第24話 実行

 いつもの待ち合わせの場所に、エマとトーマスはいてくれた。

 膝に手をつき、ハアハアと乱れた息は一向に治まる気配がない。肺が痛い。息を吸う度に鉄の味が喉の奥から込み上げてくる。

 自分でも珍しいなと思う程の光景に、トーマスも驚きと戸惑いの表情を見せながら聞いてきた。

 エマも同じような表情だ。


「珍しいですね、ミリアさん。そんなに焦るなんて」


「ちょっと、用があったから……」


 こんなことを喋るのもきついくらい、酸素が不足している。それを補おうと呼吸を繰り返し、ようやく平静を取り戻す。


「用、ですか……。あれっ、でもその前にそういえばヴェルトさんは大丈夫なんですか。一緒じゃないみたいですし、熱出してたんですよね。まだ容体は良くないんでしょうか?」


 トーマスのその言葉にズキンと胸が痛んだ。

 冷静な自分を演じようとしたけど、出来なかった。暗い声と雰囲気で私は首を横に振る。


「うんうん、治らなかった」


「治らなかった、っていうのはどういうことですか?」


 私が言った途端にピクリと強張らせた顔でエマが聞いてきた。その言い方だとまるで……。そう言わんばかりに、察したような顔をしている。

 

「ヴェルトは死んだの……」


 改めて言うと、やはりまだ心の傷が痛んだ。本当はまだ向き合うのは怖い。でも、それでもこの二人には言っておかなきゃと思った。


「そんな……」


「嘘、ですよね……」


 二人とも私の言葉を聞いた瞬間、信じられないというような驚きの表情を見せてから、はっきりとした落胆の色を見せた。


「うんうん、嘘じゃないの、エマ。私が探している患者と同じ病気でヴェルトも死んだ」


「そんな……この間まで確かに元気だったのに」


 そう言うトーマスの声は震えていた。言葉の重みに耐えられず、支えるのに必死になっているように。

 そのことで辛そうにしてくれるのは心が痛いものがあるけど、でも確かにここに悲しんでくれている人がいるという事実に少し嬉しさも感じた。

 ヴェルトは想われていたんだって。あなたは誰かの心に残るような生き方をしていたんだって。

 それに、ただ死んだ訳じゃない。そこにはちゃんとヴェルトの意志がまだあるんだ。


「でもね、ヴェルトは自分の使命も私に託してくれた。そして希望も残していってくれた」


「……どういうことですか?」


 戸惑い消えぬ中、エマが訳が分からないといった様子で私を見ている。


「まず二人に言っておくことがあるの」


「何ですか?」


 私の真剣な様子が伝わったようで、必死に落ち着こうとしながら、改まった態度で耳を傾けるトーマス。

 私も落ち着いた声音で、静かに語り出す。


「今まで二人は私とヴェルトの手伝いで、ある病気の患者を一緒に探してくれてたよね。でも、もう大丈夫になったの。見つけたから。だからここに来たから」


「えっ……。ちょっと待って下さい、ミリアさん。それって一体――」


「ヴェルトは最期に私にその人を救ってって言ってくれた。だから私は救いに来た。薬を打たせて欲しい。お願い……」


「だから、ミリアさん、一体何を、」


「――エマ」


 途端に二人は口を噤んだ。

 二人は私の言う事実に頭が追いついていないようだ。混乱し、酷く動揺しているのが見てるとよく伝わってきた。

 それも無理はない。落ち着けと言う方が無理なことばかりさっきから言っているのだから。


「それはつまり、こいつがその患者だってことですか?」


「そう、なんですか……?」


「うん、多分」


 呆然とした表情を見せる二人。

 何とか口を開こうとするも、出すべき言葉が見つからないようだ。

 しかし数秒後、ようやく言葉が纏まったのか、トーマスが口を開いた。

 

「多分って、何を根拠に……。こいつは熱も出してないし、血も吐いてないですよ。二人が言っていた症状は何も出ていないです」


 それは想定していた反応。

 その症状が出ていない可能性は考えていた。その理由も。


「まだその前の段階だとしたら。ただの風邪に酷似した症状なら記憶があるんじゃない? 最近なにか、変わった症状とか現れなかった?」


「いえ、そんなの――」


 あっ、となにか思い出した様子を見せるトーマス。

 エマもなにかに思い当たったようで、口を開いた。


「最近まで治まっていた私の喘息が、また近頃酷くなっていたというのがありますけど」


「元々、喘息の症状があった……。もしかして、元々体は弱い方だった?」


「はい。定期的に風邪も引くぐらい、正直あまり体は強い方ではなかったですけど……」


 エマが心配そうに言う。

 なるほど、体は弱かった。だからなのかなと、納得する。


「多分、それも病気の影響だと思う」


 運悪く私達と一緒にいた際に免疫力が弱ってしまった。あるいは私達の手伝いをした疲れからだとしたら、申し訳なくて仕方がない。

 ただどちらにしろ、その所為で再び喘息の発作を起こし、これから赤体病を発症してしまったのだろう。いや、その喘息も、喘息ではなく、病気の症状の一種かもしれない。


「そんな……」


「ちょっと待ってください、ミリアさん。こいつの喘息は昔からなんですよ。単にそれが再発しただけかもしれないじゃないですか。いや、そもそも何でエマが病気だって知ってるんですか? いつもみたいに答えられないじゃ困ります。これははっきりしてもらいたいです」


 言葉を出しあぐねているエマの代わりに、トーマスが強い意志で言葉を発した。

 私としても、今更になって隠す気などない。

 元々言うと決めていた。


「大丈夫、答えるよ。でも、今から言うのは全部真実だから。お願い、どんなに信じられない答えだとしても私を信じて」


「信じます」


 エマも未だ戸惑っている筈なのに、確かにそう誓ってくれた。

 大丈夫。そう自分に言い聞かせて口を開いた。


「――私とヴェルトは二十五年後の未来から来たの」


「未来……ですか?」


 首を傾げるトーマス。予想出来ていたかは分からないけど、それでも想像出来る範囲のものとは全く違うものだったのだろう。

 普通ならバカにされるこんな発言をしている自分を客観的に考えて、信じてくれるだろうかと不安が増しながら、それでも言葉を続ける。


「未来ではあるウイルスの影響によって赤体病という病気が世界規模で流行っている。その病気の所為で、かなり多数の人間が死んでいく悲惨な世界になってしまっているの。この街も始まりの街と呼ばれ、荒んだ街になってしまっている……」


「そんな……」


 エマが驚きの声を上げる。と共に呆気にも取られているようだ。

 

「それで、世界を変える為に過去で病気の最初の感染者を助けることで、病気そのものをなくそうとしてた」


 それを私なら出来るとヴェルトは託してくれた。

 だからこそ、私は今ここでやるべきことをやらなければいけない。


「でもそんな、時を越えるなんてありえないこと……。どうやって来たんですか?」


「それはタイムマシーンのお陰。ある人が作ったタイムマシーンを使って私とヴェルトはこの時代に来た。この腕に付けてる黒い機械も、タイムリープに必要なタイムリングと呼ばれる機械なの」


 タイムリングの液晶画面を向けるようにし、見せる。

 その際に私も見たけど、瞬間懐かしさが込み上げてきた。思い出したのはお父さん、そして研究所の皆の顔。


「そしてこれを作った人は、未来で両親や仲間を失って行き場をなくした私とヴェルトを引き取ってくれた、父親代わりの人。名前は、トム・エアフィンダー」


「えっ、なんで……!」


「うそっ……」


「やっぱり君だったんだね、トーマス。本当の名前はトムだよね?」


 口は開けっ放し。驚きがはっきり表れた顔を向けてくるトム。エマも同じ表情と声を出す。

 やっぱりそうだった。

 この時代で初めて会った時から、どこかで会った気はしていた。出会っていたのはここより未来でだったんだ。

 

「証明として大人の君に、小さい時に海で溺れて死にかけたって話も聞いたよ」


 いつの日か、日常的な会話の中で聞いた話。


「エリーゼ、話したのか?」


 上ずった声で聞いたトムの問いに、ぶんぶんと首を横に振るエリーゼ。

 それを見て、静かにふうと息を吐き出すトム。


「……小さい時のことと、まだ本名は教えてない筈なのに知っているということは、本当で間違いないみたいですね。すいません、別に悪気があった訳じゃないんです。でも、本当の名前を言うタイミングを逃して……。確かに僕の名前はトムです。こいつはエリーゼ」


 まだ受け容れられてはいないようだが、それでもとりあえず納得してくれたようだ。

 そのことに安堵する。


「でもさっき、ミリアさん、私に薬を打たなきゃって言ってましたよね。もしかして、未来では私は――」


「うん。お父さん……トムは病気が始まった頃に大切な幼馴染みを失ったって言ってた。だから、嫌な気分になったらごめん。でも聞いて、エリーゼ。あなたはこのままだと死ぬことになる」


 私の言葉にいち早く反応したのは、トムの方だった。


「本当、なんですか、ミリアさん? それに今の話の流れからすると、その未来の病気っていうのはエリーゼが病気にかかった所為で広まったってことですか……?」


「それはなんとも言えない……。ひょっとしたら私やヴェルトから既に病気が感染してしまっているかもしれない。エリーゼからとは言い切れない」


「ちょっと待ってください、ミリアさん。ミリアさんから感染っていうのは……」


 相変わらず戸惑った様子で、そして恐る恐るトムは口にする。


「私も本来なら病気に冒されていた。でも、この時代では限られた数しかない薬をヴェルトが使ってくれたお陰で私は助かった」


「そう、なんですか……」


 ポツリと呟くトム。

 自分で言っといてなんだけど、こんな途方もない話に呆気を取られているように見える。


「だからそんなの分からない。誰の所為とかじゃない。でも、このまま治さなきゃエリーゼは病気に罹って結局本当にそうなる可能性は高い。まだ症状が薄い今の内に薬を打って病気が消えれば、歴史は変わるかもしれない」


「打てば、治るんですか?」


 トムの暗雲立ち込めた顔に、パーっと淡い光が灯った。

 その光を消すのには躊躇いがあったけど、嘘を吐くことは出来ない。


「分からない。可能性があるだけの話。そもそも赤体病はウイルスがほとんどの薬に耐性を持っているのが最も厄介な点。だから、私が使う薬も効かない可能性もある」


 それに仮にエリーゼの病気を治せたとしても、既に他の誰かに感染してしまっている可能性もあるし、そもそも他の何かで補完されて結局病気は消えないという歴史になっている可能性だってある。

 どう考えたって分からない。


「でも、なにもしなければ、なにも変わらない。それに薬を作ったのは、未来のトム、あなたなの。大丈夫。私は信じているし、あなたも信じて」


 皆が私を信じて託してくれたから、私も皆を信じるんだ。


「安全面は大丈夫なんですか……?」


 言われた途端に、ドキリと胸が跳ね上がった気がした。痛いところを突かれた。

 安全だ、と言えば多分信じて打たせてくれるのかもしれない。

 でもそんなこと、私には出来ない。無責任な嘘で一人の少女を危険に遭わせるなんて許されることではない。

 元々こっちから言う気ではあったけど、それでも不意を突かれて言われたことに戸惑った。


「安全だと、保障は出来ない」


「そんな……」


 トムの悲しげでかつ戸惑いが伝わってくる声に胸が痛くなる。

 突然言われて戸惑う気持ちは痛い程理解出来るし、その上言われた言葉は全て簡単に受け止められるほど軽くはない事実。

 トムだって、いや、ずっと一緒にいるトムだから、同じくらい辛いんだ。

 私だって幼い二人にそんなこと突き付けるのに何も感じない訳がない。

 そう思っていたのに、


「分かりました、ミリアさん。お願いします。私に薬を打ってください」


 その言葉が聞こえた瞬間、俯きかけていた顔をバッと上げた。


「エリーゼ、お前……」


 トムは思い詰めた顔でエリーゼの顔を見るが、エリーゼは逆に覚悟を決めた顔をしていた。

 こんなにあっさり受け容れられるとは思っていなかったから、私も驚いた。


「どうしたの、トム?」


「どうしたのって、お前……自分が今病気だって言われんだぞ。怖くないのか!? 世界でかなりの人が死んだ病気に罹ってるって言われて怖くないのかよ……。このままじゃお前、死ぬって言われてるんだぞ!」


「勿論怖いよ。でもだからこそ治さないと。それにただ私は薬を打ってもらうだけ。それ以上のことは何もないんだから」


「……得体も知れない病気の為に、安全か分かりもしない薬を打ち込まれるなんて。そんなの危険だろ……」


 歯を噛み締め、苦しげに吐き捨てるトム。

 どんなに信じると言ったって、証拠を突きつけられたって、真実味のない事実を簡単に受け容れることなど出来ないだろう。特にそれが信じたくないことならば。

 頭では理解出来ても心では理解出来ない、まさにそれなのかもしれない。

 私はトムの言う事実に、返す言葉が見つからず口を開くことが出来ないでいた。それは否定することの出来ない、確かな気持ちだったから。

 でも、それでも。リスクを突き付けられて尚エリーゼは気丈に笑った。

 そしてそのままトムに優しく語りかけた。


「大丈夫、トム。未来のあなたが作った薬でしょ。なら、なんの心配もない。私は心配なんてしてないよ。だからお願い、トム。自分を信じて」


 それに、とエリーゼは続けた。


「私が一番怖いのはあなたと会えなくなること。私は死にたくない。だから助かる道があるというなら迷わず私はそっちを選ぶ。お願い、私を助けて、トム……」


「エリーゼ……」


 トムは揺れた瞳でエリーゼを見つめる。

 その声に、その表情にまだ確かな恐怖が見え隠れする。でも、その中にさっきとは違う、向かい合う覚悟が見えた気がした。


「そうだよな。一番怖いのはエリーゼ、お前なのに、支えるべき筈の僕がビビってどうするんだよって話だよな……。ごめんな、エリーゼ」


 それを聞いて、エリーゼは顔をふっと緩めた。この状況でよく笑えるなと、凄いと、素直に思った。

 そして彼女は、甘えるような態度で口を開いた。


「手を握ってて、トム」


「なっ、なんでだよ! いらないだろ、そんなの」


「お願い……」


 トムは照れ臭そうに断るが、エリーゼはそれでも曲がらない。

 甘えていて、でもどこか真剣でもあるエリーゼの態度を見ている内に、トムは溜息を溢す。

 そして再び顔を締めて、こちらに向けた。


「ミリアさん、お願いします。こいつを助けてやってください。まだそんな歳取ってないけど、僕の今生の願いです」


 そう言ってから、トムははにかんだ。そして髪をくしゃくしゃと掻き分けてから、「あーもう!」と言いつつ、エリーゼの両手を握った。


「二人ともありがとう。じゃあ、薬を打たせてもらうね」


 二人の様子に思わず私は微笑んでしまったけど、お礼を言った後再び顔を強張らせる。

 人一人の命が懸かっているんだ。ミスは許されない。


「はい……お願いします」


 エリーゼのその声は若干震えていた。そして今は目を瞑っている。

 その手を優しく握り、私は胸ポケットから取り出した注射器の針の先端を徐々に近付けていく。徐々に、徐々に近付き、皮膚に触れたのでそこで止めた。ビクンと反応したエリーゼに、大丈夫と声を掛ける。

 それはエリーゼに向けたようでいて、自分自身にも向けた言葉。もう今更怖がってる場合じゃない。

 私は、覚悟を決めて針をエリーゼの体の中に入れた。

 一瞬顔を歪めたエリーゼを心配そうに見つめながらも、邪魔はしてはいけないと判断してか、トムは心配げな表情の中、必死に堪えて見守っている。

 そして薬を打ち込んだ。


「終わった……」


 不意に声が漏れた。その後急いで、そして確実にエリーゼの体から注射器を抜いた。

 考え得るべき最善のこと、そして薬が無くなった今私に出来ることは全てやり遂げた。


「どうですか、ミリアさん?」


「うん、大丈夫。もう打ったよ」


 トムが不安げに聞いてきたので、私は安心させようと努めて優しく答えた。


「エリーゼはどうなるんですか?」


「あとは経過を待つことしか出来ないけど、多分このまま薬が効いたなら喘息の発作も治まると思う」


「そう、ですか……」


 リスク以外に明白なメリットを掲げられて、若干だけど安心したような表情を見せるトム。


「大丈夫か、エリーゼ? どこか痛いとか気分悪いとか……」


「大丈夫、別に問題はないよ」


 手を繋ぐ先、幼く儚い少女に尋ねる、同じく幼い男の子が互いに相手を思いあい、言葉を口にする。

 その言葉で私も安堵した。

 とりあえず今は特に問題はないようだ。これから、彼女の体調が良くなることを願うしかない。

 そうして二人で話していた内、不意にエリーゼがこちらを向いた。そうしてニコリと微笑みを見せた。その笑顔は可憐で、綺麗に咲き誇る花のようだった。


「――ミリアさん。私の為にありがとうございました」


「ありがとうございました!」


 二人とも、繋いでいた手をほどき、深く頭を下げた。

 それを見て私には申し訳ない気持ちが起こる。


「そんな、お礼を言われる程のことはしてないよ……」


 私は、お礼を言われるようなことはまだ何もしていない。ただ当たっているかも分からない推測のままに、自己満足な行動を取っただけ。

 でも、自然と顔は綻んだ。私にはそれ以外にはっきりと喜びの感情もあった。

 ヴェルト。あなたが私に託して希望を残してくれたから、私もその希望を繋げることが出来た。

 この希望は、きっとこれから大きく世界を照らすことになる。私はそう信じている。

 全部、あなたのお陰……。

 そう思った時、頬にむず痒さを感じた。何か生暖かいものが、頬を通過していく。

 触れるとそれは形を崩した。いや、正しく言えば元々形なんてない。

 私は泣いていた。


「ミリアさん……?」


「……ごめん。つい」


 呆然とした顔で見る二人の内、エリーゼに問われ、私は目元を手で拭いながら答える。

 トムとエリーゼは最初は状況を読み取れていない様子で呆然とそんな私の姿を見つめていたけど、顔を見合わせると二人で笑みを溢した。

 ようやく終わったんだ……。もう終わった。

 あとは、ただ信じて結果を待つだけだ。

 っと思い至ったところで、いやと考え直す。

 まだ一つやり残したことがあった。

 私はポケットに入れていたタイムリングを取り出した。

 これはヴェルトが残していった希望の一つ。これをトムに向けて差し出した。


「はい。これを受け取って、トム」


「えっ。それはタイムリープに使うやつでしたよね。ミリアさんが今腕に着けているということは、それはヴェルトさんの……? それを僕に?」


 驚きとよく分からない事態に戸惑いの様子を見せるトム。

 そんなまだ小さい体つきをした男の子は、私が元いた時代では天才科学者と呼ばれ、過去に希望を灯したタイムマシーンを作り上げたとても大きな存在だった。

 本当に凄いと尊敬していた。でもその反面、タイムマシーンなんてはっきり言えば常軌を逸した物体を作り出したこと、作り出せたことに疑問を持っていた。

 誰も作ったことのない、言うなれば誰も踏み締めたことのない未開の地を行くような、そんな人間が生きている内に出来るかも分からないことをやってのけることが出来たのか。

 今なら分かる。おそらく今私がやったように、今までもこの少年のトムにタイムリングが託されてきたからだ。

 お父さんのことだ。多分そのタイムリングに、ただの数字と文字の羅列に擬態しているこの機械の情報を入れている筈だ。

 お父さんは私達のことを昔会った人達に似ていると言った。小さい時のことだからか、もしくは他の何らかの理由によるものかは分からないが、記憶は曖昧なようで私とヴェルトだと認識せずにタイムリングを受け取った。それでも、タイムリングがまた誰かに受け継がれる可能性は考えていたんだと思う。

 だから、ゼロから作ったんじゃない。既にあったものから情報を得て作ったなら納得することが出来る。

 それと今までの歴史では何故少年のトムにタイムリングが渡ってきたかも予想はつく。

 ヴェルトは言っていた。私以外に病気で誰かが死ぬと。それが本当にエリーゼだとしたら、そのままトムに渡った可能性が高い。死んだ私じゃ託すことは出来ないのだから。

 同じ時を繰り返すのが歴史となってしまった時間の流れの中で、今私が生きるというイレギュラーを作るまで繋ぐことが出来たのも、ヴェルトのお陰だったのかもしれない。

 だから私も繰り返す。

 そして私と、ヴェルトの夢が叶ったと信じて、私からも託す。


「お願いがあるの、トム」


「……あっ、はい、何ですか?」


「それとそれに入ってると思う情報を基にタイムマシーンを作ってほしいの」


「えっ……」


 更に謎は深まったと言わんばかりに、戸惑いが増した様子を見せるトム。

 代わりにエリーゼが「それが必要だからですか?」と聞いてきた。


「うん。さっき言った通り私はトムが作ったタイムマシーンを使ってこの時代に来た。だから、私が元の時代に戻る為にはトムがタイムマシーンを作ったという絶対条件が必要ということになる」


 そもそも、もしこのままトムがタイムマシーンを作らなかったなら、私がこの時代にいること自体がおかしいことになる。

 それは歴史にあうように修正されるのか、それとも何かの映画のように私は消えてしまうのだろうか。

 それが気になっている自分を内心で叱責する。


「ミリアさんの為に?」


「……うん。そういうことになる。自分勝手な話になってごめん。でも、これだけは絶対にお願いしたい」


 この目で見てみたい。もし世界が変わっていたならば、変わった先の世界というものを。


「なら、良いよね、トム」


 体は二人を捉えられる位置にいたが、私が言葉を向けたのはトムの方だった。だというのに、予期せぬ方向から言葉が聞こえてきた。


「何でお前が先に答えるんだよ……。まあ、その通りだけど」


 ふてくされたような顔をエリーゼに向けた後、私を正面に捉えて言う。

 その顔はやっぱり未だ戸惑いは隠せていないのだけど、それでも何かを決心したような顔をしていた。


「やります。ミリアさんはエリーゼの為に動いてくれた。俺もあなたの為に動きます。それにやらなければいけないって、そんな気がするんです」


「うん、その通り!」


 エリーゼがバンとトムの背中を叩く。

 それにトムは照れたような顔をエリーゼに向けて、エリーゼが無邪気に笑う。

 とてもありがたかった。また涙が溢れそうになったけど、私は堪えた。

 それから突然「あっ」と思い出したようにトムが声を出した。


「それから、そんなのめちゃめちゃ面白そうですしね」


「……ありがとう、トム」


 ありがとう、ありがとうと何度も呟いた。

 これでやるべきことはやった。後は答え合わせをするだけ。


「それじゃ、私帰るね。また……会おう。二人とも」


「はい、それじゃまた」


「ミリアさん、じゃあまた近々」


 トムとエリーゼがこちらにお辞儀をしてきた。そしてまた私達は全員でお礼を言い合って別れた。

 今ここで見ることだって出来た。でも、怖い感情と期待と二つあって、どうしても考えてしまうのはネガティブな可能性だから、私は一人で見たいと思った。

 自然と足は速く動き、あっという間に店の前に着いた。

 でももう我慢出来なかった。扉に伸ばした腕に付けているタイムリングが思わず目に入ると、そのまま画面を覗きこんでしまった。

 反射的にしまったと焦り、目を逸らそうと思ったがそれは無理だった。

 その写し出された文字に、目が止まったから。

 その時ガチャリと扉が開いた。


「あれっ、ミリアちゃん何してるの? っていうか、えっ、ちょっと、何で!」


 出てきて、様子に気付いたハンナさんが驚きの声を上げる。

 もう一度タイムリングの画面を見る。そしてやっぱり間違いじゃないと認識する。

 私の目からは止めどない涙が流れていた。

 更に涙の量が増した私には今ははっきり見えないが、雫が落ちた先の画面。

 そこには、研究所でとこの時代に来てすぐの時に見た文字と同じ文字が並べられていた。



 





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る