ナナルの夜①

 食堂の前でデューイに呼び止められた。レナードとノエルも一緒で、三人でお喋りしていたらしい。

 美味しいですよと、口をもぐもぐさせながらレナードが言う。赤葡萄の載った皿によく熟れた梨も追加された。どうしようかと迷ったものの、レオナはそのまま同席した。幼なじみが追いかけてくる様子はなかったけれど、すぐに部屋に戻る気にはなれなかったのだ。

 とりとめのない会話をつづける三人に相槌を打っているうちに、他の宿泊客たちもぞろぞろ入ってきた。晩餐までにはまだ早くとも麦酒エールで乾杯している。ルテキアもやってきて、いきなり三人を叱りつけた。夕食前にこっそりお菓子を食べた子どもたち、それを叱る母親みたいだ。

 ずっと皆でお喋りしながら食事をしたものの、レオナはほとんど上の空だった。

 隣の長机では幼なじみと軍師たちが話し込んでいる。目が合わないようにと気をつけていたけれど、ときどき送られてくる彼の視線には気が付いていた。こちらはまだ話が盛りあがっているし、食事も終わっていない。先に引きあげていく幼なじみの背中を見て、安堵する自分がたまらなく嫌になった。

「けんかでも、したの?」

 デザートの桃を前にして、レオナはしばらく固まっていたらしい。シャルロットの声ではっとする。いま頃になって笑みを作っても逆効果だ。

「ロッテ。まだ残っていますよ」

 オリシスの少女の前にはミルク粥が半分残っている。

「だって、もうおなかがいっぱいなんだもの」

 よく煮込んだ鶏肉と茸を添えた甘くない味付けでも、温かい根菜サラダと具だくさんのスープを食べたあとでは少女の言い分もわかる。砂漠の旅では干し肉と乾酪チーズばかりの保存食と、香辛料で味付けただけのスープが主だった。いきなりたくさん食べてしまえばびっくりしてしまう。レオナもどうにかぜんぶを胃の腑に納めた。

 シャルロットから深皿を奪って、ルテキアが残さず食べる。めずらしいやり取りにちょっと心が痛んだ。皆まで話していないのに、二人にはレオナの心を読まれている。

 部屋へと戻ればフレイアがクッションを抱えてうずくまっていた。眠たいのだろうか。なんだか機嫌が悪そうだ。洋燈を消した方がいいのかもしれない。そう思いながらレオナはちらっと廊下を見た。ジルという少女が入ってくる気配はない。きっと今宵はウンベルトと過ごすのだろう。

 就寝には早すぎたせいか、なかなか寝付けなかった。

 おまけに食べたばかりだ。こんなことはいままでだってあったはずなのに、胃がしくしくするのはどうしてだろう。ルテキアが怒るのも当然かもしれない。食事の前におやつを食べてしまったせいだ。

 しばらくすると穏やかな寝息がきこえてきた。

 フレイアかシャルロットだろうか。誰しも皆、砂漠の横断で疲れていたからひさしぶりにぐっすり眠れる。ルテキアはと、寝顔をのぞき見るのをレオナはやめておいた。きっと傍付きはまだ起きている。

 城塞都市ガレリアにはじまり、南のユングナハル。

 いま振り返れば、ガレリアからムスタールへと馬車の移動なんてやさしいものだった。カナーン地方の山道、イスカの荒野、グランへとつづく果てしない山脈、それからルダの雪原。どれも過酷な旅で、けれどもこの砂漠の旅が一番堪えた。

 熱と砂と。終わりの見えない旅を永遠に感じられたし、心がくじけそうになったのは一度や二度ではなかった。初日にいきなり駱駝の世話になってしまったのは、レオナとシャルロットだけだ。デューイはずっと励ましてくれたものの応える元気もなければ、ナナルに着く頃にはルテキアでさえ疲れ切っていた。

 お礼を言いそびれてしまった。

 音を立てないよう気をつけながらレオナは寝返りを打つ。途中のオアシスはどれも有人で、住民たちもやさしかった。砂漠の案内人は旅慣れた女性で何かとレオナたちを気遣ってくれた。これもぜんぶウンベルトの計らいだ。

 礼を言うのはわたしの方だわ。そう、ウンベルトとブレイヴに。幼なじみは苦労して駱駝を手に入れてくれた。道中、どれだけあの動物に助けられただろう。目頭が熱くなったのはレオナの意地だ。

 誰も悪くなんてない。レオナは口のなかで言う。ウンベルトとジルはまだ子どもで、あの正直さがすこし羨ましくもなる。幼なじみは二人に巻き込まれただけ、それなのに心のもやもやはいつまでも消えてくれない。

 目がすっかり冴えてしまったのでレオナは困ってしまった。

 疲れているのに眠れないのはぐるぐると思考をつづけているせいだ。気分を落ち着かせる香茶でも淹れようか。でも、それでは皆を起こしてしまう。毛布のなかでもぞもぞしていたレオナは、ふと物音に気が付いた。

 誰か来たのだろうか。それにしては変だ。ユングナハルの建物は西のイスカのように、各部屋に扉は備え付けられてはいなかった。外へと灯りが漏れていなければわざわざ近付く必要もない。この階に泊まっているのも女性たちだけだ。

 レオナは上体を起こした。部屋の寝台は四人分ある。しかしそのうちふたつはもぬけの殻だ。ルテキアを呼ぼうとして、途中で声を止めた。誰よりも早く動いていたのはフレイアだった。

「ぎゃっ!」

 暗闇で目を凝らす。悲鳴とともに倒れたのは知らない男だ。侵入者。いち早く気が付いたフレイアが戦っている。

「待って、殺してはだめっ!」

 フォルネの王女がちらとこちらを見たのがわかった。レオナは寝台から飛びおりる。相手は何人か。いや、何人で襲ってこようがフレイアは侵入者を逃がさない。

「くそっ、なんだこの女は!」

「あの女じゃないぞ! これじゃあ、またガエリオ様に」

 二人は確認できた。でも、まだ他にもいる。それに男たちの会話をレオナはきいた。狙いはレオナたちではないのだ。では、誰を探しているのか。心当たりがあるとしたらあの少女だけだ。

 レオナはとっさに毛布を集めてシャルロットに被せた。フレイアが逃げようとした男を斬ったのが見えた。レオナの目顔にフレイアは首を縦に振らなかった。すべて殺してしまえば、侵入者の目的がわからなくなってしまう。

「ルテキア!」

 レオナは傍付きを呼ぶ。ルテキアはシャルロットの近くにいて、戦えない少女に眠ったふりをするように指示していた。このまま見つからなければシャルロットは無事でいられる。でも、それだけではだめだ。

 レオナは限られた短い時間で思考を纏める。こんなとき、誰かの真似をしようとしてもきっと上手くはいかない。演じきれるだろうか。レオナは自分を叱咤する。殺してしまうのは簡単だ。だけど、それではだめ。レオナは口のなかで繰り返す。

「ルテキア。わたしを、信じて」

 傍付きの目をしっかり見て、レオナはそう言った。

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