第1話 幼馴染み
「まだそんなこと言ってるのかよ、クソ悪人つり目! だから、無理だって言ってるだろうが」
「なんだと、鈍重デブ! だからやってみなきゃ分からないだろうが! いや、俺が必ずやってみせるつってんだよ!」
千二百以上という数の生徒を収めて尚、余裕がある程の広さを誇る学校の校舎を出て、五十メートル程進んだ所にある校門前。
そこに、上は白ワイシャツの上にベージュ色のブレザー、下は黒いスラックスを着た男子生徒と、同じ色だが下はスカートをはいた女子生徒が、多数集まっていた。その中心となっているのは二人の男子生徒だ。
一人は若干目付きの鋭さが気になるが、一般的な目線から言えば並以上の顔立ちのヴェルト・レヴォラー、もう一人はプクッと膨れ上がった頬に腹を見せる体躯の大きいエルボ・アクチャーが向かい合って、口論をしている。
二人をよく知らない生徒達は若干ざわつくが、同級生や二人を知る者は、やれやれまたかと言わんばかりに通り過ぎる、もしくは興味本位で立ち止まり、もっとやれだの、ファイト! だの煽る野次馬と化すかのどちらかとなっている。
「あのな、ヴェルト、常にウイルスは変化を続けているんだよ。それに人間の化学技術がまるで追いついていない。ならな、危険を冒してまでウイルスに勝利する道を取るよりも、こうやって“中”で暮らしながらずっと引き分け、均衡状態を保ち続ける努力をした方が安全的かつ効率的じゃねえか。なあ、これぐらい分かるよな?」
「お前が何言ってんだよ! そんな人間達が及び腰で逃げ続ける内に今現在だってウイルスは進化し続けるって言うなら、ここだっていつウイルスが侵入するか分からねえじゃねえか! 誰かがウイルスを消し去らなきゃな、人間は確実に滅びる。だから、俺がその責任背負ってやるって言ってんだろうが」
「はんっ、お前がか! 世界中のどんな名医も未だに成し遂げられていないってのに、何でお前が出来るって言い切れんだよ。成績もちょっと良い程度の凡才のお前が!」
「成績は関係ねえよ。大体、出来る、出来ないじゃねえ! やってやるっつってんだよ!」
「……ダメだ、無謀な夢を本気で語るバカとはまともな会話も出来はしねえ」
ハアっと、肩を竦めながらわざとらしく大きい溜息を吐くエルボ。
その態度に、ヴェルトは更に目を鋭くする。
「おいっ、誰がバカだと、バカデブ!」
「なんだと、このチビ。ったく、ああ言えばこう言う。口で言ってもダメなら、いつも通りにやってやるか、ああっ!」
自分達の感情そのままにお互いに罵りの言葉をぶつけていた二人は、その言葉を皮切りに握り拳を前に構える。
それを見た野次馬がキタ、キタっと更に盛り上がった。
『今日も負けるなよ、ヴェルト!』
『いい加減勝てよ、ヴェルト!』
「うるせえ! お前ら、俺がいつも負けてるみたいに言うな!」
あちこちから聞こえる野次に必死に反論するヴェルト。
実際この高校に進学してからまだ間もないが、既に二人は今のように拳のぶつけ合いになったことは何度かある。
だが、その全てが第三者の介入によって勝ち負け着くことなく終わってきた。
「さて、じゃあ、他の奴が止めに入る前にさっさとケリ着けてやるよ、クソデブ」
「抜かせ、それは俺の台詞だ。嬉しいぜ、ようやくお前に痛い目見せてやることが出来るんだからな、この悪人面が!」
「いい加減、減らないその口、黙らせてやるよ!」
そう怒りの感情を口に出すと共にヴェルトがエルボに肉薄した時だった。
「待って、ヴェルト」
人が一人、一瞬の内に二人の間に割り込んで来た。
「えっ、ちょっ、なんだ――って、なっ、ミリア! 何でお前がここにいるんだよ!」
ヴェルトが真っ直ぐ見つめるすぐ先。
そこには、綺麗なブロンドを後ろで一本に纏めたポニーテールを揺らした少女が立っていた。それでいて、見た男皆を魅了するような、光を反射させたかのように輝きを放つ青い目に、艶めいた唇。その美しい髪に雰囲気負けしない端正な顔立ちをしている少女がこちらに強い視線を向けて立っていた。
喧嘩を今や始めんとしていた男二人に集まっていた周囲の視線も、そんなこと意図した様子もない一人の少女に必然的に寄せられ、奪われた。
「なんでって、外が騒がしかったからまたヴェルトが喧嘩を始めたのかと思って。仕事を切り上げて急いで来たの」
「切り上げたってお前、生徒会をか?」
予期せぬ人物からの妨害に戸惑いが隠せないヴェルト。
生徒会を切り上げる? そんな個人の勝手が許されるのかよ、とヴェルトは至極真っ当な疑問を抱く。
そのヴェルトの質問に、少女はコクリと一回頷いて返す。
「生徒会は大丈夫。明日で今の案件を確実に終わらせるって言っといたから。そしたら皆、快くオッケーしてくれた」
「それはお前の主観だろ。会長がそんなこと言うもんだから、本当は皆早く終わらせたかったのに渋々オッケー出しただけかもしれないだろ」
とは言いつつも、ヴェルトは少女の言っていることが真実である可能性が高いということは分かっていた。
彼女の名前は、ミリア・ワー。ヴェルトとは小さい時に"始まりの街”において出会い、それ以来親しい間柄となっている。
そして何より彼女は、この学校の入学試験でほぼ満点を取り記録を塗り替えた、ずば抜けた頭脳を持ち天才少女と呼ばれている。それと過去の成績から、未だ新入生のカテゴリーから外れることがない中、既に生徒会会長を任されていた。
しかもまだまだ未熟な筈の一年生での会長ながら、物怖じしない性格、決断力、そして何よりその端正な容姿から女子、男子どちらからも強い支持を得ている。
反発のありそうな生徒会内でも歳下ながらミリアのカリスマ性でも感じ取ったのか、若干心酔しているメンバーまでいることもヴェルトは知っている。それなのだから、ミリアが明日終わると言ったら、皆信じて疑わないだろう。
それに何より、ミリアはヴェルトに対して嘘を吐いたことがない。そしてヴェルトの言ったことに対して疑うといった様子を見せたこともない。
「それは……。でも、どうせ今日は研究所行くから早めに切り上げる予定だったし、それにヴェルトが喧嘩したら五年と三十九日前みたいにまた怪我しちゃうんじゃないかって心配だったから」
「なっ、お前何でそんなの正確に覚えてるんだよ! っていうか、あれ怪我なんてしてなかったからな! 喧嘩する前に転んで元から怪我してたんだよ」
全然覚えてないけど。ていうか、転んで怪我するなんてドジを冒した記憶どころか本当に怪我をしていたという記憶も無いんだけど。
しかしミリアが言うということは本当なのだろうと、今頃になってヴェルトは少し悔しさが沸き上がってくる。
「ていうか、大体お前は心配しすぎなんだよ。そんなので仕事を放棄してくるな! こんなたかが喧嘩で――」
そこでヴェルトは、ミリアの先に見える大きい影。それが動いたのが見えた。
やばい、来るっと本能的に危険を感じた。
「てめー、こら、ヴェルト! なにミリアとイチャイチャしてやがんだ!」
「はあっ、イチャイチャなんかしてねえよ!」
ミリアを躱し、ヴェルトの背後に回ってから殴りかかろうとするエルボ。ヴェルトはそれを躱そうと、急いでエルボの移動先に視線を移すが、
「喧嘩はやめて」
再度、二人の間に素早く移動したミリアを前にエルボはその拳を止める。
「いや、やめてって、これは男同士の譲れないものを賭けた喧嘩でな……」
急いで拳を引いたエルボは言い淀み、戸惑いの表情を見せる。それにミリアは口調は淡々と、しかし顔は憂いたように応える。
「でも、喧嘩したらヴェルトが怪我しちゃう」
「ヴェルト、貴様ー!」
エルボは、再び憤怒の表情でこちらに向かってきた。
「お前は何忙しいことやってんだよ!」
「うるせえ、黙ってろ! 大体てめーな、いつも、ミリアと見せ付けるようにイチャイチャしやがって! 今だってなにミリアに守ってもらってんだよ。てめーは、女に守ってもらわないと喧嘩も出来ない腰抜け野郎か!」
「んだと、もう一遍言ってみろ、豚腹野郎! 誰が腰抜けだと! 大体イチャイチャなんかしてねえって言ってんじゃねえか!」
元はといえば、何故か校門前まで着いて来たミリアが生徒会室に向かった後に、エルボがヴェルトにいつもミリアといることに対して僻みを口にしたことからこの喧嘩は始まった。そこから今まで何度も口論になった赤体病に論点は移り更にヒートアップしていった。
さっきからやけにミリアとのことを言いやがって何なんだよ、とヴェルトのストレスは溜まっていく。
その感情を視線に乗せエルボに送ると、エルボも同じ視線をヴェルトに返す。二人の男は、間に挟まったミリアを越え、火花が散りそうな勢いで視線をぶつけ合う。
「こいつの言う通りだ! どけ、ミリア。男同士の喧嘩に水を差すな! 大体、いつもこいつは俺の夢をバカにしやがって、腹立ってるんだよ!」
「無謀な夢見るバカに現実教えてやってんのに、なんで逆ギレされなきゃなんねえんだよ!」
「この豚野郎!」
「ダメ、ヴェルト。今、こんな世界で人間同士で争ってる場合じゃないでしょ」
再び相手に向かおうとしたヴェルトを、やはりミリアは制止する。
「どいてくれ、ミリア! こいつとはどうしても一回決着着けなきゃいけないんだよ」
ミリアの肩に触れ、そっとどけようとした時だった。
急に近付いて来た、甘くてそして心地の良い香り。それに胸の辺りから背中にかけて回された腕の感触と胸に感じる柔らかさ。
「ちょっ、はっ、えっ、はあっ!? ――おまっ、何やってんだよ!」
「落ち着いた?」
「落ち着いたって、お前――」
ミリアがヴェルトを抱擁してきた上に、上目遣いで問うてきたのだ。
落ち着くも何も、ヴェルトは寧ろ不意の出来事に驚きと戸惑いが隠せない。顔を赤らめながらバタバタと暴れている。
そして、エルボに至っては呆然と口を開けながら、ただその光景を眺めている。
周囲の野次馬も同じような反応だったが、時間が経つにつれざわざわと騒がしくなり、最終的にはヒューヒューと祝福だか冷やかしだかの声が聞こえるようになってきた。
「くそっ、何だこれ……。こんなんで喧嘩なんかやってられるか、バカバカしい。ったく、離れろ、ミリア。急いでここを抜けるぞ」
ミリアを引き剥がそうとしながら言うヴェルト。
「…………」
「おい、ミリア!?」
「……分かった」
何故かむすーっと不服そうな顔で、渋々そうにヴェルトから離れるミリア。
ここまでのミリアの行動に動揺が隠せないが、今はそれどころではない。
一時も早くこの場所から逃げ出したかった為、そのまま校門に向けていつの間にか凄い人数になっていた野次馬の中に突っ込んでいき、ミリアもその後を着いていく。
「なっ、ヴェルト、てめー逃げんのか!」
「うるせえ、今日の所は停戦だ! 明日だ、明日決着着けてやるから覚えてろ!」
「ちょっと待てよ、おま――」
肉の壁で見えないが我に返ったであろうエルボの声が聞こえてきた。が、それが急に途切れた。
人の波に飲まれたのか……?
余計騒がしさが増し、状況もよく掴めないが、今はそんなの気にしている暇はない。二人でそのまま研究所への道を走り抜けていった。
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