家族の事情①

 謁見の間から追い出されて居館を抜けると、迎えの馬車が来ていた。

 ウンベルトが視線を寄越してくる。きかずとも対話の内容など知っているような顔だった。

 ナナル宮殿から遠ざかっていく馬車のなかで、ジークは一言も声を発しなかった。怒っているのだろうか。弁明などひとつもできずにブレイヴは視線を外へとやる。最後の城門を潜ると、もう一台の馬車が見えた。約束どおり、セルジュはジルを連れてきてくれた。

 ガエリオの屋敷まで来た道を戻っていく。女王の兄弟たちは宮殿に身を置いていないようで、ブレイヴにはそれも異質に感じられた。

 そういえば、ウンベルトが前に言っていた。自分たちは前王の子というだけで、王が身罷みまかるその前に宮殿に呼ばれた。嫡子はとうに亡くなっていて、だから代わりに玉座に着いたのはイグナーツだ。

 ユングナハルの戴冠式は五年前だったと、ブレイヴはそう記憶している。

 ブレイヴが士官学校を卒業し、聖騎士の称号を下賜かしされた年だ。その前後にユングナハルでなにが起きていたのかを、ブレイヴは知らない。ただ平和に戴冠の儀式が終わったと思えないのは、あの美しい宮殿から血のにおいを感じたからだ。

 馬車を南西へと進ませて小一時間、ようやく着いた。

 到着しても二台目の馬車から少女はなかなか降りてこなかったので、ウンベルトが半身を乗り出しながら説得する。そのやり取りは長くつづかず、駄々を捏ねたところで無駄だと悟ったらしい。けれども馬車をおりるとき、ジルはこっちをちらとも見なかった。不貞腐れているのだと思ったが、そうではなかった。少女が本当に怯えていたのだと知ったのは、このあとだ。

 敷地内はそこそこに広くとも貴人の邸宅というよりは、豪商の住み処のようだった。

 長い廊下をくねくねと曲がっていくそこは迷宮さながらに凝っているし、そこらに飾られている壁画や調度品にしても、誰の趣向かは不明だがあまり良い趣味には見えなかった。露出の高いカミーズ・シャルワールを纏った女たちが客人を迎える。じろじろと無遠慮に寄越してくる視線には、蔑視べっしの色がありありと見えた。異国の聖騎士、この屋敷の主の異母兄弟、逃げ出した愛人。ひどい折檻の餌食となるのは誰か。好奇心も含まれている。たしかに、居心地の良いとは言えない空間だ。

 執事が客間へと案内し、ブレイヴらはここで待つようにと言った。

 ウンベルトとジルは、これから屋敷の主と対面する。ブレイヴは軍師が止めるのを無視して、あとから彼らを追った。過保護過ぎませんか? セルジュはそう言ったものの、少年たちだけに任せるのは不安だったからだ。

 その予感は的中する。ガエリオの部屋へとたどり着く前にジルの悲鳴がきこえた。ウンベルトの身体は廊下にまで吹き飛ばされていた。

「ひどいわ! ウンベルトはあなたと話をしにきたのよ!」

「ほう? 俺に殺されるために、ここへと来たわけではなかったのか?」

 気絶したウンベルトを抱きかかえながら、ブレイヴは声の方へと目を向けた。小柄なジルが子どもに見えるくらいに、その男は大きかった。

「ウンベルトにひどいことしないで」

 ジルの声が震えている。浅黒い膚をした男が少女を睥睨へいげいする。肩に掛かるほど長い巻き毛の黒髪、瞳の色は翠玉石エメラルド色。上背があり肩幅も広く、男性用で一番大きいシャルワールを着ている。立て襟からのぞく太い首には傷痕が見える。男は剣を佩いていなかったが、得物は曲刀だろうと、ブレイヴはそう推測した。

「俺はな、二度までは許してやるつもりだ。穀潰しの弟が俺の女をかどわかそうとも、所詮ガキのままごとだ。お前を連れ出したことまでは許してやる。こうして自分から戻ってきたしな。だが、その次は駄目だ」

「なに、を」

「俺のモノを奪うのは許さん。それなりの代価は払ってもらう」

 大きな目から涙を零しながら、ジルはウンベルトを見た。すぐにでも恋人に駆け寄りたいのに、ガエリオの手がジルの腕を掴んでいるから叶わない。

「ウンベルトは、あなたの弟よ」

「それがどうした?」

 まだ反論をつづけようとしたその口を塞ぐと、ガエリオはジルを床へと押し倒した。カミーズを剥ぎ取り露わになった乳房を力任せに掴む。痛みに身をよじらせる少女に跨がるその男は、まるで獣のようだ。

「お前にもツケは払ってもらうぞ、ジル。俺から逃げた時間の分までな」

「いやあ! ウンベルト、ウンベルト!」

 助けを乞うたところで、少年はぴくりとも動かない。彼らには酷なことをしてしまった。あとで謝罪したとして、許されるだろうか。

「なんだ、貴様は?」

 ジルの内腿へと伸びていたガエリオの手が止まった。ブレイヴはその太腕が動かないよう、しっかりと掴んでいる。

 西の大国ラ・ガーディアのひとつ、イスカの国の戦士を思い出した。よく日に焼けた褐色の肌、鍛えあげられた鋼の肉体、他国の人間とは膂力りょりょくがちがう。国は異なれどこのガエリオという男の肉体も、まさしく戦士のものだった。少女から引き剥がそうと試みても、これ以上は動かない。ブレイヴの足元で頬を濡らした少女と目が合った。助けてもらえるなんて思っていなかったのかもしれない。純真なその瞳は子どものようでも、この少女は望まない営みを何度も強要されてきたのだろう。

「イレスダートの、聖騎士」

 はっと、ガエリオが嗤う。男の右手はブレイヴが掴んでいたが、ジルの乳房を弄っていた左手は自由だった。

 いきなり拳が飛んできた。

 左腕を犠牲にしなければ顔面をやられていた。人間の手に負えない獣だ、この男は。あのランドルフがまだやさしくも見える。この男は理不尽な暴力を自分の正義と思っている。

「他国の聖騎士が何の用だ?」

 いきなりの攻撃でガエリオの腕を放してしまったが、ブレイヴの右手も自由になった。しかし、まだ抜けない。左腕が完全に痺れてしまった。鈍痛もするので骨も折れているのかもしれない。カーナ・ラージャを片手で扱うのは不可能だ。拳だけで戦えるほど、この男は甘い相手じゃない。

「ウンベルトとジル。二人の護衛を引き受けている」

「ほう?」

 興味深そうにガエリオの唇が弧を描く。だが、守れてはいない。ブレイヴは歯噛みする。ウンベルトもジルも、理不尽な暴力の前に屈した。この館に幼なじみがいると思うとぞっとする。

「本気で殺すつもりなのか? ウンベルトはあなたの弟だろう? それにジルも」

「貴様には関わりない。家族の事情に他人が口を挟むな」

 どこが家族だ。ウンベルトはこの男を語るとき、他人の物言いをした。それがすべてだ。

「関係はある。レオナとルテキアを返してもらう」

「なに? ああ、あの女か」

 いますぐにこの男に殴りかかりたかったが、どうにか堪えた。

「ここにいるのはわかっている。彼女たちはお前のものじゃない」

「知らんな」

とぼけるつもりか?」

「一人はファラが連れて行った。もう一人はイグナーツにくれてやった」

「なに……?」

 興ざめだとばかりに、ガエリオが身を起こす。組み敷かれていたジルの身体が小刻みに震えている。

「信じたくなければ勝手にしろ。この屋敷のどこを探しても、そいつらはもうおらんぞ」

 ブレイヴは剣へと手を伸ばす。片手でこの聖剣を扱えるかどうか、自信はない。

「本気なのか? ユングナハルは、本気でイレスダートを」

「貴様は馬鹿か?」

 それはお前の方だろう。ブレイヴが声を返す前にガエリオはつづけた。

「イグナーツは貴様に何と言った? 理解ができないような阿呆なのか、聖騎士は」

「言っている意味がわからない」

 馬鹿が。ガエリオがもう一度言う。

「おつむの弱い聖騎士にひとつだけ教えてやる。イグナーツはイレスダートなどに興味はない」

「その言葉、信じるとでも?」

「好きにしろ。そもそも他国の王女も竜人ドラグナーの存在も、あれは知らない。知らないものに興味も関心もない。わかるか? 勝手にきて吼えられたのはこっちだ。貴様らは迷惑でしかない」

 鳩尾みぞおちのあたりに焼けるような痛みを感じる。話が通じない相手というのはこうも厄介なものなのか。いや、はっきり迷惑だとのたまうガエリオこそ、ブレイヴをそう見做しているのかもしれない。

 男はブレイヴも、ウンベルトもジルも置いて部屋から出て行った。ほんのひと呼吸ほど惚けていたブレイヴは、ジルに自分の上着を掛けてやる。少女はゆるゆると首を振った。

「あたしは、だいじょうぶ。こんなの、なんてことない。だからお願い……、ウンベルトを」

 失念していた。ブレイヴはウンベルトを見る。ちょうどジークとセルジュが駆けつけたところだった。二人の麾下きかは物言いたそうな目でブレイヴを見つめていた。

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