エピローグ

 バッと目を開いた。

 寝ていたという感覚はない。実際はどうかは分からないけど、今自分の感覚で言えばただ数秒目を瞑ってからまた開いた。そんな感覚だ。

 でも、見えるのはベージュ色の天井。見慣れてはいるが、改めて意識してみると、ああ、こんな風だったんだと思ってしまう。

 それに背中が冷たい。頭も髪越しにひんやりとした冷たさを感じる。


「ここは……」


 私は仰向けになっていたようだ。起き上がり、真っ先に下を見るとリノリウムの床が広がっていた。 

 そして、そのまま顔を上げた。

 すると、目に入った。


 ――ニコリとお父さんが、微笑みながら私を見つめていた。


「お父さん……」

 

 自然と声が漏れた。呼ぶ声は引きつり、自分でも喜びなのか驚きなのかよく分からない。

 そんな私の言葉に、お父さんは困ったような笑みを浮かべた。


「お父さんですか……。やっぱりその呼ばれ方ははしっくり来ないですね」


 しっくり来ないのは私の方だ。声はすっかり大人びている。

 続けてお父さんは、大人の男らしくなった顔を再び先程のような微笑みに変えて、言った。


「お久しぶりです、ミリアさん。いや、あなたにとってはついさっき別れたばかりという感覚になるんでしょうかね」


「うん、そうだよ。――だからありがとう、お父さん。私の願いを聞いてくれて」


 部屋の中にあるタイムマシーンを見る。大きなファンの音は相変わらずだ。

 前と寸分違っていない、大きな鉄の塊がそこにはあった。


「いえ、あなたに貰ったタイムリングに入っていた情報のお陰です」


 握っていた手を開いて、前に差し出すお父さん。その手の上にはタイムリングが乗っていた。


「お父さん。もう歳はお父さんの方が上なんだから、二十五年前と同じじゃなくて、今の感覚で、大人として接して欲しい」


「そう、ですよね。……いや、そうだな。お帰り、ミリア」


「……ただいま、お父さん」


 私がこの時代、この時間に来るというのは、説明もしたし、タイムリングにも記載されていた筈だからお父さんは知っていた。

 待っていてくれた。良かったと安堵感と喜びに胸が埋め尽くされる。自然と笑みも溢れ、しかしその後すぐにハッと顔を引き締めた。聞きたいことはたくさんある。


「お父さん、今世界はどうなっているの! 病気は? ――それにヴェルトは?」


 それにもう一人見当たらない。

 もしかして……。嫌な考えが頭に過ぎった時だった。

 部屋の奥にある扉がすーっと静かに開いた。

 徐々に開き、そして次第に見えた顔に私は目を見開いた。


「ごめんなさい。料理をきりの良いところまでやろうとしたら、遅くなっちゃいました」


 背は大きくなり、元々可能性を感じていた顔に大人の魅力も合わさって魅力は増しているが、その顔に、雰囲気に面影がある。

 間違える訳がない。


「お久しぶりです、ミリアさん」

 

「エリーゼ……」


 ぐっと胸の中から押し上げてくるものがある。

 掛けたい言葉なんていくらでもある。

 そんな美人になって。でもそうなるって私は分かってたよ。

 ただそんなことより、最初に口に出たのは一番強い想いだった。


「良かった……」


 生きてた……。

 死ぬ筈だった少女の運命は変化を遂げた。生きててくれたんだ。


「病気は。もう大丈夫なの?」


「はい、もう大丈夫です。無事、今日まで何事もなく生きることが出来ました」


「そっか。……ありがとう。……生きててくれて、本当にありがとう」


 ありがとう。何度も噛み締めるように、私はその言葉を口にした。

 すると、小さい時と何も変わらないのに、確かに美しさは増した微笑みを彼女は向けてくれた。


「こちらこそ、本当にありがとうございました」


 その顔を見て、更に私は嬉しさが込み上げる。

 私達がやったことはなんの間違いもなかった。命尽きる筈だった一人の少女の命を救うことが出来たんだ。

 ヴェルト、あなたはただ無意味に死んだ訳じゃなくなったんだ……。


「あなたのお陰で私は、最高のパートナーと一緒になることが出来ました」


 えっと思わず言葉が漏れた。

 驚きで開いた口が塞がらない。聞いた瞬間はよく意味を理解出来なかった。しかし次第に飲み込み、そして左手を見た時、私はポカンと気の抜けた顔をしてしまった。

 エリーゼの左手の薬指には、綺麗な銀の指輪がしてあった。


「二人、結婚したんだ……」


 どうにか出した言葉は、掠れて上手く出なかった。

 でも、と考える。驚きもあったけど、もし生きていたなら必ずそうなると確信もしていた気がする。


「はい。七年前に」


「そっか、結婚か……」


 そう口にしてから、更に言葉は波のように押し寄せて、喉を押し上げてきた。


「おめでとう……。本当におめでとう」


 小さい時に大切な人を失ったと、とても悲しげに語っていたお父さんの顔を思い出した。

 良かった、良かったね、お父さん……。心の中ではそれも何度も呟いた。


「はい、ありがとうございます」


 エリーゼが優しくそう言うと、お父さんはエリーゼの肩をそっと抱いて、照れくさそうに言った。


「ミリアさんには、早く知って欲しくて。この時代にミリアさんが戻ってきたら、二人ですぐに報告しようと決めていたんです。――あっ、いや、決めてたんだ」


「あら、トム。どうしたの、そんな変な喋り方して?」


「ミリアにさっき言われたんだ。この歳の私に昔のように接しられるのが嫌だって。だから、娘がいたらと想像して接するようにしようと思って」


「ふうん、なるほどね……。そういえば、前に別れ際にトムのことお父さんって呼ぶって言ってたもんね。なら、私も同じく接しても良いでしょうか? 勿論、私のこともお母さんって呼んで良いので」


 お母さん。その響きは妙にしっくりきた。

 それにやっぱり歳上に敬語で呼ばれるというのには、違和感しかない。


「うん、良いよ。……お母さん」


「ありがとう、ミリア。……って、確かになんだか変な感じね」


 お母さんが苦笑する。

 その隣でお父さんは笑顔で私達を交互に見つめていた。

 そんな幸せな空間の中にいるが、それよりもまだ答えを聞いていないことを思い出す。


「そうだ、お父さん! それで、世界はどうなったの! 病気は! それにヴェルトは!?」


「うん、そうだな。それも話したいし、お前に会わせたい人達もいるんだ。とりあえず中に入ってくれ、ミリア」


「中に? ……うん、分かった」


 気になったが、まずは従って扉に向かう。


「じゃあ私は料理の続きをしてくるわね」


 お父さんは扉を開き、お母さんはそこから出て、中で挨拶をすると更にすぐに出て行った。次いでお父さんも入っていった。

 この先はもう何度も入って、見てきた研究室だ。パソコンと多数の配線、難しい本の列があったのは昔の話。

 変わることを望んでいた筈なのに。関係を失う可能性が高いことは分かっていた筈なのに、いざ入るとなると私は胸が詰まりそうになった。

 怖いんだ。望んでいたものを得るのと引き替えに失ったものがあるという事実に直面することが。あの好きだった光景とは違う光景があるということが。

 覚悟していたのに……。やっぱり辛い。怖い、怖い、怖い……。

 それでもお父さんに促され、私は進み出した。そして越え、扉の先に出た。

 そこに広がっていた光景に、私はまたも唖然としてしまった。

 人が三人いる。その三人が様子は様々だが、皆共通して私の顔を見た瞬間喜ばしげな顔をし出した。

 やったーと歓喜の声を上げるものも入れば、笑いながらパソコンを見つめているものもいる。その内一番騒がしい人が、タイムリープ成功だー! っと叫んだ。

 そしてその人がそのまま私に声を掛けて来た。


「やあ、君がミリアちゃん! ――って、うわっ、本当に可愛いね」


「ちょっと、いきなりそれですか……。もっと他にあるじゃないですか。少しは常識を弁えましょうよ」


「ちょっと言い過ぎじゃね! でも、本当に可愛いじゃん!」


「まあ確かにそれは否定なんか出来ないですけど。――こんにちわ、ミリアちゃん。この人がいきなり、ごめんね。私達、トムさんとエリーゼさんにミリアちゃんの話聞いていたの」


「おうっ。過去からタイムリープしてきたんだってな。俺達はなトムと一緒にタイムマシーンの研究をしてきたんだ」


 大人っぽい雰囲気漂う男性に言われ、私はふてくされるように答えた。


「……知ってます」


「えっ。……知ってる? っていうのは、私達が一緒に研究してきたってこと?」


 女の人が驚いた様子を見せた後、訝しげな顔で疑問を口にした。

 いや、女の人なんて他人行儀は似合わない。同じような表情を向けた男性二人も知っている。

 その顔が、広がっている光景が、全てが私の頭の中に広がる記憶そのままだ。


「それも、四人の関係性も、皆さんの名前も……。もう会えないと思ったから、また会えて嬉しいです……。あの時は私とヴェルトを助けてくれて、ありがとうございました、お父さん、そしてザムエルさん、ルドルフさん、アリーナさん……」


 皆、驚いた顔を向けてきた。そしてそれは徐々に戸惑いの表情に変わっていく。

 勿論理解はしている。これは変わった世界。もう三人の記憶に私とヴェルトと過ごしてきた記憶はない。辛い。私が過ごした日々とこの人達の過ごして来た日々は違ってしまったのだ。

 でも確かに私には記憶がある。三人の顔にも、アリーナさんがルドルフさんには当たりが辛いということも、この暖かさも。

 それは間違える筈もなくあの時のままだったから。本物だったから。自然と言葉が口を出た。


「それは変わる前の世界で、ミリアは三人とも出会っていたということだね」


 お父さんに聞かれ、私は首を縦に振った。


「……うん。病気が蔓延していた世界で、それに対抗する為の薬とタイムマシーンの研究と開発で同じくここに四人で集まっていたの」


「へえ、そうなのか! じゃあそこではアリーナは今みたいに隠さず俺にはっきり好意を示してたんだろ? どうせ、好き好きオーラでも出してたんだろうな」


「そんなのやらなきゃ明日死ぬって言われても、私はやりませんから。絶対嫌です。ていうか、好意とかありませんから」


「そこまで! だからさっきから酷くない!」


「そうですね、そういうのは見せませんでした。というより、今と全く同じ感じです」


「えっ、前もこんな扱いされてたの! どんなに世界が変わってもアリーナの俺へのこの態度は変わらないの!」


 ガーンとショックを受けて、分かりやすく頭を抱えるルドルフさん。その様子を見て、私達は全員で笑った。

 色々な驚きに次々対面して、頭も心も整理出来ない中、私も自然と笑みが溢れた。それでやっぱり変わってないと、改めて実感して更に笑った。

 そして笑いが収まった所で、ザムエルさんが口を開いた。


「ミリア、だっけ。ちょっとお前の話聞いてみたいな。その変わる前の世界のこととか、過去で経験してきたこととかな」


「私も聞きたいなー。色々と」


「俺のことをか?」


「…………」


「遂に無視!?」


 つーんとそっぽを向くアリーナさんに躍起になってルドルフさんは迫る。その光景に私は頬を緩めた。

 さっきは好意なんて見せないと言ったけど、本当はたまになら見せるということも私は知っている。本当は素直になれないだけだということも、誰よりもルドルフを尊敬しているということも。今一瞬、よく言い過ぎた後に見せる、申し訳なさそうな顔をアリーナがしたのも見逃さなかった。

 そんな二人を横目に、お父さんが話を続けた。

 

「ミリア。その前に、聞きたいことがあったんだったな」


「あっ、うん、そう。世界はどうなったの? まだ病気に支配されているの? それとヴェルトはどうなったの? もしかして、別の人生を歩んでいるの?」


「一旦落ち着きなさい。まずとりあえず、世界がどうなったか、か。そうだな……」


 お父さんは言いながら、顔を伏せだした。

 その雰囲気に私の一瞬心臓が跳ねた。もしかして、と嫌な予感が頭を過ぎった。

 それからお父さんが言葉を続けた。


「ミリア。さっきお前は、前の世界で私達研究チームは、タイムマシーンの開発と病気に対抗する為の薬の開発をしていたと言ったな。でもこの世界では、タイムマシーンの方は手掛けているが、あとは単純に科学を究明する為の集まりになっている。ただ研究が好きな奴らが集まったチームなんだ。私達は、薬の研究なんてしていない」


「えっ、それって……」


 お父さんが顔を上げ、ふっと包み込むような笑みを向けてきた。それを見て、自然と目を大きく開いてしまったのが自分でも分かった。

 薬の研究なんてしていない。それはつまり、する必要がないということ。

 それだけで充分伝わった。


「少なくとも私達は、悲しみを背負う過去は経験してきてはいないよ」


「やった……」


 心からの笑みと素直な言葉が口に出た。

 更にお父さんは二つのことを教えてくれた。

 まずは病気が消え救われた世界の中で、戦争という悲劇が増えたということ。

 赤体病という強大な敵を前に他国に敵意を向ける余裕など無くなっていた為少数国程度同士でしか起こらなかった前の世界とは違い、この世界では各所で戦争が多発しているということ。

 そして後は、前の世界では始まりの街と呼ばれていたあの街でハンナさんが、なんと結婚して子供を授かり、あの店で相変わらず元気に働きながら暮らしているということ。時間に余裕を持てたなら私に、店に来て欲しいと言ってくれていたということ。そんな喜ばしい話。

 光があれば闇があるという当たり前の話。そしてそれはどちらもなくなることはない。同じように幸せの裏に悲劇は必ずある。悲劇は消えることはないのかもしれない。病気が消えた代わりに戦争が増えた。なら、私がやったことは間違いだったのか。

 そんな考えはキッパリ断ち切った。もう迷うことはやめた。

 上手くいってくれて良かったと心から思う。本当に。

 お母さんも生きてくれて、病気は消え、死に行く筈だった人の未来が変わった。

 その人達の喜びは間違いではない筈なのだから。現に目の前のお父さんはこんなに幸せしそうにしているのだから。そして誰より私が今、心から喜んでいるのだから。だから、間違いではなかったんだ

 嬉しさのあまり込み上げるものを私は堪えた。まだ一つ不安が残っている。

 まだお父さんの口から出ていない人物。


「お父さん、ヴェルトは……?」


 結構話してもまだお父さんの口から出てこない名前を口にするのが怖くなっていた。聞きながら、心臓を摘まれたように息をするのが苦しくなる。


「あのな、ミリア……」


 お父さんは何かを告げるのを恐れるように、言い淀んでいる。

 私はなにも言わず続きを待った。というより何も言うことが出来なかった。


「今エリーゼが皆の分のご飯を作ってくれていてな。そろそろ出来上がる頃だろう。手によりを掛けてたから、大分おいしいと思うぞ」


 予想もしていなかった言葉に私は一瞬戸惑った。

 お父さんは急になんでそんな話を。

 私がその疑問を口にする前に、お父さんが続きを口にした。


「あー、あれだ。そのご飯は皆の分を用意してくれてる筈なんだけどな、まだここに一人いないやつがいるんだ。だからミリアが迎えにいってくれないか?」


「いないやつ……?」


 ドクンと鼓動が跳ねた。まさかと、体の中の熱が上がったのを感じた。

 パッと思い浮かんだ彼の笑顔。

 もしかして……もしかして、またあの笑顔を見ることが出来るの?


「あのバカ、買い物行ったっきり帰ってきやがらねえ。どうせどっかで道草くってやがるんだろうよ。近くにはいるだろうぜ」


 ザムエルさんが言ったバカという響きも懐かしい。それは間違いなく彼に向けて言っていた言葉だ。


「ヴェルト……」


 込み上げていたものは、今にも溢れ出してしまいそうだけど、私はまだと抵抗する。

 でも、足は動き出していた。


「私、行ってくる!」


「ミリア!」


 掛け出し、階段に向かった私をお父さんが引き留めた。

 振り返り見えたものは、先程のように言い辛そうにしているお父さんの顔。


「あのな、ミリア……」


 言い淀み、しかし数秒の逡巡した様子を見せた後、お父さんは決心した様子で口を開いた。


「昔私達が会った時の記憶は、今のヴェルトにはないんだ」


 勿論覚悟はしていた。そんなの分かっていたことだ。

 この時代で生きるヴェルトは、私と一緒にいた未来から過去に来たヴェルトではなく、この時代で生まれるべくして生まれた、私とは無関係な男の子。

 病気のなくなったこの世界で生まれ生きる彼を私は知らない。

 でもそのことが、私の胸を締め付けた。喉の奥で確かに震えるものがある。

 覚悟していたのに、どこかでヴェルトならと期待してしまっていた。でも、そんなことある訳がなかった。突きつけられた現実は、とても重くて耐えるのが苦痛なものだった。

 頭が真っ白になり呆然とする中で、お父さんの説明が耳に入ってくる。

 なんの運命か。昔機会があって戦地に赴いたお父さんが、偶然そこで出会った男の子は両親を戦争で失ってしまった孤児だった。それが過去で見た、忘れられる筈のない顔の面影を持ち、名前を聞けばヴェルト・レボラ―だと言われた時にはそれは驚いたと。その後引き取ったらしい。

 そして説明を終えたあと、お父さんが言った言葉。それははっきりと私に響いた。


「……ミリアのことは話していない。私の知り合いということで、初めて会った体でヴェルトとは接して欲しい」


 何を言ってるの。そんなの嫌だ……。そんなの嫌に決まってる。

 ……それでも分かっている。それが一番良いんだ。

 でも、それを認めるのが怖くて私は返事をすることが出来ない。口を閉ざし肯定を拒否している私より先に口に開いたのは、またお父さんだった。

 

「ごめんな……」


 何故、っと思った。

 なんでお父さんが謝るの? 別にお父さんが悪い訳じゃない。

 寧ろこの時代でもお父さんがヴェルトを助けてくれた。そのことに感謝している。

 私と過ごした日々の記憶がない。ヴェルトも例外である筈がないのに勝手に期待していたのは私だ。

 私の知ってるヴェルトはもうどこにもいない。どんなに性格が同じでも、顔が同じでも、もうあのヴェルトに会うことは出来ないんだ。

 そんなことを考える私にお父さんは、更に言葉を続けた。


「辛いかもしれないけど、それでもミリアにはヴェルトに会ってもらいたいんだ」


 お父さんの力強い言葉が聞こえて来た。はっきりとした意志を込めた強い言葉。

 会ってもらいたいと確かにそう言った。

 そこでそうかと気付く。

 辛いのは自分だけじゃなかった。お父さんだって、お母さんだって辛かった筈なんだ。

 自分を助けてくれた恩人が、どんなに感謝してもしきれない恩人が自分のことを覚えていないなんて、そんなの辛くない訳がない。そう知って、会ったことを後悔したのだろうか。


「お父さんは、ヴェルトとまた会ったことを後悔してる?」

 

 恐る恐る聞いた私に、ふっと優しく笑い掛けてお父さんは答えてくれた。


「そんな訳ないだろ。また会えて本当に良かったと思っているよ」


 だよね、と私は答えた。

 確かに辛い。苦しい。

 でも、元から私の意志は揺らいでいない。


 ――またヴェルトに会いたい


 ただそれだけだ。


「お父さん、私行ってくる」


「ああ、頼むよ」


 いってらっしゃいという、皆の声を背に私は再び駆け出した。

 扉を開き家の外に出る。すると、目に眩しさを感じた。

 太陽の光が私の顔を照らす。ああ、とても暖かい。

 上を向く。つい一ヶ月程前まで見えていた上空を覆う白はどこにもない。そこにはどこまでも澄み切った青い空が広がっていた。

 取り戻したいと願った空が今、自分の目の先にある。この時代でも見ることが出来た。この暖かさを感じることが出来た。改めて、世界が変わったということを実感した。

 そして私は進む。赤の他人ではない。その変わった世界で生きる、私の大切な人に会う為に。

 自然と足は動いた。長年見てきた景色は、変わる前と違いを見出すことが出来ない。そんな道をひたすら進む。

 そのまま入った、研究所の近くにあった森の中をひたすら進む。昔は人の手によって操作され作られたこの森も、今はきっと自然に出来たものなのだろう。匂いが心地良く大らかだ。

 そしてそのまま進むと、草原のような場所に出た。 そこで、足を止めた。

 ああっと喉が震えた。


「ヴェル、ト……」


 まともな言葉として出てこない。色々な想いが衝突して上手く出ることが出来ないでいる中、その名前を私はなんとか絞り出した。

 前の世界ではなかったその場所は、驚くべきことに小さい時によく行った、あの始まりの街と呼ばれていた街の近くにあった草原によく似ていた。それだけで充分懐かしくて、感慨深いというのに、更にそこによく見てきた背中があった。両手を地面に付け、座り込みながら向こうを見ている。

 見るのは然程久しぶりでもないのに。大分小さい時に出会った人物に会うかのような懐かしさを感じた。

 再び私の足は動き出した。


「ヴェルト!」


 今度はしっかり言葉として出た。

 彼は、顔だけで振り向いてから驚いた様子を見せている。

 徐々に近付き、気が付くと私はヴェルトの体に腕を回していた。

 感じる熱。高鳴る鼓動。それは私も彼もだ。


「うっ……うう……」


 押し寄せる想いは徐々に壁を崩壊させ、溜めていたものを一気に吐き出させた。

 

「うあぁぁぁー!」


 私はひたすら泣いていた。

 生きている。本当にヴェルトが生きている。もう一度、あなたを感じることが出来た。

 本当に久しぶりに私は涙を流す。


「ミリア……」

 

 一瞬、耳を疑った。心臓が止まった錯覚に陥った。

 私は言っていない。お父さんも話していないと言っていた。

 なのに、ヴェルトは私の名前を口にした。それにその声はなんとも優しいものだった。目を見開き、直後にはバッとヴェルトの方を見ていた。

 その顔は、声と同様に優しいものだった。


「ミリア、俺達の願いを叶えてくれてありがとうな」


 確かにヴェルトはそう言った。

 そんな筈は……。これは現実なのか?

 ヴェルトが私のことを覚えていた?


「私のこと、分かるの?」


「たまに夢を見ることがあって、その時常にお前の姿があったんだ。その時はよく分からないただの夢だと思ってた。でもやけにリアルで、何度も見る内に心のどこかで現実だと理解していたんだ。そして、今お前の姿を見て改めて実感した。何かのウイルスにやられた世界で俺が死んでお前に託した。……お前はちゃんとやってくれたんだな」


「ヴェルト、ヴェルト……!」


 抱きしめる力をより強くする。

 と共に溢れる涙の量が増す。止めどなく流れ、私の顔をひどく濡らしていく。

 私達の共有していた時間は失われてなんかいなかったんだ。


「ミリア、本当にありがとうな。やっぱり凄いよ、お前は……」


 ギュッと私の背中にも腕が回された。力強く、猛々しいその腕がとても心地良い。


「ヴェルト、生きてくれてありがとう……」


「俺を、世界を救ってくれてありがとな、ミリア」


 背中に感じる腕の力が強くなるのを感じながら私は彼の顔を見た。

 ぼんやりとした視界の中で、その顔からも暖かい雫が溢れているように見えた。


 

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