第2話 現状

「明日も喧嘩はダメ。こうなったら明日も生徒会は無しにして、私はあなたと一緒にいなければならない」


「何度も言わなくて良いし、何度も言わせるな。そんなの俺の勝手だろ。……本当に何なんだよ、さっきからお前は。たかが喧嘩でそこまで心配するなよな。お前には関係無いだろ」


 ヴェルトとミリアの二人は学校を抜けてから、今は研究所へ向けてその途中の市街地を歩いている。

 周囲をレンガや石で作られた民家、それから大小様様々な商業施設に囲まれたその道は平日のもうじき夕闇に染まるような時間帯でも人通りはある方だ。

 それらの人を避けながら二人は歩いて行く。


「関係なくはない。だって、ヴェルトが怪我しちゃうから……」


「だーかーら、俺があんな奴の攻撃を受ける訳ないだろっての。ていうか結局、俺が怪我しようがしまいがお前には関係ないじゃねえか」


「ある。ヴェルトが怪我をしたら私は同じぐらいの心の痛みを受けてしまう」


 真剣に真っ直ぐ自分の目を見て言ったミリアの言葉にヴェルトは、一瞬たじろいでしまう。

 だから出した言葉は反論というより、逃げの一手になってしまったかもしれない。


「はあっ、お前何言ってんだよ」


 内心戸惑いながらも、嫌味な感じで言ったものの、ミリアはそれを全く意を介さずに喋る。


「確かにあの喧嘩なら大怪我をするなんてことはないだろうけど、それよりも私が言いたいのは――キャッ!」


「おいっ、ミリア!」


 突如隣からしていた声が途切れ、それだけではなく体も視界から消えた。

 隣にいるもう一人と話しながら周りも気にせずに通路を横断しようとした男と、ミリアが勢いよく衝突したのだ。そのまま倒れかけたミリアの手をヴェルトは素早く反応し、ギリギリで掴んで支える。


「危ねえ……! 大丈夫か、ミリア!」


「……うん、大丈夫。ありがとう」


 そのまま引っ張り上げて体を起こし、ミリアは元の態勢に戻る。


「おいっ、クソガキ、ちゃんと前見て歩けや!」


「はあっ! おいっ、あんた何言ってるんだよ! 今のは明らかにあんたが悪いだろ」


 言われた当人より早く怒りの反応を見せたヴェルトは、自分達の倍はありそうな歳の男に立ち向かっていく。だが、そのヴェルトの言に男ははっきりと顔を歪める。


「あんっ、何だ、てめぇ! お前、ガキのくせに生意気だな」


「あんたは大人のくせに、常識も弁えてないんだな。良いか、おっさん。人間は、悪いことをしたら謝らなきゃだめなんだぜ。どうだ、勉強になったか?」


「マジでムカつくガキだな。どうやら、ちょっと痛い目に遭いたいみたいだな、お前」


「あっ、やんのか」


「……ヴェルト」


 相手の挑発に乗り一歩前にヴェルトが出た所で、ミリアが更にその前にすっと出て両腕を開いて制する。

 そして、男の方に向き直り頭を下げた。


「ごめんなさい」


「あっ?」


「おいっ、ミリア! なんでお前が謝ってんだよ。謝る必要なんか全くないだろ。明らかに悪いのはそっちだったじゃねえか」


「ちょっとヴェルトは黙ってて」


 顔だけこちらに向け、強い意志が宿るその目でヴェルトの目を見据えて、威圧するミリア。

 そのまま言葉を言いかけたヴェルトの返しは聞かずに、もう一度顔を男に向け、再び頭を下げる。


「本当にごめんなさい。彼はさっき色々あったから丁度むしゃくしゃしていたんです。決して悪気があった訳ではありません」


「バカ、お前。何を勝手に――あうっ、うぐあぐ」


「えっ、ごめんなさい? ……この通り彼も謝っています。どうか許して頂けないでしょうか?」


「あうあぐむぐ!」


 反論の言葉を言い掛けたヴェルトの口を手で抑えて、謝罪の言葉を述べるミリア。抑えられたヴェルトの口から出る音は全く言葉にならない。手を剥がそうとしても、両手でしっかりホールドしていて離れない。

 いや、謝ってねえからっと彼は言いたいが、それも言語にならない。


「それに、あまり騒ぎを大きくはしたくはないので」


 頭に血が昇っていた様子の男は、その言葉にはっとしたように辺りを見回す。ヴェルトも釣られて見ると、先程まで通行人に徹していた人達が立ち止まり、こちらに視線を向けているのに初めて気が付いた。


「おいっ、そろそろ行こうぜ」


「……ったく、最初からそうやって素直に謝れば許してやったってのに」


「あー、ああががむぐご」


 いや、だから謝ってねえって、っという彼の内心は誰にも伝わらない。男は仲間に促され、二人して居心地悪そうにさっさと去って行った。

 それを確認してミリアは両手をヴェルトの口から離す。と共に、激しく呼吸を繰り返すヴェルト。


「はー、バカ、苦しいじゃねえか! いや、それより誰が謝ったって。何で俺があんな奴に謝らなきゃいけないんだよ。くそっ、今からでも追い掛けてやる!」


「ダメ、ヴェルト!」


 向かおうとしたヴェルトの腕をミリアが掴んだ。


「何がダメだ! 大体何でお前はあんな奴らに謝ってるんだよ。被害を受けた者が加害者に謝ってどうするんだよ」


「相手は大人。勝てないと思ったから。またヴェルト、怪我しちゃうでしょ」


 また……。

 さっきから繰り返し聞くその言葉が、ただでさえ苛立っている現在のヴェルトの感情を更に昂ぶらせる。


「またそれかよ。だからさっきからお前は一体何なんだよ」


「私はただ、ヴェルトに危険な目に遭ってもらいたくないだけ」


「だから俺があんな奴らに負ける訳ないだろ! 相手が大人だとか、普通は勝てないとか関係ねえ! ビビって逃げ続けたら、それこそ勝てるもんだって勝てなくなる」


 その時両親が、昔の仲間が死んだ時の状況が脳裏に甦った。と共に悲しみ、そして母親が死んだ時に決めた自分自身の願いが今再び強くヴェルトの中に形作られる。

 溢れる想いをヴェルトはひたすら言葉にする。


「病気だってそうだ。人間は皆、いつまでも途絶えることのないウイルスにビビっちまってる。どこかもうウイルスに勝てないと思い込んでしまっている。だから、ウイルスを倒すことよりもウイルスで死なない環境を作ることに力を入れているんだ。でも、そんなのただの逃避だ。このままウイルスが進化していったら、いずれここも死地に成り果てる。あんなもの作るくらいなら、精一杯必死こいて、ウイルスを一瞬で死去させる薬でも開発する時間に当てた方がよっぽど効率的だろ。あれこそ、消極的になった人間の弱さの象徴だ」


  ヴェルトは歯を噛み締めながら上を向き、そして上空に向けて右手を突き出し指を差す。しかしそこに昔見えた、無ければいけないものが無いことに歯痒さを覚える。

 この街、どころか他の地区にも繋がって空を覆うドーム状の白いフィルター。五年程前まで確かにあった天からの光も広大な青もそこには無い。地上から百五十メートル程に広がる景色はただの白なのだ。人工の灯りによって照らされた中の世界は、ウイルスの侵入を防ぐ特殊加工を受けたフィルターと更に外からの侵入を防ぐ為の高さ二十メートル程の頑丈な壁によって守られる安全を得る代わりに、外界との接触と共に自由が奪われた窮屈な世界。

 しかもウイルスの防護フィルターは世界中でもまだ三割程度しか設置されておらず、ほとんどの地域や国では未だにウイルスの恐怖に常に晒された状態になっている。

 フィルター外の調査も、防護服を着込んだ名のある医者が行くか、宇宙に小型衛星を飛ばすように、小型カメラを内蔵したロボットを動かし行っている現状だ。


「急ぐばかりが突破への最短ルートとは限らない。案外、安全に遠回りした道の方が早くゴールすることもありえるでしょ」


「その安全に遠回りした道を俺達が進んでいる間に、他の大勢の誰かが死への最短ルートを進んでいるんだろ。中に住んでいる奴らは何も心配はないと危険な現実を直視せずに安穏と暮らし、外の人達の苦しみなど理解しようともしない。俺達が笑っている今この時も、何処かで誰かの命が失われているってのに……」


 同じく平等に生きる権利がある筈なのに、一方は、どころかその割合はほとんどの者が死へと真っ直ぐ進むことになる。

 フィルターが設置されたのは、資金的に裕福な国、地域が優先的だった。

 もしくは各国の政府に近い街、あるいは一部の例外を除いてよっぽど病気が進行した危険な地域からという可能性もあるが、ほとんどの場合は金を持つ所から作られ、ほとんどの貧しい地域に住む人々がほぼ抵抗することも許されぬまま死を選ばされている。

 この世界は、自分達だけでも生き残りたいという意志を見せた大人達が親しい者を同罪者にしてまで住むことを選んだ世界と、抵抗敵わず死んでいく道を辿る者が住む死が待ち侘びる世界に分けられている。

 それにヴェルトは憤りを感じていた。まだ小さかったヴェルトは十歳になる少し前ぐらいの時にこの中の世界にやってきた。まだ小さい為やむを得ず入ることになったとはいえ、自分も安全だとされる世界で暮らしているのだからこんな事ただの上からの同情心に思われるかもしれない。いや、実際そうなってしまうのだろう。

 でも、ヴェルトは知っている。病気によって親しい者を失う悲しみを。死というものの恐怖を。だから昔から、ここにいることへの罪悪感と自分が無力なことへのどうしようもない怒りを抱いてきた。本気でこんな世界間違っていると思い続けている。


「それに危険なのは体だけじゃない。さっきのだってあんな大の大人がバカみたいに大人げなく子供に怒り散らすぐらい、病気は心まで冒し始めているんだ。皆、ここは安全だと言い聞かせて見ないふりをしながら、本当は分かっている。そんなの仮初めの安寧だということぐらい。急がないと、いつ人間の心が折れて何が起きてしまうかも分からないんだぞ」


 その時、ふとある光景がヴェルトの脳裏に過った。

 まただ。今までも何度か見た、過去にあった記憶が無いのに、しかしどこかで体験したよう気がする記憶。

 目の前に少女が倒れている。しかし小さい頃ははっきり浮かんでいた気もするその顔も、今はぼやけてはっきり見えない。だが、服装や体格から同い年くらいの女性だと分かる。あれは……誰だ? やっぱり思い出せない。

 しかし、その光景を振り切るように頭を横に振り、ヴェルトは意識を現実に戻す。

 あるのは、こちらを真っ直ぐ見つめる幼馴染みの顔。


「確かにそうかもしれないけど、でもヴェルトが生きられている。ここにいれば、とりあえず今のままならヴェルトが死ぬことはない。今はそれが大事」


「なっ……それ、どういうことだよ、ミリア。お前は、他の人がどうなっても良いっていうのか」


「そんな訳ない。私だって病気の恐怖はよく分かっている。だから、そのことを見過ごしながら私達だけ笑いながら生きていくのは心が痛む。けど、私は一番ヴェルトに生きていて欲しいし、ヴェルトは生きなければいけない。そうでしょ?」


「……今は俺のことは良いんだよ」


 ふと、昔のことを思い出す。昔、今のヴェルトの父親も同じようなことを言っていた。

 ヴェルトを掴んでいるミリアの左手の力が更に込められる。その上に左手を重ねて、真っ直ぐとヴェルトを見つめて言う。


「良くない。ヴェルトが世界を変えるんでしょ。私はあなたのその願いが叶うように精一杯サポートする。私達二人の力がないとその願いが叶えられることはない。だからもしあなたが死んでしまったらこの世界が変わることはないの」


 強い意志の込められた声と目。

 こいつは本気で俺が世界を変えられると思っている。

 昔からどんなに周りにバカにされようと、ミリアは俺の言葉を本気で聞いてくれていた。

 それに助けられている部分があることを、ヴェルトは改めて実感する。


「なあ、前から思ってたけど、何でお前は他の奴のように俺の言葉を聞いてもバカにしないんだ。どうして、本気で信じてくれるんだ?」


「――だって、あなたは私の世界を変えてくれたから」


 その言葉を口にしながら微笑んだ。普段から比較的表情の変化に乏しいミリアが、わずかに、でも確かに。

 それを見てヴェルトは、自分の肩に力が入っていたことに気付き、深呼吸して意識的に抜いた。そして強くミリアを見返す。


「ああ、そうだよ。俺はウイルスなんかにやられない。そして、このウイルスに支配された世界を変えてやるんだ。今の小さい子供達は太陽を見たことも、どころか外の空気を吸った事すら無いという子達ばかりだ。そんな腐った世界あるかよ。子供は広大な青空の下で、太陽の光を浴びながら、自由に外を駆けずり回るのが当たり前なんだ。誰もが思いっきり外の空気を吸える世界に俺がしてやる」


「だから私も、」


 ヴェルトは言い掛けたミリアの両手をもう一方の手でどける。


「別にお前の力が無きゃ変わらないって訳じゃない。別に俺一人でも出来る」


「それは私の力は必要ないってこと……?」


「でもな」


 しょんぼりと若干顔を俯かせたミリアだが、突如一層大きい声を出したヴェルトの方を再び顔を上げて見る。


「まあ、お前のその頭脳があった方が何かと役には立つんじゃねえの。っという訳で、お前がサポートしたいっていうなら、そっちの方が助からなくもない気はするから――勝手にしろ」


「ヴェルト……」


「なっ、何だよ」


 安堵とも喜びとも取れる、いや両方の混ざったような呟き声で名前を呼んだミリアの顔は声同様に微笑んでいた。その表情と声に、若干照れくさくてヴェルトはつんけんとした口調になってしまった。


「ヴェルトは素直じゃない」


「はっ、はあ、お前何言ってんだよ! 訳分からねえんから」


「つまりはヴェルトは、ずっと私に一緒にいて欲しいってことでしょ」


「いや、そこまで言ってねえけど! 俺は勝手にしろって言ったんだよ」


 飛躍しすぎだろ、っとヴェルトは内心で叫ぶ。


「分かった、勝手にする。……でも、喧嘩はダメだから」


「なっ、もうそれは良いだろ」


 もうその話は終わったんじゃなかったのか!

 またかよっと、うんざりとした表情をミリアに向けるが、ミリアはそんなの気にした様子はないというように、寧ろ顔を緩めて、


「だけど、さっきは私の為にありがとう」


 その言葉に、ヴェルトは少し顔が赤くなる。


「別にお前の為じゃねえよ。とっ、ともかくその話は終わりだ。早く研究所に向かうぞ」


 ミリアに背を向け、再び研究所への道を進み始めるヴェルト。

 しかし後ろからたったったっと駆け寄って来た音がしたかと思うと、隣にミリアが並んできた。


「そういえば、今日は皆もう来てるのかな?」


 横から覗き込むようにミリアに見られ、気恥ずかしさから顔を逸らしてしまう。


「多分、来てるだろ。皆研究にしか興味ない研究バカばっかりだからな」


「ヴェルト、それは言い方が悪いと思う」


 溜息混じりにミリアが言う。


「何だよ、事実だろ。それにマシンが徐々に完成しつつあるって父さんが言ってたしな。ラストスパート掛け始めるんじゃねえか」


「そっか、もう少しか」


 嬉しいような、どこか寂しいような表情をミリアが見せる。

 作る過程が楽しかったからこそ、目標の完成が近付きつつあるのに微妙な心境になるのかもしれない。何となくその気持ちはヴェルトにも分かる。

 しかし、ヴェルトには喜びと更に期待の方が断然大きい。


「ああ、あのマシンが完成したら俺が使わせてもらって、病気を殲滅することが出来るかもしれない」


「その時は私も、」


「二人で使えるかは分からないけどな」


 むーといった顔をミリアが見せた丁度その時。馴染みのある鐘の音が聞こえて来た。高調子な音が奏でるリズムが街中に響き渡る。

 音の発信源は、この街の中央に聳え立つシンボルにしてフィルターが設置される以前から何一つ変わることのない高さ百メートル程の時計塔。

 時計塔は一時間毎に音を奏でる。音に釣られて時計を見やると、現在既に時刻は十七時を回っていた。


「うわっ、嘘だろ、もうこんな時間だったのかよ。やばいな、急がないと。暗くなる前にさっさと研究所に向かうぞ」


「……うん」


 太陽光を遮断している中の世界でも、電気の節約と夜を表現する為に外と同じ明るさに調節される。つまり、もうじき夜が来る。

 そうして二人は、闇に染まり始めている道を再び進み始めた。

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