ふたたび、砂漠へと

「流砂の神殿……?」

 問い返したセルジュだけではなく、ノエルやクライドも怪訝そうな顔をしていた。

 ブレイヴはうなずく。すこし前に、炎の一族を名乗る男に会った。彼は竜人ドラグナーだった。

「グランでもそうだったように、ユングナハルにもドラグナーたちがいる。彼らは炎の一族を名乗っている。諸国を回る旅芸人だったりあるいは、」

「それが、流砂の神殿に棲み着いていると?」

 皆まできかずに言うあたり、軍師は相当に苛立っている。おかげでブレイヴが落ち着くことができる。いまここで口論したところでどうしようもない。

「関わるべきではないと、彼はそう言った。どういうつもりでドラグナーがレオナたちを攫ったのかはわからない。だが、行き先はおそらくそこだ」

 旅の一座の男は、言われなければ竜人ドラグナーとはわからない容姿だった。そうやってうまく人間の社会に馴染んでいる竜人もいるし、そうではない者だっている。厄介なのは後者だ。人の形をしていても彼らは人間じゃない。

「そういう場所があるのは、きいたことがある」

 クライドだ。ブレイヴは彼の声を待っていた。ユング人である彼の方がユングナハルの地理に明るい。

「それはどこに?」

「地下だ」

 しかし返ってきた声にブレイヴはすこしばかり落胆した。それでは探しようがない。

「つまり、砂漠の下……?」

「そこに神殿があるのをきいたことがある。ただし場所は明確ではない。ふつうの流砂なら人間が呑み込まれることもないが、ごくまれにそのまま砂へと引き摺り込まれることがあるという」

 ブレイヴはため息を堪える。要するに流砂に巻き込まれた者は帰って来なかった。そういうことだろう。

「でも、そこがもっとも可能性が高いのは事実ですよね? きっとその流砂には魔力が含まれている」

 ノエルも冷静を務めている。麾下きかのジーク、それにレナードが不在なので、自分が落ち着いていなければと思っているのかもしれない。

「問題はどう探すかだ。魔力を辿るにしても砂漠は広すぎる」

 それに残っている面子でそれが可能かどうか。ブレイヴはつづきを口にするのを止めた。セルジュにそれができるとは思えなかったし、軍師は無表情でだんまりを決め込んでいる。

「ともかく、ウンベルトにも話さなければ。もしかしたらなにか心当たりもあるかもしれないし」

 そこで一堂は廊下を見た。ウンベルトは昼までに戻ると言っていたが、とっくに夕暮れだ。しかし、話に夢中で気付かなかっただけではないか。ブレイヴの思考とちょうどおなじだったらしい。クライドが舌打ちした。

「あの馬鹿、まさか……っ!」

「さっきまで、そこにいたよ」

 途中からずっと黙っていたフレイアが教えてくれた。それならもっと早くに言ってほしかったが、彼女を無視して話し込んでいたのはこちらの方だ。

「俺、追い掛けますよ。でもたぶん、大丈夫でしょう。砂漠を越えるのはちゃんと準備が要りますから。ウンベルトもわかっているはずです」

 そう言い残してノエルは部屋を飛び出して行った。ブレイヴとクライドは同時にため息を吐く。たぶん、ほとんど最初からだ。フレイアが帰ってきたとおなじ頃にウンベルトも戻って来た。そのまま入ってこなかったのは、彼の恋人の名前が出てきたからだろう。

「どいつもこいつも勝手なやつばかりだ」

 毒突いたクライドにブレイヴは苦笑する。そう身内の悪口を言うものじゃない。でも気持ちはわかるのだ。明らかに苛立っているセルジュと、皆まできかずに飛び出して行ったウンベルト。二人がいなければ、冷静さを失って出ていったのはブレイヴの方だ。

「俺が行く」

 おなじ台詞をブレイヴは言おうとした。

「もともとファラが起こした騒動だ。あいつを取っ捕まえて、説教する役目は俺に譲ってくれ」

 らしくない物言いだが、止める理由もなかった。流行病は人から人へと移る恐ろしい病だが、むやみに他のユング人と接触しなければ防げる。目的地がダナンでなければなおさらだ。

 ブレイヴはちらっと軍師を見た。黙りこくっているのが不気味だった。まさかクライド一人に行かせるわけにもいかないだろう。

「私とノエルは残りますよ。ダビトがナナルに潜伏しているのなら、むやみに離れるべきではないと、そう思いますがね」

 思わぬ声に、ブレイヴとクライドは顔を見合わせた。まったくの反対と言うわけでもなさそうだが、顔には不服の色がありありと見て取れた。

「なんですか?」

「いや……、意外だなと思って」

「勝手に出て行かれる方が困りますからね。クライドとフレイアに見張ってもらいます」

 言われなくともそうするつもりだったのだろう。フレイアの姿もいつのまにか消えている。たぶん、ノエルを追ってウンベルトを探しに行ったのだ。

 翌日の朝一番にウンベルトが来た。

 旅の準備はばっちりでも、少年の目の下にはうっすら隈ができている。ブレイヴも似たようなものだった。心から大事にしている人が、訳のわからない存在に連れ去られたのだ。一刻も早く探しに行きたい気持ちはよくわかる。

 ノエルとフレイアが見つけて、ウンベルトをクライドのもとに連れて行った。異母兄は少年をこっぴどく叱りつけた。だいたいこんなところだろうか。やれやれ、出掛ける前から先が思いやられる。クライドとウンベルトのあいだには気まずい空気が流れている。場を和ませてくれそうな者は他になく、フレイアなど十日でもひと月でも同行者と喋らずとも気にしない性分の少女だ。

 見送りはノエルだけだった。全員に魔法防御マジックシールドを掛けたセルジュは魔力も体力も尽きて、ほとんど気絶に近い形で眠った。

 こんな朝早くから起こすのも気の毒だったので、何も告げずにブレイヴはナナルを発った。あとでもしかしたら叱られるかもしれない。

 最初の二日は皆が静かでほとんど喋らなかった。これまでが賑やかすぎたといえばそうなのだろう。クライドとウンベルトの兄弟はよそよそしく、早く仲直りしてほしいと思ったものの、あまり他人が干渉すべきではないとブレイヴは黙っている。

 三日目の朝、ウンベルトが魔法地図とにらめっこしていた。

 流砂が発生した場所が記載されているらしく、酒場にて言い値で買い取ったという。眉唾ものだ。だが、弟とまた喧嘩になるのは面倒だったようで、クライドは少年と距離を取っている。

 なにも当てがないよりはいいじゃないか。ブレイヴはそう言おうとしてやめた。すこしでも刺激を与えれば、どちらかが爆発しかねない。そんな雰囲気だ。

 ブレイヴも魔法地図をのぞき込んだ。王都ナナルを出てからひたすらに南東に向かった。ばつで記されている地点が集中しているのがそこだったからだ。なら、ともかくそこを目指そう。何の手掛かりのないまま、この広い砂漠を探し回るのはそれこそ何年経とうが幼なじみたちを見つけられそうもない。

 干し肉と黒パンをかじっていると、急にフレイアが立ちあがった。

 これまでずっと大人しかった少女だ。なにか見つけたのだろうかと、ブレイヴは少女の声を待つ。フレイアはしばらく何もない砂を見つめていたが、突然くるっと振り向いた。

「においがする。たぶん、あっちに」

 指差したかと思えば、ブレイヴの返事を待たずに少女は駆け出して行った。クライドが舌打ちする。フレイアを追ってウンベルトも消えていた。残された二人で慌てて天幕を片付けると、その頃には少年たちの姿は視界の端だった。

「元気が良すぎるのも問題だな」

 年寄り染みた発言だったらしい。クライドの嘆息がきこえた。若者二人が何かを叫んでいる。追いつくまで待ってくれ。そう答えようとしたとき、ブレイヴもそれを見た。

 流砂だ。最初にウンベルトが飲まれていた。

 自然発生する砂の渦ならば間に合う。だが、そうではなかった。フレイアが懸命に少年の腕を掴んでいる。少女だけの力ではウンベルトは引っ張りあげられずに、そのうちフレイアの身体も砂に巻き込まれていた。

「ウンベルト! フレイア!」

 ブレイヴの声は二人に届かなかった。少年たちの姿が砂のなかに消えた頃には、ブレイヴもクライドも砂に引き摺り込まれていた。

「くそ……っ!」

 ブレイヴがすこしでも魔力を感じ取れていたら、これほど慌てずに済んだのかもしれない。徐々に呼吸が苦しくなっていく。もがけばもがくほど、身体が重くて動かせない。目の前に闇が見えた。黒い渦とはこのことだったのだろうか。意識を失うその前に、ブレイヴは幼なじみの声がきこえた気がした。

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