第14話 不可能

 「さあ、食べて、食べて!」


 元気なハンナの声が響く。

 リビングのテーブルに置かれたフレンチトーストにクロワッサンは香ばしい匂いを漂わせ、そこにビスケットとココアもある。なかなか朝から食欲がそそられる。

 しかし、元気だなと、ふあーとあくびをしながらヴェルトは考える。

 昨日はヴェルトとミリアだって日が変わっても働いていた。しかし先に寝て、とハンナが言ってくれたのでお言葉に甘えさせてもらって二人は先に床に就いたが、この人はそれよりも働いて寝るのが遅かった筈なのだ。

 といっても勿論、ミリアは一緒だがヴェルトは女性二人とは別の部屋なので正確な時間は分からないが、それでも多分俺達より大分遅い。なのに、微塵もそれを感じさせない、どころか下手しなくても自分達より元気なハンナが単純に凄いとヴェルトは思った。それに毎日、自分達の食事を作ってくれることも。


「毎日遅くまで働いて大丈夫なんですか、ハンナさん?」


「大丈夫、大丈夫。もう何年やってると思ってるの。手慣れたもんよ」


「……何年やってるんですか?」


「十年近くよ」


 やはりいつも通り寝起き一時間以内は眠いのかボーとしているミリアの問いに、右手の人差し指だけ突き出して答えるハンナ。

 いや、それだと一年にしか見えないけど、と内心でヴェルトは指摘する。


「へえ、それはまた続いてますね」


「まあね。意外と人気なのよ、うちの店」


 ふふん、凄いでしょっと言わんばかりに、得意げな顔をハンナが見せる。

 確かに結構盛況しているというのは、二人は見るだけでなく実感しているから、その言葉には真実味がある。

 酒が美味いとか、飯が美味いとか理由は色々あるのだろうが、一番の理由はハンナの一緒にいる人を楽しませるその明るい雰囲気だろうとヴェルトは推測する。


「それより、さあ、さっさと食べて、食べて」


「あっ、はい。じゃあ、貰いますね」


 ハンナに促され、ヴェルトもミリアもパンを口に加えた。

 あー、美味いと自然と口から言葉が漏れる。シンプルだが、これがやっぱり朝には良いのだ。


「……今日もおいしいですね、ハンナさん」


「おいしいだなんて、そんな。なに、当たり前なこと言ってるのよ」


 ミリアの純粋な褒めに対して、明らかに鼻を伸ばしている。

 勿論ミリアに他意は無かったのだが、なんというか、単純な人だな、とヴェルトは思わず破顔する。


「でもそういえば、ハンナさん。俺達こんな毎日ご飯をお世話になって、だけどお金も入れてないけど大丈夫なんでしょうか。あの、主に経済面で」


 自分で言うのもあれだが、年頃の男女二人に朝夜と食事を出していたら大分費用がかさむのではないか。それを考えると、ヴェルトは申し訳なく思っていた。

 本音を聞くことが怖かったというのもあって聞くのを避けていたが、流石に確認しておかないとと決心し、今聞いた。


「ああ、気にしなくて良いわよ。大丈夫、大丈夫。子供二人を一時的に養うぐらいの収入はちゃんとあるから。それにね、確かに元からこの店はある程度は来てたんだけど、あんた達が来てから客も更に増えてね。プラマイゼロどころかプラスよ、プラス」


 そんなヴェルトの気持ちを汲み取ったのか、全くそんなことはないというはっきりとした否定の様子で、ハンナは軽くあしらうように言う。

 ヴェルトも内心で、安堵の息を吐く。

 

「特にミリアちゃんなんて、あなた目当てで来るお客さんもいるぐらいだし、既にもう結構有名になってるのよ」


「……そうなんですか」


 全く興味ないといった感じで淡々と答えるミリア。

 しかしヴェルトはそのハンナの言葉とミリアの態度に納得がいかない。


「……結局ミリアですか。俺は関係ないんですね」


「あら、ちょっとヴェルト君、拗ねないでよ。大丈夫、あなたも女性に結構可愛いって言われてるから」


「別に拗ねてないですし、へー、そうなんですかって感じですよ」


 むすーっとした様子で喋るヴェルト。

 しかし、本心は若干安心と喜びの気持ちが湧き上がっていた。ただそれを認めるのも不本意なので、あえて強気な態度を取っている。


「……ヴェルト、あなたは裏方に回ってくれて良い。接客は全部私がやる」


「急に何言ってるんだ、お前。お前一人じゃあの人数無理だろ」


「でも……」


「でもじゃねえ」


 こいつは急に何だと、ヴェルトは訝しげな目でミリアを見つめるが、それ以外にハンナがニタニタとこっちを見ているのが気になった。


「何ですか?」


「別にー」


 別にというなら、そんなあからさまなニタニタ顔で見るなよっとヴェルトは心中で反抗する。

 そして、次第にニタニタからクスクスに変わり、最終的にはくっくっくっとハンナは笑ったあと、一回咳払いを入れた。


「でも私は良いんだけどさ、あんた達の親は心配しないの? いくら長旅って言ったって、流石に遅くなったら親は不安になると思うけど。電話とかするの?」


「電話は繋がらないですよ。それに、心配はするかもしれないけど、でも事情があって目的を達成するまで帰らないんです。絶対」


 そう。目的を達成しなきゃ、託されたことも、ここに来たことも全てを無駄にしてしまう。

 形は変わったとしても、早くあの場所に戻る為にも。早めに見つけなければいけないのだ。しかし未だ手掛かりすら掴めていない。なかなか困難な状況に変わりはない。


「ふーん。――じゃあ、さっさと食べて、エネルギー補給して、早く見つけないとね」


「はい!」


 ガツガツと夢中になって皿の上のパンにかじりついていく。それをココアで流し、早めに料理を消費していく。

 すると数分後には、全て平らげ、ココアも飲み干して、ぷはーっと大きく息を吐いた。


「よし、食べ終わった! おいしかったです、ハンナさん」


「はい、ありがとう」


「さてどうだ、ミリア。お前も食べ終わったか――って、おい、マジかよ、お前!」


 向こうのミリアと自分の間に挟まれているテーブルの上をヴェルトが見ると、出てきた時の姿から二口程度しかへこんでいないパンが置いてあった。

 ビスケットココアも少し減っているぐらい。そして現時点でもミリアは、ちびちびと遅いテンポでパンにかじりついている。


「どうしたの、ミリアちゃん。もしかして本当はおいしくなかった?」


「そんな訳ないです! おいしいです。……けど、食欲が湧かないんです。……すいません」


 心配げに聞いたハンナに、申し訳なさそうな態度を見せるミリア。

 別にミリアは昨日、一昨日と食べれなかったという訳ではない。っとなると、今日急にというのは、精神的にしろ肉体的にしろ、単純に今までの疲れが蓄積した所為か、あるいは今親の話をした所為でホームシック気味になってしまっているか。


「大丈夫か、ミリア?」


「よく見ると若干頬が紅潮しているようにも……。もしかして、風邪引いたんじゃないの」


「いえ、そんなことはないです。……すいません、大丈夫です。今はお腹が空いてないだけなので」


「本当に大丈夫かよ?」


 若干鋭い目付きで見つめてしまう。

 今、ハンナが言った頬が紅潮しているという言葉。言われてみると、確かにとヴェルトも納得してしまった。

 もしや、っと一瞬勘ぐった。


「うん、大丈夫」


「ちょっと動くなよ」


 そういうと立ち上がってミリアの元に行き、手で額を触るヴェルト。


「えっ……!」


 ミリアは動揺した声を上げるが、ヴェルトは気にせずに続ける。

 別段熱くはない。っということは、風邪を引いている可能性は低い。

 しかし、ヴェルトはあることに気付いた。


「ミリア、お前、顔がさっきより赤くなってね?」


「ちっ、違う! これは関係ない! というか、気のせい!」


「気のせい……? そうか。まあ、良いや」


 とりあえず熱はない。っということは、やっぱり、単純に疲れで食欲が無いだけか……。

 それにこの時代の病気に罹ったとしても、未来程の進行スピードはない筈だ。急になんていうことが無い以上、感染している可能性は低いだろう。

 そして、ハンナがさっき以上にニヤニヤしているのが異常にヴェルトは気になった。


「ハンナさん、本当にさっきからその顔は何ですか?」


「いや、別に」


 っと言いつつ、まだ嫌らしい笑みを浮かべている。


「でもとりあえず、今日は俺一人で探してくるよ。お前は休んどけ」


「……私も行く。本当に大丈夫。ヴェルト一人じゃ心配だから」


「いや、だから何でお前に心配されなきゃなんないんだよ! あー、もう好きにしろ!」


 いつも通りのやり取りをしている二人を、遂に腹を抱えて笑いながら見ているハンナにしかめっ面を向けるヴェルト。

 しばらく笑い続けてから、疲れたようにあーあと声を出したハンナは、流石にヴェルトに詫びを入れてから、皿を下げ始める。


「あっ、すいません。今日は俺洗います」


「良いの! ありがとう」


 昨日はハンナが洗ってくれた為、今日は流石に自分でやるとヴェルトは主張する。


「私も」


「流石に今は休んどけ。二時間後出発するから、それまで寝とけよ」


「でも……」


「気にするなよ」


「……分かった。ありがとう、ヴェルト」


 さてっとヴェルトは袖を捲ってから、水に触れて壊れると不味い為、タイムリングを外してズボンのポケットに入れた。

 それを見たハンナがそういえば、と嬉しそうな声を上げる。


「その黒い時計、二人お揃いよね」


「ああ、これですか。まあ、はい。お揃いというかなんというか……」


「どっちが買ったの?」


 どっちが買ったかと聞かれれば、どっちも買っていないと答えることになる。しかしじゃあどうしたと聞かれたら、何と答えるか。ヴェルトは悩む。


「お父さんがここに来る前に……」


「ふーん、ミリアちゃんのお父さんが二人にね……」


 答えに窮するヴェルトより先にミリアが答えるとハンナは、さぞ楽しい物を見つけたみたいな目をし出した。

 ヴェルトは、その目が異様に気になる。


「何ですか、その目は」


「ますます怪しいな。そんなのただならぬ仲の訳ないじゃん」


「ただならぬ仲って……。別に。ちょっと深い事情があるだけなんです」


「ふーん……」


 言葉はともかく、その目からは信用の意志がまるで感じられない。相変わらず楽しそうに、二人を見つめている。

 それに対して何て反論しようかとヴェルトが考えていた時だった。


「ヴェルト!」


 声を上げたのはミリアだった。焦った表情でこちらを見つめている。

 そちらに向いたハンナの声は、何事かと純粋な疑問の色が見て取れた。

 そして顔を不安げな表情に変えて、ミリアが言った。


「どうしよう……」


 本当に珍しく相当困惑した様子をしたミリアがそこにはいた。

 ただならぬ事態を察したヴェルトも、つい焦った心情そのままに声を出した。


「どうしたんだよ、一体!」


「――私達、このままじゃ帰れない」


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