女王イグナーツ

 朝一番にウンベルトをたたき起こして、馬車を手配させた。

 馭者ぎょしゃを急かしても、宮殿に着く頃には昼を回っていた。城下街と宮殿を隔てる鋸壁きょへきを越えると、玉葱の形をした屋根が連なっているのが見える。城門はいくつもあって、そのたびに馬車を止められたものの、中をちらっとのぞくだけで衛士に誰何すいかされなかったのは、ウンベルトのおかげだ。

 少年の顔は冴えない。馬車に乗り込んだのはブレイヴとジークとウンベルトの三人だ。少年の恋人は頑として同行しなかったので、セルジュを置いてきた。約束は守ってもらう。女王との謁見が終われば、ウンベルトとジルをガエリオのところへと案内させるつもりだ。

 円形に広がるナナルの王城は、たしかに徒歩では苦労する広さだった。

 五つ目の城門を潜ったとき、ブレイヴはため息を落としていた。広さでいえばイレスダートの王都マイア、他にも西のイスカを凌ぐだろう。本来ならばその絢爛けんらんな宮殿の美しさの一つひとつに目を奪われ、感動を覚えながらすこしずつ進んでいく。しかし、いまはこの無駄に広いだけの城に辟易するだけだ。

 ジークの指先がブレイヴの膝に触れた。落ち着くように、麾下きかは促している。わかっている。麾下がブレイヴの傍を離れていたのは約半年、長いようで短く、そのあいだに簡単に人の性格が変わるものじゃない。

 不機嫌を隠そうとしないのはもう一人いる。ウンベルトだ。

 いつものお喋りはどこにいったのか。頬杖を付いてただ外を眺める少年は、こっちに目を合わせようともしない。ずっとだんまりだ。

 そのうちにいくつもの庭園を通り過ぎた。

 鋸壁には椰子の木が連なっていたが、そこからどんどん離れると本来ならば砂漠に咲かない植物たちが見えた。広大な敷地に色鮮やかな花たちが迎えてくれる。薔薇園を抜ければ鈴蘭、そして撫子。ダリアやアネモネも見事な花を咲かせている。これだけ広ければマウロス中の花を集めても、もっとたくさんの花苑が作れそうだ。

 幼なじみを連れて来てやりたかった。白の王宮をずっと奥へと進んだ離れの別塔、レオナの箱庭にはたくさんの薔薇が咲いていた。これほど多くの花を見たらきっとびっくりするだろうし、目を輝かせて微笑む。幼なじみがいないから、単調につづく庭園にもブレイヴは心が動かされない。

 中庭の噴水を通るときに、窓越しに庭師と目が合った。

 一瞬、それでも中に乗っている人間は確認できたはずなのに、職人はまたすぐ仕事へと戻った。露台を清掃する侍女たち、見回りをする近衛兵、羊皮紙の束を抱えて忙しそうに駆けて行った官吏たちも、誰も動きを止めたりはしない。白膚のイレスダート人はここでは目立つ。好奇心でじろっと視線を寄越すものの、隣に並ぶ少年なんてまるで無視だ。

 どこまでが本当でどこまでが嘘だったのか。ひょっとしたら、ウンベルトは自分の出自すら偽っているのではないかと、ブレイヴはすこし疑った。放蕩息子などこの国の王子とは認められていないだとしたら、ユングナハルという国はたしかに異質だ。それもわからなくはない。この少年は自由すぎる。

 きっと、ウンベルトはここに来たくなかったのだろう。ブレイヴはそう思う。女王への取り次ぎを頼んだあとでも、まだウンベルトを帰すわけにはいかない。客間で小一時間待たされたあと、ブレイヴは呼ばれた。まさかここで逃げたりはしないと思うが、念のため目顔で忠告する。きみの仕事はこのあとだ。

 開け放たれた謁見の間の奥に玉座が見える。

 まぶしいくらいに輝く黄金の玉座、君臨するのはこの国の女王イグナーツだ。玉座の脇には若者二人が控える。少年のなりをした扈従こじゅうだろうか。

 真紅の長い絨毯には幾何学きかがく模様が描かれている。どこかで見覚えがあると、思考をたどってイスカに着いた。このユングナハルという国は、他のさまざまな国の文化を取り入れているのだろうか。天井を支える円柱とおなじ間隔で近衛兵たちが林立りんりつする。黒髪の者もいれば金髪も見える。すっと背が高くてどの顔も美しいが、精巧な人形さながらに無表情だ。

 壁側で控える女官たちも似たり寄ったりの顔をしている。そういえば、擦れちがった者たちの容貌もほとんどおなじに見えた。もしかしたらと、思考を巡らせる。ブレイヴも見るのははじめてだった。彼らは女の体貌をした閹人えんじん。少年のうちに男の証を奪われて、死ぬまで宮殿の外には出られない者たちだ。

 この宮殿に純粋な男の性を持つ者はごくわずかなのかもしれない。

 ユングナハルの歴史を学んだときにはきかなかったから、直近の王の趣向なのだろうか。いまこの国を統べるのは女王、女の力が強ければ何かとやりやすいのはたしかだ。

 ブレイヴは時間をかけてゆっくりと真紅の絨毯を進んでいく。

 散々時間を使わされてここまで来たので気は急いていたが、しかしうしろに控えたジークが許さない。女王の脇に控えていた一人が近づいて来た。ブレイヴはイレスダートの王アナクレオンから預かった書状を取り出す。近くで見ると扈従はブレイヴよりもずっと年上だった。ならば宰相なのだろう。美しい顔をしたその男は、ブレイヴから書状をひったくると素早く封蝋ふうろうを切り、そうして女王へと手渡した。

「さがってよい」

 汚れも染みひとつない絨毯を見つめていたブレイヴは、思わず顔をあげてしまった。面をあげよと、そう声は掛かっていない。ブレイヴの挙止きょしに女王よりも先に宰相が気色けしきばんだ。

「さがってよろしい」

 先の女王の声とほとんど変わらない。少年期に成長が止まっているせいで、声も女のように高かった。

 どういうつもりだろうか。書状は皆まで目を通したはずだ。それに対しての答えがいますぐとはいかないのなら、後日改めて来るように命じる。他国の聖騎士にかまけていられるくらいに、この国の女王が無聊ぶりょうを持て余しているわけじゃない。そういう意味だとしても、真意は問いたい。

率爾そつじながら陛下。我が王アナクレオンは、ユングナハルにふたつを求めています」

 玉座の女王の目がすこし動いたのを、ブレイヴは見た。

「謝罪と説明を。いま、この場でしていただかねば、私は帰れません」

「ほう? 子どもにでもできる簡単なお使いすらできぬというのか。イレスダートの聖騎士は」

 嘲笑がきこえる。閹人たちからだ。ブレイヴも笑みを作る。

「その子どものおつかいすら満足にこなせないのは、陛下でございましょう? このまま持ち帰れば、アナクレオンはユングナハルをそう見做します」

 平然とのたまったブレイヴに、閹人たちが一斉に槍を向けた。あの円柱の向こうには弓兵たちも構えているし、魔道士たちも魔力を隠している。ブレイヴはそれをちらと見てから、また玉座の女王へと視線を戻した。顔を真っ赤にさせているのは宰相、片手をあげて制しているのは女王だ。

「やめよ」

 近衛兵たちを止めたのは、いつでも殺せるという証だ。

 でも、そうはならない。他国の聖騎士をほふればユングナハルとイレスダートは戦争になる。北の敵国ルドラスとユングナハルで挟み込めば、勝機はあちらへと傾くとしても、それは現実的じゃない。ブレイヴはそう思う。ユングナハルが本当を望むなら、もうとっくに動いているはずだ。

「ふん。つまらぬ男よな。アナクレオンは」

 真紅の絨毯へと触れていたブレイヴの左手がすこし震えた。己をどれだけ嘲られようともなんとも思わない。だが、主君に対しては別だ。うしろのジークが無言の圧を送っている。どうやらしくじったらしい。知っているだろ、ジーク。もともとこんな心理戦は得意じゃないんだ。

「まあしかし、こんなところにまでわざわざ来させた上に、無駄足をさせてしまった。それは詫びようぞ。だが、これ以上そなたの声に応える義務はない」

「それで、よろしいので?」

「くどいぞ。血の巡りの悪い聖騎士よな。そなたはダビトを知っているのだろう?」

「名前だけは」

 そう、本当にそれだけである。あのとき、クライドはダビトを自分の兄と言った。

「ならば即刻、引きさがるがよい。あれは叛逆者だ。王家とは関わりなければユングナハルの民でもない」

「あなたの兄でしょう?」

「愚問だ。私はあれを兄と認めたことなど一度もない」

 まるでとりつく島もない。ウンベルトやガエリオのことを持ち出すどころではなかった。

 女王イグナーツがふたたび片手をあげる。褐色の肌と赤髪の美しい女王はもうブレイヴを見てもいない。ほどなくして、近衛兵たちがブレイヴとジークを取り囲んだ。謁見の間を追い出されているあいだ、ブレイヴは己の主君への声を考えた。どの言葉を用いたとしても言い訳にしかならなかった。

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