同族への忠告

 夜も明けきらない時間に、ふとブレイヴは目を覚ました。

 腕のなかには穏やかな寝息を立てる幼なじみがいる。彼女を起こさないようそっと寝台を抜け出して、ブレイヴは部屋の外へと向かう。やはり、足音がしたのは気のせいではなかった。ノエルだ。騎士は気まずそうにさっとお辞儀した。

「こんな時間に申しわけありません。公子」

 気にする必要はない。そもそも、ジルの護衛をノエルに頼んだのはブレイヴだ。

「いなくなりました。昨日の晩までは見ていたのですが」

「わかってる」

 ジルとウンベルトは恋仲だ。二人ともガエリオの屋敷で監視状態にあるとはいえ、そこから抜け出したりしなければお咎めなしといったところか。さすがに夜間もずっと見張らせておくのは気の毒なので、可能な限りでとブレイヴはノエルに言い含めていた。

「すみません、公子。俺が目を離している隙に」

「いや、ノエルのせいじゃない」

 励ますための言葉ではなかった。これは本音である。ブレイヴは微笑する。まさかあの説教のせいで、ジルが姿を消すとは思わなかったのだ。

「ガエリオのところから去ったとなると、他に王都で彼女の行きそうなところは?」

「もしかしたら、ナナルにはいないのかもしれません」

「と、言うと?」

 時間も時間だ。小声で話していたノエルが一層声を潜める。

「ダナンです。妹をそこに残していると、前に言っていました」

「ダナン……」

 ブレイヴはため息を吐きそうになる。ファラもレオナも、おまけにジルまでダナンだ。

「追いましょうか?」

「いや……」

 ブレイヴはゆるく首を振る。麾下きかのジークもレナードも出ていった。この上、ノエルまで行ったとなると皆があまりにもばらばらだ。

「ダビトがすでにこのナナルに潜伏している可能性が高い。俺たちは手分けして奴を探す」

「はい」

 ノエルは一揖いちゆうして去って行った。寝台へと戻ると、幼なじみが目を覚ましていた。

「ジル、ね?」

 会話はここまで届いていなかったはずだが、レオナは言い当てた。さて、どうしたものか。皆まで話すと長くなりそうだ。

「だいじょうぶ。ファラもジルも、わたしが見つける」

 行くなと言っても行ってしまうのが幼なじみだ。それなら、アステアやクリスと一緒の方がずっと安心だ。ブレイヴは壊れものを扱うように、レオナを抱きしめた。











「俺の女がいなくなった」

 最初の声がこれである。ブレイヴは正直にうんざりしていた。

 この男は情人を自分の所有物か何かだと思っている。尊厳もへったくれもない。ここまで価値観の異なる相手と対するのは、はじめてだ。

「心当たりは?」

「ない」

 即答だ。念のために問うてみたものの、返ってきた声がこれだ。

 ブレイヴは無遠慮に嘆息する。レオナとアステアたちは朝一番にナナルを発った。すぐにブレイヴへと知らせてくれたノエルは、念のために王都をあちこち探してくれている。それなのにこの男と来たら、のこのこ現れたのが夕方になった今頃である。

 セルジュとクライドが外出中でよかったのかもしれない。ガエリオという男は、所構わず誰彼構わず暴れ出すような男だ。

「あなたの妻だろう?」

「横取りしたのはウンベルトだ」

「彼はジルがいなくなったと、ナナル中を探しているのに?」

「なら、あいつがあれを連れて行ったのか? よほど俺に殺されたいようだな」

 まともに話もできないのか。やはり、誰も残して置かなかったのは失敗だった。

「弟殺しは重罪だろう?」

「関係ない」

「彼はそんなに馬鹿じゃない。あなたに痛めつけられて、ちゃんと反省している」

 くくっと、ガエリオが嗤う。この男はまるで反省をしていない。

 ガエリオの目を盗んで、若い二人は逢瀬をつづけていた。ところがいつまで経ってもジルが来ないので、ウンベルトはノエルに相談した。一晩くらい気の乗らない時もあるのではと、ノエルは言ったもののウンベルトは否定する。ガエリオの屋敷にあてがわれていたジルの部屋からは、彼女の私物が消えていたらしい。そこで慌ててブレイヴに知らせに来たといった次第だ。

「悪いが、これ以上あなたの相手をするつもりはない。俺たちもジルを探している」

「隠すとどうなるか、わかっていての物言いか?」

「彼女を匿ったところでこちらに利点はない。そもそも、あなたの妻だ」

「はっ! 俺の腕を折った聖騎士の言葉とは思えんな」

 ブレイヴは微笑む。この大男はけっこう根に持つ性格らしい。

「それで? 話はまだ別にあるのだろう? そろそろ本題に入ってほしい」

 こちらはそれほど無聊ぶりょうを持て余しているわけじゃない。さすがに声には出さなかったが、ブレイヴの表情でガエリオはそれを読み取っている。

「どこまでも気に食わない聖騎士だ。……まあ、いい。聖騎士に客だ」

「客人?」

 ガエリオは目顔で階下を促す。ブレイヴたちが泊まっている宿場はそこそこに広く、食堂の他にも大浴場など宿泊客以外が使える施設がある。階段をおりて一階へとつづき応接室へと向かってみれば、カウチに腰掛けているのは往年の男だった。

 旅の芸人か。ブレイヴは男の容姿でそれを判断する。浅黒い肌のところどころにまじない用の入れ墨が入っているのが、その証だ。ユングナハルだけに留まらず、イレスダートや西の大国ラ・ガーディアにも旅芸人たちは足を運ぶ。危険な動物はいなくとも、厄介なのはおなじ人間である。道中、余計な面倒に巻き込まれないためにもまじないは必要なのかもしれない。

 それにしても、と。ブレイヴは男の背中をまじまじと見る。旅の一座が纏う衣装にしても、どこか既視感を覚えたのはたしかだった。とはいえど、ユング人にこれ以上の知り合いなどいない。男はブレイヴが入ってきたのを認めると、にっこりと笑った。

「おひさしぶりです、聖騎士殿」

「あなたは……」

 言いさして、やはりブレイヴには覚えがなかった。ひさしぶりと言われる相手となれば余計にだ。男はくすくす笑っている。

「幼い少年だったあなたが忘れてしまうのも、無理はありませんね。ですが、私はあなたをよく覚えていますよ。あなたたちは幼いながらも、姫君を守る立派な騎士だった」

 炎と月と竜の円舞。旅の一座の演目を、まだ幼かったブレイヴは見た。レオナとディアスも一緒だった。

 そうだ、あの日のことは忘れたくとも忘れられない。白の王宮を抜け出して、幼なじみの姫君を外へと連れ出した。そして、白い光。

 ブレイヴは思わず剣へと手を伸ばしていた。いや、ちがう。彼は敵じゃない。あのとき忠告してくれたのも彼だった。

「あなたは、何者だ?」

「私は炎の一族です。ここまで言えば、もうおわかりでしょう?」

「では、ドラグナー?」

 声は返って来なくとも、ブレイヴは肯定と受け取った。

「ガエリオからジルを預かるつもりで来たのですが、どうやら彼女は逃げたようですね」

 男はいつまでもカウチに腰掛けないブレイヴを目顔で誘導したものの、ブレイヴはそれを無視した。

「ガエリオはあなたにジルを売ったのか?」

「それは少々誤解があるかと。でも、考えてごらんなさい。ジルの愛人が彼女を買おうとしていたようですが、それよりこちらに渡してくれた方がずっと早い。彼女の踊りを見ましたか? 無理に酒場で働かずとも十分に客が取れる」

 睨むことを止めないブレイヴに、男はひとつため息を吐く。

「存外、やさしい男なのですよ。ガエリオは」

「信用できない」

 だいたい、この場に同席することなくガエリオは帰った。

「まあ、逃げた者はどうすることもできませんが、そのかわりにあなたと会えたのですから、よしとしましょう」

「なんの話か、わからない」

 彼が本当に竜人ドラグナーならば、レオナがここにいないことも知っているはずだ。幼なじみを差し置いて聖騎士に接触する理由が見当たらないし、それほど親しい仲でもない。

「忠告です。あのときのようにね」

「あのとき、は」

「あなたがそこまで気に病む必要はないと思いますよ。あの娘レオナはドラグナーだ。遅かれ早かれこうなったにちがいない」

 ブレイヴはそう思わない。覚醒のきっかけは紛れもなくブレイヴとディアスにあるし、それ以後のサリタにしてもおなじだ。俺がレオナを人間から遠ざけている。イレスダートへと帰還するまでのあいだ、彼女は何度竜の力を使ったか。

「さて、昔話に花を咲かせたいところですが、やめにしておきましょうか。そうです。忠告ですよ。我が同族たちが動き出していますからね」

「ここでも、ドラグナーたちが」

 ブレイヴは歯噛みする。イレスダート、ラ・ガーディア、グラン。あらゆるところで竜人ドラグナーたちが関わっていた。では、やはりダビトに接触している者も竜人ドラグナーなのだろう。たしかに筋は通っている。

「ああ、誤解のないように言っておきますが、

「どういう、意味だ?」

「あなたよりも人間から遠く、レオナよりもドラグナーに遠い。それだけの存在です」

「意味がわからない」

 男は本当に困ったような顔をする。

「ドラグナーと言っても、さまざまです。人間の世界に染まりきれずに自分を竜だと思っている者もいますし、人間たちに馴染んで生活する者もいます。後者が私たちというわけです」

「あなた方は人間のように伴侶を得て、子を産んで育んできたと?」

「そういうことです。そして、その身に宿す竜の血も力も徐々に薄まっていく。するとドラグナーのような力は使えなくなりますし、ドラグナーであっても私たちは弱い竜族に分類されますね」

 彼の見た目は人間と変わらないし、言われなければ竜人ドラグナーだともわからない。たしかにそういう竜族が、人間の世界に紛れて生活をしているのかもしれない。だが、彼の忠告はきっとそこではない。ブレイヴは沈黙でつづきを促す。

「炎の一族は厄介ですよ。人であることを拒み、竜として生きつづける。可哀想な彼らは人の言葉を喋れない。地下深くの神殿で身を隠しながら生きているのです」

「それが、ユノ・ジュールに加担していると?」

 男は目をしばたかせた。

「ユノ・ジュール? いいえいいえ。我々には遠い存在ですよ、彼は。だいたい、彼がユングナハルに来ているのなら、あなたの姫君がとっくに気づいているはずでしょう?」

 急にブレイヴの心臓の動きが速くなった。ダナン。やはり行かせるべきではなかった。

「気をつけるべきなのは、炎の一族です。忠告しましたよ? 彼らは人間の世界に接触しようとしている。その目的は、私にもわかりませんが」

「なぜ、それを私に?」

 彼は悪い大人で簡単に子どもを騙せた。でも、あのときの彼はいい人間で、ブレイヴたちにちゃんと教えてくれた。

「昔のよしみで、と言えば信用してもらえますか? いや、あなたは存外疑い深い。それも姫君のことになると」

 当たっている。ブレイヴは笑みで彼の声に応えた。

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