#006 ろくに考えもせずにシンカー



 「篤芽あつめ、私に何か言うことあるでしょう。」と言われたので、素直に「はい、彼氏できました。」と答えたら、「ちっ。」という舌打ちが返ってきた。

 それに動揺したのかどうか、私はろくに考えもせずにシンカーを投げて(ボタンを押して)しまい、珂雪かゆきはそれを待ってましたとばかりにフルスイングして(強振でボタンを押して)、そのバットに真芯ましんで捉えられたボールは、あわや場外という勢いで客席まで運ばれた。ブラウン管テレビの中で、客席が沸き立っている。逆転サヨナラツーランホームラン。私の負け。

 話があるということだったので、大学帰りの珂雪を私の家まで招いた。ちょうどいいので、話もそこそこにしばらくパワプロの練習に付き合ってもらっていた。珂雪はワンルームのこの部屋に入った時に怪訝な顔をしていたので、私に彼氏ができたということは、すぐに察していたのだろう。カーテンなんかには煙草の匂いがついてるし。消臭しようかとも思ったけれど、何だかそれももったいない気がしてそのままにしていた。

 「篤芽、」珂雪はプレイステーション2のコントローラーをフローリングの床に置き、クッションごと私に向き直ってから、改まった顔つきで私に呼びかけてきた。「はい。」私もクッションごと向き直って、居ずまいを正してから返事をした。「決して羨望や殺意によってこれを尋ねるわけではないの。誤解はしないでね。」殺意を否定する人には、殺意がある。これフィクションの鉄則。「なんとなくだけど、私が死ぬと真滉まひろさんも死んじゃうんじゃないかなって気が今はしてるから、やめて。」と返すと、珂雪は「ちっ。」と舌打ちをひとつしてから続けた。「あくまで篤芽の身が心配だから尋ねるだけなの。」珂雪は、私の肩をがっしりと掴んで迫る。「心配する人に殺意は抱かないよね。」前置きが終わり、珂雪は「イケメン? 金持ち?」と、ストレートに尋ねてきた。

 「顔は、良い方だと思う。二十九歳甲斐性無しのフリーター。」でも私はそんな真滉さんが好きなの、なんて付け加えたら、三回目の舌打ちが聞けるだろう。「よかった。私、安心したよ。」珂雪は心底ほっとしたとばかりに、胸を撫で下ろした。「彼女の私が言うのもなんだけど、珂雪が私を心配してるなら、本来、逆の反応が返ってくるはずだよね。」二十九歳フリーターの彼氏と聞いて、安心する人はあまりいないだろう。「私、親友をこの手にかけることになるのかと。」珂雪はむしろ、今となっては勝ち誇った笑みを浮かべている。「私の身が心配だって言ってなかったかな。」珂雪は昔から珂雪でしかないので(特に私に対しては)、今さら何をどう指摘しても詮無せんないことだろう。

 「それで、話って?」ひとしきりパワプロも楽しんだので(縦変化をうまく打てるようになった自分も確認できたことだし)、珂雪が運んできた話を聞くことにした。「ああ、それそれ。逢館おうだて高校の文化祭が迫ってるでしょう。」「そうだね。九月の第二週の土日。」私と珂雪の母校では、毎年九月に文化祭が催される。「文芸部は毎年マンネリで面白みがないからって、あまり時間は残ってないけど、朔良さくらちゃんが企画をひとつねじ込みたいらしいの。」私たちのいた文芸部では、毎年、文化祭の日に作品を載せた冊子を売る。朔良ちゃんというのは、ひとつ下の後輩で、現在の部長だ。

 「その企画に、私が関係あるの?」部活動としては、とっくに引退した身なのだけど。「あるある。むしろ目玉商品なの。」「私、真滉さんのものだし、売れない。」「ちっ。」言ってはみたものの、真滉さんは“篤芽は俺のものだ”っていう所有権は主張してくれない気がする。「それで?」話を戻そう。「うん。卒業生と在学生ごちゃまぜで、コラボ作品限定の冊子を出そうって。」



 別な店から流れてきたセガサターンのソフトが大量にバックヤードにあったので、さして混んでいないこともあり、私は奮起してそれらを全て店に並べることにした。「はあ、」そんな私は、プライスカードを印刷しながら、深くため息など吐いている。せっかくのスウィートハニー甘々バイトタイム(仮称)だというのに。

 悩んでいるのは珂雪の持ってきたコラボ企画のことだ。珂雪としては、そういう刺激を与えてやれば、私がまた書けるようになるかも、ということらしい。それが間違っているとは思わない。自分を鼓舞して挑戦してみたい。けれど、珂雪、朔良ちゃん、凜々香りりか先輩、いずれをコラボの相方として思い浮かべてみても、どうにもピンとこないのもまた、哀しいかな事実としてある。それに、もし本当に私が何も書けなかった時に、相手にかけてしまう迷惑を考えると後込しりごみもする。

 さすがに気になったのか、真滉さんがこちらに寄り、「何か悩み事?」と尋ねてきた。「真滉さんって、“篤芽は俺のもの”って言ってくれそうにないな、って。」それはそれで悩ましいことだ。「三十目前の男に全てを委ねると大変なことになるわけ。」「歓迎なんですけど。」紛れもない本心で言った。「篤芽って被虐趣味あるよね。」「真滉さんほどじゃないです。」私が思うに、真滉さんもかなりのものなんじゃないだろうか。

 「それで、何を悩んでたの? 俺でよければ力になるけど。」「それはもちろん、力になってほしいですけど、あっ。」そこで閃く。「あ、って。」天啓のような何か。「真滉さん、泣き喚いても私の彼氏でいたいって言ってましたよね。」「言ってたような気がするね。」私のためなら、涙はいとわないとも言い換えられるんじゃないだろうか(幸せなことに、たぶん自惚うぬぼれではないだろう)。悲しい涙は流させないけれど、他の意味を持つ涙だったらどうだろう。少々つらくても、実りのあるような。「篤芽を俺のものにするためなら、何でもするって言ってましたよね。」「するよ。」即答された。「否定してください。恥ずかしいじゃないですか。」なぜ私は仕事中に顔をだこのようにしているのだろう。SHAAB(略称)だからか。

 「否定されたいの?」「ヴィトンのバッグ買ってください。」別に欲しくはないけど。「前言撤回。無理。」だと思った。「じゃあX・boxエックスボックスHALOヘイローでいいです。」別にそこまで欲しくはないけど。「俺の会員データの商品予約のとこをごらんよ。それすら無理だってわかるから。」とっくに見てる。あれでどうやって毎月暮らしていけてるんだろう。「自分の欲しいゲームを優先するとこ、真滉さんらしくていいと思いますよ。」将来、私に家計を守れるのかどうか。

 「真滉さん、なんですよね。ではなくて。」「一応聞くけど、何が。」少し、真滉さんのまとう雰囲気から柔らかさが消えた気がした。「小説です。」「まあ、そういうニュアンスが近いだろうね。」真滉さんはレーザープリンターの排紙トレイに流れてくるプライスカードを手に取り、それぞれを切り離して、商品のカバーに貼られたポケットに差し込み始めた。手伝ってくれるみたいだ。

 もちろんこれは、真滉さんから何かを聞き出そうということじゃない。「理由まで踏み込む気はないんです。ただ、それは、今の私も同じだってことなんです。」「篤芽が?」真滉さんは珍しく、驚いた表情を浮かべた。「高校を卒業してから、特に何かあったわけじゃないんですけど、小説がちっとも書けないんです。」真滉さんは少し黙ってから、「それは知らなかったな。」と、言った。「貸したゲームもあんまり進んでないみたいだし、ばりばり書いてるものとばかり。」私は一生懸命進めてます。真滉さんの感覚が間違ってるんです。

 珂雪が持ち込んできた、コラボ企画の話はこうだ。原作と執筆に分かれたり、視点をふたつに分けてそれぞれで書いたりなどした合作を集める。在校生と卒業生で組んでもいいし、在校生同士でも、卒業生同士でもよくて、とにかくいろんな角度から、普段は見られないラインナップで一冊作りたい。

 真滉さんは、私より十一学年上だけれど、逢館高校の卒業生で、文芸部に所属してもいた。それならば、何も問題ない。参加できる。

 「もちろん、嫌なら言ってください。つまり、お互いひとりでは書けなくても、ふたりで協力してひとつの作品を書くことなら、できるかもしれないってことなんです。」



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