第3話 研究所

 市街地を抜け郊外に入った。

 その辺りから建物の数は減り始め、更に進むと最早まばらと言える数の民家しか見えなくなってくる。

 そんな場所にあるが、他の民家と別段代わり映えしない、強いて言えば多少大きさがある白が基調の建物。それが、ヴェルトとミリアの父親とその仲間達が利用している研究所になっている。

 十七時を回ってから全力で走ってきたお陰で、まだ日は沈みきっていない時間に辿り着くことが出来た。

 扉の横に着いていたインターホンのボタンを押すと、待っててくれと、男にしては明るい声が聞こえてきた。その後少し経ってから扉が開いた。


「おう、ヴェルト、ミリア。二人とも、遅かったな」


 扉から姿を覗かせたのは、この研究施設で着用がルール化されている白衣を着、それが似合う細身の二十代後半の男。

 彼の名はルドルフ・フォーサー。ヴェルトとミリアの父親がリーダーを務める研究チームの一員であり、その正体はアルバイトで生計を立てるしがないフリーターである。

 彼はその経歴から来るイメージには反して、爽やかな男前の笑顔を見せながら、先程インターホンで対応した声と同じ声で二人を歓迎する。


「まあね、色々あったから」


「ヴェルトが、同級生や大人と喧嘩しようとしたので」


「なっ、ミリアお前、別にそれは言わなくて良いんだよ」


「ハハハ、お前らしいなヴェルト! 大丈夫だよ、皆そんなことだろうと思ってたから。まあ、とりあえず入れよ」


 笑い飛ばすように言うルドルフ。

 その言葉はどこか小馬鹿にされたような感じがしてヴェルトは少し釈然としないが、無邪気に笑うルドルフの顔を見るとそこに微塵も悪意がないことは分かるので、何とも言い難い。

 ルドルフが中に進んでいったのを見て、二人も着いていく。


「そういえば、ルドルフさん。今日は何の研究やってたの?」


「んっ、今日か。今日はなマシンの開発の方をやってたぜ」


「じゃあ、父さんは今?」


「奥の部屋でマシンをいじってるよ」


 やっぱりか、とヴェルトはニヤリといった笑みを浮かべる。


「完成までもう少しなんだよね? もし完成したら、俺に一番に使わせてよ」


「……ヴェルトが使うなら、私も使いたいです」


「おいおい、んな、簡単な代物じゃねえっての。作っといてなんだけど、何が起こるか分からない危険な代物だ。おいそれと、使えるもんじゃない」


「ちっ、ケチだな……」


「あれっ、人の話聞いてた! ケチとかじゃないんだって」


 そんな話をしながらしばらく廊下を進みキッチンに着くと、その床の一部にある正方形の切れ込みを外す。するとそこには地下へと階段が続いている。そこを降りると、研究室に辿り着いた。

 研究室は、この家を外から見ただけでは想像出来ない、家をまるごとコピーし部屋毎の区分を全て捨て、一つの部屋にしたぐらいの広さがある。

 そんな広い部屋でも多数の機材とコード、薬品棚や小難しそうな書籍を並べた本棚でかなりの面積を占められている。


「アリーナ、ザムエルさん、二人が来たぞー!」


 ルドルフが出した部屋中に響き渡る声。するとその声に反応した他の研究員二人が、バッと発信源の方に顔を向けてきた。その二人もルドルフと同じく、白衣を着ている。

 その内の一人、アリーナが明るい笑顔を見せる。


「わあ、二人とも遅かったわねー」


「おいっ、ヴェルト。どうせ、お前が喧嘩でもして遅れてきたんだろ」


 椅子に座ってパソコンに向けていた体を立たせて、嬉しげに二人を出迎えてくれた、この研究チームの紅一点のアリーナ・ヒルフェ。

 それから、マシンをいじっていた手を止め、こちらを見やった中年の男。顔は一見仏頂面のヴェルトの父親の長年の親友、ザムエル・クンペルの二人も今日も今日とてしっかり顔を出していた。


「おっ、正解。よく分かりましたね、ザムエルさん」


「ちょっ、何でルドルフさんが応えてるんだよ! ていうか、本当に皆にバレてたのかよ!」


「それは、まあ。いつものことだからね」


 研究チームの中では一番の歳下でありながら、姉気質で面倒見の良いアリーナが、その性格に合う柔和な顔を苦笑させながら応える。


「ったく、ここに来てから今に続くまで喧嘩ばっかり、いつまでもガキのままだなお前は」


「なっ、ちょっ、ザムエルさん、だって今回は明らかに相手が悪いんだよ! 人のことバカにしてくるし――」


 興奮して反論してきたヴェルトに対して、あしらうようにへっと鼻で笑うザムエル。


「例えどんなに相手が言ってこようがな、男なら広い大きな心で対処するんだよ。それが出来ないお前は結局ガキなんだよ」


「人のことガキ、ガキばっかり言うなよ。ったく、だから知られたくなかったんだよ……」


「ガキにガキって言って何が悪い。周りへの配慮なしに感情のままに暴れる奴はガキって呼ぶもんなんだよ。もうちょい、考えろってな」


「ちょっと、ザムエルさん、言い過ぎですよ。――ごめんね、ヴェルト君。この人こんな言い方しか出来なくて。でもね、本当はザムエルさんが一番心配してたんだよ。皆、心配することないって言っても、『いや、そうだけど、でもひょっとしたらなにかあった可能性もある』って、ずっと落ち着き無かったんだから」


「えっ、そうなんですか」


「おっ、おいっ、アリーナ!」


 アリーナの予想外の言葉にキョトンとするヴェルトとかなり焦った様子を見せるザムエル。歳相応に徐々に老けていっている顔からはいつも落ち着いた雰囲気を感じるので、そのギャップはなかなか新鮮味がある。

 しかし、言われて思い返してみると、結構そういう、口は悪いが結局相手に思いやりを見せる節は今までにもあったことにヴェルトは思い当たる。

 昔、ヴェルトが中の世界に来て間もない時、外から来たからという理不尽な理由で上級生に石を投げられ怪我をしたことがあった。その際、ザムエルはそんなの気にするなとヴェルトの前では素っ気ない態度を取っておきながら、陰でその上級生の家に殴り込みにいったということがあることをヴェルトは知っている。


「そういえば、チャイムが鳴った時は、バッと立ち上がって反応してたな。でも、俺がインターフォン出て二人の名前を呼んだ時、この人確かに安心したような顔してたぜ」


「そういえば、安堵したように大きく息も吐いてましたよね」


「おい、ルドルフ、アリーナ、やめろ! そんなこと別に無かっただろう!」


 ニヤニヤと面白げに暴露するルドルフとアリーナ。最早、ザムエルの反応を見て遊んでいる。

 歳下にからかわれる先輩の様子は面白いとヴェルトも思う。


「ザムエルさん、ヴェルトがした片方の喧嘩の理由は、相手が私にぶつかってきたからそれに対して私の為にヴェルトが怒ってくれたから。喧嘩はよくないけど、でもヴェルトばっかりが悪い訳じゃない。だからヴェルトのこと、そこまでバカにしないでください」


「――ああ、もう、分かった、分かった。バカにして悪かったよ、ヴェルト! って、んっ。ミリア今、片方の喧嘩って言ったか? ヴェルトお前、まだ喧嘩してきたのか」


「うん、そう。同級生と喧嘩してた」


「おいっ、ミリア、だから言うなって。っていうか、何でお前が応えてんだよ」


「ほうっ、同級生か。また例のエルボって奴か?」


「ぐっ……そうだよ! あいつは今日も喧嘩腰で俺の夢をバカにしてきたから、喧嘩を買ってやったんだよ」


 それとやたらミリアといることを言ってくるのも腹立つが、今はそれは関係ないから言わないでおく。


「夢って、お前がいつも言っているあれか?」


「……何か悪いのかよ」


「俺もいっつも言ってるけどな、お前じゃそれは無理だよ」


 ニッと悪戯な笑みを浮かべながらザムエルが言う。その言葉にヴェルトはムっとなる。


「なっ、だから決めつけるなよ。分からないだろ。それに、さっき謝った後のくせにまたバカにすんのかよ」


「いやいや、勘違いするなよ。俺は決してバカにしてる訳じゃないぞ。ただ事実を述べてるだけだ。お前が世界を変えることになったらその時には俺達がとっくに変えて、最早お前が変える必要も無くなってるよ」


「それなら、さっさとウイルスでも何でも対抗出来る薬を作ってくれよ。ふん、まあそっちの研究は全く進んでないんだろうけどね」


「けっ、バカにするなっての。そんな簡単じゃねえんだよ。まあ、それに大体どっちにしろお前じゃウイルスを消滅させるんなんてこと出来る訳がないけどな。寧ろミリアの方が、それ程の頭があれば出来るかもしれないけどな」


 ザムエルの嫌味めいた指摘にヴェルトは顔を歪める。

 しかし、ヴェルトが反論する前にミリアが素早く言葉を返す。


「どちらならという話ではないです。私達は二人で成し遂げる。だからヴェルトも出来るということになります」


「ほうっ、そうなのか」


「なっ、別にお前の力は無くても良いって言っただろ!」


「でも、さっき勝手にして良いって……」


「とっ、ともかく俺も出来るんだよ!」


 興奮するあまり、ミリアの反論を遮るようにともかく根拠のない主張を続けるヴェルト。


「あれっ、そういえばミリア、さっきヴェルトと一緒に来たけど、今日は生徒会無かったのか?」


 はてっと思い出したようにルドルフが言う。


「……はい、ありましたけど」


「それはどうしたんだ?」


「ヴェルトが喧嘩してたから、止める為に早めに切り上げました」


「おい、ダメだろ、そりゃ」


 聞いていたザムエルが批判をしてくる。

 流石にそれにはヴェルトも、よく何事も無かったかのように言えるなと、半ば感心してしまう。


「大丈夫。他の皆にもちゃんと意志確認はしといた」


「いや、そういう問題じゃなくてだな……。やっぱりお前はあれだな。ヴェルトのこととなると他のことは見えないというか、優先順位が何でもヴェルト優先なんだな」


「……当然のことです」


 若干頬を赤らめながらミリアが言う。


「ちょっと、皆、何話変えてんだよ! まだ終わってないだろ」


「はあっ、もう良いだろ」


「良くない! バカにされたまま終わらせてたまるか! 俺はな、本当に変えるんだよ。父さんがタイムマシンを完成させたら俺が使わせてもらって過去の根源を絶つ。そうすれば、病気の無かった世界に変わる筈だ」


「そんなのトムさんが認める訳ないと思うけど。今までだって何度も教えられてきたでしょ。タイムループはまだまだ未知な部分が多すぎる。何が起こるか分からないから危険なんだって」


 アリーナが割り込むように話に入ってくる。


「そんなリスクは父さんも承知の筈だ。それでも研究してるっていうことは、それをしなければいけないという状況が来ることを父さんは知っているからだよ。ならその時に俺が飛んだ過去で変えてやるだけさ」


 ヴェルトとミリア、二人の父、トム・エアフィンダーと共にここで三人が研究・開発しているのは、ウイルスに対するワクチン、抗ウイルス薬、そして時間移動可能を目指すタイムマシーン。

 その二つの研究を並行しながら、そうなると余裕があるとはいえない費用と悠々とやることを許されない状況、かつたった四人で行うというのは正直無謀と言えなくもない。

 しかし、集った四人は全員明敏な頭脳を持ち、まともな職に就いているのはアリーナだけ。後はアルバイトで生計を立て、他の必要外な時間をここでの仕事に懸けるスペシャリストばかり。ついでにコスト面でいうと、皆自分の意志でやっている為金はいらないという本当に研究バカの集まりとなっている。

 その四人の精鋭が掲げる目標はただ一つ。ヴェルトと同じく、病気を世界から消し去ること。

 ワクチン、抗ウイルス薬は素早すぎるスピードで気付けば変化を遂げていくウイルスの前に開発は困難を極めているが、タイムマシーンの方は進み具合からいって完成の構想は見え始めているということだ。

 ただしこの広い部屋にもタイムマシーンの影は見当たらない。

 この部屋を進んだ奥にある扉。そこを開くと、ある部屋にて厳重に管理されているのだ。

 トムの姿が見当たらないことからルドルフの言う通り、奥の部屋で今トムがタイムマシーンの開発を直に進めているのだろう。


「ほー、じゃあ仮に過去に行ってどうやって変えるんだよ?」


「えっ、どうやって変えるって……それは後から考えれば良いんだよ」


「後からって随分無計画だな。考えなしに言ってたのかよ」


 ザムエルの的確な指摘に一瞬うっと言葉を詰まらせるヴェルト。


「ちっ、ちげえよ。えっと、ほらっ、あれだ。過去に行ったら薬でも開発すれば良い、だろ。」


「それは大変そうだな」


 ザムエルが笑いながら言い、釣られてルドルフとアリーナの二人も笑い出す。


「何笑ってんだよ!」


「いや、薬って、お前があまりにも簡単に言うからだろ」


「ごめん、ごめん。決してバカにした訳じゃないわよ。ねっ、ルドルフさん?」


「ああ、そうだな。でも、それは結構難しいことを言うな、ヴェルト」


「大丈夫、ヴェルト。私もいれば成し遂げられるから」


 皆が想い想いに言う言葉に怒りを募らせたヴェルトはそれを爆発させるかのように、声高に言葉を発する。


「別に俺は一人でも大丈夫って言ってるだろ! 俺は高校を出たら、多数の実績を上げたことのあるようなレベルの高い医療の大学に進んで、人一倍学んで、一人でも薬でも何でも開発して完成させてやる! そうだ、こっちで作ったのを過去に持って行くってのもありだ! それでも問題ない筈だ」


「ヴェルト、それ私聞いてない」


「おいおい、ヴェルト。そんな急に決めなくても……」


「今初めて言ったからな。でも決めたのは今じゃないよ、ルドルフさん。実は元から考えてたんだ」


 勢いで言ってしまったが、本当はもうちょっと確実性が増してから言うつもりだった。

 だというのに、まさかここで言うことになってしまうとは、っと少しヴェルトは複雑な気分になる。


「へえー、意外と、って言ったら失礼になるだろうけど、ヴェルト君もちゃんと考えてたんだね。そっか、頑張ってね。私も勉強教えてあげたりは出来るから」


「勉強での成績なら、アリーナより俺の方が上だぞ。俺に聞いた方が得だな」


「むっ、それは事実だから否定出来ないですけど、ルドルフさんに負けてたって事実がなんか凄い嫌だからそれ言わないでください。あー、過去から消し去りたい」


「えっ、そこまで! 酷くない!」


 喚くルドルフと本当に無念そうな顔をしているアリーナを交互に見やるヴェルト。

 今日もだが、確かにいつもルドルフは若干ふわふわした雰囲気を漂わせ一見そこまで頭が良いようには見えない。それでも、この人は学力レベルが非常に高い、入学することすら困難なことで有名な大学で常にトップ3入りしていたぐらい、頭脳は明晰だと聞いている。

 同じ大学で後輩だったアリーナも、こっちは何となく見た目から分かる通り優秀な成績を収めてはいたらしいが、ルドルフの四年の通算成績には劣っていたらしい。人は見た目で判断出来ないとヴェルトは本当に痛感させられている。

 しかしどちらにしろとんでもない成績な上に、二人ともトムと共に研究を進めるのを許されていることからも、やはり自分よりは遙かに出来る人間達だというのはヴェルトも自覚している。


「まっ、まあ、どうしても、本当に分からない所があればそうさせてもらうよ。……その、ありがとう、ございます……」


 からかわれた雰囲気の中、突如掛けられた優しい言葉にヴェルトの怒りは空気が抜かれた風船が萎むように一気に鎮まっていく。が、その分気恥ずかしさから口籠もった発音になってしまった。


「ヴェルト、私も!」


「えっ、あっ、そうか。じゃあ、頼む」


 ぐいっと近付いて来たミリア。

 普段のあまり抑揚のない喋り方とは違い、強い口調で言うミリアにヴェルトは思わず戸惑い、押され気味に答えてしまう。


「あっ、それにザムエルさんだって聞けば教えてくれるよ、ヴェルト君」


「えっ、ザムエルさんが……?」


 言われてヴェルトは、思わず少し歪んだ表情でザムエルの方に視線をやってしまった。

 その視線を視認して、どこかムッとした表情でザムエルが応える。


「はあっ、俺がか。どうだろうな。ミリアぐらいのレベルならともかく、一般の高校生ぐらいにまでレベルを落として教えられる自信は無いな」


「俺が普通の高校生と同じくらいだっていうのかよ」


「成績だけで言えば、ちょっと良いぐらいだろ」


 ぐっと、ヴェルトは言い返すことが出来ず言葉に詰まってしまう。

 確かに成績で言えば、前のテストは四百人程いる一学年の中でヴェルトは八十三位と悪くはないが、特別に優れた成績という訳では無かった。

 学校の成績で普通だからって、病気の研究を進める上において必ずしもマイナスになるとは限らない。それだけじゃないから。それでもあった方が良いのは確実だし、今まで何かを革新的に変える偉業を成し遂げてきた者は、常識には当てはまらない規格外なものを持ってきた者ばかりだという考えがヴェルトにはあった。

 普通ではないことをするのだから、何か他と違うか周囲を圧倒するだけのものが無ければ出来る訳がない。周りと一緒じゃダメだと分かっているが、自分には特に目立って抜けたものがないとも自負している為それがヴェルトには焦りとなっていた。

 しかもそれだけじゃない。いつも隣にいるミリアという大きな才能を目の前にして、周囲から比べられて、自分の無力を尚痛感しているのも大きい。その頭脳に嫉妬といえるようなものを感じてしまっている自分がいることも自覚している。

 だからちょっと良いと言った当の本人であるザムエルは何気なさそうに言った言葉も、ヴェルトにとっては的確に自分の心情を貫いた一言だった。


「まあ、でも焦リ過ぎるなよ、ヴェルト。お前なら大丈夫だよ」


 それまで一々否定的な態度を取っていたザムエルが急に掛けたアドバイスらしき言葉に一瞬ヴェルトは耳を疑う。

 しかし紛れもなく確かに聞こえたその言葉は、どこかそれだけ優しく聞こえ、そしてヴェルトの心に響く言葉だった。

 ひょっとしたら、口では否定ばかりして、この人はよく自分のことを見ているのかもしれない。そうヴェルトは思った。


「それに、お前があまりにも目の前で気難しそうな顔をしてたら、俺もうざくなってつい教えちまうかもしれないからな」


「なっ!」


 っと思った矢先の、毒気を含んだ言葉に思わず驚きの声を挙げるヴェルト。

 しかし、その顔がニッと笑ったのを見て、ヴェルトは鼻から溜め息を漏らす。


「はいっ、またザムエルさん、憎まれ口を叩かない。何であなたは素直じゃないんですか。そんなことばっかり言ってたらヴェルト君に嫌われちゃいますよ」


「なっ、嫌われ――!」


「そうだぞ、アリーナ。素直になった方が良いぞ。俺のことが好きなら好きと素直に言えば良い」


「はい? 何言ってるんですか、あなたは。ルドルフさん、冗談はあなたのその不真面目でふざけた態度だけにしてくださーい。決して微塵もそのような感情は無いので安心してください」


「そこまで言うの!? アリーナ何かさっきから、俺にだけ辛口じゃね!?」


 アリーナとルドルフの二人は冗談を交わし、ザムエルはアリーナに言われた言葉が意外にもかなり響いたようで「ヴェルトが俺を嫌う……、ヴェルトが俺を嫌う……」っと絶望したような表情でさっきから何度も呟いている。

 こんなこと今まで何度もあった。初めて会った時は本気で嫌になったし、今だって言われた時は頭に血が昇ってしまうが、それでももう慣れた。今更嫌う訳ないじゃんと、さっきまで怒りをぶつけていた対象を、言い方は悪いかもしれないが、研究しか頭にないおっさんだとしても可愛らしく思えてしまう不思議だ。

 それに相手を否定するのは、勿論その人の性格というのもあるが、それより何よりその相手への信頼があるから。

 恐怖に満ち、どこに言っても自分は助からんと他者を蹴落とすような奴が蔓延る腐った世界に自分達はいる。でもその中において、ここだけは違うと主張せんばかりに、暖かいその光景に思わずヴェルトは笑みを溢す。


「人は似たような人が集まってくるって、あれ本当だよね」


 隣からミリアの声がしたのでそちらを向く。

 ミリアのその顔も微笑んでいた。


「この人達のことか?」


「うん。それと、ヴェルトも」


 何処がだよっと否定しかけるが、ふと考えると、そう言われるとそうかもなっとヴェルトは納得する。


「ならお前もだろ」


「えっ……」


「ここにいる全員似てるんだよ」


 そんな風に五人が心地の良い喧噪を奏でていた時。その音の中で一つだけ旋律を外れたように確かに他の音が聞こえた。

 一瞬沈黙が支配し、五人はその音のした方向に一斉に注目を集めた。

 その先で奥の部屋の扉が開いたのが見えた。


「――いやー、疲れたよ。って、おっ、ヴェルト、ミリア、来てたんだな」


「お父さん」


「あっ、父さん、終わったんだ!」


『トムさん、お疲れ様です』


 ミリアとヴェルトが声を掛け、アリーナとルドルフが同時に挨拶をする。

 五人が顔を向けた先にはすらりと背が高く、研究者という割に一般にイメージするようなやせこけた細身ではなく意外にもしっかりした肉付きをしている体、それでいてダンディーで男らしい顔つきをした男が立っていた。


「ああ、お疲れ。でも終わったと言っても、もうそろそろお腹が空いたから切り上げたって感じだけどな」


 顔同様男らしい低い声だが、その声音は優しく包容力を感じさせる。


「どう、マシンは完成に近付いた?」


「うーん、どうかな。まあ、徐々に進んでいってるとは思うんだけどな。今日は特に進展なしかな」


 たははと苦笑気味に言うトム。

 それを聞いてヴェルトは、そっか、と残念そうに呟く。


「おう、トム。こっちも色々試してみたけど、特に成果は無かったぜ」


 ザムエルが言った後に、改めて椅子に座り直したアリーナ、それからルドルフも、パソコンを見ながらトムに対して喋り掛ける。


「私も特になしです」


「俺も無かったですね」


「父さん、今は最大どのくらい前まで跳べるんだっけ?」


「つい最近二十キロの鉄の塊を跳ばす実験を行った時には、病気が始まったとされる約二十五年前に飛ばすことに成功はした。とりあえずそこまで飛ばせれば充分だから、そこまでしか試していない。でもそれが人間となるとまだ試してないな。いつも言ってる通りタイムリープは何が起こるか分からない。そもそもタイムリープは神が平等に与えた時間の流れに逆らう大逸れた行為だからな。危険なことこの上ない。まだまだ安全性と確実性を増やさなきゃな」


 真剣な表情で説く父の体越しに後ろで、俺が言った通りだろっと言わんばかりに勝ち誇った顔をしているザムエルの姿が見えたので、視線を逸らしてスルーすることにした。


「でも、数分前とか数時間前とか、短い時間の移動なら何度も成功してきたじゃないか」


「それは、本当に大丈夫だという念入りな確認をした上でのタイムリープだったからだ。更にその上、仮にトラブル等で戻ってこられなくなったとしても大して影響の出ない時間で収めていたからな」


 ヴェルト自身タイムリープの経験は既に何度か済んでいた。

 っといっても、数十分前や二、三時間、日を跨いでも二、三日等ごく短時間内での移動ばかりだったからで、最長でも二週間までだけだった。

 しかし病気の根源を絶つとなると二十年以上遡らなければならなくなる為、最早未知の領域になる。


「そんな危険な代物だと分かっていても作ったのは、やっぱりこのぐらいしないとこの世界が変わることはないって、そう思ったからなんでしょ?」


「勿論それもある。けど、他にも理由はあるんだ」


「他の理由って?」


「ある人達……人との約束、かな」


 どこか哀愁漂うように言うトム。

 それに対してミリアが若干揺らいだ声で問うた。


「……それって前に言ってた幼馴染みのこと?」


「いいや、違うよ」


 違うと、はっきりトムは否定した。

 昔、ヴェルトとミリアがトムに出会った最初の時にトムは言っていた。昔、自分も君達と同じくらいの時に大切な人を失ったと。病気が流行り始めた頃、トムの幼馴染みであった女の子も病気で死んだのだと。

 その時、ヴェルトは無遠慮に聞いたのだ。その人のことが好きだったのかと。その時、そうだよと、答えたトムの顔は笑いながら儚げだった。

 だからこそヴェルトには、その約束した人物と自分の両者の意志だとか世界中を助けるだとかそれはどこか大義名分じみていて、本当は個人的な感情が大きいように感じていた。ただもう一度、好きだった女の子に会いたいだけなのだと。

 その時、パチっとトムが両手を打って鳴らした。


「さて、もうこんな時間だ。食事を取らなければいけないし、今日はここまでにしよう」


 言われて部屋にいる一同が、各々パソコン、壁に掛けられた時計で時間を確認する。

 時計の針は十九時を差していた。

 ということで、ザムエルが賛同の声を上げた。


「良いんじゃないか。俺も明日の朝にバイトあるからな」


「そうですね。そうしましょうか」


「よし、ならアリーナ、どうする? お前は明日仕事休みだろ。今日も俺の家来るか?」


「あの、すいません。なにがよし、ですか。サラリと事実のない問題発言しないでください。まず、今日もというか一回しかルドルフさんの家行ったことないですし、そもそも明日急に仕事入ったから行く気ないですから」


「ちっ、何だよー、朝まで一緒に飲んでやろうと思ったのに」


「大丈夫ですよ、ルドルフさんは家で一人で飲んでるのがお似合いですから」


「あれ俺、めっちゃ寂しい奴だと思われてる!?」


「はいっ!」


「超元気に明るい笑顔で言われた!」


「――冗談ですよ。明後日なら休みですから、明日なら良いですよ」


 言われてパソコンをシャットダウンさせたり、上着を着込むなどして帰る準備を始める研究員一同。

 しかしヴェルトは、まだ来たばかりで帰ることに納得出来ない。


「ちょっと待ってよ。そんな、別に俺達は食事なんていらないよ。そこら辺の店で何か買えば良いし。それよりも目一杯時間使って、早くタイムマシンを完成させてよ。俺も久しぶりに作ってる所見学したいし。なあ、ミリア?」


「うん、ヴェルトの言う通り」


 目を輝かせながら言うヴェルトと表情は変わらないが同意したミリアに困惑の表情を浮かべた顔をするトム。


「おいおい、お前達は明日も学校だろ。さっさと帰って、食べて、風呂入って寝なさい」


「えー!」


「そうだ、そうだ。子供はさっさと寝ろ」


 優しく、しかし威厳を感じさせるように注意したトムはともかく、小馬鹿にしたようなザムエルの言い方にヴェルトはカチンと頭にきた。

 自然とヴェルトも嫌みを口にする。


「ふんっ、じゃあ良い歳してちゃんとした職にも就いてないおっさんは、俺が寝た後もちゃんと仕事果たせよ」


「なんだとー!」


「ちょっと、ザムエルさん。なんであなたが煽られてるんですか」


「あれですよね。子供に煽られるザムエルさんが一番子供っぽいですよね」


「あんっ、ルドルフ、今何か言ったか?」


「いえ、何でもありません!」


 嘆息するアリーナとザムエルにキッと睨まれ、咄嗟に誤魔化すルドルフ。顔を逸らしたその反応は凄まじく早かった。


「おい、ヴェルト。あまり大人に向かってそんな口を聞くな。それにこの人達は私と一緒に世界を変える為に頑張ってくれているんだ。私はとても感謝しているし、とても凄いことじゃないか」


「それは……」


 父の言葉に先の言葉を出せないヴェルト。

 トムの言葉が間違っていないとヴェルトは分かっているから。


「まあ、ともかく皆明日も何かしらあるからな。今日は帰ろう、二人とも。学校から歩いて来て疲れただろうが、あとちょっと頑張ってくれ」


 ミリアはコクリと頷く。しかし、ヴェルトは名残惜しさと後はふて腐れて動こうとしない。

 そんなヴェルトにミリアは近付いて、そして手を伸ばした。


「何だよ、ミリア――って、何してんだ、お前!」


 ミリアが伸ばした腕は上に向かい、手はヴェルトの頭の上に置かれた。そのままヴェルトの頭を撫で始めた。

 三秒程立ってから、ヴェルトはハッと後ずさって、躱す。


「私にこうして欲しいから、動かないのかと思って」


「何でそういう結論に至るんだよ!」


「……さあ、家に帰ろう」


 そう言って、手を差し伸べるミリア。


「はあっ、ったく。……そんなの別に良いよ」


 それをスルーして、ヴェルトは部屋の出口に向かう。


「ちょっと待って、ヴェルト……」


「あっ、待て、ヴェルト。あれだ。また悪態を吐いて悪かったよ」


 それを若干怒りを込めた声を出したミリアと焦りながらザムエルが追う。


「さて、じゃあ電気消しますよ」


 後ろからアリーナの声が聞こえて、そのまま全員で研究所を出た。

 各々冗談を言い合い、笑顔を見せる一同。

 こういう光景を見ると、ヴェルトはふと思う。

 病気からかけ離れたこの世界でこうやって皆と過ごす日々は、色々あってもやっぱり何より楽しい。それに学校も色々な奴がいるけど、それなりに楽しく過ごせていた。幸せと呼べるその時間は、すぐ傍に近付きつつあると頭では理解しておきながら、それでも悲劇という存在を確かに以前より遠いもののように感じさせていた。

 だから、それをすぐに失う訳がないと思い込んでいた。また明日ここに来れば良いとヴェルトは考えていた。

 だが、次の日の朝。

 ある緊急のニュースが流れた。


『緊急警報、デッドウイルスに感染の疑いがある者を壁内にて以下五名確認

トーマス・ウィルトン

イルマ・ウィルトン

ユリア・アクチャー

エルボ・アクチャー 

ヨハン・アーデルハイト』

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