第17話 予兆
地上を焼く勢いで降り注ぐ光と熱に、体中の水分が奪われていくのを明確に感じる。一週間程前のあの日以来、時々ある頭の痛みが現在起きてしまうぐらい熱に体が冒されている。
上を見上げる。西に傾いているというのに、目を細めても尚強く瞳を焼き付ける光に、もうさして感動をしなくなっている自分に少し驚いた。
人っていうのは、どんなに欲していたものでも、手に入れると心は満たされ、後は価値を喪失していくだけだ。どころか自分の不利益になると、邪魔にさえ感じてしまう。
私もそれ程までとはいかなくとも、今現在暑さに蝕まれている体は、その光の根源を疎ましく思ってしまっている。そんな自分にも若干の嫌気が差す。
それでも欲しいと願った気持ちに嘘はなかった。だから価値を失ったとしても、その日々にきっと意味はある筈なんだ。
うんうん、と考え直す。
違う。まだ途中だ。私達は何も手に入れていない。悲劇を阻止し、そして悲劇を消し去らなければいけない。
今まではただ失ってばかりだった。
だから、私たちが望むものは何も感じなくなっても、いや寧ろ感じなくなった方が良い。平穏が当たり前になった世界が私たちが本当に望むものなのだから。
きっとヴェルトは今頃その世界に向かって必死になって走り回っているのだろう。
私もこんなところでもたもたしている訳にはいかない。
タイムリンクで時間を確認する。十四時三十一分。
残りあと二時間ほど。待ち合わせの場所から随分離れている。
別ルートから様々な場所に寄りながら行けば、丁度良い時間になるだろう。
途端に足元が軽くなったように感じ、私は駆け出した。
☆★☆★☆★☆★☆
赤い髪のピエロが見えてきた。
そしてその辺りに見知った二人の姿もあった。トーマスとエマは既に戻ってきていた。
歩きながら進んでいた私は、再び駆け出して二人の元に向かう。
「あっ、ミリアさん」
気付いたトーマスが先に声を掛けてくる。
私は近付いてからお疲れと声を掛け、二人がお疲れ様ですと返してくる。
「あれっ、ヴェルトはまだなんだ」
「そうなんですよね。普段はこの時間でも来てること多いんですけどね。まあ、遅れることは無いと思うんですが」
「うん、そうだね……」
そう、会って間もないトーマスも認知する程ヴェルトは時間には結構シビアな方だ。遅刻というものをそうそうする性格ではない。
寧ろ朝に関して言えば、私の方がルーズなくらいだ。いつもヴェルトが起こしてくれてもまともに起きないらしく、その上私にはその記憶がない。
そんなヴェルトだから、まだ五分前とはいえこの場所にいないのは割と珍しい。迫り来る時間に焦って、ギリギリまで探し続ける気だったのか。
それとも……。
「心配ですか?」
「うん、心配だよ。ヴェルト、つらそうにしてたし……」
内心が表に表れてしまっていたようだ。エマに問われ、素直に答える。
それに対してエマは「きっと大丈夫です」と答えてくれたが、私には嫌な予感がしていた。いや、嫌な予感がする。
時間が増すにつれ、鼓動が強さを増していく。
その胸騒ぎを証明するかのように、時間が経ってもヴェルトの姿は見えてこない。
「ヴェルト……」
三分が経ち、約束の四時半となった。だというのに、ヴェルトの姿は未だない。
そのまま更に五分経過した。やはり来ない。
「やっぱりおかしい……」
「でも、まだ五分ですよ。人が混んでてとかかもしれませんし」
「それは、そうなんだけど……」
鼓動は勢いを増大するだけ。
心配だがそれでも待った。三十分経った。
結局ヴェルトは来なかった。
「私、ちょっとヴェルトを探してくる」
痺れを切らし、私は急いでその場を離れようとしていた。
「私も探しにいきます。……ゴホゴホ」
言いながらエマが苦し気に咳をした。
それにいち早くトーマスが反応した。その語気からは異様な焦りのようなものを感じた。
「おい、大丈夫か!」
「うん、大丈夫。ありがとう。何でもないよ」
「なんでもないってお前……。疲れてるんじゃないのか? お前だけでも帰るか?」
気遣いが伝わる優しい声で聞いたトーマスの問いに、首を横に振りながら答えるエマ。
「本当に大丈夫。だから私も探しにいきます。心配だから」
そのエマの言葉を聞いて、トーマスは私の方に向き直す。
「僕も探しに行きます! ただ誰もいなくなってからヴェルトさんが来ても困るので、エマ。お前は、ここに残ってくれ」
「そっか。うん、そうだね。じゃあ私はここでヴェルトさんを待ってるよ」
「オッケー、頼む」
流石に二人も、ここまで来ないと心配になってきたようだ。二人の様子からは焦っているのが感じられた。
そうして私たちは別れた。
一日中歩き回り疲れて重たい足を尚、全力で動かし走る。
息が乱れるのが早い。肺が痛くなってくる。それでも通り過ぎる人々の顔を確認するも、見知った顔はない
どこ……。一体どこにいるの、ヴェルト……。
ひたすら走り回り、目の前に見えていた沈みかけの太陽が消えて、視線は落とされていた。
私は手を膝に付いて止まっていた。
「どこ…………?」
本当にどこ……?
動き続ける肺と体、休ませている足の代わりに頭で考える。
見つからない……。道に迷った? 無くはない。けど、可能性は大分低い。研究所ではバカバカ言われてたし、テストの点数も平凡だったかもしれないけど、ヴェルトは記憶力が悪かった訳ではない。それに方向音痴ということも無かったし、来た道を戻るくらい、何でもない筈だ。
となると、もしかして、やっぱり倒れた……?
その考えに改めて触れた時、ぞくりと背筋に寒気が走った。より一層真実味を帯びた胸騒ぎに襲われる。
倒れたとするなら。ほとんどの確率で病院だ。
それは当然の予想だ。でも私には、それは予想ではなく、確信めいた真実に思えた。
いつの間にか、足がまた動いていた。
そして二十分後、私は最初の日に行った病院に辿り着いた。
倒れて運ばれたなら、ヴェルトの身元が割れる筈がない。受付の人に、ヴェルトの特徴と着ていた服を言って確認すると、やはりこの病院にいるということが分かった。
「ヴェルトって言うんです! 大丈夫なんですか! ヴェルトは大丈夫なんですか!」
「大丈夫ですよ。元々寝不足と疲れで体力が弱っていた上に今日は猛暑だったので、熱失神を起こして倒られてしまったようです。ですが発見も早く、応急手当をしてくれた方もいたので、大事には至ってません。数日入院すれば退院出来ると思いますよ」
それを聞いてとりあえずは安堵する。
でも、体が強く全然病気になったことのないヴェルトが暑さに負けて倒れるということは、やっぱり余程体力が奪われていたんだ。
寝不足なんて私には言ってくれなかったのに……。
「そんなに必死になって、よっぽど彼氏さんのこと心配だったんですね」
「彼氏じゃないです……」
看護婦さんが、柔和な顔で言った言葉に俯き加減で返す。
何だか、顔が熱くなっているのを感じる。
「今日はもう遅いし、ヴェルト君もまだ安静が必要だから、面会は明日以降で大丈夫でしょうか?」
明日以降……。今日はもう会えないのか。
早く会って話をしたいのに……。
気持ちは強くそう思っているけど、頭ではちゃんと理解出来ている。
ヴェルトの為だ。仕方がない。
「……分かりました」
不満を表情に出さないように、努めて冷静に言う。
それから応対してくれた看護婦さんにお礼を言ってからペコリと頭を下げ、私は病院を後にした。
☆★☆★☆★☆★☆★☆
「熱中症ですか……」
私の説明に対して、トーマスが意外そうに返してくる。
「今日は暑かったし、元々ヴェルトさんは顔色悪かったですからね」
エマが目線を落とし、心配げに呟く。
空は徐々に夜の帳も下り始め、肌寒さも感じられるようになってきた。
時間はもう七時過ぎになる。元の待ち合わせ場所に戻った私は、今トーマスとエマに事情を説明したところだ。
「確かにそうだけど、何て言うか意外なんだよな。ヴェルトさん、精神的に強いし、結構そういうのも同じく強そうなイメージだったから」
「そう、その通り。本来ならこんな暑さなんかにヴェルトは負けない」
私もトーマスに同感の為頷く。
きっと無理をし過ぎんだ。私は一緒にいながら何をやってるの……。
さっきから時が経てば、自分を責めてばかりだ。
「でも、大事じゃなくて良かった」
「そうだよな。ヴェルトさんも助けてくれる人がいて、運が良かったよな」
エマの言葉に、トーマスが賛同する。
ヴェルトを助けてくれた人には、一生お礼を言い続けてもまだ足りないくらいだ。
「今日は遅いからもう帰ろう。今日もありがとう、トーマス、エマ。ヴェルトを探してくれたのもありがとう」
「いえ、当然です」
「気にしないでください」
私の問いにトーマスとエマが答える。
その言葉を聞いて、私は思わず頬を緩めた。
「ありがとう。それから、明日の話なんだけど、明日も二人とも手伝ってもらって良い?」
「僕たちは大丈夫ですけど、良いんですか?」
「ミリアさん、ヴェルトさんの近くにいてあげたいんじゃないですか」
「えっ……うん、それは…….。でも、ヴェルトなら、俺のこと見てる暇があるなら、探しに行けって言いそうだし……」
勿論、見てあげていたい。近くにいてあげたい。
でも、時間がないのも事実なんだ。だから、看病よりもヴェルトが今は出来ないことをやってあげるべきなのかもしれない。
その言葉に、ああと、二人は納得したような声を上げる。
「大丈夫ですよ、私達だけで探しておくので。何て言われようとミリアさんが心配なら、ミリアさんはヴェルトさんのこと見てあげておいてください」
「どうせニ、三日で退院なんですよね? なら、そのぐらいなら大丈夫じゃないんですか」
大丈夫……。そうだよね。うん、大丈夫……だ。
エマもトーマスも疲れている筈なのに、気遣ってか、余裕といった態度を見せる。
「じゃあ、そうしてもらって良い?」
「はい、任せてください」
トーマスが敬礼をしながら答える。
本当に助かるし、
「ありがとう」
二人は笑顔で答えた。
「じゃあ、僕たち帰りますんで。お疲れ様です、ミリアさん」
「それじゃ、ミリアさん。あまり心配し過ぎないでください」
「うん、ありがとう。お疲れ」
そう言って二人に向かって手を振っていた時だった。
猛烈な頭痛が襲ってきた。痛みはすぐに頭部内全体に行き渡る。
またか…………。どうしたんだろう、私は。それに徐々に強くなっていっている。
だけど、二人には心配かけまいと何でもない態度を取る。
だというのに、いや、そんな私の内情など知る筈もないのに、エマが最後に言った。
「ミリアさんも無理しないでくださいよ」
ありがとうとだけ言って、私はゆっくり去った。
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