迎えに来た者、送り出す者②
「ご無事で何よりです」
ダビトの
村人たちが思い思いに腰をおろしている。彼らの得物は金槌や
「捕らえてダビトの詳細を掴もうと思いましたが」
「いや、十分だ。お前にここを任せてよかった」
ジークも笑みで返してくれる。それに、と。ブレイヴがつづけようとした声を麾下はちゃんとわかっている。ここには
「あなたもご健在で何よりです。クライド」
アステアとフレイア、そのあとから彼は来た。しかしクライドはアストレアの鴉を前に、声を忘れたみたいに唇を動かさずにいる。ああ、そうだった。彼は知らなかったのだ。
「ここを引き揚げる前に、彼の手当てを」
ジークが目顔で誘導する。浅黒い肌をした黒髪の男がこちらを睨んでいる。離れていてもわかるその
巨体の男は左腕を押さえている。利き腕なのだろう。自慢の左腕をやられて満身創痍といったところだ。狐顔の男と狸顔の男のように、巨体の男もクライドの旧知の仲かもしれない。それなのに、クライドは不自然に視線を逸らした。
「いや、あいつは」
「僕が看ましょう」
さっとクライドの脇を通り過ぎていったのは魔道士の少年だ。
「おい、待て。エドムンドに近付くな」
「エドムンドさんですね。僕はアステア。アストレアの魔道士です」
クライドの忠告など無視して、アステアはエドムンドの前でにこっとする。あの巨体の男がブレイヴらを見る目は敵そのものだ。いきなり介入した部外者を良く思っていないから、ああいう目ができる。
「治療しますから、動かないでくださいね」
アステアが殴られる前に止めるべきだろう。しかし、その前にブレイヴは信じられないものを見た。魔道士の少年がエドムンドの身体に触れる。巨体のその男が少年の手を振り払うより先に、緑の淡い色が見えたのだ。
「これは……」
癒やしの力だ。幼なじみの姫君レオナの力を何度も目にしたブレイヴはその力をよく知っている。
いつのまに身に付けたのだろう。答えを求めるべく、ブレイヴは麾下を見たものの、ジークの方が困惑した顔を向けていた。
「はい、終わりましたよ。でも、あまり動かしては駄目ですよ。こっちは僕、まだ見習いなんです。傷みが残っていたらすみません」
癒やしの光が消えるまでの数呼吸、ブレイヴは胸に込みあげるものを感じた。魔道士の少年が常日頃から努力を重ねてきたことは、皆が認めている。初歩的な風の魔法から、
いつからだろうかと、ブレイヴは考える。
アストレア奪還の折に襲撃を受けて、ブレイヴとエーベル兄弟は怪我を負った。あのときのアステアは自分の無力を嘆いていた。一朝一夕で身に付くとは思えない。ブレイヴやレオナの知らないところで、アステアは白皙の聖職者やオリシスの少女に教えを乞うていたのかもしれない。
きっとアステアは近い将来、
「……感謝する」
それだけ言って、巨体の男は去って行った。他の村人たちもやおら立ちあがって、クライドを見ている。
「
クライドの声に、狐顔の男と狸顔の男がうなずいた。
日干し煉瓦の一番大きな家が村長の屋敷らしく、ブレイヴが着いた頃には宴会がはじまっていた。
「あれだけ派手に暴れたら、奴らもしばらくは来ないだろうよ」
「俺たちが勝ったんだ!」
「みんな、飲め! 今日はたらふく
男たちが麦酒を呷って盛りあがっている。
大丈夫だろうか。助けに行くべきかと迷ったところでフレイアと目が合った。フォルネの王女がちゃんとアステアを見張ってくれるらしい。大暴れしてダビトの配下を追い払った二人は、この村で英雄の扱いだ。
「それで? 今後はどうするつもりだ?」
麦酒をちびちび飲んでいるクライドにブレイヴは囁く。まだ何も終わっていない。彼の顔にはそれがありありと書かれている。
「襲ってきたらまた戦う。その繰り返しだ」
「でも、それでは埒が明かない」
「そんなことはわかっている」
いいや、わかっていない。ブレイヴは空になったグラスを絨毯の上に置いた。狸顔の男が麦酒を注いでくれる。狐顔の男はブレイヴとクライドと、二人を交互に見ている。
「元から絶つべきじゃないのか?」
「ダビトとやり合えるほど、この村には戦力が整っていない」
クライドらしくないと、ブレイヴは思った。麾下はだんまりを決め込んだようで、助け船を出してはくれない。
「ウンベルトがきみを必要としている」
「なんの話だ?」
ウンベルトはクライドのことを話すとき、どこか他人みたいな物言いをした。長いあいだ疎遠だった兄弟だ。彼もまた無関心でいるつもりなのかもしれない。
「きみの弟はガエリオに殴られて酷い目に遭った。ウンベルトとジルをあの男から解放してやりたい」
「あいつ、まだ懲りていなかったのか」
でもクライドは自分の異母弟の事情を知っているし、家族間のごたごたも理解している。
「俺がナナルに行ったところで、どうこうなる問題じゃない」
「行ってもらわなければ困る。ファラというのは、きみの姪だろう?」
「なんでそこでファラが出てくる?」
「ファラのところにレオナがいる」
クライドは口の端から麦酒を溢した。
「わけがわからない。なんで、姫さんまでナナルに?」
その呼び方はまたレオナが怒るだろうな。ジークがちょっと笑っている。
「……あんたの要求はわかった。だが言ってることが滅茶苦茶だ」
「自分でもそう思う」
「俺はここを離れられない。奴らはいつ戻ってくるかわからない」
話が振り出しに戻ってしまった。ブレイヴはひとつ息を吐く。
「ダビトを抑えればこの村は巻き込まれない。終わらない戦いなど、つづけるべきじゃない」
「戦争をつづけてきた、あんたの台詞とは思えないな」
「戦える人間がそろっているならその方がいい。でも、ここはちがう。みんなはきみのように強くない」
「村長みたいなことを言うんだな。ここを捨ててヴァルハルワ教会を頼る。月光石はダビトと教会で山分けってところか」
「待ってください。教会も関わっているのですか?」
ジークが身を乗り出してきくと、クライドは肩を竦めた。
「村長は助祭だった。だから教会に縁がある。全員が助かるためにはダナンに行く手もあると」
ダナンというのが、ユングナハルで一番ヴァルハルワ教会の力が強い街なのだろう。なにかが引っ掛かると、ブレイヴはそう思った。たぶん、ジークも気が付いている。
「ダビトと教会が繋がっていると、そう考えられませんか?」
「なんだって?」
ジークの指摘にクライドが眉を
「五年前、ダビトは王座を掠め取ろうとして失敗した。それからずっと牢獄だったはずでしょう。その男を何者かが助け出した」
「ウンベルトはまだ子どもだったからすべてを知らないと言っていた。でも、牢獄からダビトを出したやつがいるのは、たしかな事実だ」
ジークが言い、ブレイヴもつづける。クライドが口を閉ざしているのは考え込んでいるためだろうか。ヴァルハルワ教会がダビトのような危険人物と接触したとして利点がない。一見そう思われるものの、両者の利害は一致している。教会は先のイレスダートの内乱において痛手を受けたし、ダビトはふたたび王座を狙っている。どちらも金には困っているから、月光石を欲する理由にはなるはずだ。
ふと、視線を感じてクライドを見た。彼はブレイヴを睨んでいた。
「村長は俺の育ての親同然だ。疑いたくはない」
ブレイヴはこの部屋でただ一人椅子に腰掛けている老人を見た。皆と麦酒をたのしんでいる。人に騙されているとか、人を騙すつもりだとかそういう風には見えない。
「たぶん、村長は何も知らない。ここを捨てるといったのは、それしか方法がなかったからだ」
クライドが嘆息する。
「イレスダートの白騎士団の次は、ヴァルハルワ教会を敵に回すつもりか?」
「教会はそんなに馬鹿じゃない。危うくなればダビトを見限る。でも、他にも協力者がいるように俺には見える」
「協力者?」
「たとえば、ガエリオ」
露骨に眉間に皺を寄せたクライドに、声を誤ったとブレイヴは思った。ダビトもガエリオも、母は異なってもクライドの兄だ。
「あんたはウンベルトに肩入れしているからそう言うんだろ」
「そうかもしれない」
「ともかく、俺はここを」
「いや、行ってくださいよ。若」
狐顔の男が言った。名はたしかヤンと言ったか。隣でもじもじしている狸顔はタルだ。
「そ、そうだよ、若。その人たちの言うとおりだ。ダビトをなんとかしなくちゃ、俺たちは安心できねえ。この村だって、そのうち乗っ取られちまう」
いつのまにか周りも静かになっている。皆の視線を煩わしそうにクライドは首を振る。
「お前はいつも中途半端なんだよ」
端の方で一人麦酒を飲んでいた男が近付いてきた。エドムンド。クライドとは兄弟のように育ったのだと、狸顔のタルがこっそり教えてくれた。
「お前に関係ないだろう。エドムンド」
「俺は村長だ。勝手に出てった奴が勝手に帰ってきたなど、認めん」
クライドが舌打ちする。ヤンとタルが二人のあいだに入った。殴り合いがはじまる前にブレイヴも二人を止めるつもりだ。
「親父に任せて好き勝手しているのはお前だろうが」
「ああ、だからだ。もう親父に任せてはおけん」
ヤンとタル、ブレイヴとジークの四人掛かりならどうにかなる。ブレイヴはちらっと中央を見た。魔道士の少年は物言いたそうな目をこちらに向けている。怪我人を増やしてしまえばきっと怒るだろう。
「ああもう、二人ともやめて」
「そうだよ。せっかくの宴が台無しだ」
狐顔のヤンと狸顔のタルが言う。しばらく睨み合っていた二人は、それきり声を交わさずに別々に出て行った。水を差されたとばかりに宴もそこでお開きとなってしまった。
「すみません。俺とタルで説得しますんで。どうか若をよろしくお願いします」
ヤンにそう頭をさげられたとき、ブレイヴは本当にこれでよかったのかと、すこし迷ってしまった。
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