第13話 邂逅
「おーい、お前ら! 近くの家にいるおじいさんにリンゴ、貰ってきたぜ!」
聞き覚えのある声が視線の先から聞こえてくる。
今いる商店同士の間の路地に入ってきたヴェルトが声を上げながら、奥にいる私達の元に駆け寄ってきた。
今日は誰も食料を手に入れることが出来ていなかったから、とてもありがたい。
「良かった……流石、ヴェルト」
「よっしゃー、助かった! ……って、えーっ、二個だけかよ」
「僕たち四人なのに、半分しかないじゃん」
「しゃーねえだろ。文句あんなら食わなくて良いんだぜ。よっしゃ、俺達二人で食べようぜ、ミリア!」
「えっ、うん。……二人で……」
二人でって言うのはその、私が特別ということで、その……。
「冗談だよ、冗談。悪かったよ、ヴェルト。だから俺達にもくれ。っていうか、ミリアはなんで顔赤くなってるんだ?」
「なっ、何でもない……」
私とヴェルト、そしてこの街でヴェルトの紹介で出会ったカールとパウローの四人で、私達は至る所から食料をかき集めて生きてきた。
二人もヴェルトと私と同じく両親を病気でなくし、帰るべき場所も生きる術も失っていた所を、ヴェルトに誘われる形で集まったらしい。
私がこの街に来てから半年ほど経つが、未だにこの世界から病気が消えることはない。
それもそうなのかもしれない。私が生まれた時には既にあった病気だ。十何年も世界を蹂躙し続けているウイルスがそんな半年ぐらいで消えることがないのは当然だろう。
それでもそう遠くない未来、きっとこの地獄は終わりを迎えることになると確信している。それをやってくれるのは……。
「んっ? 何見てるんだ、ミリア?」
「うんうん、何でもない」
ヴェルトに問われ、首を横に振りながら答える。
そんな風に、真っ直ぐに見つめられながら聞かれると少し恥ずかしい。
「もしかして、ヴェルトの不細工な顔に改めて驚いたのか」
「なんだと、カール! 誰が不細工だ!」
「そうだよ! ヴェルトは不細工じゃない」
「あっ、ああ、ごめん……。ってまさかお前まで怒るとは。冗談だから大丈夫だよ、ミリア」
全く、ヴェルトが不細工なんてなんてとんでもないことを……。
寧ろ、ヴェルトよりかっこいい人なんてこの世にいるのかすら疑わしい程なのに。
それからも私達は、たった一個ずつ配られたリンゴを口にしながら、さっき見掛けた変なおじさんの話や、落ちていた新聞に書かれていたニュースの話など、様々な話を、時には冗談も交えながら話し合った。
いつもと同じ食事風景。この時間がとても心が安らいだ。皆と笑い合いながら食べたリンゴは、見た目も味も大して代わり映えのない、どこにでもあるようなものなのに、昔食べた高級ステーキよりおいしく感じられた。
もしかしたら、いや多分、他の人に聞いたらそんな生活嫌だと言うのかもしれない。
住んでいる街は荒み暗い雰囲気が漂い、まともに食料も食べられず、電気も通らないようなヴェルトの家に住むような生活をしている。不自由ばかりの生活だ。
それでも、少なくとも私は今の生活を楽しめている。いくら環境が悪くても、ヴェルトがいて、仲間達がいる。彼らと過ごしている時はそこが地獄であることを忘れられた。
――本当に楽しかった。
「凄いぜ、皆! ちょっと来てくれ!」
ある日、外から家に戻ってきたパウローが声を上げながら、入ってきた。
皆が素早くその周りに集まる。
「なんだ、なんだ?」
「もしかして、肉でも拾ってきたのか!」
「いや、違う」
多大の期待を込めたと分かる口調で言ったヴェルトとカールだが、否定され若干の落胆の色と、更なる疑問の表情が見て取れた。
「じゃあ、何だよ?」
「これだよ、これ!」
ヴェルトの問いにそう答えながら、ふふんと自慢げにパウローがある物を短パンのポケットから取り出した。それはどうやら折りたたまれた紙で、広げると一枚の新聞紙になった。
「それ、どうしたの?」
「さっき拾った。で、それよりここの記事見てみろよ」
パウローが指差した先をを三人で覗き込む。
大きく取られたスペースの中に黒々とした大きい文字が並んでいるその記事には、世界の各地で街一個分を覆い隠す程の白い屋根とも呼べるような巨大が膜が設置され始めていること。その膜には、今のありったけの化学技術を注ぎ込み、現時点でのウイルスの侵入を防ぐ効果があるということが書かれていた。
その文字の隣に、ショベルカーを使った工事現場が写し出された写真も載っている。
「今までただ人間はウイルスにやられることしか出来なかったのに、遂にウイルスと戦えるようになったんだ! これは人類の偉大なる前進だ。もうやられっぱなしじゃない。人がウイルスに抵抗出来る時が来てるんだよ!」
希望が仲間の顔を照らす。だれもが求める未来がぐっと近付くかもしれない。そのことにパウローは欣喜【きんき】している。
そしてそのパウローの宣言に真っ先に答えたのはヴェルトだった。
「やっ、やったー! 遂に、遂に俺たちばっかりやられていた時間が終わるんだな!」
両手を挙げ体全体で表現した喜びは、彼の顔にも表れていた。
欲しいおもちゃがある子供がクリスマスの朝に起きるとベッドの前に包装された箱が置いてあったのを確認した時のように、期待と歓喜に満ちた表情をしている。声も上調子だ。
そんな嬉々とするヴェルトを見ると、私も嬉しくなった。
「……これで、この街も変わるかもしれない! 皆が安全に暮らせるかもしれないんだ。そしたらきっと壊れかけたこの街も、明るくなるかもしれないんだね!」
自分でも珍しく興奮気味の声になっているのに気付いた。
ヴェルトの様子を見て嬉しくなったのは間違いないけど、それだけじゃない。ヴェルトが望み私も夢見るようになった世界が近付いたのがとても嬉しい。誰も死なない世界は近付いてるんだ。
誰かの為じゃない。私自身が、そのことに心の底から喜べている、そしてそのこと自体も嬉しかった。
「うん、そうだよ。いや、この街だけじゃない! 国が、うんうん、世界も変わる! 僕たちが親を失った時のような悲しみを感じる人はどんどん減っていくんだ!」
カールも抑えきれない喜びを乗せて、声を上げる。
変わる! 世界が変わり始める……!
勿論ヴェルトがこの世界を変えるという確信は変わっていない。でもヴェルトが完全にウイルスを消すまでのつなぎとして、死んでいく人が減る。それはとても良いことだ。
自分の味わった悲しみをもう誰にも味わわせたくない。
「そうだ。でもまだだ。それだけじゃない。その次は俺たちの番だ! 守るだけじゃなくて、奴らを葬り去ってやるんだ!」
ヴェルトが手を突き上げ強い意志を込めて発する。
そう、それがヴェルト、あなたの出番。それを隣で私が支える。
パウローもカールも、そして私も。皆が上に手を上げる。
遂に来た。いよいよだ。人類の反撃の時。ここから勝利に向かっていくのは私達だ。お前達の好きにはもうさせない。
そう強く心で叫んだ。
その時は本気で思った。
それから半年経った時だった。
――カールが倒れた。
「カール、大丈夫か!? おい、死ぬな!」
パウローが叫んでいる。高熱を出し、急に倒れてから一週間が経過していた。今日になって鼻や口から血を吐き出している。そのカールを抱きかかえ、必死に声を掛け続けるパウローのその声は嗄れていた。
状況は何も変わっていなかった。
ウイルス防御フィルターなんて大層な名前をした盾の取り付けは半年経った今でも全くと言っていい程進行が進んでいない。
それどころか、感染者数や感染予想地域など無視して、先に手が付けられたのはほとんどが金にものを言わせた国ばかり。しかもそれらの国が、他の貧困な国に協力をする意志など何も見受けられなかった。
だから……時間を重ねても死んでいく者の数にさしたる変化は得られなかった。
そして次の日、カールもその内の一人になった。夜寝てからカールが目覚めることはなかった。
パウローは泣いていた。カールを抱きかかえながら、泣いて、ひたすら泣いて、むせて、それでも涙を流し続けた。
危険だと、分かっていても言えなかった。遺体から感染する可能性は低くはない。それでも無理矢理にでも引き剥がそうと、そんな意志は起こらなかった。パウローがしなきゃ、私達だってやっていたかもしれないから。色々な負の感情で心が潰されそうになっていたから。
しばらく経って涙も嗄れた頃、私達の方にパウローは振り返った。振り返ったパウローは一瞬驚いたような表情を見せた。
多分、私達が涙を流していなかったから。仲間の死に何で涙を流さない、悲しくないのかと目で訴えているように感じた。
そしてキッと睨んで、乱暴に言葉を発した。
「おい、何だよ、これ……。何も変わってねえじゃねえか。半年経っても何も変わってねえじゃねえか! 何で始まりの街とまで呼ばれているこの街が放置されてるんだよ。何でまだ感染者の出ていないような国から手が付けられてるんだよ……! ……減るんじゃなかったのかよ! こうやって、大切な仲間の死を見送るような人はいなくなるんじゃなかったのかよ!」
私達というより、その言葉は誰とも言えぬ世界に叫んでいるように聞こえた。
「何が反撃だ……。やられっぱなしじゃねえか……。人間の些細な展開なんてあざ笑うかのように、ウイルスが人間を殺していってる。ただそれだけじゃねえか……。人間はウイルスには敵わない。ウイルスを消し去るなんて所詮無理なんだよ……」
「……そんなことは無い」
隣のヴェルトの方から、ボソッとか細い声が聞こえた。
「そんなこと無えよ!」
でも、次ははっきり、自分の意志を主張した声が聞こえた。
それを聞き、パウローは怒りを吐き出すように言葉を出した。
「なら、どうやって勝つんだよ! 無理に決まってるだろ、そんなの! お前は物事を正常に見ることも出来ないのか! そりゃ、そうだよな! お前は! 仲間の死に涙も流さないような、冷酷なやつだからな!」
その後も、なんで、なんでと叫び続けるが、言葉は途中で止まった。
パウローは歯を噛み締めて悔しそうな表情をしている。そして暫くして、うーうーと再び声を上げて泣き始めた。
「うあぁぁぁー、あー!」
ひたすら叫ぶように泣き続ける。
ヴェルトが冷酷? 違う。彼はそんなんじゃない。
誓ったから。もう泣かないと。この世界に屈服などしないと。だから、涙は流していない。それだけだ。
当たり前だ。悔しい訳がない。仲間が死に、世界は変わらず、どころかあり方を間違えてあり続けている。泣いて、泣いて、泣き叫びたい程悲しいだろう。でもそれ以上に、悲しくて、腹立たしくて、何より悔しいのだ。
そんなのパウローも分かってるから言葉に詰まったのだろう。ヴェルトは、最初から歯を噛み締め、悔しさを剥き出しにしていたのだから。
私にそれが分かる理由は、ヴェルトの表情からだけじゃない。同じだから。私も全く同じ気持ちだから。
悔しい、悔しい、悔しい、悔しい……。今すぐにでも涙が溢れてしまいそうだ。
でも、それでも私は……私達は必死に堪える。凄惨なこの世界に負けを認めない為にも。負けないと、戦闘継続の意志を見せ続けるのだ。
それから一ヶ月後だった。
パウローも死んだ。
同じように血を吐きながら死んでいった。
その日は雨が降っていた。かなりの雨量の中、ヴェルトは外に出て空を仰いだ。私も出て、同じ行動を取った。
空は街に浮き出る排気ガスが空に浮かんだように、黒ずんで汚れている。空の青は見えず、ただ広がるのは汚らしい灰色の雲。昼からでも暗澹とした雰囲気漂うこの街が、余計暗くなっている。でも、多分雲の所為だけじゃない。私自身の所為でもある。
当たる雨はノースリーブの服を濡らし、肌にも直接当たり、体温を奪っていく。冷たい。服が張り付いて気持ち悪い。なのに今はありがたい。この天気がただありがたい。髪から頬を伝う雫の中に生温かいものが混ざっている気がしたから。
「くそっ、くそっ、くそっ、くそっ! クソがー!」
バッと声のした方に向き直す。
ヴェルトが空に向かって叫んでいた。まるで天に想いをぶつけようとしているかのように。
そのまま、コンクリートの壁に拳をぶつける。何度も何度も叫びながら打ち続ける。その内に水だけじゃない。拳から赤い液体が流れているのが見えた。
私は目を逸らした。生温かい雫が更に増えたように思えた。
また、大切な人が死んだ……。またウイルスにやられたんだ。
世界は急激に色を変えた。天気は変わっても、暗いまま。どんなに上から太陽に照らされようと変わることのない灰色が目の前に広がっていた。
――一体ウイルスが消えるまでに、何人の大切な人を失っていかなければいけないのだろう。
そう考えると、胸が締め付けられるように苦しくなった。
それからのヴェルトと二人になった生活はあまり覚えていない。食事をどう取ったのか。ヴェルトと何を話したのか、あまり思い出せない。
そしてそのまま何もなく一週間経った時だった。
私はヴェルトと二人で家の中にいた。まだ十四時過ぎだというのに、陽は少ししか入らず、灯りのない室内は仄暗くなっていた。
二人ともポツポツと何か他愛ない話をしていた気がする。
そんな時、コンコンと木製のドアを叩く音がした。誰かのノック。
誰だ? っと二人で顔を合わせる。何せ、その前はちょっとは来ていたらしいけど、私が来てからこの家にお客が来たことなんて一度もない。
珍しいを通り越して奇妙な来訪者を無視するか相談するが、一応出てみることに決めた。お前はここにいろと私をリビングにおいて、ヴェルトが一人で向かっていく。
しかし、ヴェルトが扉を開く前。おそらく、扉に辿り着く前に、声が聞こえてきた。
「誰かいますかー?」
「誰もいませんかー?」
存在を確認する声が聞こえて来る。数人いる。野太い声や若々しい男の声、女性の声も確認出来る。
反応が無いからか、ガチャガチャとドアノブを回す音がするが鍵が掛かっているので開かない。
「寝てるんですかね?」
「いや、さっき音がした気がしたんだけどな……」
男性二人が話し合っている音がする。
その時、ガチャッと鍵の回す音と直後に扉が開く音がした。ヴェルトが扉を開けたんだ。
私は息を殺して、耳を立てる。
「開いた! ……あっ、ごめんなさい。もしかして寝てた?」
「いや、寝てないよ。それよりあんた達、誰? ていうか、何その格好?」
格好……?
今度聞こえて来たのは大人の女の声。その声音からは、優しげに相手を気遣っているのが感じられた。とりあえず悪い人では無さそうで安心だ。
しかし何故だろう。今の女性の声もそうだが、さっきの男の人の声も扉越しというだけではなく、籠もって聞こえた。
「申し訳ないね。私達はこの街の調査に来た者だよ。今身に付けているのはウイルス対策の防護服とヘルメットだ。調査の一貫で、赤体病に感染して死んだ患者がいる家の現状を調査しなきゃいけないんだけど、この家に人がいるならしょうがないかな」
今度は太く男らしい声だ。
「……仮に空いてたとしても、そんな勝手に人の家漁って良いの?」
「うーん、まあ一応上の方に許可は得てるんだけどね。あまり良いことではないかもね」
「ごめんな、気分悪くしたか? お兄さん達、さっさと帰るよ」
帰っちゃう……。
今の会話を聞いていて、好奇心が湧いていた私は急いで廊下に出て、来訪者の姿を確認する。いるのは三人。テレビで見たことがある、真っ白な防護服と顔の部分だけフィルターになっている、これも真っ白なヘルメットを着用している。
その三人ともが、ヴェルトの隣に移動した私を確認して、フィルター越しに一瞬驚いた様子を見せた。
「おっ、まだいたのか。君は妹かな? 邪魔して悪かったね」
「ごめんね。それじゃあ、帰るね」
身長百七十後半程の若々しい声の男の人とそれより十五センチ程背の低い女性の人が穏やかな口調でそう言って去ろうとする。
しかし、もう一人が立ち止まって私達を見ていた。
「――兄弟じゃない。俺たちは元は他人だった」
言ったのは違うのに、ヴェルトはその男の人に向かって説明した。
「じゃあ、君達の親は?」
その男の人が聞いた。
「死んだ。俺たち二人とも親を亡くして、だから一緒に暮らしてるんだ。……仲間も死んだ。二人も。残ったのは俺たちだけだ」
「そうなのか……」
男の人が優しく呟く。
その声は初めて会った筈なのに、安心を与えてくれる抱擁力を感じた。
「ねえ、その調査ってさ、何の為? 防御フィルターとかいう奴をこの街にも設置したりするの?」
「いや、違うよ。単純に始まりの街と呼ばれているこの街ならウイルスに関する情報や、薬やワクチンを作る為の手掛かりを何か得られるんじゃないかと思った上の判断だよ」
途端、ヴェルトが強く歯を噛み締めたのが見えた。力強く自分の上下の歯をぶつけ合っている。
「何、そんなこと今更やってるんだよ。何年ずっと同じことばっかやってんだよ。薬が作れないなら、さっさとフィルターでも何でも設置する準備でもしてろよ。大体、何守ることばっかり考えてるんだよ。そんなんだから、一々何事もウイルスに遅れを取るんだろ!」
その目は力強く男の人を睨んでいる。
そして見えた。男の人もフィルター越しに悔しげに強く歯を食い縛っているのが。
「俺の両親は病気で死んだ。こいつの両親も、一緒に暮らしてきた俺たちの仲間もだ! でも何も変わらない! いつまで経っても何も変わらねえじゃねえか……」
バッと私の前に開いた手を出して、ヴェルトは叫び、そして最後は悔しげに呟いた。
「全く、その通りだ。異論はない。……世界は昔から相も変わらず悲劇に覆われている」
自分の言葉を真っ向から肯定され、それにヴェルトが戸惑う。
何かしら、言い返されると予想していたのだろう。しかしだからこそ、それが癪に障ったのかもしれない。
「あんたに何が分かるってんだ。そんなことしてるあんたに! 大切な人を失うことがどれ程辛いか、分かって言ってんのかよ!」
「分かるさ……。昔、私も君たちと同じくらいの時に大切な人を失った。病気が流行り始めた頃に、幼馴染みであった女の子が、私の目の前で死んだんだ……」
その声はさっきまでとは違い、沈み哀愁に溢れていた。
それが嘘ではないと真実を告げる。だからこそ、ヴェルトは驚きの顔を見せる。
「辛かっただろう……。苦しかっただろう。大切な人を失うのは酷く悲しいなんていうことは私も充分知っている。なのに君達はそれを何人も見てきた。心が痛いよな……」
男の人はヘルメットを外し、ヴェルトと私に抱きついた。
「なっ……! 何だよ、急に!」
「なっ、トムさん!」
ヴェルトは急な行動に動揺し、声を上げながらバタバタと暴れている。
しかし声を出したのはヴェルトだけではない。もう一人の男の人が、驚きの声を上げた。
「危険です! 離れてください、トムさん!」
「何だと……! 俺を危険物みたいに言ってんじゃねえよ!」
ヴェルトが叫ぶ。
私も同じ気持ちだ。言った男の人を怒りの目で見つめる。
「ウイルスなんかにやられた他の奴と一緒にするな! 俺はやられねえ! 生きて世界を変えるんだ。俺の手でウイルスの無い世界を作る。だから、それまで絶対死なねえ! 何が何でも生き抜いてやる! だから、強くあると誓った! もう泣かないと決めた」
その時確かに感じた。光が戻った。
――いや、違う。私は見失いかけていた。残酷な現実が辛くて、だから眩しくて目を逸らしていた。
でもその間もずっとヴェルトは強い光を放っていた。地上で私を照らしてくれていた。なのに私は見ないふりをして、自分から光を絶っていた。
でもだからこそ、久しぶりにみた光は明るさが際立った。うんうん、それも違う。それだけじゃない。それより多分大切な人を失って尚、以前にも増して彼の光が増したんだ。
より、想いを強くして強大な敵に立ち向かおうとしている。
目に涙が溜まったのが分かった。でも、私は溢すまいと必死に堪える。
「この子達を見ろ! こんなに必死に強く生きている! だというのにそんなことを言うんじゃない!」
その言葉を聞いてヴェルトも、私も目を見開いた。
突然大声を発したからだけではない。言われたことのないその言葉と突如落ちてきた雫にだ。
トムと呼ばれていた男の人が、男らしい顔を歪ませて涙を流していた。
私の手の甲に涙は落ちた。
「ごめんな。もっと早く来て上げられなくてごめんな。私がもっと早く来て上げれば、君達の大切な人が死ぬことも無かったかもしれないのに……。本当にごめんな……」
驚いた。でもそれ以上に不思議に思った。
何でこの人は会って間もない子供の為に、こんなに本気で泣けるんだろう……。この人は何も悪くない。なのに私達のことを想って本気で泣いてくれている。
ああ、暖かい。そして懐かしい。
覚えている。この感じ、昔お父さんに抱きしめられた時に感じたものだ。
「おじさんが大切だったっていう幼馴染みの人、もしかしておじさん好きだったの?」
「……ああ、そうだよ」
ヴェルトの問いに、小さく、しかしはっきりと耳に残る声でトムさんは答えた。
好きだった。好きな人を失った。それだって私達は経験していないけど、とんでもなく辛いことではないのか。
でも、この人も強く生きている。
「トムさんは強いんですね」
ポツリと心の声が漏れた。でもそれだけ強く思った。
「そんなことはない……。強いというなら君達の方がよっぽど強い。よく生きていてくれた」
トムさんは立ち上がり、振り向いて残りの二人に顔を向ける。
「この子達は私が預かることにする」
「えっ!」
「本気ですか、トムさん! 外から人を招き入れるなんて、そんなの上が認めてくれませんよ!」
ヴェルトが驚きの声を上げ、もう一人の男の人も驚愕の声を出す。
「説得する。そもそもずっとこの街にいて、この子達は病気の症状が全く出ていない。感染はほぼ間違いなくしていないだろう。まあ一応検査はすることになるだろうが、通れば認めてくれる筈だ」
「……トムさんらしいですね」
女の人が諦めたように、嘆息しながら言う。
「おいっ、お前まで!」
「良いんじゃないですか。こんな所にこんな子供二人を置いていく方がよっぽど人間捨ててますし。そんな人間にはなりたくないです。それにトムさんの性格は、ディルクさんもよく分かってますよね?」
トムさんと女の人に真摯な瞳で見つめられたもう一人の男の人も「……ったく」と吐き捨てながら、溜息を吐く。
「……まあ、そうだな。そもそもこれは広義的には人類を赤体病から守る為の調査だからな。トムさんのやってることは、別にそれに外れてる訳じゃねえか」
「すまないな、ディルク、ビアンカ」
「気にしないでください。あなたはそういう人ですからね」
「そういうことです。俺たちも将来、良い上司を持てたって誇らせてもらうので、気にしないでください」
「……ありがとう」
そしてトムさんは再度振り返り、私達の方に向き直す。
「ということだ。勝手に決めてしまって申し訳ないんだが、私と一緒に着いて来てくれないか?」
「……どこに?」
ヴェルトが警戒した態度で、鋭く言う。
しかし、トムは涙が流れる顔を緩めながら接する。
「ここから少し離れたところにある街だ。私の住んでいるその街は既にフィルターが設置されている。その中で私が君達の面倒を見る」
途端、キッとヴェルトの目が鋭くなる。
「……フィルター? 何で俺が……! 皆死んでった! 自分だけ安全に暮らしていくなんてそんなの許される訳ないじゃねえか……」
怒りを露わにした口調で言葉を出し、しかし次第にその声は悔しさを抑えるように小さくなっていく。
拳を震わせ、顔は俯き加減だけど、歯を強く噛みしめているのが分かった。
その言葉に対してトムさんは――。
ヴェルトから視線を移動すると、驚いた。トムさんは、相変わらず涙を流しながらも、険しい表情になってヴェルトを見ていた。
その顔で淡々と問うた。
「何でだ? 何でそれがダメなんだ」
トムさんの予想外の行動に一瞬戸惑いを見せたヴェルトも、すぐに牙を向ける。
「何でって、まだほとんどの人が危険に晒されて死んでいってるんだろ。俺はそんな人達を見捨てて自分達だけが安全に暮らそうなんて考えが許せねえ! そんな奴等と同じになりたくない!」
「それでも何が何でも生きるんだろ。世界を変えるんだろ。私は君に生きていて欲しい。そしてそれは死んでいった君の大切な人達も思っている筈だ。君はその人達の分まで生きる使命がある。――君は生きなければいけないんだ!」
生きなければいけない。私と同じ考えであるその部分を強調するように大きく声を出した。
「ここにいたって死なねえよ! 今までだってずっとここで生きてきた」
「そうかもしれない。それでもここが危険なことには変わりないんだ。いつ病気になってもおかしくない。中に入ればまだ今の所は安全は保障されている。だから、一緒に来て欲しい」
はっきりと強い意志で言うトムさん。
微塵も曲げる気のない意志を込めた瞳にヴェルトは、たじろぐ。
「何で、出会ったばかりの俺たちにそんな……」
「さっきも言っただろ。私は君達に死んで欲しくない。ただ、私は自分勝手な都合を押しつけてるだけさ。……君達の心に空いてしまった穴を、私に埋めさせてくれないか?」
そういう顔は笑顔なのにとても儚げで、作り込まれたものだというのは簡単に理解できた。
ああ、この人は本気で私達のことを想って、心配してくれているんだ。
この世界で、誰もが失いかけているものを、この人は確かに持っている。
それを今、確信した。
「……一緒に行こう、ヴェルト」
「ミリア!」
「私はヴェルトに生きていて欲しい。だから少しでも安全な所で過ごそう」
「……そんなこと」
「ヴェルト君、だよね。実は私はウイルスに対抗する為の薬ともう一つある物を作る為に研究チームを作って研究している。その手助けをして欲しいんだ。君が私に着いてくるのは自分は安全に暮らしたいという欲からではない。その手助けをする為だ。世界を救う為のな」
「世界を救う……?」
「ああ、きっと君の力が必要になる」
暫く考える様子を見せるヴェルト。数秒後、分かったと、小さく頷いた。
その姿を見て、私は嬉しさが込み上げた。
「よろしくお願いします、トムさん」
「ああ、よろしく。君は、ミリア、だったか? でも、あー、トムさんなんて堅苦しくなくて良いぞ。そうだな――」
「じゃあ、お父さんって呼ばせてもらって良い?」
「ああ、そうしてくれ」
一瞬お父さんは意外そうな表情をしたけど、すぐに優しい笑顔で答えてくれた。
「……よろしくな、父さん」
不意に、気恥ずかしそうにヴェルトが呟いた。
自然と笑みが溢れた。その顔で私は言った。
「これからお願いします、お父さん」
いつのまにか、目の前は晴れ渡っていた。
☆★☆★☆★☆★☆
瞑っている筈の瞼に光を感じた。
そっと開くと白色のカーテンの隙間から光が漏れていた。それが丁度ベッドで寝ていた私の顔を照らしていた。
上体を起こし、辺りを見渡す。自分が寝ていたのはベッドの上。テーブルの上に置かれた空のスナック菓子の袋と酒の缶。それにテレビと本棚が置いてあり、そして床の布団にハンナさんがくるまっている。ふと、初めてこの部屋の中を見たとき、あの人本見るんだなと、意外に思ったのを思い出す。
間違いない。ここはハンナさんの部屋……。だとすると、さっきのは夢?
また、昔の夢を見ていた。これで二回目。それに何で今更あの時の夢を……。
何となく嫌な胸騒ぎを覚えた。
その時だった。
「いたっ……」
頭痛が走った。じわーっと頭の中から広がり、全体がズキズキと響くように痛む。
それはしばらく続き、ようやく収まった。
しかしそれとは対称的に嫌な胸騒ぎ。それは増すばかりだった。
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