或る復讐の話

石女ほおずき

第1話

 或る復讐譚


 遠い北の果てに、神と呼ばれる者がいると人は言う。


 一面に広がる、荒涼とした大地を踏みながら、男はただ、ひたすらに北を目指していた。

 最後に人と会話を交わしたのは、いつの事だったか。人の住まぬこの土地に足を踏み入れ、もう随分になる。

 携帯食料が尽きて、既に七日が経つ。大気中の乏しい水分を集めて渇きを癒し、革を囓って空腹を紛らわす。そんな真似も、もう限界に近付きつつあった。

 引き返す事は、疾うに叶わない。

 既に希望などというものは捨てた。ただ、引き返す事が出来ないと言うそれだけの理由で、男は前に進んだ。

 厚い雲に力を奪われた太陽が、男を導く幽鬼のような薄い影を作る。自分の影を見つめて、男は朦朧と自分がこんな場所にいる理由を思い返した。



 物心付いた頃から、人に疎まれて育った。

 どこの者とも知れぬ男と交わって自分を産み、挙げ句、自分を捨てて行方知れずとなった母。

 名門魔道士家の一人娘であった母故に、辛うじて殺される事は免れた彼は、しかし、親族中から冷たい扱いを受けて来た。

 穢れた血を、尊い血筋へ入れた娘の子。

 愛する娘を誑かした、どこの馬の骨とも知れぬ男の息子。

 彼が生まれる前に死んだという男の素性が知れなかった為に、中傷は止まる所を知らなかった。

 幸か不幸か、一族で最も優れた才能を持っていたという母の血を引き、彼は国内で有数の実力を持つ魔道士へと成長した。疎まれる彼の師となろうという者は皆無で、完全な独学と、血の滲むような努力の結果だった。

 だが。その事実は、彼に何の救いをもたらす事は無かった。

 その卓越した才能故に、彼は酷い妬みを買ったのだった。

 そして何よりの不幸が、その容貌。

 幼い頃こそ、幾分母親に似た面差しをしていた彼は、長じるに連れ、誰もその姿を知らぬ、彼の父親の血を、色濃くその面に写し出した。

 誰もが知らぬ筈のそれを、そうと言い切れる理由は明白。

 多くが色の薄い髪や瞳、色白の肌を持つその地域で、彼の漆黒の髪と瞳、浅黒い肌は、誰が見ても異端であった。

 穢れた異端者の血を持つ者。

 背徳の娘の子、と。

 疎まれ、蔑まれ、忌まれて。あらゆる差別を受け、彼は彼となった。

 そうして育つ内、初めは憧憬、次いで思慕と移り変わっていた母への思いが、やがて憎悪と姿を変えたのは、決して無理のある話ではなかっただろう。

 訳も解らず周囲から疎まれ、何も知らなかった頃は、自分を捨てて出て行った仕打ちを恨んだ。

 やがて長じ、周囲から口々に罵られる言葉を理解出来るようになった頃には、その原因となった男を自分の父親として選んだ事を恨んだ。

 そうして。

 愛される事を知らずに育ち、認めて貰おうとした努力を全て否定され、剰えより一層疎まれる結果となった時。

 彼は、全ての情動を、自分をこの世へ産み出した者を憎む事、その一点へ傾けた。

 彼は、自分の創造者としての母親を憎悪した。

 自分がこの世に存在する、その原因となった女を。

 十八歳になり、それまでは保護と言う名目の監視下に置かれていた彼は、幾分かの自由を認められるようになった。

 そして十八になったその晩。彼は、国を出奔した。以来、一度として国に戻った事は無い。苦痛と孤独の記憶しかない故郷には。

 彼は、母を捜す旅を始めた。今や国内には並ぶ者がないと言われた彼を、しかし若き日の母は悠に越える能力を持っていたと言う。



 色の薄い髪と眼を持つ者が多いその大陸で、それでも希有な白銀の髪に紺碧の瞳。女神とも讃えられた美貌に、神に偏愛したとしか思われぬ、類い希な才能を持っていた少女。

 まさに神そのもののような存在であったと、人は言った。

 だが、その完璧さ故、彼女は孤独だったのだろう。十六の歳にふらりと家を出たきり、行方知れずとなった。国で最も腕が優れていると言われた占術者の水晶玉は、彼女の事を映そうとすれば白く濁るばかり。国の宝とも言われた少女の行方は、杳として知れなかった。

 前触れもなく姿を消した少女は、五年後、やはり前触れなしにふらりと自宅の玄関口に姿を現した。但し、少女ではなく女、かつ母親と呼ばれるものにその属性を変えて。

 五年の間に、親が見違える程に大人びた彼女は、その腕に、息子だという黒い瞳の赤子を抱いていた。

 口々に問い詰める親族達に、彼女はただ一言、赤子の父親は死んだ、とだけ伝え、それ以外の問いには何一つ答えず、静かに赤子へ乳を含ませた。

 そうして、二度と姿を消す事の無いようにと、気を張り詰めていた親族達が目を離した、ほんの一瞬の間。

 火の点いたように泣き出した赤子を残し、彼女は姿を消した。

 半狂乱になった彼女の両親はおろか、一族が総動員され捜索にあたったが、彼女の行方は知れなかった。

 それ以後、彼女の姿を見た者はいない。

 彼女が姿を現したのはほんの一時ばかりで、或いは幻であったのかとさえ思われた。だが、彼女が確かにそこにいた事を、残された赤子が証明していた。

 その赤子が、彼であった。



 彼は、大陸中を旅して母親の痕跡を捜した。予想に反し、彼女の痕跡は酷く少なかった。漸く見付けても、それは大抵十年以上前の情報だった。

 だが。旅を始めて五年が経った頃だろうか。情報を求めて旅を続ける彼の耳に、思わぬ方から、彼女に関する情報が入った。

 かなり以前から、日の当たらぬ場所を歩む魔道士達の間で、ある噂が囁かれていた。

 遠き北の地、人が住む事が出来ぬ筈の、乾いて凍てついたその土地に、神の名を冠する者が住む、と。

 その者が人であるのか、或いは人でないものであるのかは判然としなかったが、はっきりしている事は、それが酷く大きな力を持っている事。

 そして、それが「不死」である事。

 この情報に、当然の如く人並み、或いはそれ以上の欲望を持っている者達はこぞって飛びついた。とりわけ、錬金術を志す者達はそれが顕著であった。出所も知れぬその噂が流布し始めたばかりの時期には、毎年千を越す魔道士、錬金術師達が海を渡り、北の地を目指した。

 だが。誰一人として、戻って来る者はいなかった。

 やがて、手練れと目され、複数の国の間でもその名が知られていた魔道士達が幾人か海を渡り、それきり消息を絶った事が知れ渡ると、流石に彼等はその地に畏怖を覚え始め、無謀な旅に出る者も減った。大陸の北の端から海を渡り、それきり姿を消す者達は、多くとも年に数人となった。また、その噂自体も数年新しい情報が加わる事が無く、その他の信憑性の乏しい噂に混じり、人々の記憶の中で薄れて行きつつあった。

 ところが。

 あるとき、それに新しい情報が付け加えられた。

 神、と呼ばれる者に、銀の髪を持つ愛人が出来た、と。

 その愛人は女で、見事な銀髪に青い瞳を持ち、人とは思えぬ美しい姿をしている、と。

 そして、神に愛されたその女は、それ故に神と同じ力を手に入れたのだ、と。

 その噂を耳にした瞬間。男は、その「愛人」が彼の母親であると直感した。

 男は、迷わず北の地へと赴く事を決意し、大陸の北へと足を向けた。南北に長い大陸を縦断するのに、悠に半年近くがかかった。

 その間に、新しい情報が追加された。その情報は、男の足を急がせるのに十分な内容を持っていた。

 曰く。「神」は代替わりした。新しい神は、以前の神の愛人であった、銀髪の女。

 そうして、それに付随して、奇妙な噂が流れていた。

 それは、『神になる方法』という代物。

 どうやら、神という存在は、同じ時期に一人しか存在する事が出来ないらしく、それは、正確を期すならば「神の跡を継ぐ方法」と言うべきであった。

 神になる方法は二通りだった。

 一つは、神を殺す事。聞く所によれば、どうやら神は完全な「不死」ではないらしい。但し、神は間違いなくこの世では並ぶ者のない強大な力を持っており、その存在を害するには、並大抵でない力が必要とされる事は確かだった。

 そして、もう一つ。これは、いささか奇異に感じられる方法だった。

 即ち。「神」に、心から愛される事。

 男の母親であろう女が、後者の方法でその地位を手に入れたのであろう事は、想像に難くなかった。



 新しい情報が流れるに従い、情報が流れ始めた往時程とは言わぬものの、再び盛況さを取り戻し始めた港町から、男は海を越え、北の大陸へ渡った。

 そうして。北の果てと呼ばれる荒野に辿り着く頃、男は既に若者と呼ばれる存在を抜け出していた。

 共に海を渡った、仲間とも呼べぬ仲間達は、北の大陸を北上する内にその数を減らし、気付けば荒野の隅に位置する集落に辿り着いたその日、男は一人になっていた。

 男が宿を発つその朝。口数の少ない宿の主人は、男を見てぼそりと呟いた。あの荒野へ向かい、ここへ帰って来た者は未だかつて一人もいない、と。

 男はその呟きを無視し、凍てつき乾いた荒野へ、足を踏み入れた。

 文字通り頬を裂く風も、肌を刺す寒さも、胃の腑を締め上げる飢えも、喉を灼く渇きも。全てただ、男の持つ、たった一つの感情を磨く砥石にしかならなかった。

 疾うに鍛え上げられ、その鋭さを増すばかりの、冷たい殺意。

 自分を産み出した者に対する憎悪は、最早冷え切り、それを持ち始めた当初の熱さは失われていた。

 あるのはひたすら、義務感にも似た、衝動とも呼べぬ衝動のみ。

 それを杖にして、男は荒野を進んだ。

 聞く者とていない弱音も、愚痴も吐く事無く。ただ黙々と歩を進めた。

 だが、男が支えにして来たその杖も、そろそろ寿命を迎えようとしていた。



 凍った土を踏み、男の右足が滑る。鈍い音を立てて転び、男は地面に膝をついた。寒さに麻痺した皮膚は、痛みすら伝えない。立ち上がろうとして目が眩み、思わず両手をつく。そのまま、視界が戻らない。

 男は、ぼろ切れを巻いた両手で、目を覆った。無精髭が鬱陶しかった。全ての指が凍傷にかかり、壊死しかけている。爪は、疾うの昔に全て剥がれ落ちた。

 死、という言葉が、脳裏を微かに掠めた、そのとき。

 不意に、風が止んだ。

 吹き付ける風が無くなった事で、ほんの僅か周囲が暖かくなったような錯覚に陥る。その事に勇気づけられ、そろそろと顔を上げた男は、そのままその場に凍り付いた。

 目の前に、小さな石造りの塔が、あった。

 忽然、という言葉そのままに。それまで男に何の気配も感じさせていなかった筈のそこに、円筒形の、小さな石造りの塔が現れていた。丁度、男の目の前に、古びた木の扉がある。ふらふらと立ち上がり、男はそれに手を伸ばした。半ば、自分の妄想が創りだした幻である事を、覚悟した。

 手をかけると、扉はただ、乾いた木の手触りだけを彼に伝えた。何の魔力の感触も無い。抵抗無く開いた扉は、素っ気なく彼を内へ迎え入れた後、また元のように閉じた。

 男が足を踏み入れた塔の中は、何の変哲も無い石造りの部屋だった。飾り気も何も無い、がらんとした石の箱。そういった印象だ。外と異なるのは、ただ風が無いというその一点。

 ただ、唯一。二階へ続くと思しき、これも石で造られた階段が、男の目の前にあった。

 躊躇わず、男はその階段へ足をかけた。ふらつく足を踏みしめ、ゆっくりと。正確に二十段を数えた後、男は再び木の扉の前に立った。

 軽く手を触れたのみで、扉は開いた。そして。

「待ちかねたわ。息子よ」

 扉を開いた男の目の前に、銀の髪の女神が立っていた。

 男は、凝然と目の前に立つその女を見つめた。

 けぶる銀の髪。透けるように白い肌。青いダイヤでさえ、その輝きを恥じるであろうと思える、深い色の碧眼。

 年は、恐らく二十四、五。間違いなく、男よりも歳下であろうと思える。

 だが。

「あんたが、俺をこの世に産み出した張本人か?」

 男は、掠れた声を絞り出した。錆びた蝶番が軋むようなそれに、しかし、女は目を細め、世にも優美な微笑を浮かべた。

「ええ、その通り。若いので驚いた? 神になれば、身体の外見は自由自在なのよ。貴方もなってみれば解ると思うわ。もっとも、私は神になってから一度も外見をいじっていないけれど」

 水晶の鈴が触れ合うとでも言おうか。天上の音楽と言うべきか。耳に心地良いその声に、だが、男は無言でもって答えた。

 答える代わりに、懐へ手を入れ、一振りの蛮刀を取り出す。

 男の身形に不釣り合いな程、丹念に磨き上げられ、一点の曇りも無いそれ。自分へ切っ先を向けたそれに、だが女は端正な面に喜色を浮かべた。

「私を、殺す気なのね」

「大人しく俺の思い通りになるとは思っていない」

 男は静かに答えた。

「『神』とやらの力がどれ程のものかは知らない。だが、不死身ではないと聞いた。今、恐らく二つの大陸で最も強い力を持っているのは俺だ。恐らく、お前よりもな」

 十年を越える旅の間、男は腕を磨き続けた。男の生まれた大陸全土。否、恐らくは、この世界中全てにその名が知れ渡る程度には、男はその腕を上げた。

 だが、男の言葉に、女はますます形良い唇の両端を吊り上げた。

「さあ、それはどうかしら」

 ほっそりとした両手が持ち上がり、広げられる。身構える男に、女は輝くような笑みを浮かべた。

「試してごらんなさい」

 青い瞳が、蠱惑的な光を湛えて男を見据える。

 瞬間。

 男は渾身の力を込めて、女の胸を突いた。持てる気力、魔力全てを蛮刀に込めた。

 上質のバターに、良く切れるナイフを入れたような手応えがした。次いで、酷く温かな液体が、手に降りかかる。それは、外気の冷たさに凍てついていた、男の手指を溶かした。

 呆然と立ち尽くす男の背に、しなやかな腕が回る。気付けば、男は女に抱き締められていた。

 幼子をあやすように、柔らかな手が背を撫でる。幾度も、幾度も。

 幾度も。

 酷く、古い記憶の中で、彼女がそうしていたように。

「──な」

「『   』」

 耳元で、名前が囁かれる。

 それは。

 育ての親達がたった一度だけ、忌々しげに教えてくれた、彼女が自分をそう呼んでいたのだという、異国風の名前。

 良家の魔道士の跡取りに、そんな名前を付ける訳にはいかないと、奪われた名前。

 酷く愛しげに、たった一度だけそう囁き、女は潤んだ瞳で、優しく微笑んだ。

 慈母のように。

 男に胸を突かれたそのまま、女は事切れ、床に崩れ落ちた。

 白い頬に、銀の筋が一筋、尾を引いた。

「……あ……ぁ……」

 実の母の血に染まった手を震わせ、男はその場に立ち尽くした。

 全身に浴びた血の為か。身体中が、酷く火照っている。

「あ……」

 女を憎む事を始めたその日から、絶えて流した事の無かった、涙が。

 見開かれた黒瞳から、痩せこけた頬を伝う。

「カ……ァ、サ……」

 母さん、と不器用に唇が綴った、その直後。

 どん、という衝撃が、身体を突き抜けたような気がした。

「──!?」

 視界が滲む。思わずその場へ膝をつく。全身の細胞が、音を立てて何か別の物質に入れ替わって行く感覚。そして何より。

 脳に、強引に割り入って来る、膨大な量の『記録』。

 男は呻き、床に倒れ込んだ。海老のように身体を丸め、その場に吐く。当然吐く物など体内には無く、黄色い胃液ばかりが乾ききった唇を濡らした。それでも、涙を流しながら、血の混じった胃液を吐いた。

 恐らく、衝撃が襲ったのはものの数分であろう。初めのそれが収まると、苦しみは嘘のように引き、男はゆるりと身体を起こした。もう寒さは感じなかった。飢えも、渇きも。両手に目を落とせば、失った筈の爪は元に戻っていた。全身のどこにも、不快感というものが無かった。

 爪の先、髪の一筋にまで、力の漲る気配を感じた。そして男の頭には、およそ、この世のありとあらゆるものに関する知識が詰め込まれていた。

 男は、自分が『神』と呼ばれる者となったのを知った。

 意識が、今までとは違った階層の次元へ広がって行くのを感じる。手に入れたその力へ溜息を吐き、ふと、何気なく足元に転がる女の死体へと視線を向ける。

 そうした途端。

 男は、全てを理解した。

 脳裏で、音を立て、目の前に転がる女の『記録』の書物が繰られて行くのを感じる。やめろ、と叫ぼうとした口は、そのままの形に凍り付いた。

 女が、旅先で一人の男と知り合い、恋に落ちた事。

 その男が、実は気まぐれに人の世界に降りて来ていた、当時の『神』であった事。

 子供を身ごもった女を捨て、去った男を、その子供を捨てた女が追った事。

 女に殺された男が、実は女と自分の子供に、通常のヒトの生活を送って欲しいと願っていた事──

 『神』とは。即ち、生きた『記録』。

 一番初めの神が、一体何が原因でそのような存在と化したのかは知られていない。その原初の記憶は残されていない。

 ただ、判っているのは。各時代にたった一人存在する神は、先代の神から、全ての記憶と力を受け継ぐ事。元々、力は記憶の付録でしかなかった。だが、いつの頃からか記憶と共に膨大な量となっていた力は、神を、ただ多くの記憶を持つ人間から、特別な存在へと変えた。

 そして、その神から、神という肩書きを受け継ぐ方法。

 それは。

 神に心から愛された上で、神を殺す事だった。

 神を害する事は、不可解な事に、神に愛された者にしか為す事が出来ない。その身体を守る力の膨大さ故に、神は、自ら命を絶つ事すら許されていない。

 開かれたまま凍り付いた男の口から、呻き声が漏れる。

 男が女から受け継いだ力は、それまで男が持っていた力を、悠に超えていた。女がそうと望むだけで、恐らく男の心臓はその拍動を止めていた筈だ。

 そして何より。女から受け継いだ記憶。

 その中には、女──母の、彼への愛情が、満ち溢れていた。

 男の頬を、新たな涙が伝う。

 そして愛情と共に渦巻く、憎悪。

 それは、彼の父親と、彼自身に向けられ、愛情と同じ質量と密度を持っていた。

 そうして、記録の最後の頁をめくった男は、そこに現れた男の顔を見て、絶叫した。

 自分の父親。彼女が命を懸けて愛した男。

 その男は、彼自身と同じ顔をしていた。

 そして、その名前。

 彼の母親が、死の間際に彼に囁いた名前は、死んだ男の名前と同じだった。

 彼女を捨てた男。そして、先刻の彼女と同じように刃を向けられて、それを拒む事をしなかった、男の父親。先々代の神。

 男は、彼女を愛していた。その美しさを愛し、彼女を神にする事によって、その美しさを半永久の物にしようとした。そうすれば、彼女を害する事が出来る者は、この地上には事実上存在しない。

 そして何より、男は生きる事に倦んでいた。

 彼女は、男を恨んだ。自分を捨てた男を恨んだ。彼女を、ただ無為に生きる存在へと成さしめた男を恨んだ。

 彼女を置いて逝った、男を憎んだ。

 そして、誰よりも愛した。

 これは、彼女の復讐だったのだ。


 ──自分を置いて逝った、男への。



 遠い北の果てに、神と呼ばれる者がいると人は言う。

 人が足を踏み入れる事の無い、荒野に響き渡る風の音は。

 孤独に泣き叫ぶ、神の声なのだと言う。


0306140105




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

或る復讐の話 石女ほおずき @xenon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ