女神の加護とともに②

 城内が混乱しているのは想定内だ。

 けれども、ごった返している回廊内で邪魔だとかどいてろだとか、とにかく怒鳴られたのは想定外。とはいえ、皆が殺気立っているのは当然だろう。公子がアストレアに帰ってきた。皆はこの日が来るのを心待ちにしていたのだ。

 ノエルは見知った顔がないかと探していたのだが、この状況では見つかりそうもなかった。

 では逆に、ノエルに気づいてくれる人物はどうか。

 激しく肩がぶつかって、小柄なノエルは後ろに倒れ込みそうになった。あるいは押し除けられたりもした。まあ、無理もないと思う。ノエルが蒼天騎士団に入ったのは成人してからすぐのこと、そこから一年が過ぎていてもアストレアにいた時間よりも他の方が長い。同期のレナードとちがって、ノエルは地味な印象が強いのも自分で認める。だから誰もノエルには気づいてくれない。

 そんなのわかっていたはずだろ。

 落胆するのは馬鹿げている。それに、ここに来た目的だってそうじゃない。ノエルは蒼天騎士団の一人だ。何のために騎士になったんだ。くじけそうになる自分を叱咤する。そうでなければ、ノエルを送り出してくれた人になんだか申し訳ないような気がした。

「公子のところに行きたいのでしょう?」

 彼は艶美えんびな笑みでそう言った。

 裏方の仕事に回っていたノエルは精力的に働いて、公子や軍師の下命かめいに背くなんて考えてもいなかった。さすがは聖職者だ。その薄藍の瞳はノエルの心を読み取っている。白皙の聖職者は誰に対してもやさしく真摯だった。彼の声をきくと安心するのもわかる気がする。あの心地良いアルトの声に囁かれたら、誰だって素直にうなずく。

 だけど軍律違反をするのは二度目、次こそは除名されるかもしれない。叙任式から二年も経っていないのに、こんな騎士はどこにもいないだろう。

 急にノエルは心細くなった。城内の人間は倉皇そうこうとなっている。裏口から侵入したのでこっちの道程ならば人も少ないと思っていたのに、逆だったらしい。先に公子や軍師が城内に入っているはずでも、誰もその名前を口にしないのはなぜだろうか。そして、城主エレノアの名も。

 いったい、どうなっているのだろう。

 ノエルは東の塔を目指して走っていた。己の主君の元へと駆けつけたい気持ちと、エレノアの身を案じる気持ちでせめぎ合っていたが、なかなか目的には近づけずに押し流されるように東へと向かっていた。執事や侍女、他の使用人たちの姿は見えずに、きっと皆はとっくに安全な場所に隠れている。そう、信じたかった。

 やがて、エレノアの薔薇園が見えてきた。

 季節を終えた薔薇園に鮮やかな彩りは見えなくても、ちゃんと手入れはされているようだ。けれど安堵するのはまだ早い。ここまである程度の自由は許されていたのかもしれないが、公子が帰ってきたのなら話は変わってくる。あの男はきっと、エレノアを盾に使う。

「うわっ!」

 考えごとをつづけていたせいか、ノエルはうしろに吹っ飛んだ。なんという不覚。ここまで来てやられたなんて笑い話どころでは済まなくなる。崩れた体勢を立て直して、ノエルは衝突した相手を見る。向こうもノエルとおなじ顔をしていた。

「レナード!」

「ノエル!」

 二人は同時に叫んでいた。

 赤髪と気の強そうなまんまる目、加えて童顔のレナードは年齢よりも幼く見える。アストレアを離れていたこの一年で、二人ともちょっと背が伸びていた。何も変わっていない。別れたときの、ノエルが知っているレナードのままだ。

「お前、なんでここに」

「それ、こっちの台詞だよ! ぜんぜん連絡も寄越してこないし」

 魔法の硝子玉が割れたのは知っている。けれどもあれは、レナードとデューイが失敗したとその合図だと、そう認識している。少なくともセルジュは二人の安否に関しても期待していなかった。

「あとで話す。ともかくいまは、エレノア様を」

「この先にはいないんだな?」

 レナードがうなずく。そこでノエルは理解した。レナードがこれまでどこで何をしていたのかいまは置いておくとして、しかし彼もまたこの状況を把握できていないのだ。そして、城主エレノアにも蒼天騎士団団長であるトリスタンにも接触できていないのだろう。

 だったら、俺たちにいまできることなんて。

 ノエルは自分のことのように気落ちしてしまった。それなのにレナードの目は死んでいなければ、声もしっかりしている。

「ほら、行くぞ。公子は、無事なんだろ?」

「当たり前だよ」

 一緒にアストレアに帰ってきたんだ。

 ノエルとレナードの主君は必ずこの国を取り戻す。二人は回廊へと戻った。先ほどまで騒がしかったのが静かになっている。とはいえ、ここがまだ安全といえるかどうか。皆の姿が見えないのも、やはり不安になってくる。

「おい、そこのちび二人!」

 大台所を通り過ぎようとして、大きな声に呼び止められた。ふとっちょの男が扉から顔を覗かせている。

「モッペルさん!」

「やっぱり、見習いちびっ子どもだったか!」

 アストレア公爵家も、騎士団に所属する騎士たちも、皆が世話になっている料理長だ。育ち盛りの若い騎士らは台所にお邪魔してはおこぼれを頂く。もうちゃんとした騎士なのだから見習いなんかじゃない。そう言いたいのに、このふとっちょの料理長はいつまでも二人を子ども扱いする。

「お前たちがここにいるってことは、やっぱり帰ってきてたんだな!」

「ここは? みんなは大丈夫なのか?」

「もちろんだよ! まだ王都の騎士たちがうろうろしてるから、ぶん殴ってやったよ!」

 料理長はたくましい二の腕を見せてくる。そしてその手にはフライパンが握られていた。

 拳でも卒倒しそうなのに、あれで殴られたら痛いなんかじゃすまない。料理長のうしろから他の料理人も見える。彼らはふとっちょの料理長ほど豪快なたちではないので、包丁を持った手がぶるぶる震えている。

「けどなあ、せっかく皆がこうして戦ってるっていうのに、こっちはまったく準備が進まなくてなあ」

 アストレアを取り戻すという大仕事を任されているのは、何も騎士たちだけじゃない。ぜんぶ終わったときに、疲れて戻った騎士たちの腹を満たすのが彼らの役目だ。

「レナード」

「わかってる」

 なんだ、ちゃんといつものレナードじゃないか。

 ノエルはちょっとくすぐったいような気持ちになった。戦場で戦うだけが騎士の仕事じゃない。ジークはいつもそう言っていた。

「俺たちは、蒼天騎士団だ」

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