咸陽落城

 秦は趙高という奸臣によって私物化され、滅亡の危機に瀕していた。当時天下に戦乱の渦を巻き起こした人物たちにとっては、それこそが望みであり、そうである以上、秦がなくなれば戦いは止むはずだった。しかしそうならなかったことは周知の事実である。要するに、彼らが命をかけて戦うのは世を憂いてのことではなく、自らの野心を成就するためであった。秦の衰退は彼らにとって単なる機会に過ぎず、世の乱れを正すために政治の腐敗を取り除くなどという気は、さらさらない。彼らの中にあるのは、次の世における覇権への欲望のみであった。


 一


 このころになると、皇帝胡亥の耳にもようやく事態が切迫していることが伝わっている。

 胡亥は何度か趙高を呼んで、戦況のほどを説明させようとしたが、その度に趙高は病と称し、朝見を断り続けたのだった。


 実は趙高はこの間に、ひそかに劉邦へ使者を送り、関中王の座を二人で分け合おう、と提案していたのだが、受け入れられなかったという経緯がある。

 これに落胆した趙高は、このことが皇帝に露見するのではないかと心配し、誅される前に先手を打とうと考えた。そして閻楽えんがくという婿(若いころから宦官だったとされる趙高に娘がいたとは考えられないので、おそらく養女の婿だと思われる)を呼び、自らの反乱に引きずり込むに至る。

 閻楽が心変わりしないよう、その母を捕らえて監禁することで盤石を期し、皇帝の在所の望夷宮ぼういきゅうに千人余りの兵を率いさせて突入させたのである。


 宮中を弓を放ちながら進む閻楽の部隊に宦官連中は驚いて逃げ出し、皇帝が呼んでも馳せ参じる者はいなかった。

 ただひとり逃げ遅れて、そばにいたある宦官に皇帝は嘆いて言った。

「こんな事態になるまで、どうしてお前は朕に注進も何もしなかったのだ」


 その宦官は下を向いたまま答えた。

「注進しなかったからこそ、私は今まで生きながらえています。陛下は注進したところで信じず、私はとっくに殺されていたでしょう」


 この言葉を聞き、抵抗を諦めた皇帝は、踏み入ってきた閻楽に対し、哀訴するしかなかった。

 しかし母親を趙高によって人質に取られた閻楽のかたくなな態度は、皇帝が相手でも動じることがなかった。

「足下は驕り高ぶり、権力をほしいままにし、人を不必要に殺した。天下の者が皆叛くのは必然である……自分で自分の身を裁け」


 閻楽はそう言って迫った。皇帝はひれ伏し、

「なんとか丞相(趙高のこと)に会わせてくれないか」

 と頼んだが、閻楽は、

「駄目だ」

 と一蹴した。

 しかし、足の震えを抑えることができない。閻楽は自分が他ならぬ皇帝の生死を握っていることに緊張を抑えきれなかった。


 だが皇帝はそれ以上に震え、泣き出しそうな声で閻楽に訴え始めた。

「朕が皇帝としてふさわしくないというのであれば、せめて一郡の地でもいい。王として生かしてもらえないか」


 閻楽はこれも拒否した。


「王で駄目なら、万戸侯にでも……」

 皇帝も必死である。頭をこすりつけて、文字通り哀願した。


「ならぬ」

「……ならば妻子ともに平民となって……」

 なおも皇帝がそう言うと、閻楽はついに剣を抜いて叫んだ。


「私が丞相から受けた命は、天下のために足下を殺すことだ! どう言われても取り次ぐことはできん!」

 そう言いながら部下の兵を差し招く仕草をした。


 皇帝はそれを見てようやく、もはやこれまでと悟って自らの剣を右手に持ち、その剣で喉元を突き刺して死んだ。


 卑賤の兵士の手にかかって惨殺されるよりは、少しはましな最期であった。



 秦の領土は小さくなった。

 実効的支配地域は関中に限られ、その関中もいまや危機にさらされている。趙高は関所の外の諸王国を刺激しないよう思案を巡らし、空名を擁して皇帝を称することを避け、胡亥の兄の子である子嬰しえいという人物を探し出して、これを単に「秦王」とした。


 趙高の意図は、はっきりしない。この段階に至って、わざわざ子嬰を擁立することに一体どんな意味があるのか。

 趙高はかつて劉邦に密使を送り、「二人で関中王の座を分け合おう」という意思を伝えているが、胡亥の殺害に成功した時点で、自ら王位に就くという意志は持ち合わせていなかったようである。

 ではその反対に、子嬰を擁することで秦の社稷を保つという、臣下としての責任感があったかといえば、それ以前の行動から判断して、そうとはいえないであろう。


 つまりは陰茎を抜いた、男でも女でもない宦官という精神不安定な人間のなせる業であった。


 擁立される側の子嬰には、それがわかる。

「趙高は皇帝を殺した。いずれ私も同じように殺されるであろう。趙高は、楚を相手に密約を交わそうとした、とも聞いている……。私は機会を見て、趙高を殺そうと思う」

 子嬰は二人の息子にそう話したという。


 王となるには、その身を清め、先祖を祀るみたまやで玉璽ぎょくじを受け取ることが伝統的な習わしとなっており、子嬰もこの例にならい、斎戒して宗廟に出向くことになっていた。

 ところが子嬰は斎戒の途中で病気を発したと称し、いっこうに宗廟に姿を現さない。

 趙高は人をやって何度も催促したが、子嬰は動かなかった。そこでしびれを切らした趙高はついに自ら説教しようと子嬰のもとに足を運んだのである。


 これにより機会を得た子嬰は、斎戒の場に伏兵を忍ばせておき、趙高の姿を確認するや、斬ってかからせた。

 しかし複数の兵に斬られながらも、趙高はしぶとかった。いくら斬られてももんどりうつばかりでなかなか息絶えようとしないのである。 


 兵たちはしだいに気味が悪くなり、後ずさりを始めた。

 苛立った子嬰は叫ぶ。

「早く首をおとさないか!」


 だが、兵たちは揃って首を振った。

「私どもの剣では、もうどうにもなりません。剣が脂まみれで刃がたたないのです」


 しかたなく子嬰は、自ら剣を振るって、趙高の首をおとした。

「人間の化け物め。兵士の剣まで腐らせるとは……。私のこの剣はすでに汚れた。もう二度と使うことはないであろう」


 稀代の奸臣を討ち取ったという達成感はない。子嬰の心に残るものは、後味の悪さと薄気味悪さばかりであった。


 二


 子嬰が秦王として君臨してから四十六日め、劉邦の軍は武関を破り、ついに関中への侵入を果たした。


 劉邦軍は決して破竹の勢いでここまで来たのではなく、あちこちの城を攻めては攻めきれず、あるいは勝ち、あるいは負けたりしながら、ようやく武関までたどり着いた、というのが実情であった。

 その後、覇上はじょうに駐屯した劉邦軍は、ひとりの客を迎えた。その客こそが秦王子嬰である。


 子嬰は車にいっさいの装飾をせず、身に白装束をまとい、自らの首に縄をかけて劉邦の前に拝謁した。

 首の縄は、いつでもそれを縛って自殺する覚悟ができていることを示している。

 手には皇帝の玉璽と割り符を治めた函があった。それを劉邦に渡そうというのである。誰の目にも降伏するつもりであることは明らかだった。


 諸将の中には秦を恨む者も多く、そのため子嬰を殺そうと主張する者は少なくない。

 しかし劉邦は子嬰を殺さず、処分を保留し、監視するに留めた。

子房しぼう、秦王をどうすべきであろうな? 懐王のもとにでも送り届けるべきであろうか」


 子房とは張良ちょうりょうの字である。張良は戦国時代の韓の遺臣で、このころから劉邦の幕営に身を寄せ、軍師として活動している。負けてばかりいる劉邦が苦しみながらも関中にたどり着いたのはこの張良の策によるところが大であった。

 張良は必要以上に敵を殺さず、城市に戦乱を持ち込むことを極力避けるよう主張し、それを実行した劉邦は民衆の支持を得ることに成功したのである。


 その張良は次のように答えた。

「せいぜい警備を固くし、士卒に変な気をおこさせないようにしておくことが大事です。いずれ項羽率いる軍勢がこの地にも到達しましょう。そのときに引き渡してしまえばよかろうと存じます」


 劉邦はおもしろそうに答えた。

「どうせ殺さねばならないのであれば、項羽にその役をやってもらおうというのか。それはいい。……しかし、それでは関中の覇者は項羽、ということになりはしないか」


 張良は静かに答えた。

「我々は関中に一番乗りを果たし、懐王は確かに一番に関中に入った者を関中王にする、と申されました。しかし、だからといって項羽をさしおいて関中王を称するのは、具合がよくありません。楚の一番の実力者は、恐れながら懐王ではなく、項羽です。彼自身が沛公(劉邦のこと)を関中王と認めてくれれば問題ありませんが、おそらくそうはなりますまい。……秦が滅んだ今、沛公が天下を望むならば、競争相手は項羽ということになります。……しかし兵力の差は歴然としていますので、しばらくは項羽に花を持たせる形となりましょう」


 劉邦は、それを聞いて項羽の軍神のような姿を想像し、あからさまに震え上がったが、しばらくして覚悟を決めたのか、それとも虚勢を張ろうとしたのか、いきなり大声で宣言するように言った。

「では項羽めがくる前に、咸陽を鎮撫せねばならん」

 劉邦はそう言うと、いきなり宮殿に乱入した。今のうちにやりたいことをやってしまおう、というのである。


 宮殿にはおびただしい数の豪勢な調度品、財宝、駿馬の類が揃っており、劉邦の目を楽しませた。

 しかし、それ以上に劉邦が興味を示したのは、全国から集められた麗しい宮女たちであった。

 劉邦は我慢できなくなり、鼻息荒く宮女たちを追い回し始めた。


「いかん」

 張良は劉邦の痴態をみて、狼狽した。傍らにいた、もと犬の屠殺人の樊噲とともに必死に諌めようとした。


 樊噲が叫ぶ。

「おやめください。信用を失います。沛公には、女や財宝に目が眩んだのですか」


 すでに劉邦は宮女の一人に馬乗りになっていた。樊噲は言うだけでなく、力づくでそれをひっぺがえそうとする。

 だが劉邦は強情になっていた。

「噲、やめろ。どうせ項羽が来て、そのうち死なねばならぬのなら、わしはここで死ぬ。死ぬ前に道楽を極めるのだ!」


 張良はそれを聞き、なんとも情けなくなった。しかし、劉邦の不思議なところは、そんな姿でさえも憎めないところである。どこか滑稽で人間臭く、近寄り難い聖人のような印象はまったく無い。

 しかしそうとばかり言ってはいられない。ここで劉邦自ら宮廷を荒し回る行為に出ると、士卒がそれをまねて咸陽全体が大略奪の場になってしまう。そうなってはこれまで築き上げた民衆の信用はがた落ちで、支持基盤を失うことは明らかだった。


 ――沛公は項羽が恐ろしくなって、一時的に現実逃避をしているのだ。

 そう思うと、張良は劉邦を哀れに思った。

 あの恐ろしい項羽と近い将来対決しなければならないと思うと、誰だって逃げ出したくなるだろう。ここは優しく、説得するべきであった。

「どうか樊噲の言うことをお聞きください。良薬は口に苦し、と申しますが、同じように忠言は耳に入れ難いものです。今、天下のために害賊を除こうとするならば、逸楽に安んじることなく、質素を旨とするよう、沛公自ら示さねばなりません」


 これを聞き、劉邦はようやく抱いていた宮女を離した。

「害賊……害賊とは秦のことを言っているのか。それならもう滅んだ。子房、お前は、まだこのうえ害賊がいると言うのか」

「おります」


 劉邦はやっと居ずまいをただした。

「聞こう」


 張良は、特に強調するでもなく、さも当然のことを述べるように言った。

「沛公にとって、今後害賊とみなすべき人物は、項羽以外におりません」

 劉邦はそれを聞いて気分を良くしたらしく、高らかに笑い、そのせいで息ができなくなり、何度も咳き込んだ。

「項羽! げほっ! ……あの項羽が、害賊だというのか! 本気か、子房?」


 張良には特に変わったことを言った意識はない。涼しい顔をして答えた。

「本気です。沛公が天下を統べる人物たらんと思うならば、項羽は敵というしかありません。敵は、つまり害賊です」


 劉邦は、それを聞いてしばし考え込み、やがて立ち上がって宣言し始めた。

「ええと、おほん。……今後宮廷の庫をあばいて重宝、財物などの物を持ち去ろうとした者は死罪に処す。すべて封印せよ。あぁと、それから……宮廷の婦女に対しても同様である。いたずらに淫らな行為を犯した者は、三族すべて皆殺しとする……この言葉を士卒に伝えよ」

 最後の言葉は、いかにも名残惜しそうであったが、張良は劉邦のそんな様子に不満はなかった。


 ちなみに劉邦のこの言葉が伝えられる前に、庫をあばいた者が少なからずいた。多くの者は金銀財宝を山分けしたのだが、ひとり、劉邦のそばにあって内務を担当している蕭何だけは、秦の法令や政治文書をいちはやく持ち出し、これを将来のために保存した、という。


 三


 元来がけちな盗賊上がりの劉邦は、自らに確固とした信念や政略があったわけではない。劉邦にあったのは、人の能力を直感的に見極め、それを適所に配置する能力だった。貴族とは違い、市井にもまれて暮らしてきた者にしかない能力だと言える。

 そして任せたからには、徹底的に任せた。そうすれば、彼らが勝手に政略などを決めてくれる。


 しかし、劉邦は関中の父老連中を集めた際に、珍しく自らの方針を自分で決めて発表したことがある。

「秦の法は厳しく、父老には過酷だったことこの上なかっただろう。わしもつらかった。よって以後、法は三章だけとする。人を殺した者は死刑、人を傷つけた者、また人の者を盗んだ者はそれ相応の罪に処す。その他の秦の法は撤廃じゃ」


 この布告が広まり、秦人たちはおおいに喜び、劉邦を歓待しようと肉や酒をこぞって持ち寄った。しかし劉邦はこれを断り、

「いやいや、軍糧が余っているわけではないが、みなさんに負担を強いるわけにはいかない」

 と述べたという。

 単に人気取りをしているようにも見えるが、この時代の豪傑たちの中には、この程度の人気取りをする者もいなかったのである。


 かくて秦人たちは劉邦の人柄に惚れ込み、関中王の座が劉邦以外の者の手に渡ることを心配し始めた。

 劉邦自身にもそれがわかる。

 ――子房は、関中は一時項羽に明け渡さなければならない、と言ったが、それでは民衆は浮かばれん。あの男なら、この地を民衆もろとも穴埋めにしてしまいかねない。……わしは項羽と戦ってでもここを堅守するべきではないのか。


 柄にもない使命感を感じて、考え込む劉邦に幕僚でもない男がひとつの提言をした。

「函谷関を閉ざして、項羽の軍が通れないように守備を固めればよいではありませんか」

 ――そうか! なぜ今まで気付かなかったのか?


 民衆の行く末を思うあまり、項羽と戦っては勝てないことを失念してしまった劉邦は、この提言をもっともだと思い込み、函谷関を閉ざしてしまった。


 四


 安陽で宋義を討ち、鉅鹿で趙を救い、殷墟で章邯を降伏させ、新安で二十万の秦兵を穴埋めにして、ようやく函谷関にたどり着いた項羽軍が目にしたものは、関門に林立する劉邦軍の旗印と、侵入を拒むよう配置された、無数の守備兵たちだった。


 入ることができない項羽は、怒りを抑えることができない。

 すでに咸陽は劉邦によって平定された、と聞いたときにはさらに怒り、

「撃ち破れ。踏みつぶしてしまうのだ」

 と、黥布をけしかけて関を実力で突破してしまった。


 ――項羽は沛公のことなど、友軍だとも思っていない。自分のために道を開けてくれる存在だとも思っているのだろう。しかし沛公がいつまでそんな地位に甘んじるか……

 韓信は、新安で二十万の秦兵を穴埋めにした項羽を信用できなかったばかりか、顔を見るのも拒むほど嫌った。

 黥布などは感情のない、殺人兵器のように見える。鍾離眛には、裏切られたという思いが強かった。


 例の穴埋め作戦の一件以来、韓信と鍾離眛の関係は思わしくない。秦兵を穴埋めにするのに鍾離眛が積極的だったことを韓信が責めると、鍾離眛は韓信が項羽の作戦行動になんの寄与もしていないことを責めるのである。


「眛……。君と私とでは考え方が違うようだ。しかしここで袂を分かったとしたら、我々はお互いに敵になるということなのだろうか。君と私は、昔からの仲だ。できれば殺し合うような関係に陥ることは、避けたい。何とかならぬものか」


 韓信の問いに対して、鍾離眛は興味がなさそうな態度で答えた。

「信、お前と私とでは、幼少の頃から考え方が違った。今に始まったことではない。それに……以前にお前は言ったはずだ。敵同士になったときには、ためらわずに斬る、と。あれは嘘だったとでも言うのか? まあ、もしお前がそれを避けたいと言うのであれば、お前自身が考えを正せばよい」

「正す? 正すとはどういうことだ。私の考え方が間違っていると言うのか。間違っているのは君の方だ。二十万もの士卒を穴埋めにする行為を、いったい誰が正しいと言えるのか! ……しかも君は喜んでそれをやったのだ!」

 韓信が語気を荒げても鍾離眛は動じる様子を見せない。他ならぬ項羽から寵愛を受けている、という自信のなせる業であった。


「今さら言うまでもないことだが、戦争に犠牲が生じるのは仕方のないことだ。いずれ天下が定まれば、私のしたことは正しいと評されるだろう。お前はそうやって私や上将軍のことを批判ばかりしているが、なんのことがあろう。私はまったく気にならない。……お前は口ばかりで、結局は何もできない男だからな!」

 韓信はこれを聞き、心底落胆した。あの幼き日、母をともに弔った日の眛はどこに行ってしまったのか。

「眛、君は変わったな。私の知っている眛は、正義感が旺盛で、長いものに巻かれて生きるような男ではなかった。私が見るに、君の変わりようは考え方だけではない。……眛、君自身は気付かないだろうが……今の貴様の目はひどく濁っているぞ!」


 韓信はもはや関係は修復不可能と悟り、立ち去った。あとに残された鍾離眛は、たいして気にも留めない素振りをみせた。

 しかし、陣中に戻ると急に思いついたように配下の者を呼び止め、

「おい、お前。私の目は以前と同じように黒いか?」

 と確認したりした。

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