兄貴のライバルになる予定だったんだ。」私に目を落とした睦人くんの瞳に、あるいは怒りと呼べるものが滲んでいるように思える。「兄貴は優れ過ぎてて、競い合うのに値する相手が身近にひとりもいなかった。だから俺を育てた。将来、自分が競い合う相手として。言ってみりゃ光源氏だな。」ところで、藁人形ってどこに売っているんだろう。釘と金槌はホームセンターに置いてあるだろうけど。今すぐ買いに行きたい。誰だっけ、妬いたりするタイプじゃないなんて言ってたのは。大嘘だった。

 「光源氏のプランがおじゃんになったのは、兄貴が小説を書くことを、書こうと努力することをすっかりやめちまった時。それは、兄貴があんたの書く小説に出会った瞬間なんだ。」

 先日、カゴ先輩は言っていた。

 私がいたから、真滉さんは、書くことをやめられたのだと。




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