第10話 接客

 「いっ、いらっしゃいませ……」


 新たに入ってきた客にミリアは慣れない大声で挨拶を試みてみるものの、気恥ずかしさからかその声は徐々に消えていく。

 ただそれは本人の問題だけではない。ヴェルトも経験したことのない喧噪の声がかぶさって、それでも必死に出そうとするミリアの声をかき消していくのだ。


「あれっ、ハンナさん、新入り? 可愛いね、嬢ちゃん」


「うおっ、凄い美人じゃん!」


「そうよ、新しく雇ったんだから。可愛いでしょ、ホント可愛いでしょ?」


 照れるミリアの後方から誇った顔をしたハンナが、入ってきた三人の男達に大声で声を掛ける。

 テーブルに物を運んでいたヴェルトもまたかよっと、最初は流石だと誇らしい気持ちになっていたのが、最早半ば呆れ気味に心の中で呟く。

 ヴェルト達が手伝い始めてから、約一時間が経過した。

 その間に入ってきた客はミリアに対して大体同じ反応を見せている。昔ハンナが着ていたという黒ワンピースの上にハンナと同じエプロンを着けたミリアは、長年見てきたヴェルトにとってもやはり美という言葉が相応しい姿を誇っているのだ。

 結局は大体何を着ても似合うのだが、普段来ている客にとっては、新しいアルバイトが増えていて、更にそれが華麗な少女と来たものなのだから、喜ばしいことなのだろう。およそ八割が男性ということもあり、ハンナ曰く今日はいつもより騒々しいらしい。

 確かに、昼見た時よりも店全体の盛り上がりは凄いとヴェルトは納得していた。


「いらっしゃいませ!」


「おっ、もう一人、増えてる!」


「そうそう、その子も雇ったんだ! その子は元気だよ!」


 ミリアに次いで、代わりにという訳ではないが、更に大きな声で挨拶をするヴェルト。

 そしてそれに補足するように、ハンナは紹介してくれた。のは良いのだが、その子は元気だよって……。それしか言うことがないのか。それだと、元気しか取り柄がないように聞こえなくもないじゃん、とヴェルトは苦笑する。

 ヴェルトの服装は、白ワイシャツの上に黒いベスト、下は黒いスラックスという一般的にイメージされるウェイターの服装である。何故背丈百六十一のヴェルトに合う男物の服があるのかハンナに聞いたところ、内緒、と言われた。

 隠す必要性は分からないのだが、ヴェルトが予想するに、同業の仲間にでも貰ったという所だろうか。


「お嬢ちゃんは、いくつなんだい?」


「……十六です」


 入ってきた客を席まで案内してから問われ、相変わらずミリアは、緊張気味に答える。といっても、傍目からでは表情には表れていない為分かり辛いだろうが、いつも一緒にいるヴェルトには普段より力のない声と顔を見て分かる。

 二人に任された仕事は接客と酒、料理をテーブルに運ぶこと。

 勿論慣れていない為、接客はそこそこで良いのだが、緊張するものはやはり緊張するのだろう。ミリアもそうだが、ヴェルトも初めてのことに戸惑っている。


「若いねー」


「ねえ、君、本当綺麗じゃん。どっかでモデルとかもやってたりするの?」


「いえ、やってないですけど……」


「へえ、スカウトも見る目ないんだな。じゃあ雑誌とかに応募してみれば? 君なら受かると思うよ」


「いえ、その……私にはちょっとやることがある、ので……」


 ミリアが戸惑い気味に答える。三人グループの一人が言った言葉に、料理を運びながら聞いていたヴェルトは、確かになと同意する。

 男は「そっか」と呟きながら、ニヤリと顔を緩めて、


「まあ、それは良いや。それよりさ、近々一緒に食事でもしない?」


 男が言った。

 あいつ、それが目的だなと、ヴェルトはそちらを注視する。

 顔は中々悪くない、童顔系の容姿。おそらく自分達より、ちょっと歳上なぐらいだろうが、女性と関わるのには慣れていそうだと予想する。


「食事……? 何でですか?」


「君とちょっとお近づきになりたいな、っと」


「いえ、すいません。ちょっとあなたとは無理です」


「えっ、会って間もないのに俺凄い拒否されてる!」


 ガーンとショックを受けた様子で声を上げる男。

 自信ありげだった言い方と、あの顔からして女性を誘った経験豊富とも失敗経験は少なくまさか断られるとは思っていなかったのだろう。しかもあなたとはと限定された上でなのだからダメージも相当だろう。

 その後何事も無かったかのように、「それではごゆっくりどうぞ」と言ってから、こちらに来たミリアに、手を動かしながら声を掛ける。


「お前、男の誘いあんなあっさり断るなよ。可哀想だろ。プライドとかずたずたじゃねえか」


 正直男に同情してしまう。

 しかし、それに対してミリアは困ったような表情を見せる。


「だって、別に私にお近付きする理由もないし……」


「いや、それでもあなたとは無理っていうのは結構酷いだろ。あの人、そんな嫌だったのか?」


 ヴェルトが尋ねると、何故か首を傾げて不思議そうな表情をするミリア。

 

「別にそんなことはないけど。別にあの人じゃなくても、誰に言われても私は行く気はないから」


 まあ、そうだと思ったけどとヴェルトは得心する。

 別にミリアも悪気があって言った訳じゃなく、ましてやあの男の人に嫌悪感から拒否した訳でもない。ただ純粋に本人は断っただけなのだろう。言い方が少々どころじゃなく悪いだけで。


「でも、ヴェルトに誘われたら私は行くよ」


 真顔でそんなことを言われたものだから、ヴェルトは動揺してしまう。そして納得する。あなたとは無理ってそういうことかよ。

 しかし、何とか平静を装い、「あっそ」とだけ答える。そして気を取り直すように早口で捲し立てる。


「さて、仕事だ、仕事。まだまだ終わらないからな! 立ち止まってる暇は無いぞ!」


「うん、分かった」


「あっ、それとさっきの人に後で謝っとけよ。結構マジでショック受けてるっぽいから」


 見ると、さっきの男がやけ飲みしていた。

 ミリアもちゃんと理解はしていないようだが、とりあえず傷付けてしまったということは悟ったようで、申し訳なさそうに「分かった」と頷いてくれた。

 そうして再び仕事に入ると、あるテーブルにヴェルト指定で酒を頼まれたので、ヴェルトが持って行った。


「ねえ、君、歳は?」


 運んだテーブルにいる一人、いかにも大人の女性といった人に声を掛けられた。

 グレーのTシャツを着たラフな格好のその女性は、大人らしさの中に確かな女性らしさもあって、ヴェルトから見て歳は二十代前半ぐらいに見えた。


「歳、ですか? 十六ですけど」


 酒を注ぎながら答える。


「ふーん、なかなか男らしい顔してるわね」


 うっ、と言葉に詰まる。

 可愛いだの、綺麗だのミリアが隣で言われるのを見て来続けたものの、ヴェルト自信は男らしいなんてそうそう言われたことなく、慣れていないのだ。

 その上、「ねー」だの「本当だー」だの、テーブルで言い合っているのを聞くのもどうにも気恥ずかしい。

 

「……ありがとうございます」


「どう、あなたも一緒に飲まない?」


 酒を入れたグラスをヴェルトに差し出しながら女性が言う。

 予期せぬ提案に思わず、えっ、と聞き返してしまうヴェルト。しかし、すぐに断りを入れる。


「いえ、すいません。だから俺は十六なのでまだ飲めないです」


「細かいことは気にしないで。飲みましょうよ」


「お姉さん達が可愛がってあげるわよ」


 可愛がってあげるって何だ……。

 キャハハハと甲高く笑う声、この状況に全くもって耐性の無いヴェルトは、対応に困ってしまう。


「いや、可愛がるって……」


「――すいません、お客様。当店では、そういうのはご遠慮ください」


 ヴェルトが困惑していると、何故かさっきまでの緊張はどこへやら、どこか凄みのある雰囲気でいつの間にか来ていたミリアが割って入ってきた。

 その雰囲気に驚くが、正直ありがたい気持ちが大きい。


「では、まだ私達は仕事が残っているので。――ヴェルト、ちょっと来て」


「うおっ、何だよ!?」


 後ろからは、「かわいいー」という声やヒューヒューという冷やかしの声も聞こえて来るが、そんなの気にした様子のないミリアにそのまま引っ張られて、店の奥の方にある酒の貯蔵室まで連れて行かれた。 

 入ると、バッと振り返るミリア。


「ヴェルト。女性のお客さんがいるテーブルには私が出す。あなたは、他のお客さんに頼まれたら出してくれれば良い」


 こんな所に連れ出されて何を言うのかと思ったら、何だそれ。

 これはさっき絡まれていた俺に対する気遣いだろうか。しかし、そんなのいらないとヴェルトは申し入れを拒否する。

 

「いや、良いよ。さっきのはお客さんの方から俺を指名したから言った訳で、また指名されたら行かない訳にはいかないだろ」


「いい。その場合でも私が行く」


「おいおい、そんな俺に気を遣わなくても良いんだぞ」


「別に気を遣ってるとかじゃない。ともかくヴェルトは、女性の客には近付かないで」


 近付かないでまで言う!

 ヴェルトにはミリアの意志がよく分からないが、そこまで言うならしょうがないかとヴェルトは渋々納得する。


「分かったよ。女性客には近付かなければ良いんだろ」


「うん、そう」


 安堵したような息と共に呟くミリア。

 本当に何でそこまで心配されてんだと、ヴェルトは本気で疑問に思う。


「話は終わりだろ? さっさと戻ろうぜ」


「うん、了解」


 コクリと頷くミリア。


「あっ、それとミリア。こっちの仕事もやらなきゃだが、本命の仕事の方も忘れるなよ」


「うん、大丈夫」


 その後も同じく、料理と酒を運び、それを注ぐ仕事をこなした。

 その合間に昼と同じ質問を繰り返していくが、誰も知らないという。

 結局、この日は何の有益な情報も得られずに終わった。

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