第25話 旅立ち

 一週間経った。

 とっくに決心はついている。今日ここを出るという覚悟は一週間前に既に決めていた。

 タイムリングに再び座標が灯ったあの日。未来との繋がりを取り戻したあの日に、私は全てをハンナさんに話した。

 未来から来たこと、その理由、そしてこの時代で私とヴェルトで何をしたかということ。

 私が元の場所……未来に戻ることが出来ると知って、ハンナさんは手を挙げて本当に喜んでくれた。今すぐ戻りなさいと言われたが、私は断った。まだハンナさんになにもお礼を返していない。

 初めて会ったあの日から、家にいさせてくれるだけでありがたかったのに、感謝の気持ちは増していくばかりだったんだ。

 だから私の感謝の分だけずっと仕事を手伝わせてください、手伝わせて欲しいと頼んだ。

 ハンナさんだけじゃない。デニスさんに、ヴェルトの入院費を払ってくれた人、優しく声を掛けてくれた人など、私を支えてくれた人はお客さんにも数えきれない程いるのだから。

 伝えきれるかは分からないけど、出来る限り伝えなきゃ。このまま帰ることは出来なかった。

 でもハンナさんはそれに首を横に振った。そんなのダメと優しい言葉を添えて。

 私は驚いて、なんでですかと聞いた。


「大切な人がいる、帰るべき場所に帰ることが出来るなら早く戻りなさい」


 ふっと笑って更に言葉を続けた。


「それに私は別にあなたに感謝をしてもらいたくて、あなた達と接してきた訳じゃない。あと、感謝なら私もしてるわ。あなた達といる時間は本当に楽しかったわ」


 その言葉に、ぐっと込み上げる複雑な感情を堪え、私は目を伏せた。

 でも、とハンナさんが言った。妥協してハンナさんが出してくれた案は、あと一週間だけ私と一緒にいてくれないかしら? っというものだった。

 ありがたくて、私は深く、深くお辞儀をしてから、分かりましたと答えた。

 それからの一週間はあっという間だった。皆と過ごす時間は楽しくて、そうしてそんな時間程経っていくのは早くて、加速したようにすら思えた。

 そして、今日、今。荷物はないが、自然身なりを整え、服はハンナさんにもらった白いワンピースを来て、私は扉のドアノブに手を伸ばす。

 これから私はトムとエリーゼの二人に最後に言葉を掛けてから、未来に戻る。だから、ハンナさんとはこれでもう最後になる。

 私は振り向いて、その先にいるハンナさんに向かって口を開いた。

 

「色々お礼をしたいことはたくさんあるんですけど、全部言うととんでもない長さになるし、でも……」


「そんなにかしこまらなくても良いわよ」


 クスクスとハンナさんが笑う。

 明るいハンナさんだから、最後は楽しく笑顔でお別れしたいということなんだろう。ハンナさんならそういうタイプだと分かっていた気がする。

 でも、最後に私が、使命感などではなく、単なる自己的な欲で言いたかった。


「いえ、言わせてください。……本当にありがとうございました」


「うん。それに関しては私も前に言った通り、こっちこそ本当にありがとうね」


 ニコリと笑顔を崩さずハンナさんが言う。

 その笑顔に、また感情の波が押し寄せてくる。悲しいけど、自然と笑顔が溢れる。でも、それと共に込み上げてくるものがある。

 目の下に溜まるものを感じていた。


「この時代に一番最初に出会った人がハンナさんで本当に良かった……。一緒にいて、したこともない色々な経験が出来て本当に楽しかったです。それに出会ったお客さんも皆優しくて素敵な人ばかりだった。ここにいる人は、私達が元いた病気に支配された時代では失われつつあった、人間本来の温もりを持っている人ばかりでした」


「……そう、だったんだ。あなた達も優しさばっかりだったから、分からなかったわ」


 ハンナさんの声が震えた気がした。

 いや、私もだ。

 二人とも、互いに相手の想いを知って、それでもそれを出さないように堪えている。


「辛い時に助けてくれたこと本当に感謝しています。本当にありがとうございました。ハンナさんがいなかったら、私の心は潰れていたかもしれない……」


「私はちょっと手伝いをしただけ。乗り越えられたのはあなた自身とあなたの恋人のお陰よ。その恋人が未来で生きているかもしれないんでしょ。なら、早く会ってきなさい」


「……それは可能性の話ですけど。あと、恋人ではなかったです……」


 あははと、ハンナさんが笑った。

 ひたすら笑って、目の下を擦った。


「笑い過ぎて、涙が出ちゃったじゃない。これ以上私を笑わせないでよ、疲れちゃうでしょ」


 その姿を見て、私も目の下を擦った。

 そして、上を向く。明るく眩しい太陽に目を細めてから、私はまたハンナさんを見た。ちゃんと笑顔で。


「本当はまだまだ言い足りないけど、これで最後の別れではないんです。二十五年後の未来でまた会った時、その時改めてお礼を言わせてください」


「覚えてたらね。その時には私も男を作っとくわよ」


 ニシシと、またヴェルトと私をからかっていた時のような悪戯めいた笑みを見せるハンナさん。

 もう会えない訳ではないのだから、悲しむ必要などないという意志を最後まで見せてくれている。


「会えるの楽しみにしておきます。だから、しつこいようですが、最後にもう一度だけ……」


 私はペコリと深いお辞儀をして、


「本当にありがとうございました!」


 お互いにもう一度目の下を擦ってから、笑顔で別れた。


   ☆★☆★☆★☆★☆★☆


 恒例となったファストフード店前に二人はちゃんと来てくれていた。

 時間を違うことなく、私より先に。

 十三時に待ち合わせで五分早く来たとはいえ、なんとなく歳上なのに情けない気がした。


「二人とも、わざわざごめんね」


「いえ、お見送りしたいと言ったのは僕たちの方ですから」


「このままミリアさんと別れるのは寂しいですからね」


「……ありがとう」


 トムと、そしてエリーゼが元気な姿を見せつつ言葉を口にする。

 本当は昨日伝えて一人で去ろうと思ったんだけど、二人がどうしてもタイムリープの瞬間に同行したいということで私はそれを聞き入れた。

 タイムマシーンの開発の参考になるかもと思ったし、それに本当はどこかで最後まで誰かに一緒にいて欲しいと思っていた自分もいたから。


「最近は体の方はもう大丈夫なんだよね、エリーゼ?」


「はい。徐々に酷くなっていた喘息の症状が逆に段々治まって、最近ではもうなくなりました」


「良かった……」


 自然と息が溢れた。

 本当に良かったと、心の底から胸を撫で下ろす。


「本当にありがとうございました、ミリアさん!」


 エリーゼが、そしてトムも一緒にペコリとお辞儀をしてきた。

 それを見て、私は本当に胸が熱くなった。

 私達のやったことにはやっぱり意味があった。私達の行動のお陰で世界を変えることが出来たのかな。一人の命を救うことが出来たのかな。

 いや、と緩めていた気持ちを締め直す。

 本当は分かっている。それ以外の可能性も決して低くないということは。

 エリーゼは本来の歴史では亡くなる筈の人間だった。世界があるべき姿に形を変えていくというなら、エリーゼの死も別の方法で起きてしまう可能性だってある。

 それにまだ完全に病気が消えたとは限らない。再び帰るべき道を見つけることが出来たのは、本来不測の事態に陥る筈だった未来のお父さんの状況が変わっただけかもしれない。何かが変わったのは間違いないが、ひょっとしたら世界の状況事態は何も変わっていないかもしれない。

 どうなったかなんて、やっぱり確かめてみないと分からないんだ。


「ミリアさん!」


「……なに?」


 顔を上げて、大きく声を出したトムに視線を集中させて聞き返した。

 すると、トムは腕を顔の前に立てて、その腕に付けたタイムリングを向けてきた。


「俺、将来科学者になることに決めました。理系の大学に通って、チームを立ち上げて、必ずタイムマシーンを完成させます!」


「……うん、お願いね。……本当にありがとう」


 今そう言われたばかりというのに、既に未来での完成は約束されている状況にどことなくおかしさを感じる。

 私が今からタイムリープするということは、設定された座標先に、タイムマシーンがあるということになる。なければ、見つかる筈がないのだ。

 もし戻った先が変わらず悲劇に満ちている可能性があったとしても、そこには希望もある。もう会えないと諦めた人と、もう一度出会うことが出来るのかもしれない。


「はい! だから、未来で会った時はまたよろしくお願いします」


「私もお願いします!」


「うん、うん……。こっちもよろしくね」


 それから私は、二人と二言、三言言葉を交わした。

 話している内、まだ話したいとも思ったけど、それも未来ですることにしよう。

 ハンナさんともそうだし、未来に帰ったらやることがいっぱいだな、っと笑いながらそんなことを考えた。


「じゃあ、私行くね。次会う時は年齢が逆転してるから、私はトムのことお父さんって呼ぶと思うけど、良いよね?」


「お父さんですか……。元はそうだったかもしれないですけど、今なら複雑ですね」


 まあ良いですけど、とトムが苦笑しながら答えた。それを聞いて、三人でクスリと笑いあった。

 穏やかな時間が流れる。

 その余韻そのままに、私はタイムリングのボタンに手を掛けた。


「それじゃあ、また未来で」


「はい。未来で会いましょう」


「じゃあね、二人とも」


 今は特に言葉はいらない。

 ボタンを押すと、タイムリングから出た光が体全体を覆い、目の前はただ眩しい光の壁になった。

 そして次の瞬間、視界は闇に染まった。



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