関中へ

 明らかに往時の勢力を失いつつある秦ではあったが、未だその強力な軍組織は健在であった。とはいえ、秦に叛旗を振りかざした者たちが一致団結し、何よりもまず先に凶悪な秦を打倒するという共通の目的を掲げて行動すれば、それを撃ち破ることは可能であった。しかし、彼らが優先するものは自らの利益に過ぎない。この時期に起こった楚軍の内訌は、それを象徴する出来事であったといえよう。


 一


 宋義率いる楚の主力軍は「卿子冠軍けいしかんぐん」と称され、趙に遠征することとなる。このときに韓信は項羽のもとへ配属となったが、その地位は郎中という警備役に過ぎなかった。


 ――俸禄は多少もらえる。我慢すべきだ。

 自分にそう言い聞かせ、心中にわだかまる不満は外に漏らさないようにする彼であった。

 というのも、郎中という卑賤な役職にも、それ相応の役得があったからである。

 韓信は貴人の護衛を理由に項羽の周辺に常にいることを許された。身分は低く、よほどのことがなければ発言も許されないが、軍の中枢部に近いところにいれば、なにか得るところもあるに違いない、そう思えたのである。


 しかし、このときの項羽は近づけないほど荒れ狂っていた。

「なぜだ! なぜわしが関中に向かうことを許さぬのだ!」

 項羽は怒り、周囲の者はひれ伏して「まあまあ」などと言いつつ、なだめるしかない。


 ――近侍の者に責任があるわけでもあるまい。不満があるのなら懐王に直接言えばいいのだ。

 韓信は少し離れたところにいるからこそ、そう思える。これが項羽の怒気の飛沫を浴びる距離にいたら、やはりひれ伏すしかなかっただろう。


 項羽はさらに吠えた。

「いくさ下手の劉邦などが関中にたどり着けるわけがない。そうなればこの作戦自体が失敗だ。このわしが行けばあっという間にことはおさまる。それなのになぜ懐王はわしではなく劉邦を選んだのか!」


 項羽という男にとって、世の中は敵か味方かしかなかった。敵に従うものはどういう事情があろうともすべて敵であり、中間は存在しない。襄城の一件がいい例であった。城中の市民は「襄城に住んでいる」という理由だけで敵とみなされ、項羽によって兵もろとも生き埋めにされたのである。

 懐王は項羽のそのような残忍さを嫌い、その結果、このような人事になったようである。


 韓信は思う。

 ――項羽という人は、己の感情で世界を支配しようとしているかのようだ。好きか嫌いかで敵味方を判別しようとする態度は……実にわかりやすい。欠点は多いが……政治的ないやらしさがないことだけは事実だ。

 ――そして、その対極にいるのが、宋義だ。彼を大将に据えるとは、懐王はよほど項羽が嫌いらしい……。


 宋義は名家の出とはいっても、基本的に文官であり、軍の指揮などは経験したことはない。それをあえて大将に任じたのは、明らかに項羽に対する当てつけであった。


 かつて懐王は斉からの使者に次のように言われたことがあった。

「宋義どのは武信君の軍が敗れることを私にほのめかしておりました。私はそのときは半信半疑でありましたが、数日するとはたしてその通りになりました。戦わぬうちから敗れるとわかるとは、兵法を知った者のなせる業でございましょう」


 しかし、それを頭から信じるほど、懐王は馬鹿ではなかろう。

 懐王にとって趙を救援することは擬態であり、極言すれば戦う必要はなく、そのふりをすればいいだけなのである。よって宋義でもその任に堪えると思ったのであった。


 よって、宋義にはせいぜい行軍に時間を割き、戦況が決したころに鉅鹿に到達するように言い含めた。

「劉邦などは関中王の位を与えてやっても、余は御していく自信がある……。しかし項羽がそうなっては、手が付けられない。宋義、これは内密だが、軍中で項羽が不穏な動きを見せたら、口実を見つけて処断せよ。よいな」

「……わかりました。きっと、そのように」


 二


 ――遅すぎる!

 韓信は卿子冠軍の行軍の遅さが気になってならない。趙の窮乏は急を要しているのに、早く行って助けたいという気持ちがまったく無いかのようであった。

 さすがに懐王が宋義に命じてわざと行軍を遅滞させていたとは気付かず、ひとりひそかに懸念を抱いていたところ、安陽に到着した時点でついに軍はその歩みを止めてしまった。


 ――なにかある。いや、……この作戦自体に裏の目的があるに違いない。

 思い切って韓信は項羽に直言しようと考えてそばに寄った。

 というのも、この日の項羽は上機嫌だと人づてに聞いたからである。


「お前はおとなしそうな顔の割に、たいそうな剣を携えているな」

 だしぬけに項羽から声をかけられた韓信は返事のしようもなく、

「はぁ……。よく言われます」

 とだけ答えた。項羽を信奉する者ならば、声をかけられただけでも泣いて喜ぶべきであったが、特別そのような感情を持っていない韓信には喜ぶ理由はなく、表情も変えなかった。

 項羽はそれが気に入らなかったようで、急にぶっきらぼうな態度をとり始めた。

「なにか用か。わしは忙しい。言いたいことがあるなら早く申せ」


 韓信は、

「失礼ながら、お耳に入れたいことが」

 と話を切り出した。

「それはわかっている。早く申せと言っているのだ」

 項羽は露骨にいらだちを示し出した。韓信はそれを気にしないように努力し、話を進める。


「では……趙では一刻も早い救援を望んでいると思われますが、我が軍の進軍速度ははなはだ緩く、今に至っては完全に停まってしまいました。これは上将軍の宋義どのになにかの思惑があることに原因があると存じます」


 項羽はこれを聞いて驚いた様子を示し、

「なにかの思惑といえば……作戦であろう。それともお前は宋義に邪心でもあると言っているのか?」

 と宋義を弁護するような言い方をした。韓信にとっては、意外な反応であった。

 しかし、韓信はそれを態度にあらわすことなく、話を続ける。

「確証はございませんが……。その可能性はあると考えています。もしそうでなくとも、こうしている間に沛公の軍は関中に迫り、我が軍は遅れをとります。宋義どのに対処を迫ったほうがよろしいかと」

 韓信は決して項羽に関中王になってほしいわけではなかったが、本意でないことを言うことも仕方のないことだと思い、そう話した。


「なるほど……。それは確かにそうだ。明日、宋義に会って確かめてみよう」


 実は韓信は項羽の性格であれば、即座に宋義を討ち、上将軍の位を奪おうとするものと考えていた。

 しかし項羽は存外謹み深く、過激な行動をとろうとはしなかったのである。

 ――家格に対する貴族の本能的な遠慮か……。しょせんは項羽も貴族、ということか。しかし、これ以上言ってやる義理は私にはない。


 翌日。

 項羽は宋義のもとに参上し、柄に合わないような丁寧な口調で宋義に問いただした。

「秦が趙王を鉅鹿に囲んでいること久しいが、早めに兵を率いて黄河を渡り、外より楚が、内より趙が秦軍を挟むようにして戦えば、きっとこれを破れると思われまする。上将軍、如何でしょう」


 気性の荒い項羽としては充分すぎるほど慎み深く、上官をたてて物を言ったことは確かである。しかし、これを見越した宋義は項羽の献策を以下のように却下した。


「ふん。教えてやろう。例えば手で牛を打ったとしても、表面の虻は殺せるが、毛の中のしらみは殺せない。勝負を焦るあまり、大局を見ないようでは、蚊や虻を殺すことと同じなのだ。つまり、今秦は趙を攻めているが、秦が趙に勝ったとしてもその軍は疲弊する。我々はその疲れに乗じればよいのだ。秦が負けた場合はなおさらである。よって得策なのは秦と趙を戦わすことだ」


 ――それでは事実上趙を見殺しにしろ、ということではないか。

 項羽は思ったが、口にできない。このあたり韓信の項羽に対する評価は正しいものであった。

 押し黙る項羽に対し、宋義は自分の優位を主張した。

「わしは鎧をつけて戦場で戦うことは、君には及ばないかもしれぬ。しかし策略をめぐらすことでは君はわしに及ばぬ」

 余裕の発言だった。項羽は宋義の権威にうちのめされ、なにも言えずに退出した。


 項羽は、宋義の言うことが本当に正しいのか、まじめに考えた。その様子を見た宋義は、項羽に対して韓信と同じような感想を持ったようである。

 彼は、自分に対してなにも言えない項羽の弱みにつけ込み、楚軍の中での勢力を打ち消そうと考えたのであった。このあたりの宋義は、いかにも老練な政治家らしい。

 宋義は軍中に触れを出し、

「虎のように獰猛、羊のように言うことを聞かず、狼のように欲深な者は、みなこれを斬る(猛きこと虎のごとく、もとること羊のごとく、むさぼること狼のごとくは、皆之を斬る)」と記した。

 名こそ出していないが、明確に項羽を示したものである。


 しかし項羽はそれでも我慢し続けた。


 三


 滞陣は四十日を超え、士卒の士気が萎え始め、軍糧も底をつき始めていた。おまけに冷たい雨が降る季節となり、兵たちは凍えようとしていた。

 陣中の誰もが不信を募らせ始めた頃、ようやく宋義は行動を開始する。


 ついに軍を動かした、のではない。

 宋義は懐王から行軍を遅らせる命を受けたのをいいことに、その時間を利用して斉を相手に政治的遊戯に興じていた。自ら率いる卿子冠軍は、その道づれである。


 宋義はこの卿子冠軍に息子の宋襄を同行させていたが、この息子を斉の宰相にするべく、自ら北方の無塩ぶえんという地まで見送りに行った。ひと月以上も軍を留め、わざわざこの時機に送り出したのは、斉側の準備に時間がかかったからだろう。無塩で別れの大酒宴会を開いた宋義が、悠々と戻ってきたのには韓信もあきれた。


 しかし次将として軍に責任をもつ項羽としては、「あきれる」のひと言で済ませられようはずがなく、烈火の如く怒り、翌朝になって猛烈な勢いで宋義の幕中に飛び込んだ。

「士卒は飢え凍えているというのに、貴様は酒宴などを開き、趙と力を合わせて秦を攻めようともせず、秦の疲れに乗ずるという。秦軍の強さで建国間もない趙を攻めたら、趙が敗れることは必定、趙が敗れれば秦が強くなるだけのこと。なにが疲れに乗ずるだ! まして国家の危急時に子の私情に溺れるとは社稷の臣に非ず」


 項羽は言うと同時に斬りかかった。鋭く、力強い剣先が宋義の頬をかすめる。

 宋義はその大きな体を転がすようにどうにか剣をかわした。彼はその動作ひとつで絶命しそうなほど体力を消耗したが、それでも必死に反論するのであった。

「楚と斉の間は、今良好とは言えず、一本の細い糸でかろうじてつながっているようなものだ。その糸をわしが太くしてやったことが、わからんのか! 貴様のように戦うしか頭にない男に政略というものが理解できるはずがあるまい」


 項羽は頭に血が上った。目尻から血が噴き出さんばかりの形相で宋義を睨みつけると、

「今、問題にしているのは斉ではなく、趙だ。貴様の言うのは詭弁である!」

 と言って、ついに斬り捨てた。そして宋義の子の襄を追い、斉の地に入ったところでこれも殺した。

 安陽に滞陣すること四十六日めのことであった。


 懐王はこれを伝え聞き、

 ――宋義の愚か者め。だから早めに処断せよ、と言ったのだ。

 と内心で愚痴をこぼした。

 しかし、こうなってはほかにとるべき道はなく、あらためて項羽を上将軍に任命し、宋義の下においた軍を項羽の下に再配置した。

 これによりやっと楚軍は進撃を開始したが、遅れは取り戻せそうにない。

 関中王の座は劉邦の手におさまる可能性が濃厚となった。


 四


 籠城戦は救援の見込みがあってこそ成り立つ戦法であり、籠城していた側の張耳としても、見込みがなかったわけではない。

 幸い弟分の陳余は北方で兵を集め数万の兵を引き連れて鉅鹿の北に陣していたし、燕・斉・楚にも救援の依頼はしてあった。

 しかし、他国の軍が到達するより前に、真っ先に動くべきの陳余が動こうとしない。頭にきた張耳は使者をやって陳余をなじらせたが、陳余は動かず、わずかに五千人の兵をその使者に与えることしかしなかった。

 その五千人も秦軍の前にあえなく全滅し、これによっていよいよ秦軍を警戒した陳余は陣を構えるばかりで、まるで動こうとしなくなった。諸国の軍もぽつりぽつりと到達してきているが、どれも陳余にならって見物しているだけである。

 こうして鉅鹿は完全な孤城となった。


 そこへついに黥布と鍾離眛に率いられた二万の楚軍が現れた。籠城中の趙軍は歓喜に沸いたが、これでようやく秦軍と互角程度に戦えるくらいである。それまで高みの見物を決め込んでいた陳余は使者を通じて楚軍へさらなる援軍を要請し、項羽はそれを受けて自ら軍勢を率い、鉅鹿に乗り込んだ。


 出陣にあたって項羽は士卒たちが全員川を渡り終えると、船をすべて沈めてしまった。

 また、作戦前の最後の食事をとり終えると、煮炊き用の釜をすべて打ち壊した。

 どちらの行為も「死ぬまで戦う」という意思を劇的に示したものであった。死を決意した者にとって、帰るための船は必要なく、二度と食事をとる必要もない、というわけである。

 項羽のような激情家が自らこのような行為をすると、士卒たちは心を打たれ、感情が高ぶるのだった。

 かくして鉅鹿に突入した楚軍の兵たちは、天地を揺るがす雄叫びをあげ、一人で十人の兵を相手にして狂ったように戦ったという。


 諸侯たちはその様子の凄まじさに呆気にとられるばかりで余計に動けなくなった。燕や斉などの兵は秦軍よりも味方の楚軍の方を恐れ始めた。

 楚人は個人ではおとなしいが、集団になったとたんに剽悍になる、と一般に言われている。感情が激しやすく、あらゆる物事に心を動かされては、怒ったり、泣いたり、笑ったりする。

 このときの楚軍に細かな戦術などは無きに等しく、あるのは項羽の個人的武勇のみであった。激情した司令官が先頭に立ち、激情した部下たちがそれに続く。それによって彼らは死をも恐れぬ殺人集団となって敵陣深くまっすぐに進むのである。


 しかし韓信は決して彼らと同調できなかった。この集団の中にいるのが、恐ろしく感じられた。

 ――私は、この連中とは明らかに違う。自分は、楚人ではないのだろうか。


 項羽の激情に化学反応を示したように、集団が揃いも揃って同じ感情を示すというのも不思議でならなかった。

 ――つまりは、楚人とは主体性のない奴らばかりなのだ。いや、そういう私も楚人のひとりか……。


 韓信はひとり気のない戦をし、それを見た者から罵声を浴びせられた。

「臆病者め!」

 韓信はいつまでこの集団の中にいられるのか、不安になった。


 そもそも韓信は楚人とはいっても北東部の大きく国境が入り組んだ地域で生まれ育っている。そのような地域では他国との混血や文化的な交流が盛んであっただろうし、自分が純粋な楚人であることを確認できる手段など、この時代にはなかった。

 もしそうでも幼少時代から楚人的な教育を叩き込まれていれば、あるいは楚人らしい楚人として育っていたかもしれない。


 しかし栽荘先生は決してそのような教育をしてくれなかったし、今思えば反楚的だったとさえ思う。

 ――先生、やはり私はここに居場所がないように思うのですが、本当にこれでいいのでしょうか……。先生は私を評して物事を客観的に見れる、とおっしゃりましたが、それはそのはずです。私だけがこの中では別物なのですから。それを承知で楚軍行きを勧められたのでしたら……お恨み申し上げます!


 しかし自分はどこの組織に入っても素直なものの見方をせず、周囲から白眼視される人物であろうことは、この時期の韓信にはようやくわかってきた。どうやら自分は組織に馴染めない孤高を好む性格であるらしいと気付き始めたのである。


 韓信のそんな思いはよそに、項羽は章邯配下の将のうち、蘇角を殺し、王離を捕虜とし、渉間を追いつめて自殺せしめた。章邯その人は取り逃がしたものの、見事鉅鹿城の解放に成功したのである。

 この戦果を受け、楚は趙、斉、燕などの諸侯国のなかで第一の存在となった。皆項羽に服属したのである。


 かくて趙は滅亡の危機を免れたわけだが、その過程で禍根を残した。建国の臣のふたり、張耳と陳余が仲違いしてしまったのである。

 張耳は援軍を出さなかった陳余を責め、言った。

「君とわしはお互いのために死のうと誓い合った仲ではないか。それなのに君は数万の兵を抱えながら、助けにも来てくれなかった。いったいどういうわけだ」


 陳余にも言いたいことはある。彼は悪びれもせず、答えて言った。

「現実を見ろ。秦との戦力差を考えれば、軍を進めても結局は趙を救うことはできず、無駄に全滅させるだけだった。私が軍を進めずに君とともに死のうとしなかったのは、いつか趙王と君のために秦に報復したいと思ったからだ。だいたい、今の国情で君と私が二人とも死んでしまっては、誰が国を保つのか冷静に考えてみるべきなのだ」


 張耳には陳余の言うことが理屈としては、わかる。それよりも気に入らないのは陳余の態度であった。

 年長である自分や趙王に苦労をかけたことを気にも留めておらず、結果的に助かったのだからよかったではないか、と言わんばかりの態度。長年に及ぶ交友を肝心な場面で捨て去ったこと対する後ろめたさなど、まるで感じさせない傲岸な表情。

 張耳はそんな陳余の根性を叩き直すべく、繰り返し責めた。

 しかしこれに逆上した陳余は、いきなり将軍の印綬を外し、張耳に押しやって便所に立った。

 位など惜しまず、いさぎよく下野するというわけである。


 陳余はまさか張耳がそれを本気にするとは思っていなかったが、便所から帰ってみると、張耳は既にその印綬を腰の帯につけ、陳余の指揮下の軍を配下におさめていた。

 愕然とした陳余はごく少数の仲間を連れ、その場をあとにしたのである。

 いっぽう張耳は項羽の軍とともに、函谷関を目指して進軍することとなる。


 五


 咸陽にも戦況の報告は届く。しかし届いても皇帝の耳には入らないのだった。なぜかと言うと、趙高が知らせないからである。


 李斯を斬殺してから自ら丞相の位に登り詰めた趙高は、ひそかに皇帝を餌にして講和の条件としようと考えていた。皇帝の首を諸侯に渡し、その替わりに身の安全をはかろうとしたのである。

 そのためには宮中の者たちの協力が不可欠で、彼らがどれだけ自分の言うことを聞くかが問題となる。

 皇帝の言うことより、自分の言うことを聞く者が多いほど都合が良かった。


 そこで実際にどれほど自分の言うことを聞く者がいるか試してみたいと考えた趙高は、皇帝の面前に一頭の鹿を連れてこさせた。


 その鹿を指して、趙高が皇帝に言った。

「陛下。これは馬にございます」

 皇帝は目をぱちくりさせて、しばらくなにも言わなかったが、やがて笑い、

「丞相も間違うことがあるものか……これは馬ではなくて、鹿であろう」

 と、からかうように言った。


 ところが左右にひかえる近侍の者の中には、趙高の言う通り、

「あれは馬に違いありません」

 と言う者がいた。趙高に追従する者である。


 またある者は、

「鹿です」

 と言った。皇帝の権威に従う者である。


 またある者はなにも言わず、黙っていた。態度を決めかねていた者である。


 趙高はあとでひそかに鹿と主張した者たちを処刑した。群臣たちはこの一件でよりいっそう趙高をおそれるようになったという。

 この話は後世につたわり、「馬鹿」という成語の語源となった。


 趙高がこのように急いで自分の取り巻きを強化していこうと考えていたのには、劉邦の軍が南の武関まで迫っており、今にも関中に到達しそうだという情報があったからであった。

 東の状況もよくない。

 鉅鹿で章邯は敗戦し、多くの将兵を失った、という情報も入っていた。函谷関が再び破られ、賊が関中に侵入するのは、そう遠い日のことではあるまい。

 状況を憂慮した趙高は、章邯に使者をやって何度も叱責した。もちろん趙高の名ではなく、皇帝の名をかたって、である。


 孤軍奮闘のうえ、理不尽な叱責に不満を覚えた章邯は、いっそ皇帝に直接指示を仰ごうと考えた。


「そういうことでしたら、私が行って参りましょう」

 と言ったのは副将の司馬欣である。

「行ってくれるか。陛下にはなにとぞ、よしなに……よろしく頼む」

 このころの章邯は、弱気になっている。司馬欣にもそれが感じられた。

 ――無理もあるまい。なんとかお力になりたいものだ。

 司馬欣は馬を飛ばして咸陽に入り、宮殿の外門で用件を告げた。


「章邯将軍の命により、皇帝陛下にお目にかかりたい」

 司馬欣は門の外で大声で叫んだが、門番は彼をそのまま留め置き、引見させなかった。司馬欣が直訴することで、実情が皇帝に漏れることを趙高が警戒したからである。


 仕方なく門外で野宿して待つこと三日、司馬欣は門番の様子がいつもと違うことに気付いた。

 第一に人数が違う。

 それまで門番は数名しかいなかったが、その日に限ってはその倍以上だった。そして彼らがそれぞれ示す緊張の表情が事態が容易でないことをあらわしていた。

 ――殺気立っている!

 危険を感じた司馬欣は、殺されると思い、朝見を諦め、身を翻して逃げた。


「追え!」

 門番たちの声が聞こえた。司馬欣は来た道とは別な道を辿り、なんとか追っ手を撒いて章邯のもとに到着することができた。


「咸陽では宦官の趙高が政権を握っています。将軍、あなたが勝てば、趙高はその功を妬み、あなたを殺すでしょう。勝たねば、それを罪として、殺されます。どちらにしても、待っているのは死のみです!」

 命からがら帰還した司馬欣は章邯の前で泣きながら報告したという。


 章邯は迷った。迷いつつも敵が前面に現れれば、戦わなければならない。項羽は鍾離眛の軍を送り、漳水の南で秦軍を破った。さらに項羽は全軍を率いて汙水のほとりで章邯の軍と対峙し、おおいに打撃を加えた。


 ついに章邯は決心した。

 ――もはや、戦っても勝てない。

 意を決した彼は項羽と盟約を結ぶべく、講和のための使者を送った。


 これを受けた項羽は、

「軍糧も尽きてきたことだし、盟約を受け入れることにする」

 と言い放ち、殷墟いんきょ(殷王朝の旧都)に会見の場を設けることを約した。


 実は章邯は司馬欣の帰還後まもなく使者を項羽のもとに送っており、講和が成立するのは時間の問題であった。しかし正式にそれが成立するまでの間に、徹底的に相手を痛めつけるというやり方は、いかにも項羽らしい。敵はあくまでも敵であり、味方となるまでは、項羽にとって敵なのである。

 残酷なようだが、結果的にこの最後まで容赦しない態度が、章邯の意思を決定させたのである。


 六


 章邯と項羽の会見は幔幕を張られ、その中で行われた。こういう場合、韓信は郎中という役目上、幕の外で警護することが多く、今回もその例に違わなかった。


 幕の中で、章邯の声がする。しだいにその声は涙を交えたものになっていき、最後の方にはまともな言葉になっていなかった。

 章邯は項羽に対して、自分は秦の国運を背負って戦ってきたが、最後には趙高という奸臣のために追いつめられ、進退極まった、という内容のことを話していた。


 韓信には章邯の表情を見ることはできない。しかし話の内容は充分に同情するに値した。

 ――ここにも、不遇な男がいる。章邯は、私と同じように、良い上官に恵まれていない。

 不覚にも涙をこぼしそうになった。


 このあたり韓信は滑稽な男であった。

 この時点の功績の面からいって、章邯と韓信では比べ物にならない。それをわかっていながら、章邯を自分と同じようだ、と思っているのである。当時の彼は、少々自意識過剰な若者だった、と言えそうである。


 韓信の耳に、ふたつのすすり泣きの声が聞こえた。いっぽうは章邯の声であることは間違いない。だとすればもうひとつの声は、項羽であろう。この会見では立会人として范増も幕の中にいたが、韓信には范増が章邯に同情して泣く男にはどうしても思えなかった。


 ――范増老人は、章邯を誅殺しろ、と主張するだろう。しかし項羽がそれをするはずがない……もはや章邯は敵ではなくなった。項羽にとっては殺す理由がない。……項羽とは、そういう男だ。


 韓信は幕の外でそう思ったが、その予測は的中した。

 項羽は章邯を優遇し、雍王として楚軍の中に置き、司馬欣を将軍として秦軍を指揮させることにした。項羽の激情家の部分がさせた人事であり、危険を感じた范増は、これに反対して意見を述べたが、項羽は聞き入れなかったという。


 ――うまくいくわけがない。そもそも項羽は章邯しか見ていないのだ。章邯の下には何万もの秦の兵がいて、それが何万もの意志を持っていることを、項羽は理解しようとしない。やはり貴族には、しもじもの気持ちなどわからないのだ。

 韓信はそう思いながらも、捨て置くには重大な問題に過ぎると感じ、項羽に献言することにした。


 面会を求めた韓信に向かって、項羽は、

「お前か。お前のことは士卒が噂しているぞ。いつも気合いが足りない臆病者だと。淮陰では市中の者の股の下をくぐったそうだな。戦地で男を上げようとは思わないのか」

 と、おもしろくもなさそうな顔で言った。


 韓信はあえてそれを無視して話し始める。

「……雍王(章邯のこと)をはじめ、秦の兵たちはすべて、武装を解除して彭城の懐王のもとへ送り届けるべきです。いま、上将軍(項羽のこと)においては雍王に同情なさり、優遇されておいでですが、事情を知らない楚の兵にとって秦兵は皆、父母、兄弟の仇なのであります……彼らは、秦兵とともに戦うなどとは考えないでしょう。いずれ、衝突がおこる気がしてなりません。どうかお考えください」


 項羽は少し考え込む顔をしたが、やがて、

「君の言うことはわかるが、すでに決めたことだ。もう言うな」

 と言って、奥に引いてしまった。会見はものの十分かそこらで終わった。


 まもなく、破綻はおとずれた。


 楚軍の兵たちはかつて、咸陽に賦役をした際に、そこで秦の役人にこき使われたり、辺境守備の軍役にかり出されたときに、秦人の上官に酷使されたりした者たちばかりであった。立場が逆転した今、楚の兵士たちは秦兵たちを些細なことで侮辱し、事あるごとに奴隷のように扱ったりした。

 秦兵たちが自分たちの境遇を嘆くのは無理もなく、彼らは集まる機会があると、口々に愚痴をこぼした。

「今に皆、殺される。とてもこのままでは……」

 そう話している姿が、楚の兵たちにとっては反逆の相談をしているように映り、軍中の噂の種になった。


 項羽もそのまま放っておくわけにはいかなくなり、黥布と鍾離眛を呼び、ひとつの策を授けるに至る。


 韓信にもその策は伝わった。

 その策とは驚くべきもので、韓信は鍾離眛を引き留め、二人きりになったところでやめるよう説得しにかかった。

「眛、君が……そんな汚れ役をやるというのか。人道にもとる作戦だ。栽荘先生が生きておられたら、どう言うと思う。理由はなんでもいい、体調が悪いとか言って辞退するんだ。君が辞退すれば、上将軍も作戦を考え直すだろう」

「信。君はこれが楚の一大事だということをわかっていない。今ここで秦兵どもが暴動を起こしてみろ。楚軍は崩壊する。阻止するには今が最後の機会だ。関中に入ってからでは、遅すぎる。……新安の地で決行だ。それに、かりに私が嫌だと言っても、黥布将軍がおられる。彼一人でも決行は可能で、作戦が中止になることはないだろう」

「だったら君は辞退すればいいではないか。眛、君は決行に参加しないことで上将軍の不興を買うことを恐れているのではないのか」


 鍾離眛は、むっつりとしたままその問いには答えず、やがて踵を返した。


 新安城は高台の上にそびえており、特にその南側はえぐりとられたような深い谷になっている。項羽は全軍をここに留め、一夜を明かすことにした。


 夜も深くなり、何も知らぬ秦兵たちが寝静まった頃、作戦は決行された。


 北側から黥布と鍾離眛に先導された楚軍が音もなく進軍し、秦兵たちに近づいたところで一斉に閧の声をあげた。

 驚いて跳ね起きた秦兵たちは南側に逃げるしかない。

 夜の闇の下、足もともろくに見えない中で、恐慌をきたした秦兵たちは相次いで谷底へ落ちた。落ちることを免れた者は楚兵に追い立てられ、やはり強引に落とされる。死体の上に死体が積み重なり、やがて谷底は埋め尽くされていった。


 楚軍は自らの血を一滴も流すことなく、夜明け前には秦兵の大量虐殺を完遂したのである。

 朝になって谷の下の様子を見た項羽は、安堵した様子を見せ、低い声で言うのだった。

「これで混乱の要素は、除去された」


 こうして約二十万人に及ぶ秦兵は、章邯と副将の司馬欣、董翳を除き、すべて坑(穴埋め)にされたのである。

 

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