レオナとルテキア

 赤毛の少女に連れられて、レオナはナナル宮殿の奥へと足を踏み入れた。

 後宮ハレムには余所者は入れない。ファラのうしろでレオナは緊張を隠せなずにいる。白膚と青髪のイレスダート人はどうしても目立ってしまうからだ。

 背の高い女官と目が合ったがあちらはにこりともしなかった。新しい従者かそれとも友達か。無遠慮な視線はレオナへと注がれている。

 それなのにファラはおかまいなしにどんどん奥へと進んでいく。彼女自身もここに入るのは数えるくらいだと言っていたのに、その堂々たる歩みは自信の表れだろうか。まだ少女の王女を咎める者はいない。それとも、皆は忙しいのでいちいちファラには構っていられないのかもしれない。

 孤独になるはずだと、レオナは思う。

 レオナが十四歳の頃、白の王宮から離れた修道院に身を寄せていた。歳の近しい少女たちが一緒だったので寂しさはそれほど感じなかった。ルダのアイリオーネとランツェスのウルスラ。気の置けない友人とよしみを結べたのもこの時期だ。

 少女の一番多感な時期だからこそ愛情には餓えてしまう。ナナル宮殿にはファラと歳の近しい人間はいなかった。

「大丈夫だよ。この時間はね、謁見の間なんだ。しばらく戻って来ないから、女王の傍付きたちは自由になれる」

 どうも沈んだ顔をしているように見えたらしい。ファラがにこっと笑ってみせた。やさしい子だ。この少女は会ったばかりのレオナを助けてくれる。

 謁見の間で女王の傍にいるのは扈従こじゅうたちだ。そのあいだ女王の傍付きたちはそれぞれ与えられた仕事に専念している。神経質な性格の女王イグナーツは塵ひとつ許さないらしく、最近宮殿に入ったばかりのルテキアは女王の私室とは別のところにいるはずと、そうファラは言う。長く女王に仕えている者たちは息抜きの仕方も知っているから、いちいちルテキアを見張ってなんかいないとも。

 ファラの言葉どおり、ルテキアはすぐに見つかった。

 回廊の水拭きをはじめるところだったらしい。水桶を抱えていたレオナの傍付きは、こっちを見て驚いた顔をした。ファラは有無を言わさずにルテキアを連れていく。たどり着いたのは小台所だ。

 ここなら大丈夫。片目を瞑ったファラに、レオナはやっと肩の力を抜いた。

「ごめんなさい。迎えに来るのが遅くなってしまって……」

 最初の声は謝罪の他に考えられなかった。たった数日離れていただけなのに、レオナの傍付きはもう知らない誰かみたいだ。

 レオナはなんだか泣きたい気持ちになる。ルテキアが唇の前で人差し指を立てた。だからそれ以上をレオナは言えなかった。視界の隅の方でファラが料理人たちとお喋りをしている。ちょうど新作のタルトができあがったばかりなのだろう。甘くていいにおいに釣られて、また王女がおやつをねだりに来たと、皆が笑っている。

「私はここから出られません。ですが、どうか心配なさらないでください」

 長々と話している時間はない。いまのルテキアはレオナの傍付きではなく女王の傍付きだ。

 ルテキアは回廊で擦れちがった女官たちとおなじシャルワール・カミーズを着ている。背の高くて精巧な人形さながらに無表情の女官たち、あとで知ったのだがあれは男の証を奪われた閹人えんじんたちらしい。彼らに自由はない。いや、彼らが自由よりも安定を求めているのだ。

 わたしのせいだ。自分の軽率さを嘆いたところでもう遅い。

 レオナは己の意思でガエリオと相対し、ルテキアを巻き込んでしまった。レオナはファラが守ってくれたものの、ルテキアはガエリオによって女王へと献上された。美しいものを好むイグナーツはルテキアを気に入ったのだ。だから傍付きはここから出られない。

「大丈夫です。外への連絡手段はあります。私は軍師にここの情報を届けているのです」

「セルジュに……?」

 問うたレオナにルテキアはゆっくりとうなずいた。

「でも、それじゃあルテキアが」

 危険ではないのか。そうつづけようとして、それより早くルテキアが次を紡いだ。

「ここにいれば、ナナルの情勢も女王の動向も把握できます」

 たしかに内側からなら容易く情報は手に入るだろう。ルテキアは女官としても騎士としても優秀だ。

「公子はクライドと合流したようです。しかし彼の異母兄ダビトとの問題は解決していません。セルジュは、これが長引くと見ています」

 クライドにはウンベルトやガエリオの他にも兄弟がたくさんいると、ファラが教えてくれた。くだんの男の名は、レオナも知っている。白騎士団と戦っている最中、騎士団が突如王都へと引き揚げた理由は、ダビトという人物が関わっていたからだった。内乱の隙を突いてイレスダートの領域を侵すような人間だ。ナナルにとって脅威となるのは間違いない。

「そのダビトという人は、どこにいるの……?」

「おそらくはダナンに」

「ダナン……」

 王都ナナルに次ぐ都市であり、ヴァルハルワ教会の大聖堂がある場所だ。また戦争になってしまうのだろうか。ラ・ガーディアやグランのように。

「いまダナンでは流行病が広がっています。住民たちは教会に集まっていますが、しかし教会だけではすべての民は救えません。ダナンからの要請はナナルにも届いているのですが……」

「お母さまはやっぱりダナンを見捨てるつもりなのね」

 レオナとルテキアは同時に振り向いた。ファラだ。おやつはひとつだけの約束。とっくに食べ終えたらしく、料理人たちもそれぞれの仕事にもう戻っている。

「見捨てるなど、そんなことは」

「いいのよ。取り繕わなくたって。あの人のことは娘の私が一番良くわかってるんんだから」

「ご自身のお母君を、そんな風に言ってはなりません」

「あなた、なかなか度胸があるじゃない。さすがはレオナの傍付きってところね。私を王女だと知っててもその物言い。おまけに初対面よ?」

「ええ、存じております。しかし数日とはいえ、私は女王陛下を見てきました」

 ここで密告もできるし、レオナをまたガエリオのところに戻すことだってできる。ファラの脅しにもルテキアは一歩も退かずに相対する。ルテキアにそう言わせるような背景が、女王にあるのかもしれない。

「ともかく、私はこのままここに残ります。レオナは早く公子のところにお戻りください」

「信じて、いいのね?」

 ルテキアに託された役目ではなく、ルテキア自身という意味だ。傍付きは微笑んだ。

「ロッテも心配しているかと思います。いえ……、怒っているかもしれません」

 レオナは目をしばたく。オリシスの少女、失念していたわけではなかった。あの夜、シャルロットに毛布を被せて少女を隠したのはレオナとルテキアだ。フレイアがきっとシャルロットを守ってくれたはず、そう思っても一人きりにさせてしまったのは事実だ。

「そうだね……。早く帰って、謝らないと」

 でもルテキアが一緒じゃなければ、やっぱり怒るかもしれない。

 どういいわけをしようか。それよりデューイやレナードたちを味方に付けた方が早いだろうか。いいやそれでは逆効果だ。

 ちゃんと話をする。そしてレオナとシャルロット、二人でルテキアを待つ。幾日もしないうちに傍付きも帰ってくる。そのとき三人でお茶をしよう。ユングナハルの香茶にはほんのすこし香辛料とミルクを淹れるのが美味しい。レオナの作った焼き菓子にも合うし、シャルロットもきっと手伝ってくれる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る