乱世

 人々は些細な出来事にいちいち心を揺さぶられ、我先に、乗り遅れまいとして性急な行動を起こすものである。そしてそれはやがて決定的な破局に至り、世は乱れる。その多くはこれまで社会が積み上げてきたものを改善するのではなく、破壊しようとするばかりである。この大陸の歴史にたびたび発生した易姓革命とは、往々にしてそのようなものであった。

 韓信は当時のそのような時勢に流されることを恐れ、行動を自重していたが、時代そのものが彼にそれを許さなかった。


 一


 実用的な紙が発明されるのは後漢の代になってからで、この時代に筆は既に存在していたが、その筆で文字を記すのは紙にではなく木簡や絹織物などの類いだった。それでも書物などを作製することは可能だが、印刷技術なども発明されていないので、それが大量に世に出回るということは少ない。

 この時代の代表的な情報伝達の手段は、「伝聞」である。その多くは「噂」という形をとり、多くの人の耳に雑然と伝わる。そのため、正確性は疑わしいことが多い。


 紀元前二〇九年の初夏に庶民の間に広がった噂も、真実かどうか疑わしい。その内容は次のようである。


「ある夜、狐が妙な鳴き声をたてた。コンコンという鳴き声に混じって、『大楚興、陳勝王』と鳴いているのが確かに聞こえた」


「とある料理人が魚をさばこうとして腹を割ったところ、『陳勝王』と書かれた布切れが出てきた」


 いずれも大沢郷だいたくきょうという地で決起した陳勝にまつわる逸話である。


 その噂を聞いた韓信は、一笑に付した。どちらも子供じみた話で、あるいは実際にあった話かもしれないが、十中八九陳勝本人が広めた話であろう、と思ったのである。

 韓信ならずとも、そう思うのが自然であるように思われるが、情報に疎いこの時代の人々にとってはそうではない。噂は神秘性を帯び、神託となっていった。嘘のような、信じられないような話であるほど、伝わるのは早いのである。


「このたび兵を挙げた陳勝、呉広の二人の名は、世を忍ぶ仮りの名である。陳勝の正体は秦の太子扶蘇であり、呉広の正体は項燕将軍である」


 あろうことかそんな噂も広がったが、やはり韓信は信じなかった。仮に二人が生きていたとして、秦の太子と楚の宿将が手を組むはずがない。馬鹿馬鹿しい、とさえ思った。

 しかし、結果的に韓信のように考える者は少なかったようである。


「王侯将相いずくんぞ種あらんや(王族や侯爵、また将軍や大臣、どれも同じ人間であることに違いはない)」

 という陳勝自身の名言と、種々雑多な噂が効果的に絡まって広まり、陳勝は諸県を制圧してあっという間に王を称した。「張楚」の建国である。

 これが世に言う陳勝呉広の乱の始まりであった。


 あるいは馬鹿正直に噂を信じて、陳勝を神のように仰いで馳せ参じればよかったのかもしれない。それも時流に乗った生き方として、批判されるようなことではないだろう。

 しかし、韓信には、陳勝が王を称するのがあまりにも時期尚早にすぎるように感じた。権力欲しさに決起したに過ぎないように思われ、その行動に「義」を感じないのである。

 結果、韓信は座したまま時をすごす形となった。


 その間にも、情勢は激しく変動していく。即位宣言を快く思わなかった陳勝配下の張耳ちょうじ陳余ちんよという師弟関係にある二人は、体裁よく陳勝と袂を分かち、武臣ぶしんという男を王に擁立して趙を再興した。

 また、旧斉の王家の一族に当たる田儋でんたんは自立して斉王を称し、やはり旧魏の一族である魏咎ぎきゅうも国を再興し魏王を称した。

 また、淮陰より南東の会稽の地では、項燕の庶子である項梁が甥の項羽とともに挙兵し、勢力を広げつつあった。


 韓信はそのどれにも属することはなかった。彼特有の思考の深さが行動を妨げていたように見える。しかし、社会情勢の変化の速度が彼自身の予測をはるかに超え、ついていけなかった、というのが実情であるかもしれない。それは韓信自身にも自覚があり、そのため彼は自分自身の不甲斐なさが、気に入らなかった。


 気が付くと、時代は戦国の世に逆戻りしたかのようであった。蛮勇たちの覇権争いの時代がやって来たわけである。

 韓信はそれも気に入らなかった。

 彼にはこのとき並び立った群雄たちが、等しくならず者に見えたのである。


 二


 ひとり考え込む韓信のもとへ、久しぶりに鍾離眛が訪れたのはそのころだった。

 活動的な彼は、市中で集めた若者数十名をあとに引き連れていて、その姿はさながら将軍のようであった。

 快活に鍾離眛は言う。

「信……聞くところによると、いまだにふらふらした生活をしているそうだな。よかったら一緒に来ないか」


 韓信は眠そうな顔をして答えた。

「どこへ行くというのだ」


 鍾離眛は後ろを振り返りながら言う。

「あの連中を引き連れて、項梁どののもとへ参じようと思っている。みちみち仲間を増やして、向こうに着くころには一目置かれるような集団の頭でいたいのだ……。とはいっても実は心細くてな。君も一緒に来てくれるのなら少しはそんな気持ちも紛れるのではないか、と思ったのだ」


 韓信は驚いた様子もなく、ため息をつきながら言った。

「……ついに、兵になるのか」


 鍾離眛はそれに対して頷いたが、韓信が自分を見ていないのがわかった。きっと独り言を言っているのだろう。彼の頭の中には今、いろんな思いが錯綜しているに違いない。そう察した鍾離眛は、さらに誘いの言葉をかけた。

「……昔の母上の言いつけを気にしているのか。失礼な言い方だが、もう君の母上は、この世にいないのだから、いつまでも気にする必要はなかろう。前にも言ったが、将となるには兵から始めるしかないのだぞ。それとも商売でも始める気になったのか」


「いや、それはない」

「では、一緒に来てくれるか」

「…………」

 韓信は考え込み、ついに黙ってしまった。煮え切らない韓信の態度に飽きたのか、しばらくして鍾離眛は話題を変えた。


「近ごろ、栽荘先生にお会いになったか」

「いや、ここ数ヶ月は……お元気でいらっしゃるだろうか」


 鍾離眛は目を伏せ、

「行ってみることだ。……実のところ、あまりお元気だとは言えない。最近すっかりお弱りになられているようでな。君のことも気にかけておられた。ぜひ行って喜ばせてあげるべきだ」

 と言った。


 気になることではあった。そこで韓信はこれを決断を先に延ばす口実とした。

「では、行ってお顔を拝まなくては。しかし、君は今この場から項梁どののところへ向かうのだろう。ならば私は一緒には行けないな」


 鍾離眛は笑顔を見せて言った。

「気が向いたら、後から追ってきてくれてもいい。来てくれたら、厚く迎えることを約束する。……では、先生によろしく言っておいてくれ」


 鍾離眛は踵を返しかけたが、そのとき韓信が急に思い出したように言った。

「眛……。少し聞きたいのだが、項梁どのの目指すところは……楚の復興だろうか」


 鍾離眛は少し考えたが、毅然とした口調で答えたという。

「そうであろう。陳王(陳勝のこと)は張楚を建国して覇を唱えているが、楚の遺臣などではなく、王朝の正当性が薄い。項梁どのが突いてくるのはその辺だろう。いずれ陳王に代わって楚を復興し、天下に覇を唱える時が来るはずだ」


 これを聞いた韓信は残念そうな顔をして言った。

「では、天下は昔に帰る。それだけのことだな……。残念だが、私には根本的な社会問題の解決方法だとは思えない。眛、誘ってくれて感謝している。道中気をつけて行ってくれ。くれぐれも……無駄に死ぬな」


 二人は、たいした儀式もせずに別れの挨拶をすませた。淡々としたものだったが、若い二人にはこれで充分だったのである。

 韓信は栽荘先生のもとへ向かう道中で、鍾離眛とともに母を埋葬したことを思いだし、涙した。

 一方鍾離眛は、自分が旅立ったという意識が高まっていくと同時に、韓信と肩を並べて学んだ日々が無性に思い出され、涙が自分の引き連れている連中に見えないように、天を仰いだ。


 二人の人生は、この時点から別々のものとなった。


 三


 栽荘先生のもとを訪ねた韓信は、その変わりように唖然とせざるを得なかった。どちらかというとふくよかな老人だった先生のそのときの姿は、眼は深く落ちくぼみ、頬は痩け、顔色はどす黒く、正視に耐えないものだったのだ。


「先生は、ご病気なのですか」

 力なく、韓信は聞いた。横になっていた栽荘先生は、その声でようやく韓信が訪ねてきたことに気付いたようだった。


「信か。……なぜここにいる。眛とともに行かなかったのか」

「先生が心配で。お世話をする者はいらっしゃるのですか。もし誰もいないのでしたら、信がいたします」

 栽荘先生は弱々しく首を横に振った。必要ない、ということだろう。


「おまえなどの世話にはならん……。食事の世話は、してくれる者がいる……。おまえは、早く眛のあとを追うのだ」

「その方がいいとお考えですか」

「何もしないでいる今よりいいことは間違いない。それとも……眛と一緒に行くのが嫌なのか」


 韓信はきっぱりと答えた。

「嫌です」

「おまえと眛とは、それほど折り合いが悪い仲のようには思えなかったが……なにがそんなのに嫌なのか」

 栽荘先生は韓信の態度に疲れたのか、あるいは体調が悪くて根気よく相手をする気分になれなかったのか、詰問するような口調になった。


「眛は項梁どののもとへ向かう、と申しておりました。項梁どのは旧楚を復興する腹づもりで、眛はこれに賛同した、ということでしょう。ですが私は賛同できません。眛と同行しなかったのはこの一点によるもので、決して彼と仲違いしたとか、彼が嫌いだということではありません」

「……楚が復興するのは、嫌か。それはおまえの父や母が楚の国民として苦労したせいか。しかしおまえの父母が亡くなったのは秦の代になってからで、楚のせいだとは言えまい」


 韓信は首を横に振り、うつむきながら答えた。

「多くの人は秦の世になって暮らしにくくなった、と申しますが、私にはそう思えません。王侯の替わりに役人が国を治めるとはいっても、役人の多くは戦争で成り上がった軍功地主です。そのような者どもに政治の仕組みを変える能力があるはずもなく、なにも変わるはずがありません。秦の世は楚の世の流れを受け継いで、ただ変わったことと言えば、処罰が残虐になった、というくらいのことしかありません」


 栽荘先生は韓信をしげしげと見つめ、やがて言った。

「おまえの父が死んだのは秦のせいではなく、楚の時代から受け継いできた社会の仕組みのせいだと言いたいのか。美しく、しかし貧しかったおまえの母が死んだのは秦の世のせいではなく、楚の時代から受け継いできた人の心のせいだと言いたいのか。おそらく、それは正しい。……しかし、おまえのように座してなにかが変わるのを待ってばかりいても、何も変わらん。世の時流に乗って、行動を起こすのは大事なことだ。間違いは直していくことができるが、何も行動を起こさなくては、それもできないのだ」


 韓信は頷き、しかし考えながら言った。

「それは、その通りです。しかし、今は先生を残していくわけにはいきません。できることなら、今際いまわきわのお言葉を頂戴してからにしたいと思っております」


 栽荘先生はそれを聞いて苦笑いしたようである。

「本人を前に、ぬけぬけという奴だ。おまえはわしに早く死ねとでも言いたいのか……。しかし、事実だな。わしはもう長くない。あと四、五日も持てばいいところだろうて。臨終の言葉を聞きたいというのは正しい判断だ。おまえの聞きたいことを話してやろう。なにが聞きたい」


「……先生は、いったい何者なのですか」

 韓信の物言いは常に端的すぎて、誤解を生じやすく、このときもそうであった。よって傍目には韓信の言い方は失礼に過ぎるように思えるが、栽荘先生は韓信の性格をよく知っていたので、今さら咎めたりはしない。


「……教えよう。栽荘という名は世を忍ぶためのもので、わしの本当の名は鞠武きくぶという。えんの宮廷に仕えること長く、最後は太子の丹さまの守り役をつとめた」


 韓信は驚いた。

「燕の太子丹と言えば……始皇帝を」

「暗殺しようとしたお方だ。それがきっかけで燕は滅亡した」

 韓信は席を立つと、そそくさと先生のために湯を用意した。飲んで詳しく聞かせてほしい、というつもりだろう。


「もともと丹さまは隣国の趙に人質として出されていたが、そのとき趙は秦の人質も確保していた。これが嬴政で、のちの始皇帝だ。二人は同じ境遇であることから仲が良かったが、嬴政が即位して秦に戻ることになり、丹さまは今度は秦の人質となった。この時から二人の関係が悪化していったようだ。原因は一方的に秦王の嬴政にある。上の立場に立った嬴政はそれまでの態度を豹変させ、丹さまにそれはそれはつらく当たったそうだ。我慢できずに燕に逃げ帰ってきた丹さまは激しく復讐心に燃えておられ、わしはなだめるのに苦労したものだ」

「太子は言うことを聞かなかったでしょうな」

「まさしく。太子は聡明ではあるが、現実を直視しない傾向があるお方でな……燕が諸侯国の中では最弱の国で、秦に敵うはずがないことを頭ではわかっていても自尊心を優先させたがった」

「自国の命運よりも個人の見栄と誇りを大事にした、ということでしょう。わかるような気がします」


 栽荘先生は、得心が言ったように頷いた。

「お前と丹さまは、よく似ていると思っていたが、やはりそう思うか。ふむ……考えていた通りだ」


 韓信は憮然として答えた。

「私には、たいそうな見栄や誇りなどはございません」


 栽荘先生はこれを聞いておかしそうに笑ったが、笑い声にも以前のような元気さはない。

「そうかもしれんが、いずれお前にもそういうものが生まれてくる。それはともかく、お前と丹さまが似ているのはその不器用な性格だて」


 韓信は馬鹿にされているような気がして、おもしろくなかった。

「もうその話はいいでしょう! 先を進めてください」

「うむ。……ちょうどそのころ秦を追われた亡命者が燕に訪れていてな。樊於期はんおきという将軍だ。太子はこの男を匿うことで持ち前の義侠心を発揮しようとなさった」

「追われた男を匿うとは、秦からにらまれることになったでしょう」

「その通りだ。わしは反対し、樊於期などは匈奴の地へでも送り、今のうちに諸国と合従がっしょう(秦に対抗するべく諸国間同士で同盟関係を結ぶ、という戦国時代の策)しろと主張した。しかし太子は受け入れようとせぬ。窮地に陥り、自分のもとへ身を寄せた者を見捨てるわけにはいかぬ、合従など時間がかかりすぎる、そんなことは自分の死んだ後でやってくれ、と」

「話を聞くと、太子は想像以上に気概のあるお方ですね」


 栽荘先生は、嘆息した。

「ひとりの青年としては、何と言えばいいのだろう……そう、いい男だ。しかし、国の命運の問題だからな。正しいことばかりが通用するとは限らぬ。それなりに狡猾さや駆け引きも必要なのだ。ところが太子にはそれがなかった。太子は燕など滅んでも構わない、と思っていたのかもしれんな。とにかくわしが説得しても埒があかないので、巷で名士との誉れが高い田光でんこうという老人を紹介した。彼に相談しろと。……ところが、これが失敗だった」


「太子が言うことを聞かなかった、ということですか?」

「その逆だ。田光は太子の話を聞き、すっかり感じ入ってしまったのだ。もっと分別のある奴だと思っていたのだが……。田光は刺客を送ることを提案し、その実行役として太子に荊軻けいかという男を推した。そして田光は国家の秘事を明かさぬ証として、自分の首を斬って死んだのだ」

「烈士、ですね! 私の母親はそういうのを嫌っていました」

「わしだって嫌いだ。あんな形で死なれてしまっては、刺客を送らないことは義に背く。議論の余地をなくす、ずるいやり方だ……。こうなってはもはやわしの出る幕などはなく、荊軻を刺客として咸陽に送り込み、秦王を殺すという方向に、燕の国策は定まった。そこでどうやって荊軻を咸陽に潜り込ませるかだが……皮肉なことに、亡命者の樊於期を捕らえて殺し、その首を献上する形をとるのが最上だとされたのだ。太子の義侠心より国策が優先される結果となったわけだな」

「結局、樊於期は殺されたのですか」

「秦に復讐できると聞いて喜んで死んだ、という話だ。真実かどうか疑問だが。真実ならば樊も烈士の類いだな……。かくて荊軻は樊の首を持って始皇帝の前に立ったのだが、匕首あいくちひとつで殺せるほど剣技に長けているわけでもない。結果は案の定、失敗だった」

「秦王の怒りは、よほどのものだったでしょうな」

「然り。……それからわずか十ヶ月でけい(燕の首都。現在の北京市)は陥落して、我々は東へ逃れたが、そこで太子の首を献上すれば国は助かると献案する者がいたので、燕王は太子を斬ってしまわれた。わしはこれにも反対したのだ。無駄に命を奪うことをせず、生き延びることだけを考えましょう、とな……。しかし結局太子の首を届けても秦は許さず、進軍を止めることはなかった。わしは太子が斬られた時点で国を離れ、逃亡した。……そしてたどり着いたのが、ここだ」


 韓信は、疲れを感じた。長い話だったこともあるが、自分がもし太子丹の立場であったら、と思うとまったくどうするべきかわからなかった、ということもある。


「先生は……この地に潜伏し、秦に復讐しようとでも思っていたのですか」

 栽荘先生は、気恥ずかしそうに答えた。その口調には、やはり悔恨の情が含まれていた。

「いや、それはない……。国が滅亡する羽目になって、正直わしは疲れた。この地で静かに、人知れず余生を過ごそうと思ったまでだ。しかし……秦への恨みがないわけではないし、太子の思いも成就させてやりたい。だがわしはこの通り老齢で、おまけに死に瀕している。だから、わしや太子の思いは、お前に託すことにした」


 韓信はびっくりした。びっくりして言葉もうまく出ない。

「そんな……眛がやってくれるでしょう。私はとても……」

「自信がない、とでも言うのか。大丈夫だ、お前は物事を客観的に見れるし、その意味では太子のように感情に流されることもないだろう。さしあたっては、眛の後を追って、項梁のもとへ行け。おそらくあの軍が現状ではいちばんまともだ」


 韓信は気が進まなかった。項梁など、もと貴族ではないか。貴族のために戦ってやる義理は、自分にはない。そう思えた。

 しかし、死に瀕している先生にそのようなことは言えず、二、三日の間逡巡しているうちに、栽荘先生は息を引き取ってしまった。


 先生の遺体を埋葬するときに、見知らぬ者たちが何人かいたのを韓信は認めたが、その者たちが燕の遺臣であろうことは想像に難くなかった。


 四


 陳勝麾下の将軍鄧宗とうそうは九江郡(寿春を郡都とする旧楚の中心地)の制圧を命じられ、その軍が淮陰の城壁まで迫りつつあった。

 ついに淮陰も戦渦の影響を受け始め、韓信も気が気ではない。肉親をなくし、友人には旅立たれ、師にも逝かれた韓信は、もはやこの地に未練もないと思っていたが、実際に故郷が蹂躙されるというのは我慢ならないことだと気付いた。

 そこで韓信は、県の庁舎に赴き、守備兵の仲間に入れてもらおうとした。が、そこにいた若い門番は彼に向かって素っ気ない口調で言うのだった。

「県令なら、いないよ」


 韓信は聞いた。

「いつ、戻ってくるのだ」

 その若い門番は、あきれたように答えた。

「戻ってきやしないよ。ここの偉い連中は、みな荷物をまとめて逃げ出したんだ。彼らは中央から派遣された連中だから、咸陽にでも帰ったんだろう。残ったのは帰るところなんてない地元の連中だけだ」


 韓信は驚愕を受けながらも、なおも門番に問いただす。

「守備兵はどうしたんだ」

「とっくに解散して、それぞれ故郷に帰ったよ。県令が逃げたのだから、それも仕方がない」


 秦の統治下では一生で最低でも一年は自分の属する郡の衛士とならなければならない。これが、いわゆる守備兵である。しかし郡の中のどの県に所属されるかは定められていないので、この場合は、守備兵の中に淮陰出身者がいなかった、ということだろう。


「では、お前はそうやって門の前に突っ立って、なにを守っているのだ」

「なにって……県令や守備兵が逃げ出したなんて知れたら、敵の思うつぼだろ。いつもと変わらない風を装って、こうしているんじゃないか」

「馬鹿だな、お前は。敵が来るまでそうしている気か。父老には相談したのか」

 父老とはいわゆる長老のことで、邑のまとめ役のことである。


「まさか。年寄りに相談したところで、降伏しろと言うだけだろう? 鄧宗の軍は略奪の度が過ぎると評判だから、俺たちはできることなら対抗したいんだ。でも残っているのは役所の下働きの者ばかりで、指揮を執れる者がいない」

「……中に入れろ」


 門を開けさせ、押し入るように中に入った韓信の目に映ったのは、かっこうだけは甲冑などをつけて整えている頼りない集団だった。

「武具を身に付けているということは、戦う気があるということなのだな?」


 中にいたのは、もともと県令の馬の世話や、食事の用意などをしていた連中である。彼らは自分たちが鎧を身に付けている意味を知らず、韓信の言葉に震え上がった。

 韓信はあきれた。

「武器は残っているか」


 彼らが案内した武器庫の中には、盾が約三十、矢が一千本余り、長戟ちょうげきが百本以上備えられていた。

 長戟とは、槍の先端に鉾を備え、敵を遠距離から突き刺すのに都合良くできた兵器である。なおかつ枝のように刃が側面にも装備され、振り回して敵を引っ掛けるように斬ることもできた。

 それらの装備のほか、武器庫の奥には大きな投石機が五台、鎮座するように置かれていた。

 本来は攻城兵器であるが、使えないことはない。てこの原理を利用し、一端に石、もう一端には紐が付けられており、複数の人間が紐を引くことで石が発射される仕組みである。

 淮陰一帯はかつて国境が入り組んだ地域だったことで、このような兵器が常備されていたのだった。


「充分ではないか」

 これだけのものがあれば、県城に押し寄せる敵を殲滅するのはなんとか可能である。

 あとは、やり方次第だ……韓信の頭の中が、鬱屈した若者のそれから策士のそれへと変貌しつつあった。


「弓を使える者はいるか」

 幸いなことに二十名ほどの者が、なんとか弓を使えそうだった。韓信は彼らを急造の弓兵とした。


 指導者はいなかったが、兵数は百余り、それぞれが剣と弓を携え、予備兵器も充分にある。韓信は自信を感じた。その自信が態度となって現れ、自然に兵たちの指導者的立場になっていく。

 彼は一計をめぐらせた。



 やがて淮陰城に迫った鄧宗配下の指揮官である雍昌ようしょうの耳に、妙な噂が入り始めた。


「県令はすでに殺され、城内は韓信という男を頭目とする自立勢力によって占拠されている」

「城内では韓信の命による略奪行為が横行し、住民はみな飢え、子を交換して食っている有り様である」

「そのため住民は陳勝麾下の軍が鎮撫にくるのを心待ちにしている」

「住民たちはついに決起し、自立勢力の親玉の韓信を捕縛することに成功した」

「住民たちは城門を開放し、張楚軍を歓迎する構えを見せている」


 次々に耳に入ってくる噂の展開が真に迫ったものなので、雍昌はこれを疑わなかった。しかし、これこそが韓信自身が発した流言だったのである。


 あらゆる方角から囲まれ、城壁をよじ登られて侵入を許したら、なす術がなかった。韓信は流言を撒いて相手を油断させた上で、あえて城門を開放し、敵の侵入経路を限定することに成功した。城壁には東西南北それぞれに城門が備えられているが、このとき韓信は北門だけを開放し、城内に伏兵を忍ばせておいた。

 噂を疑わなかった雍昌は、狭い城門を通過するために隊列を細長くしたまま、ゆるゆるとだらしなく進軍していく。


 これを見た韓信は、

 ――二百名ほどの小部隊だ。やれる。

 と確信した。


 韓信は音を立てず、弓を構えた。先頭の騎馬兵を狙い、物陰から矢を放つ。

 矢は目標に到達し、その騎馬兵の胸に突き立った。

 それを合図に無数の石つぶてが雍昌軍の頭上に降り注いだ。敵軍から見えない位置に注意深く設置された投石機から発せられたものである。たかが石つぶてといっても大きさは大人の頭ほどで、当たりどころが悪ければ、即死だった。


「敵襲だ! 退却せよ」

 逆戻りして門から城外へ脱出しようとした雍昌軍だったが、城門にはすでに二十名の弓兵たちが陣を構えていた。雨あられのように弓矢が浴びせられ、雍昌は一瞬で兵の三分の一を失った。


 その次の瞬間には両横から長戟を持った兵が突如として現れ、長く伸びた隊列の側面を衝いた。これにより雍昌の軍は前後に分断され、それぞれ戟で貫かれていく。


 馬に鞭を入れて、ひとり脱出しようとはかった雍昌に石が投ぜられた。石は馬の頭部に当たり、雍昌は馬ごと転倒して全身を強く打つ重傷を負った。一方、馬は即死した。

 非情なようだが、とどめを刺さなければならない。逃がして鄧宗の本隊にでも駆け込まれては、事態は面倒なことになってしまう。韓信は意を決して、雍昌の命を絶った。



 とどめを刺すにあたって、韓信は腰の剣を使おうかと思ったが、結局弓矢を使った。

 剣は彼にとって大事なものではあったが、手入れを怠っていたので、切れ味に確信がなかったのである。


 五


 韓信は急造の兵士たちから淮陰に留まるよう要請された。彼らにしてみれば、敵を撃退したのはいいものの、それが次の敵を呼び込むもとになるようで不安だったのである。

 しかし韓信はそれを断り、その足で母親が眠る丘の上の小さな墓に立ち寄り、最後の別れを告げた。


「……行くあてが決まっているわけではありません。ただし、行く以上はこの戦乱の世にけりをつける男になりたい。そう思っています……。戦場に立つことは母上の本意とは違いましょうが、お許しください」


 韓信が雍昌の軍を破った行為は、さほど必要性がなかったという意見も多くあり、彼があと先の考えもなく敵軍を殲滅し、見捨てるように淮陰をあとにしたのは無責任に過ぎた、という声を、私は生前に聞いたことがある。

 しかし実際に韓信が淮陰の地に残ったとしても、いつまでも守り通すことはできなかったのではなかろうか。


 このときの韓信の心情を表した言葉が、一部の者の記憶にとどめられている。その言葉から、彼は自らの持つ軍事の才能を初めて世に示しながら、そのことに対して不快感を覚えていたことがわかる。

「私は、武器の取り扱いなどにかけては多少自信を持っているが、他人に真心を理解させることは、もともと得意ではない。このたびの戦闘であらためて自覚を深めたが、むしろ私は、人を騙すことの方が得意らしい。徳があるとは言えず、あまり政治には向かない」

 彼は実のところ、敵を撃退するのではなく交渉で解決したいと思っていたのであった。しかし、時代の流れがそれを許さなかったのである。

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