ナナルの夜②

 他の部屋もとっくに消灯しているなかで、ブレイヴの足には遠慮がなかった。

 扉がないので入室の許しを入れる手段もなく、ブレイヴはそのまま足音を立てて部屋へと入る。ウンベルトは恋人と一緒の部屋に泊まっていた。二人とも素肌でくっつき合っていたところをブレイヴに起こされた。

「どうしたんです? いったい」

「レオナとルテキアが攫われた」

 少年は少なからず驚いているようだがいつもの調子だ。ウンベルトの隣でジルが眠そうに目を擦っている。露わになった肌を隠すつもりもないらしい。

「ちゃんと説明してほしい。きみを、狙っている奴が誰なのかを」

 応じなければそれなりの対応をさせてもらう。ブレイヴの目顔を読み取って、ウンベルトはまず洋燈を灯した。

 少年がそこらに投げ散らかしたシャルワールを履くあいだに、ジークとセルジュも来た。知らせてくれたのはフレイアだ。皆まできくまえにブレイヴは先に飛び出した。

 カウチに掛けるようにと促されてもそんな気にはなれずに無視した。ウンベルトが苦笑する。

「俺を殺そうとしているのは、兄と言いましたよね」

 兄弟喧嘩にしては行き過ぎている。となれば、ウンベルトは余程の恨みを買っているとしか思えない。

「ジルはガエリオの妻です」

 ブレイヴは無遠慮に嘆息していた。つまり、この少年は人妻に手を出したらしい。それも自分の兄の妻女、兄弟仲が拗れる理由としては筋が通っている。

「自業自得なのでは?」

 軍師の声はもっともで、彼らに同情の余地などないように思われる。

「ちがうわ! ウンベルトはあたしを」

「ジル。いいから」

 自分を庇おうとする恋人を制して、ウンベルトはつづける。

「彼女と会ったのは半年ほど前です。ジルの踊りを見て一目で惹かれました。ガエリオには他にたくさんの妻がいます。でも、俺からしたらただ美しいだけで輝いてなんかない」

「それで?」

 長々と身の上話をきくような優しさを持ち合わせているなら、朝が来るのを待った。必要な情報はガエリオという男の素性と居場所、それだけだ。しかし、少年は自分たちの正しさを訴える。

「兄は女たちを自分の所有物か何かだとしか思っちゃいない。いったい、何人の女たちを侍らかしていると思います? とっかえひっかえ見境のない。ジルはそのうちの一人、そこに自由なんてない」

「ガエリオがその娘を買ったのなら、当然の権利でしょう」

 このときばかりは軍師の声に賛同したくもなった。大体のあらましは読めた。娼婦の少女をガエリオが買った。それを横取りしたのがウンベルトだ。

「あんたたちには関係ないじゃない!」

「どの口がそんなことを? すでに巻き込まれているのはこちらですが」

 声を震わせるジルに軍師は冷笑を浴びせる。すこし少年たちが気の毒にもなってきた。ウンベルトもジルも悪気がないのだ。だからといって、殺されるのは身内の問題としてはやり過ぎだろう。この様子ではウンベルトはもう何度も命を狙われている。

「ガエリオと言う男は、彼女を返せばあなたを許すのですか?」

 ブレイヴはジークを見た。寝ているところを起こされたセルジュ、幼なじみを奪われたブレイヴ、このなかで冷静なのは麾下きかだけだ。

「嫌よ! ぜったいに、いや!」

「あなたはすこし黙ってなさい」

 軍師の苛立ちもそろそろ限界だ。一番怒っていたはずのブレイヴが落ち着いてきた。

「ユングナハルの法に触れるかわかりませんが、それならばあなたがガエリオから彼女を買えばよろしいのでは?」

「ジーク」

 さすがに止めるべきと思った。それができないから二人は恋人ごっこをつづけている。大人の事情も法も、少年たちには無関係なのだ。

「ガエリオは許してくれませんよ。僕はジルを返すつもりはないし、戻ってもジルはあいつから逃げられなくなる」

「弟殺しは罪にならないのか?」

「そういう国ですから」

 骨肉の争い。弟殺しはユングナハルでも罪に問われるはずだ。イレスダートの場合、爵位を持つ家柄なら信用は地に落ちる。ましてや彼らは王族だ。醜聞はすぐに広まるはずなのに、どこまでわかっているのだろう。

「とにかく、ガエリオの居場所を知りたい。レオナとルテキアを返してもらう」

「レオナは自分から捕まったんだよ」

 ブレイヴはまじろぐ。寝間着を血だらけにしたフレイアがそこにいた。

「いま、なんて?」

「レオナはシャルロットを隠した。だからあの子は無事」

 それはわかっている。フレイアはシャルロットを連れてきてくれたし、オリシスの少女はいまレナードたちが守ってくれている。

「殺すなって、レオナがそう言った。だから殺してない。いま、クリスがあいつらを直している」

 治すではなく、直すというのがいかにもフレイアらしい。

「あいつらが探していたのは、ジルって子。わかっていたから、レオナは弱いふりをした」

「……なぜ?」

「たぶん、そのジルって子をまもるために。本気で戦ったら、レオナが負けるはずないもの」

 ブレイヴがちいさく笑ったのをフレイアは気付いている。たしかにそのとおりだ。何の抵抗もなく捕まったのならそこには目的がある。そもそもレオナが大人しくしているとは思えない。

「相変わらず、困ったことをなさる姫君ですね」

 軍師の怒りの矛先がブレイヴへと向きそうだ。さて、どうしたものか。兎にも角にも、ガエリオと接触すべきなのは変わらない。セルジュはともかくジークの目は見ないようにした。味方のはずが敵が二人に増えるのはどうしても避けたい。

「取り引きをしよう」

 ブレイヴはまずウンベルトを見て、次にジルを見た。十五、六歳の少年少女だ。大人の世界で生きているように見えても、二人とも中身はまだ子どもだ。丸め込むのはきっと容易い。

「俺は、きみたち二人を守る。だけどウンベルト、それにジルも。二人はちゃんとガエリオと話をするべきだと思う」

「話をきくような奴じゃない」

「それでも、だ。宮殿には案内してもらう。どのみち、アナクレオン陛下の書状を女王に届けなければならないし、その帰りでいい」

「すごいな、聖騎士殿は。これは脅しですか?」

「そうだよ」

 きみにはすこし騙されたから。そう、ブレイヴは付け加えた。

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