クリス・メリル・ワイト

 その来訪者はブレイヴを正直に驚かせた。

 セルジュとクライドとノエル、四人で額を付け合うようにして話し合っていたところだった。ユングナハルに向かう面々はもっと多かった。それがいまはそれぞればらばらに行動して、ブレイヴの傍にいるのはこの三人だけである。

 あと二人がいるものの、デューイとシャルロットはすこし前に出掛けたきりだ。

 そんなに心配する必要はないと、相変わらず軍師は冷たい。たしかに彼らは兄妹であるし、デューイはラ・ガーディアの最北サラザールの出身だ。あの環境で生きてきたとなればそれなりにたくましく、軍師の声も一理あるとブレイヴは一時的に二人を忘れた。

 そうしたなかで戻って来たのがフォルネの王女一人だったのだから、他の面々も少なからず驚いていただろう。

 ブレイヴはそれとなくフレイアの背後を見る。息を切らせながら追い掛けてきたのはユング人だった。どういうことだろうか。この少女はレオナたちとともに、ダナンに行ったはずではなかったのか。

「ファラって子とジルって子が消えた」

 それは、知っている。振り返らずとも、セルジュとクライドの眉間に皺が寄っているのが想像できる。

「その二人を捜しに行ったのでしょう? そもそも、なぜあなたは一人なのです?」

「待て、セルジュ」

 存外、短気なところもある軍師だ。食ってかかろうとするセルジュをブレイヴはまず止める。

「フレイアがまだ言いたそうにしている」

 けっして普段から口数の多くはない少女だ。自分の主張だけを一気に伝えることもあれば、こちらの反応をちゃんと待ってくれることもある。この場合は後者だと、ブレイヴはそう受け取った。

「あの子たち、黒い渦のなかに呑み込まれた」

「黒い渦?」

「そう。魔力の塊。そこから老人がふたり出てきた。たぶん、ドラグナー」

竜人ドラグナー……?」

「人間じゃないって、においでわかった。レオナよりもずっと濃いにおい。魔力がなくてもにおいでわかる」

 ブレイヴは激しく目を瞬かせた。話に付いていくのがこれほど大変だと思わなかった。さしずめ、白皙の聖職者はフレイアの保護者兼、通訳を努めてくれていたといったところか。

「レオナは戦おうとしてた。でもアステアが止めた。たぶん、それは正解。私もクリスが止めてくれなかったら、黒い渦に引き摺り込まれていた」

「ちょ、ちょっと待ってくれ」

 軍師を制止しておきながら、自分もこのざまだ。しかし、段々この少女の言葉が理解できてきた。ブレイヴも知っている過去の話じゃない。

「レオナとアステアも、その黒い渦に呑み込まれた?」

「そう。レオナは魔法壁を作ろうとしてた。でも間に合わなかった」

 深呼吸だ。ブレイヴはそう自分に言いきかせる。

「きみとクリスはすぐ近くにいた。助けられなかったのは、相手がドラグナーだったから」

「そう。クリスが私を止めた。魔力に耐性のない人間が巻き込まれたら死ぬ。そう、クリスが言った」

 じゃあ、ファラとジルは。言いかけて止めた。ブレイヴはそれとなくクライドを見た。黙りこくってはいるが、絶望しているような顔ではなかった。なら、少なくともファラは身体に魔力を宿しているのだろう。ジルに関してもおなじだと願うしかない。

「それで? あなたの従者はどうしたのです?」

 セルジュだ。フレイアは砂漠の案内人と二人だけでナナルに戻って来た。傍にいるべき人間がいないのはおかしい。そう指摘している。

「クリスは教会に助けを求めた。早く聖騎士に伝えてほしい。そう、言われたから私はここに来た」

 ブレイヴは意識して呼吸を繰り返している。レオナたちがナナルを発ったのは十日前だ。ダナンまで五日は掛かるとして、到着後すぐにファラとジルを見つけたのかもしれない。翌日、皆でナナルへ戻ろうとしたところに竜人ドラグナーに遭遇した。三日と半日、ほとんど休まずにナナルへと帰ってくれたフレイアに感謝するべきだ。

「我々の立場を知っていて、それでなお教会に頼ったと? 彼らしからぬ行いですね」

 だが、セルジュはそうではないようだ。ブレイヴはため息を吐きたくなった。

「セルジュ」

「つまり、ダナンで起きた行方不明者多発の事件に巻き込まれたのでしょう。流行病のせいで、ただでさえ教会は身動きが取れません。事情を皆まで話すとなれば当然、聖騎士の存在が明るみに出る。はたして、教会が聖騎士に力を貸してくれるでしょうか?」

 ここで口を挟めば軍師の毒舌に拍車をかける。なにしろ水を向けられているのはブレイヴだ。聖騎士との戦いでムスタールは敗者となった。ヴァルハルワ教徒の聖地はムスタール公国、痛手を負わされた聖騎士を許すはずもない。

「……なにが言いたいんだ?」

 ここでフレイアを責めてもなんにもならない。いち早く知らせてくれた者に対して、あんまりな物言いだ。咎めるつもりでブレイヴはセルジュに問うた。しかし、セルジュの悪罵は止まらなかった。

「こうは考えられませんか? 時間稼ぎ……、あるいは最初から売るつもりだったのではないかと?」

「それはクリスを疑っているという意味か?」

「あれはワイト家の人間でしょう?」

 まさか知らなかったのかと、そういう目顔をセルジュは送っている。

「クリス・メリル・ワイト。……それが、あいつの名前だ」

 ブレイヴは振り向いた。なぜクライドが知っているのだろう。本人が教えたとしか考えられない。それはクライドがイレスダートとは関わりのないユングナハル人だからだ。

「意味がわからない。だいたい、ワイト家は離散している」

「だからこそ、です。ワイト家はヴァルハルワ教会でも影響力を持った一族だった。どういう理由で離散したのかは存じませんが、取り戻そうとする人間がいてもおかしくはないでしょう?」

 諭すようにセルジュが言う。いいや、わからない。クリスがフレイアを止めたのは少女の安全のためだし、ここに知らせてくれたのも善意でしかない。それなのに、セルジュもクライドも気の毒そうな目でブレイヴを見ている。

「警戒はしていたのですよ、アストレアのときから。こちらの動きはどういうわけか筒抜けでしたからね。誰がどこに漏らしているのか。これで明らかになったのです」

「本気で言っているのか?」

「もちろんです。いったいどこで、ワイト家が彼に接触したのかは存じませんが」

 ブレイヴはかぶりを振る。ふたたび、セルジュへと視線を戻そうとしてフレイアと目が合った。

「どうでもいい。クリスは私のもとに帰ってくるから」

 自分の意見を求められているのがわかって、フレイアはそう言った。感情の乏しいこの少女が、めずらしく怒っているようにブレイヴは見えた。当然だ。クリスはフレイアの家族とおなじなのだから。

「あの、いまはクリスさんよりも、姫様たちの行方を追うのが先なのでは?」

 皆が同時にノエルを見た。一番正しい意見だった。

 もっとも、ノエルはアストレア奪還の際、クリスと一緒だった。彼の人となりは以前から知っていたとして、実際にアストレアの教徒たちがクリスを慕うところも見ている。それとなく庇っているのだろう。ブレイヴは心のなかでうなずいた。

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