中原へ進出す

 項羽が覇権を掌握したことにより、天下はより一層混乱した。事態は韓信が劉邦に説明した通りに展開し、趙や斉が乱を起こした。韓信は、その混乱に乗じる形で中原へ出兵することを主張しながら、その一方で不安を感じた。斉や趙は漢と同様に、楚と対立している。しかし、共通しているのはそのことだけであった。志が異なる者が寄り集まっても、最大限の効果をあげることは至難の業である。仮に成功しても、その後に待っているのは新たな対立であろう。韓信はそのことを見抜いていたが、どうすることもできなかった。彼の優れた洞察力を持ってしても、雑多な人の意志を完全に統御することは不可能なのであった。


 一


 項羽は漢軍の関中平定に際し終始傍観の態度を決め込み、結果的に彼は章邯を見殺しにした。それでも章邯は項羽が任じた王であったので、これを滅ぼしたことは項羽が漢を討つ大義名分になりうる。

 しかし項羽にとって漢の関中反転は予想よりも早く、状況の意外な変化に態度も慎重にならざるを得なかった。余裕で傍観していたというよりは、手の打ちようがなかったと言っていいだろう。

 ――劉邦のもとには、まともに軍の指揮をとれる将官などいないと思っていたが……認識を改めなければならぬ。

 項羽にはもちろん韓信が大将として漢軍を統率している事実は伝わっていない。それだけに漢への対応は情報を収集してからにしたかった。


 このとき居城の彭城に至ったばかりの項羽は、一通の書状を前にして、范増と議論を交わしていた。

 その書状には、こう書かれていた。

「漢王は本来あるべき務めを果たそうとしているに過ぎず、義帝との約束を果たすために関中の地を得ようとしているだけなのです。関中を得れば、そのまま留まり、さらに東進するつもりはございませぬ」

 さらに、こうも記してあった。

「斉に謀反の気配がございます。斉は趙とともに、楚を討ち滅ぼそうとしております」

 その書状の差出人は、張良であった。劉邦のお気に入りの謀臣である。


 しかし、項羽は、張良のことが気に入らなかった。儒家でもないくせに妙に行儀がよく、涼しい表情をしながら、常に自分にとってよからぬことを考えているように見えるのである。直情的な項羽にとって、もっともよくわからない男のひとりだった。

「亜父、この書状の中身、どう思うか?」

 項羽は范増にその書状を渡し、判断を仰いだ。

「……これを見るに、漢王のくだりは虚言、斉のくだりは事実を述べていますな。漢は見逃し斉を討て、そう言いたいのだ。張良なら、当然そう言うでしょうな」

 項羽はいらいらとし始めた。

「いったい、この張良とかいう男はなんなのだ! 韓の貴族のくせに劉邦の手駒になっているとは。韓を安泰に保ちたいのなら劉邦の助けなど借りずに、このわしに頼めばいいのだ! それほどわしは頼りないか? それともわしに頭を下げるのがそんなに嫌か?」

「落ち着かれよ。斉の動きが不穏なのは事実。かの地には、田栄がおりまするゆえ、捨て置くわけには参りませぬ。かといって漢もそのままにしてはおけない。……王よ、亜父は妙案を思いつきましたぞ」

「妙案……? お聞かせ願おう」

 范増は目を光らせた。

 この老人は良策を思いついたときには、眼光の鋭さが増す。項羽はこの目を見るたび、わけもなく心の底から興奮するのを覚える。

「王は張良のいう通り、事が起きましたら斉を討伐に行くがいいでしょう。漢に対しては、韓をもって備えとする。すなわち、軟禁している韓王成を殺し、あらたにこちらで別の王を擁して張良のよるべをなくす、というのはどうであろうか」

 項羽は膝を打った。

「なるほど。張良の弱り顔が目に浮かぶわ。奴は、結局漢に奔るであろうな。しかし、それでも構わん。斉を討ったあとに、劉邦もろとも討てばいいだけの話だ。亜父、その線で行こう」


 こうして韓王成は処刑され、晒し者とされた。罪状に正式なものはない。

 かわりに項羽は、韓とは本来縁もゆかりもない鄭昌ていしょうという部下を韓王に任じ、関中への防御線とした。


 主君を虐殺された張良は悲憤にくれた。張良にとって国を奪われたのは、実はこれで二度目である。

 一度めは博浪沙において力士とともに復讐に挑んだが、失敗に終わった。二度の失敗は許されない。張良は劉邦の手を借り、今度こそ復讐を成就させる決意を固めた。

 張良はひそかに韓を離れ、関中へ走った。ふたたび漢王のもとへ仕えたのである。


 いっぽう楚を悩ませた斉の動きは、この前の年から激しい。きっかけは項羽の論功行賞にあり、騒動の中心は、やはり斉の田栄であった。


 田栄は、兄の田儋の死後から、実質的な斉の支配者である。

 その田栄が項梁の再三の要請にもかかわらず、支援を拒否して見殺しにしたことは前に触れた。また、趙が鉅鹿に追われ、項羽がこれを救援に向かったときにも協力的な態度は示さず、しかも裏では宋義と内通しているかのような動きも見せている。

 項羽が田栄を好きになる理由は、まったくといっていいほどなかった。


 よって項羽は田栄になんの恩賞も与えず、かわりに斉をばっさりと三分し、それぞれに田市、田安、田都の三王をたてた。田市は田栄から擁立されたもともとの斉王であるが、ほかの二人は田栄とそりが合わず、楚に味方したというだけで王になった人物である。

 王はおろか侯にもされず、一寸の土地も与えられなかった田栄が激怒したことは言うまでもない。


「ほんのわずかでも項羽に期待したわしが愚かだった。思い返せば、項羽から土地や官位を恵んでもらう理由はない。かつて陳勝は言ったものだ。『王侯将相、いずくんぞ種あらんや』と。……だれが天下に覇を唱えようと構わない時代である。項羽が勝手に覇を唱えるのであれば、わしが唱えてもおかしくない道理だ」

 そのように周囲に語った田栄は、まず趙の陳余に使者を送り、陳余が項羽に従軍しなかったことで王とされず、侯爵に留まっていることを不満に思っていることにつけ込んで、反乱を使嗾した。


 これに乗った陳余は趙国内で反旗を翻し、王となった旧友の張耳を討った。逃れた張耳は漢へ身を寄せることとなる。


 そして新たに斉王に任じられた田都が入国しようとすると、田栄は武力でそれを阻み、逃れた田都は楚へ奔った。

 それだけなら話はわかるが、もともとの斉王である田市が項羽を恐れ、みずから新たな領地に赴こうとすると、田栄は怒り、なんと田市を殺してしまった。

 田市は田儋の子で、そもそも田栄自身がかつぎ上げた王だったことを考えると、彼の性格の凄まじさは言語に絶する。


 もはや欲望の塊となった田栄は、田市を殺した帰り道で、さらに田安を殺害し、斉の全土を制圧することに成功した。これを機に、彼はついに自ら斉王を称したのである。


 これを知った項羽の怒りは、頂点に達した。

「このわしの指名した三人の王を、三人とも締め出して自ら王となるとは、田栄め! それほどわしに殺されたいのか。ならば望みどおりに殺してやるまでよ!」

 項羽が憤ると、髪の毛が逆立ち、まなじりは裂け、あたかも血が噴き出すかのようで、それに恐れをなした周囲の者はひれ伏して顔を上げることができない、と言われている。このときの項羽がまさしくそれであった。


 かくて項羽は斉へ遠征した。張良の読み通りである。また、范増老人の読み通りでもあった。


 二


 張良が関中に入り、この時点で漢軍は蕭何、張良、韓信の三名の建国の功臣を得るに至った。

 蕭何は治において、張良は策において、韓信は武においてそれぞれ後世に語り伝えられる大功をおさめるに至る。これより後の世、それぞれの分野で彼ら以上の勲功をたてた人物もいないことはないが、劉邦が歴史的に評価されるところは、彼ら三名をを同時に得ることができた点であろう。

 現在では中国文のことを漢文、中国の文字を漢字、代表的な中国の民族のことを漢民族と我々は呼び、「漢」という語はひとつの王朝を指す以上に中国そのものを示しているといっても過言ではない。その起源が約二千二百年前のこの時代であり、漢がまともな王朝国家となる以前、蕭何・張良・韓信の三名が集結したこのときこそがその歴史の出発点であると言える。


 韓信は張良や蕭何に函谷関から外に出て中原へ進出する必要性を、このとき主張している。韓信にとってそれはもはや絵空事ではなく、充分に勝算があった。

 ――項王が斉討伐に動いている今こそが、そのいい機会だ。

 と思ったが、韓信には一抹の不安がある。韓が防壁となっていることで、あるいは張良が出兵を渋るのではないか。


 しかし当の張良はまったく異を唱えなかったので韓信は意外に思った。

「子房どの、韓の地にはあなたと旧知の関係にある者が多数おられましょう。にもかかわらず討って大丈夫なのですか」

 と韓信は張良に質問した。これに対し張良は、

「いかにもその通りではあるが、彼らを解放するには、少しばかり戦渦に巻き込むことも受け入れねばなるまい。そのあたりは……将軍がうまくやってくれることを祈っている。実はすでに王族につながる者を探し出して、その者に一軍を率いさせている」

 と述べた。


「なるほど」

 韓信は相づちを打ち、話の先を待った。

「その者は軍の統率にまだ不慣れで、単独では鄭昌の軍を破ることはできない。だから、将軍にお任せするしかないのだが……いいだろうか?」

「無論です」

「そこで頼みがあるのだが、決定的な場面……つまり鄭昌その人を討つことは、その者にやらせてほしいのだ。その者に武勲をあげさせ、大王に韓王として認めさせたい」

「わかりました」

「戦場でもわかるくらいの、とびきり背の高い男だ。彼の姿を認めたら、武勲を譲ってやってもらいたい。頼むぞ」

 韓信はこれを受け入れ、王の許可を得て、関の外へ出兵することとなる。


 関外進出に決定がなされた背景には、あらたに手中にした漢中、巴蜀の地が思いのほか豊穣であったことがあげられる。

 山々に閉ざされた土地を想像し、漢軍の誰もがどうしようもなく土壌の痩せた荒廃した地だと思い込んでいたが、実はそうではなかった。気候は温暖で土地は肥沃、人々は悠々と米作を営み、また大きな湖もあることで水産物にも事欠かなかった。

 漢軍は大きな食料庫を与えられたようなものであった。そして、その管理は蕭何がやってくれる。


 後顧の憂いのなくなった漢軍は、まずは河南の地を攻めて、これをいとも簡単に陥落させた。

 しかしその先には王鄭昌に率いられた韓が控えている。鄭昌は先述した通り、もと項羽の部下である。それも功を賞されて王位に就いたというよりも、漢軍を抑えるために必要上王権を授けられた、という部類の男であった。

 いわば鄭昌は楚の雇われ王であり、韓人にとっては、畏敬の対象ではない。

 そのような者が王である以上、韓の主権は楚にあると言っていい。自らの意思ではなく、上からの命令で韓を守っていた鄭昌は、漢軍が武威を見せても降伏しようとはしなかった。それもそのはず、安易に降伏してしまえば、あとになって項羽から断罪されるのである。


 韓信はそんな韓の事情を察し、張良にいわれた通り、うまくこれを処した。

 間諜を用いて韓軍全体の感情を揺さぶり、前衛部隊の気力を削ぐことに成功すると、ためらいもなく中央突破をはかり、韓軍の中枢部へと兵を進めた。前を守る者たちは漢軍に通じていたので、道を開けるばかりである。

 あっという間に漢軍に囲まれた形になった鄭昌の直属の部隊はある程度抵抗したものの、数の差において漢軍が圧倒した。

 韓信はここまでお膳立てをして、後の処理を張良に言われた韓の王族に連なる男に託した。例のとびきり背の高い男である。


「斬りかかる必要はない。鄭昌は王ではあるが、事実上楚の将軍と変わらない。状況もわきまえず、必死で楚のために働こうとするだろう。こういう手合いには近寄らないに限る。数では圧倒的に有利であるから、落ち着いて遠巻きに弓矢で射よ」

 そのときの韓信の助言である。その言のとおり、鄭昌は最後まで抵抗して粘りを見せたが、部下が自分より先に降伏してしまう状況ではどうしようもなく、ついに観念して降伏した。


 韓信は民衆の命をほとんど損なうことなく、韓の地を制圧した。

 張良はこれに感激し、韓信の手を取ってひと言だけ、言ったという。

「ありがとう、将軍」


 韓の地には亡き韓王成の甥がたてられて王とされた。劉邦が初めて任じた諸侯王がこの人物ということになるが、これが先に韓信が助言を与えた人物であった。


 余談であるが、この人物は名を信という。韓の王族につながる男なので姓は韓である。よってこの人物も韓信なのだが、漢の大将の韓信と混同を避けるため、韓王信と表記されるのが一般的である。


 三


 ときを同じくして、項羽は田栄を討つべく、北方の斉を攻撃している。


 それに先立って諸侯に参戦を促したが、意外なことに黥布がこれに従わなかった。

 このとき黥布は項羽から九江王の地位を授けられ、生まれ故郷のりく(地名)を居城にしていたが、このころから項羽への非協力的な態度が目立つようになる。彼は項羽から督促の使者が来ても、病と称して参戦を断り、わずかに数千人の兵を差し出しただけだった。

 新安の虐殺、並びに義帝の暗殺という項羽に命ぜられた汚れ仕事に対する悔恨が原因であった。

 黥布に自立心が芽生えたとしたらこのときだったに違いない。しかしまだ項羽を恐れる心は確かに存在し、仮病は使っても反旗を翻すまでには至らなかった。


 黥布の協力を得られなかった項羽は、斉の討伐に際して、まず手始めに配下の一人の将軍を派遣したが、これが斉に敗れたために自ら出征しなければならなくなった。

 いや、したくなったのである。

 他人に大事を任せきれない性格と、生来の好戦的な性格がそうさせたのであった。かくて項羽は首都の彭城をもぬけのからにして、田栄と対峙すべく北方の斉へ向かって進軍を開始した。


 黥布が来なくても、斉を撃破する自信が項羽にはあった。麾下には名将と謳われる竜且りゅうしょや、鍾離眛がいる。もし万が一彼らがいなくとも、たったひとりでも斉を撃ち破るのはたやすいことだと項羽は本気で考えていた。

 ――やれば、できる。他の者どもは気概が足りないのだ。

 ひとりよがりな感は否めないが、事実そうであったから仕方がない。本気になった項羽に対抗できる人物はこの時代にはおらず、韓信でさえも勇猛さにかけては数段劣る。


 そして項羽を先頭に立てた楚軍は、そうでないときと比べて士気が格段に上がる。兵士たちは軍神をあがめるがごとく恍惚となり、自らの命を意識することなく、無数の殺人機械となったがごとく敵陣に殺到するのであった。


 項羽率いる楚軍の狂ったような襲撃を受けた田栄はまったくこれに対抗できず、命からがら斉国内の平原という城市に逃げ込んだ。

 兵は散り散りになり、部下の大半を失った。捲土重来は期せそうにもない。

 ――ここまでか。いや……まだ終わるわけにはいかぬ。

 田栄は敗兵をまとめ、再起を図ろうとした。

「斉王はここに存命中である。我々は敗れはしたが、今一度結束し、憎き楚へ復讐せんとするものである。志ある者は……」

 などと演説したが、平原の住民がそれを許さなかった。


 項羽の過去の行為をみると、敵に味方した城市の住民は、ことごとく穴埋めにされている。住民は自分たちがそうなることを恐れた。

 斉王と項王を天秤にかけた住民たちは、結局項王を選び、斉王田栄は平原の住民たちの手にかかって撲殺された。項羽のこれまでの残虐な行為が報われた結果となったのである。


 しかしそれで納得するほど項羽は気の優しい男ではない。

 ――ひとたび危うくなれば、自らの王も売る。信用おけない住民どもではないか。


 結局平原を始めとする斉の城市は、項羽の進軍経路に沿って焼き払われ、住民は虐殺された。

 項羽にしてみれば、信用おけない斉の住民などは、ひとり残らず殺し尽くしてしまいたかった。が、もちろん実際はそういうわけにはいかず、少なからず叛逆分子を討ち漏らした。

 生き残った住民や残兵たちは田栄の弟、田横を中心に再集結し、数万人集まったところで城陽において項羽に逆襲したのである。


 項羽は斉の厄介さに手を焼き、彭城への帰還の予定が大幅に遅れた。


 四


 項羽が斉を相手にしている途中にも、断片的に情報は入ってくる。

 その中のひとつに、

「函谷関を出て東進をはかる漢軍によって、鄭昌率いる韓が敗れた」

 というものがあった。

 ――劉邦が……まさかな。あの弱い軍がこれ以上進んでくるとは思わぬ。


 漢軍がそれ以上進撃を続けるには、いずれ自分と対峙しなければならない。自分の前で情けなく頭を地に付けた、あの劉邦にそれだけの度胸があるとは思わなかった。韓が敗れたというのは意外であったが、もし事態が憂慮すべき段階になったら、自分が行って徹底的に叩けばいい。そのくらいにしか考えなかった。


 しかし、漢軍の行動は項羽の想像より早い。

 劉邦は韓を撃ち破る漢軍の実力を示すと、天下に檄をとばした。その結果、いち早く魏が賛同の意を表し、魏王豹が劉邦のもとへ馳せ参じた。魏豹ぎひょうはかつて章邯に降伏し、焼身自殺した魏咎の従弟である。


 またこのとき漢は、張耳を追い払った陳余に対しても協力を要請している。

 陳余はこのとき、趙王に歇を戻し、自らは代王を称している。しかし国情を考えて領国の代へは行かず、そのまま趙の地に留まっていた。


 漢より協力を要請されたその陳余の返答は、以下の様であった。

「そちらに逃げ込んだ張耳を、漢が殺しましたら従いましょう」


 この陳余の言を受けて、漢の意見は割れた。

 ――いやな男だ、陳余という奴は。……それとも人というものは権勢に目が眩むと、過去の恩や友誼をすべて忘れることができる生き物なのだろうか?

 韓信は思い、無理に趙に協力を要請する必要はない、と主張した。こういう人物とはともに戦えない、と考えたのである。


 しかし盧綰や周勃など漢の旧来からの将軍は、反対の意見を主張した。

「兵は多いほどよい。なにしろ項王を相手にするのだからな。いくら項王が彭城に不在だからといっても用心するに越したことはない。また、天下を望むのであれば、いずれ趙も味方に引き入れなければならないのだ」

 実質的に章邯を破り、韓を破った韓信ではあるが、いまだその将としての実力は未知数であることからの主張である。

 漢将の多くは、韓信は勝利を得たが、それは敵国の王が民衆から支持されていなかったからで、韓信はそれに乗じることができたに過ぎない、と考えていたのである。


 しかしそのときの韓信にとってそのような評価はどうでもよく、目の前の問題だけが大事であった。

 彼が考えるに、取引によって生じた連合組織ほど信用できないものはない。数だけを揃えてみても烏合の衆では話にならず、かえって軍全体の把握が難しくなるだけである。

「陳余のような人物は、いざ状況が劣勢になると真っ先に自分の安泰をはかり、踏みとどまって戦おうとはしないでしょう。それともあなた方は、疑わしい者を味方につけるかわりに張耳どのを殺そうと主張なさるのか」

 一座は言葉を失い、しんとなった。


「せぬ」

 そう言ったのは漢王である。

 漢王は形式張った演説など苦手な男だったが、このときは滔々と自己の主張を話し始めた。

「張耳が国を追われたのは、決して張耳自身の責によるものではない。また、追われた張耳はあまたある国の中でわが漢を選び、身を寄せたもうた。罪を犯して逃亡してきたのならいざ知らず、非のない者が災難を逃れて身を寄せてきたのである。これを一時の連合のために殺すというのは、義に背く行為だと言わねばならない。ましてわしと張耳は旧知の間柄である。……わしは若い頃、食い詰めて張耳の客として世話になったことがあるのだ。恩を仇で返すわけにはいかぬ」


 将軍たちの間で、ではどうするのか、と論議になった。

 一座の中のひとりが、

「それでは大王は、趙は当てにしない、とのお気持ちですか」

 と聞いた。漢王はしかし首を横に振り、

「いいや。陳余などは、善か悪かと問われれば悪かもしれぬ。しかしわしはそれでも味方に引き入れるくらいの度量は持ちたいと思っている。この中の誰かが言ったが、今のところ、兵は多いに越したことはない。大将軍にも悪人を使いこなすくらいの度量を期待したい」


 再び一座は、どうする、どうするの議論でざわついたが、張良のひと言で、議は決した。

「では、こうしましょう。罪人のなかで張耳どのによく似た者を探し、これを斬る。陳余などは、先ほど韓信大将軍が言った通り、状況が悪くなればすぐ裏切るでしょう。であれば先にこちらが騙しておいても差し支えなかろうと存じます」


 こうして漢は韓・魏・趙を味方に引き入れた。

 その結果、漢の軍勢はおよそ五十六万にふくれあがったのである。


 ――大軍は確かに敵を圧倒するもの……。しかし、ひとたび乱れれば統御のしようがない。乱れる前に決着をつけられればよいが……。

 大軍誕生に浮かれる漢の上層部のなかで、ひとり韓信は前途の多難さを予測し、ため息をついた。


 五


 しかし、韓信は何もしなかったわけではない。前途に不安を感じるのであれば、今できる最大限の努力をしておこうと考えた彼は、軍の中から精鋭を選び出し、自分の直属とした。


 精鋭といっても単に武芸に達している者に限らず、職務に忠実な者、理解力に長けている者、また足が速いことだけが自慢の者もいれば、腕力だけが自慢の者もいた。

 韓信が重視したのは、武勇に長けた、百戦錬磨の者を選ぶことではなく、いざという時に自分の指示を疑うことなく実行できる者を選ぶことであった。固定観念が少なく、柔軟に物事を考えられる人物が最適で、この結果選ばれた者たちは必然的に若者が多かった。


 韓信はさらに人材を得ようと軍中を見回っていたときに、とびきり馬の扱いに慣れた若者を目にした。さらに馬上からの騎射がうまく、韓信が立ち会った演習の場では、どの位置から射ても寸分違わず同じ的に命中させてみせた。

「実に巧みな射術だな。すばらしい。我が配下に彼を誘いたいものだ」

 韓信は思うだけでなく、実際にその若者に誘いの言葉をかけた。しかし、その若者はまともな返事をせず、会話が成り立たない。


 ――この者はおしか……?

 韓信がそう思った矢先、若者はやっと声を発した。

「私、……楼煩ろうはんです」


 楼煩とは万里の長城の外に居住する遊牧騎馬民族のことをさし、いわゆる「胡」と呼ばれていた異民族のひとつである。

 もともと楼煩は中央アジアの北部を拠点として遊牧生活を営んでいたが、匈奴に圧迫されて次第に東に移住するようになり、やがて中原諸国に流入するに至った。この時代には趙の北部に楼煩県という行政区分もあり、定住、漢化の始まった時期であった。

 その楼煩出身の若者は、左手に騎射に適した独特の短弓を持ち、常に右手一本で馬を制御していた。

 馬上で矢を射るときには軽く右手に手綱を絡ませながら足だけで馬を御し、巧みに矢をつがえて放つ。その際に馬の足が止まることはまったくなく、それでいて命中の精度は比類がなかった。

「楼煩の若者。名をなんという?」

 その若者は軽い所作で馬から飛び降り、韓信の前に跪いて言った。

「カムジン、です」


 しかしその若者には姓がない上に、自分の名を記す文字も知らなかった。それでは諸事都合が悪かろうと考えた韓信は、その若者に中国風の「咖模津」という名を与えた。

 韓信は命名するにあたって特別な思いを込めたわけではなく、彼を配下に置く以上は名を記さねばならないこともあるだろうと思い、当て字をしただけである。読み方は「かむじん」のままであった。


 ところが当のカムジンはこれに感動し、韓信の手を取って喜びを表現したという。

 その後韓信はカムジンと話を続けたが、カムジンが必死に韓信の言葉を理解しようと努力する姿に感じ入り、あらためて配下に招くことを決意した。


 カムジンは趙から逃れてきた張耳の指揮下にあったが、韓信は要請して彼を引き抜き、以後弟のように可愛がったという。

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