#009 晩夏の匂いだけがする
私の住むアパートの最寄り駅、
「真滉さん、自分から言うと
「ないんだ。」と、煙を吐き出すついでのように真滉さんは言った。「ない、って、」「関係性。ないんだよ。水渓結花と俺は全くの無関係。赤の他人なんだ。」そう言う真滉さんは、どこか残念そうにも見えたし、そのことに安堵しているようにも見えた。「でも、こうして墓参りには行くわけですよね。」もともとは真滉さんがひとりで来るはずだったここへ、真滉さんの願いで私も共に来た。こうなったからには、知って欲しい、そう言っていた。
アスファルトが照り返す熱を浴びながら、私たちは歩き出す。辺りに
このあたりには墓地が点在している。私たちが辿り着いたのは、小高い山の中腹にひっそりとある、さして大きくもない一画だった。ここから
水渓家の墓は奥まったところにあったが、真滉さんは迷わずに辿り着いた。「こういう時の作法って、そういえば知らないです。」墓を前にして怖じ気づいた私だったが、「人と人との付き合いなんだから、
「生前の結花さんに、何があったんですか。」詮索する趣味はないが、これは聞くべきだと思った。真滉さんは、「後で話すよ。ここで話して、彼女に嫌なことを思い出させたら悪い。」と言って、線香の包みを開けていた。
神手湖駅のホームを訪れる四両編成の車両は、三十分に一度しか来ない。タイミング悪く改札を通ってしまった私たちは、あと二十数分、ホームのベンチで座っている必要があった。日陰ではあるものの、風通しが悪く、服の中に熱気が
「水渓結花は、三年前の夏に亡くなった。殺されたんだ。同じ高校の男子生徒にね。ニュースでもずいぶん騒がれた。」言われて思い出す。三年前、隣の市で、高校生が高校生を刺し殺す事件が確かに起きていた。「篤芽の記憶力なら、細かく覚えてると思うけど、」確か殺害動機は、無理心中をしようとした、ということだったはず。「どうしてそれが、真滉さんに加害意識を持たせることになるんですか。」縁もゆかりもないふたりの問題のはずだろう。
「本があったわけ。」「本?」真滉さんの目は、駅舎の合間に覗く中空を向いている。「加害者の男子生徒の本棚にさ、俺の本が並んでたんだよ。ご丁寧に三冊ずつ。知られていないはずの、別名義で書いたものも含めて、全部ね。熱心なファンだったということなんだろうな。」それは、本来なら喜ばしいことだったのかもしれないけれど。「そのことを人づてに聞いて、思い出した。俺のデビュー作って、無理心中を美化して書いた悲恋だったなって。」「それは、」文学性を
真滉さんの視線は今、過去に向いているのだろう。「こういう言い方が正しいかはわからないけど、見習っちまったんだろうな。」真滉さんは、ズボンのポケットに無意識で伸ばしたらしい手を止めた。ここは駅の中で、煙草を吸うことはできない。「その場で土下座した。男子生徒のご両親にね。それしかできなかった。」そう言ってから、真滉さんはベンチに深くもたれた。「もちろん、俺には何の罪もない。けれど、どう言い
「理屈じゃわかる。包丁と同じで、男子生徒は使い方を間違えただけなんだって。正しく使えば、包丁が多くの人を幸福にしているように、俺の小説だって、誰かを幸せにできるって。でも、それがわかってたからって、結局どうにもできなかったね。」真滉さんは今、ゲームショップの店員をしていて、作家というのは過去の仕事だ。「俺が何を書いても、どこかで誰かが死んでしまうような気がする。それはある意味で正しいんだ。絶対に安全な包丁が、この世のどこにもないように。」私は、真滉さんの処女作を読んだ時に感動のあまり泣いたことを、はっきりと覚えている。無理心中が、つまり殺人がどれほど愚かな
「はっきりと書けなくなったんだ。何かを書こうとすればするほど、もがけばもがくほど。やがて、満足に眠ることすらできなくなっていった。
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