ロッテとロア

 もしも騎士団や傭兵団に所属していたら、まちがいなく斥候を任されていただろう。

 そう言ったのはレナードだったかノエルだったか。ともかくデューイはそれを笑い飛ばした。冗談じゃない。俺は一般人代表、お前らとはちがうんだ。

 とは言うものの、デューイは所謂いわゆるふつうの暮らしをしてきたわけでもないし、ふつうに育ったわけでもない。生まれも育ちも西のラ・ガーディア、その最北のサラザール。

 まだほんのちいさい子どもの頃こそ北地区で育ったが、両親二人ともいなくなってからは南の貧困窟で生きてきたのがデューイである。窃盗に詐欺に裏切り、他にも人に言えないようなあくどいことばかりをしてきた人生だ。当然、尾行にだって気づいている。

 それにしても下手すぎるんだよなあ。

 たぶん、見つかる前提でずっと付けてきている。それならさすがの聖騎士だって気づいているはずだ。わざわざデューイが教える必要もないくらいに。

 とはいえど、どうしたものかとデューイは頭を悩ませていた。きけば彼女には姉がいるという。姉、というのはたぶん正しくはない。ただ歳が近しいのでそう呼んでいるだけで、本来の彼女との関係は叔母が正解だろう。なにしろ、彼女はオリシス公爵家の養女である。

 教えてやるのがやさしさなのか、それともこのままだんまりと貫くのが良いのか、さんざ迷った上で、けっきょくデューイは彼女に教えた。あまり驚いていなかったのは早く伝えなかったデューイに怒っているかと思いきや、実はそうではないらしい。あのひとなら、そうすると思った。返ってきた声にびっくりしたのは、デューイの方だった。

 なかなかどうして、肝が据わっている。これはあのお姫さんにだいぶ似てきたなとでも言えば、両者とも怒るかもしれない。

 兎にも角にも、そのときデューイは約束したのだ。シャルロットをその人に会わせに行く、と。

 さてさて、どうしたものか。ふたたびデューイは考える。彼女を連れ出すだけなのに、それがなかなか難儀なのだ。シャルロットの傍にはだいたいレオナとルテキアがいる。事情を話せばレオナは協力してくれるとして、ルテキアはそうもいかない。あの女騎士はいつだってデューイを親の敵でも見る目をしている。

 まあ、それが騎士の仕事ってやつだろう。デューイはあまり気にしていなかったものの、とにかくシャルロット一人を誘い出す機会がない。そうこうしているうちにナナルまで着いてしまった。その上、ウンベルトという少年の他にもジルという少女などなど、ここに来て新たな登場人物ときた。聖騎士やその麾下きかたちは、早くも面倒に巻き込まれたというわけだ。

 逆に言えばこれは絶好の機会なのではと、考えていたところでレオナとルテキアがいなくなった。

 おいおい、話がどんどん複雑化していないか。独りぼっちになってしまったシャルロットは、フォルネの王女フレイアとその従者クリスが守ってくれている。しかしこれがよくない。ますます彼女を連れ出せなくなってしまった。

 ふと、ここでデューイは冷静になる。

 いやいや、ここであれこれ悩む必要などあるのかと。だいたいデューイはシャルロットの兄なのだ。それも皆が知っている事実である。ちょっと外出するくらいの何が悪い。

 となれば、決行は明日だ。シャルロットにそう伝えようとうろうろしていたデューイは、とある人物に見つかる。意外や意外。ふだんはまるで接点のない軍師直々の頼みに、デューイはふたつ返事でそれを受けてしまった。

 そういうわけで、ひさしぶりに会ったシャルロットはやっぱりちょっと不機嫌だった。

 ルテキアも帰って来なければ、レオナはアステアたちとダナンに行ってしまった。おまけに白皙の聖職者も一緒にだ。おかげで苦労せずに外出できたのだが、これはこれでよろしくない。彼女がむすっとしているのは、すっかり約束が遅くなってしまったせいではないと、デューイは思い込んでいる。話しかけても素っ気ないし、これはいよいよ嫌われてしまったのかと、デューイは泣きたくなってきた。

 皆で泊まっている宿場から、東へ小一時間ほど進んだところにたどり着く。

 どんなぼろ宿に泊まっているかと思いきや、ちいさくとも内装はそれなりに綺麗だった。それもそうかと、デューイは思う。相手は一国の公女なのだ。そして、彼女の口数の少なさにもここで気が付いた。一年ぶりの再会ならば、緊張するのも当然だろう。

 あらかじめ調べておいたので、デューイは勝手知ったるように進んでいく。三階の一番奥の部屋、ところが途中で足を止めざるを得なかった。なるほどなるほど、公女ともなる者がたった一人で異国まで追い掛けてくるはずもない。門番さながらに立ちはだかる騎士は、おそらく麾下きかだろう。

「どいてください」

 ちいさくともはっきりした声で、彼女は言った。

 若い騎士がすこしばかりたじろいだようにも見えた。あちらが公女であれば彼女もまた公女である。当然、彼女の顔も覚えているはずだ。ふた呼吸ののち、若い騎士は道を空けた。もしかしたら止めてほしかったのかもしれない。オリシスの公女が追いつづけているのは、アストレアの聖騎士だ。

 自分の手で聖騎士を討つまでオリシスには戻らないと決めた公女を、あの若い騎士は止めてほしいと思っている。気の毒だなと、思わなくもない。そういう難儀な生き方をしていれば、自分がますます不幸になるだけだ。

 シャルロットはその部屋の前で立ち止まった。三階の一番奥の部屋。彼女は扉をたたいたが、返事はきこえなかった。不在ではないと、デューイはたしかめているし、それならさっきの騎士がわざわざ邪魔したりはしない。

 けっきょく、声が返ってこなかったので彼女は勝手に扉を開けた。調度品など何もない部屋に背の高い赤毛の女がいた。

「どうして……」

 赤毛の女がそう言った。ナナルの民族衣装であるシャルワール・カミーズではなく、旅の装いだ。巡礼者を装うつもりもない騎士の服装は自衛のためだろうか。シャルロットは女の騎士に向けて微笑んだ。彼女がオリシスの迎えを断ったという話は公女にも伝わっているはずだ。それなら、聖騎士と行動をともにしているのも知っているだろう。失念していたのか、あるいはこうして尋ねてくるとは思ってもいなかったのか。デューイにはわからない。

「部屋に入れてもくれないの?」

 勝手に扉は開けたものの、その一歩は踏み出せずにいた。シャルロットは対話を求めている。しかし、赤毛の女騎士の視線は彼女のうしろにいる人間だ。さっと、気色ばむのがわかった。

「そいつは、」

「待って。大事なひとなの。おねがい……、ロア姉さま」

 懇願の声は震えていた。赤毛の女騎士――ロアはため息を吐いた。

 怪しまれても当然だ。デューイが逆の立場ならば絶対に部屋に入れない。ただ、妙な誤解をされても困るので弁明をしたいところ、説明するにも長すぎる。さて、どうするか。デューイは自分を空気だと思い込む。さあ、どうぞ。俺に構わず話をつづけてくれ。

 たっぷり数呼吸は待たされたが、ロアは二人を部屋に入れてくれた。さすがは一国の公女だ。人を見る目があるのかないのかは、この際置いておく。

「よかった。ようやく、会えた」

 シャルロットとロア。二人はカウチで向かい合う。自分を空気だと思い込んだデューイは隅っこで大人しくしている。

「ずっと、会いに行こうと思っていたの。王都マイアでは、会えなかったから」

 前の戦いでオリシスはイスカに敗れた。そう、あとからきいた。はるか西のラ・ガーディアから勇敢なる戦士たちを率いていたのはシオンである。あの女戦士を前にして、よく無事だったなというのがデューイの感想だ。

 いや、逆かも知れない。からこそ、ロアはこんなにも陰鬱な顔をしているのだろう。

「ブレイヴとは、ちゃんとおはなししたのでしょう?」

 これまでほとんど無表情だったロアが、はじめて反応した。デューイは内心ではらはらしていた。ここで聖騎士の名を出すのは得策ではないような気がする。

「ううん、そうじゃない。だって、ロア姉さまはそれより前から知っていたはずだわ」

 淡々と、相手を諭すような物言い、これは白皙の聖職者に似ている。レオナやルテキアの次に、シャルロットが長く時間を過ごしたのはクリスだ。治癒魔法の他にもいろいろ教わっていたのかもしれない。

「ねえ、ロア姉さま」

「なぜオリシスに戻らなかった」

 途中で遮られて、シャルロットは目をしばたかせた。

「迎えを寄越したはずだろう。それなのにお前は」

「それは、ロア姉さまもおなじだわ」

 しかし、彼女も負けてはいない。こういう一歩も退かないところはレオナそっくりだ。デューイは笑ってしまわないように表情に気をつけている。

「私は戻れない」

「やるべきことがあるから、でしょう? 私だって、いっしょよ」

 無遠慮に吐き出されたため息にも、シャルロットは笑みを崩さずにいる。強いな。いつのまに、こんなに強くなったのだろう。

「あの戦場で、私は巨大な竜を見たわ。姉さまだって、見たでしょう?」

 ロアは答えない。イスカの戦士たちに囚われていたとなれば、見なかったと答えても嘘ではないのにかかわらず。

「ブレイヴもレオナも、必死に戦っているの。私、人間同士の戦いなんて、もうたくさんって思った。でも、そうじゃない。戦う相手、人間だけじゃないの」

「皆まで言わなくとも知っている」

「それなら、」

「だが、あの男が兄を奪った事実には変わりない」

 厄介だな、とそう思う。憎しみや怒りに囚われた人間はそれしか見えない。自分がそういう道に落っこちなかったのは運が良かっただけ、いやもう一人の父親であるガゼルのおかげだと、デューイは思っている。

「悲しいのね」

「私は悲しんでなどいない」

「いいえ。姉さまは、忘れようとしているんだわ。でも、それはきっと間違い。忘れなくてもいいの。私、忘れたりはしないよ。アルウェンさま……お父さまは、ずっと心のなかにいるから」

 彼女は自分の胸に手を当ててみせる。泣いてなんかいない。見ているこっちの方が泣きそうだ。

「姉上のようなことを言うな」

「だって、私はテレーゼさまの娘だもの」

 シャルロットには母が二人いる。一人はデューイとおなじ、もう一人はオリシス公爵アルウェンの妻だ。

「……それで? 私にどうしろと?」

 長々と説教をするのが妹の役目ではないことくらい、彼女もわかっている。シャルロットはもう一度微笑んだ。

「あなたを止めたりは、しない。自分の気の済むまで、そうすれば良いと思う」

「言っていることが滅茶苦茶だな」

「でも、もう誰かが悲しむようなことには、なってほしくない。だから、お願い。ロア姉さま」

 シャルロットは身を乗り出すようにしてつづける。すべて話終えたとき、ロアから色好い返事はきこえなかった。空気に徹していたデューイは扉が閉まったあとになって、ようやくシャルロットに声を掛けた。彼女の目から一筋の涙が零れた。ずっと我慢していたのだろう。

「よくがんばったな」

 辛いのを隠すように、彼女はまた微笑んだ。

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