第18話 お見舞い 

 床からはコツコツと小気味の良い音が聞こえてくる。

 昼前でも病院内には人が多く、リノリウムの床を踏みつける音はそこかしこから聞こえてくる。

 勿論私も鳴らしながら、二階にある目的の部屋に向かっている。足元から聞こえて来る音が早いリズムを刻んでいるなというのを客観的に考える。

 しかしリズムは更にスピードを増す。最早歩いてるというには早すぎるくらい、早歩きで進んでいく。

 そしてある病室の前に着く。

 二○二号室。さっき受付に聞いたばかり。ここで間違いない。

 静かにドアをスライドさせた。

 ベッドに布団、カーテンや壁も白がほとんどのその部屋で見知らぬ男性三人の内、二人がこちらを向く。驚いた様子でこちらを凝視している。

 割と慣れた筈の視線だけど、静寂な空間と相俟って妙に気恥ずかしくて、私は視線を逸らして、同時にヴェルトの姿を探す。

 すると、部屋の奥で上体を起こし、窓を見ながら黄昏れている幼馴染みの姿が見えた。

 瞬間私はかーと胸の中が熱くなるのを感じ、嬉しさが込み上げた。

 離れてから一日も経っていない。それでも

 私は昨日からずっとヴェルトが心配だった。離れていた時間がとても長く感じた。

 早くヴェルトと話したい。

 衝動とも言えるその気持ちそのままに、私はヴェルトの元にさっと急いで向かった。


「ヴェルト!」


 流石に病室なので、喜びを抑えて小声で声を掛ける。

 その声に振り返ったヴェルトは、驚いた様子を見せた後、バツの悪そうな顔でこちらを見ながら、よっと挨拶をしてきた。

 そんな顔だけど、それがどうにも愛らしい。


「えっと、あのな、ミリア……」


「ヴェルト、もう大丈夫なの? 頭ぼーとしない? 暑くない?」


 ヴェルトが何か言い掛けた気がしたが、気付けば私は間を置かずに喋っていた。

 それに対してヴェルトは一瞬呆気に取られたような顔をした後、また先程のような顔を見せて答えた。


「いや、クーラー利いてるし別に暑くはない。頭はぼーとする、っつうかちょっと痛いけど大丈夫だよ」


「本当……?」


「ああ、本当だ、本当」


「そっか、良かった……」


 安堵と喜びの感情そのままにそう言った私を、しかしヴェルトはそわそわ見つめている。

 そして照れくさそうに口を開いた。


「あれだ、ミリア……。その……」


 どうしたのか、言いづらそうにしている。


「どうしたの?」


「えっと、あれだ。倒れたのは決して疲れてたとかではなく、暑さにやられたからで……いや、それもどうだとは思うけど、つまり……」


 纏まらない言葉で何かを必死に伝えようとするヴェルト。

 私は首を横に傾げる。


「つまり?」


「ともかく、問題ないからな! 全然大丈夫だからな」


「……? それはさっき聞いたけど?」


「うっ、そうだな。すまん、やっぱ何でもねえ……」


 やっぱり分からない。

 さっきからヴェルトはどうしたのだろう。倒れたのは疲れたからじゃなくて、暑さにやられたから……? 何でそんなことを――

 そこで、ああと気付いた。

 このどこか気まずそうな態度。自分は絶対に倒れないと言ったのに、倒れてしまったから恥ずかしがっているんだろう。


「ヴェルト、別に倒れたことは気にしなくて良い。確かにヴェルトは倒れないって言っていたけど、死んでない訳で、私は気にしてないから」


「なっ、おまっ――あー、ったく!」


 ふいっと、ヴェルトが窓の方に顔を逸らした。

 その姿がどうにも可愛らしくて、クスクスと笑いが込み上げてきた。


「心配かけて悪かったよ」


 そのまま窓に向かって呟いた。

 途端、目頭が熱くなったのを感じた。


「うんうん。それなら私もごめんね。ヴェルトが疲れてるの知ってて、なのに休ませてあげることも出来ないでやらせてた」


「何でお前が謝んだよ。お前はちゃんと言ってくれてたし、全部俺がやるって決めて結果倒れちまっただけだ。自分の所為以外の何ものでもない。だからお前は気にするな」


 でも、と言い掛けて、止めた。

 私は気付いていたのに。

 ヴェルトなら無理にでもやろうとすることは分かっていたし、それでなくてさえ、ただでさえ焦っていたあの状況なら尚更無理を言っているのは分かっていたのに止められなかった。

 それに対する後悔と申し訳なさはあるけど、気にするなってヴェルトが言っている。

 だから、代わりの言葉を掛ける。


「うん、ありがとう」


 それを聞いて、何故お前がお礼を言うのかと言いたげな不思議そうな顔をするヴェルト。

 だけど言葉には出さず、代わりに俯き加減に申し訳なさそうな態度を見せ始める。


「ミリア、ごめんな。俺が倒れた所為でお前にばかり負担掛けちまって。時間無えってのに。それに他の人にも迷惑掛けて。入院費だってどうすればいいんだよ。別に俺は入院なんかしなくて良かったのに! 俺の所為で……。――くそっ、くそっ!」


 ヴェルトが悔しそうな声を上げ始めた。

 その態度を見て、私は共感してしまった。焦る気持ちは私だって一緒だ。なのに自分は何も出来ず、他人に任せることになってしまうのがどれ程苦しいか痛い程分かる。

 それでも最後の言葉は聞き逃すことが出来なかった。


「ヴェルト、何言ってるの! あなたは命が危なかったんだよ。誰も助けてくれなきゃ、どうなってたか分からない。死んじゃだめなんだよ! だから今はゆっくり休んで」


 そこで、ハッと我に返って初めて私は自分の顔が強張っていたのに気付いた。

 ヴェルトが、意外そうな顔でこちらを見ていた。

 私は意識して表情を緩めてから、それでも気持ちを伝えようと真摯な表情でヴェルトを見据えた。


「それにヴェルトは倒れるくらい負担を背負ってたってことでしょ。私もいたのに、支えて負担を軽くしてあげることも出来なかった。本当になにやってるんだって自分で思う」


「いや、だからそれは俺自身の所為で……」


「違う。あなただけが悪いなんて言わせない。私もあなたに頼り切ってしまっていた。だから、今は私達に任せて。たまには私に全て押しつけて。――言ったでしょ、私はあなたをサポートするって。今は私達に任せてゆっくり休んで欲しい。それでもダメだった時には、充分休んだ後にまた私達と一緒に探して」


 本当に頑張ってくれたから。休んで良いじゃない。休まなきゃダメだと、そういう意味なのかもしれない。

 そんな必死の想いをぶつけて、ヴェルトは何か言い掛け、納得いかないが正論をぶつけられ反論の余地を失った時のように口を噤んだ。

 そして、そのまま手を後頭部で組みながら勢いよく枕に頭を沈めた。


「分かったよ。寝てれば良いんだろ、寝てれば。――そうだな……。たまにはちょっとぐらい休ませてもらうよ」


 ヴェルトはそのまま窓に視線を向けた後、すぐさま私に視線を戻す。

 

「ありがとな……ミリア」


 そして再度視線は窓の方へと向かう。

 忙しないなとその光景に笑みが溢れた。勿論それだけではない。その言葉に気持ちが高揚したのも確かな事実だけど。


「それからね、ヴェルト――」


 私は昨日のことを説明した。

 数日の入院とはいえ、保険に入れないヴェルトは高額の入院費となってしまう。そうなると、ハンナさんだけでは払えず、そもそもハンナさんに負担してしまうというのは、私も、何よりヴェルト自身もどうしても心苦しくて仕方がなかった。

 でも、昨日の夜ハンナさんから店に来たお客さんにそのことを話した所、次々と寄付をすると手を挙げてくれる人が現れてくれた。そして募金は凄いスピードで溜まっていった。

 昨日だけで結構な額が集まり、更に昨日のお客さんが更に話を広げていくと言ってくれた。これから入院費は何とかなるかもしれない。


「そっか……ありがたいな」


 私の顔を見るヴェルトが言った言葉は、言葉通りにその声音はどこか安堵と喜びを感じたが、しかし顔は申し訳なさそうに目を伏せている。


「ハンナさんにもお礼と、あと謝っとかないとな」


「ハンナさんも、店の方の準備が終わったら来るって。その時に言えば良いんじゃない」


「そうだな」


 空間が静寂に包まれる。

 私はヴェルトを見つめ、ヴェルトは何か思索に耽っているように、今は天井を眺めている。

 それが続いて数十秒後、再びヴェルトが口を開いた。


「退院したら、前より働かなきゃな。この期間の感謝とお礼をハンナさんとお客さん達に返す為に。それにこれ以上迷惑を増やさない為にも、さっさと退院しないとな」


「うん。それが一番」


 二人でふっと笑い合う。

 人が人を助けることを当たり前と思っているようだ。確かにとても暖かい場所だったんだ、この街は。それが嬉しかった。

 その後も私達は自分達の時間と想いで言葉を交わし合った。

 そしてふと考える。何て久しぶりなんだろうと。心地良く、心から楽しいと思える時間。こんなにじっくりヴェルトと話をするのは、本当に久しぶりだと。

 そんな日常が欲しいと、より想いが増した。この気持ちもかけがえないものだけど、これが当たり前になった世界に私達は戻るんだ。


「っつう……」


「どうしたの、ヴェルト?」


「いや、ちょっと頭痛が走っただけだよ」


 ヴェルトが急に頭を抱えたから聞いたけど、何でも無いと言わんばかりに顔を優しくしながら答える。


「頭痛? 大丈夫?」


「ああ、大丈夫だ。本当に問題無いよ。今は治まった」


「……本当だよね?」


「今回は本当だよ」


 大丈夫。そっか。大丈夫か。

 多分、昨日倒れた影響だろう。まだ完全には体が回復してないからだろう。

 そう思った。


 数日後、ヴェルトは退院した。

 そしてその更に数日後に、ヴェルトは風邪を引いた。

 何でもないただの風邪。でもその風邪は時間が経過しても治らない。どころか、徐々に熱は増していった。

 日に日に弱っていく、ヴェルト。


 ――そして、風邪を引いてから丁度四日後。

 遂に、四十度を越えた。




 

 

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