王都ナナル

 砂漠の旅に終わりが来た。

 オアシスを三度経由した。そのうちふたつは集落で、住民たちはイレスダート人を見ても嫌な顔をしなかった。巡礼者か、あるいはわけありの貴人だと思っているのだろう。

 天幕を張ってそこで一泊し、水と食料をわけてもらった。ウンベルトが住民たちと話しているが訛りが強くてきき取れない。あれは砂漠の民の使うユング語だ。

 道中砂嵐に二回見舞われたものの、駱駝も含めて全員無事だった。風のにおいが変わったと、ウンベルトがすばやく指示する。天幕のなかでじっとする時間は無限に感じられて、轟音が消えて外へと出てみると地形が変わっていた。

 七日間の旅は何から何まで快適とはいかずとも、それでも皆がこうしてナナルにたどり着いたのだからウンベルトに感謝すべきだろう。ユングナハルの少年はこちらの声を皆まで読み取ったように、にっこりした。

 砂漠とおなじ色をした鋸壁を抜けると椰子の木が並んでいた。ひさしぶりに見る緑色にほっとする。他にも街路を彩る白や赤が見える。はじめて見る花だ。なんていう名だろうか。レナードとノエルもずっときょろきょろしている。

「今日はこの南区で一泊しましょう。他のみなさんを待たなくてはなりませんし」

 しばらく歩いていると、ウンベルトが宿場へと連れて行ってくれた。レオナやセルジュたちとも合流しなければならない。

「明日には宮殿に入れるだろうか?」

 受け付けを終えたウンベルトを捕まえる。彼はちょっと眉をさげた。

「それは、すこしむずかしいですね。宮殿まで徒歩で三日はかかりますし」

 馬や馬車を使えばどうだろうか。声に出す前にやめた。他国の貴人が乗りものを使うのはとにかく目立つ。賢くはない選択だ。

 部屋に入って合切袋を投げ捨てると、レナードとノエルが浴室へと飛び込んだ。ジークの怒鳴り声がするより前だった。

 二人の気持ちはよくわかる。フード付きの外套を着込んでいても身体中が砂だらけだし、汗で肌がべたついている。途中のオアシスで水浴びはできても貴重な水を無遠慮に使うのは気が引けた。分厚い長靴ブーツを投げ捨てたい気持ちを抑えて、ブレイヴはウンベルトを見た。少年もまだ外套を羽織ったままだった。

「どこかに出掛けるのか?」

 浴室から大声が響く。いつでも客が入っていいようにと湯を張ってくれていたらしい。

「はい。彼女を迎えに行きます」

「彼女?」

「恋人です」

 ウンベルトは片目を瞑ってみせた。そういえば、最初に会ったときもそんなことを言っていた。恋人に化粧品をせがまれてイレスダートへと行く途中だったと。

「わかった。俺も一緒に行こう」

「公子」

「ジークはここに残ってくれ。他のみんなも、そろそろ着くはずだから」

 返事を待たずに部屋を出た。西のイスカのように各部屋には扉は取り付けられていなかったが、しかしジークが追ってくる気配はなかった。

「先に、兄に会いに行かなくてもいいんですか?」

 ブレイヴはまじろぐ。問うたウンベルトの方がちょっと驚いた顔をしている。

「ああ、もしかして。知らなかったんですね」

「きみの兄というのは、クライドのことか?」

 ウンベルトがにっこりする。難問を解いた生徒に向ける教官の笑みさながらだ。

「クライドはナナルにいませんよ。先に女王に会うのは正しいかと」

 ブレイヴも笑む。なんだか試されている気分だ。

「女王との謁見にはどれくらいかかるだろうか?」

 階段をおりて一階へと着く。宿泊を求める客でごった返していても、そこにまだ幼なじみたちの姿はなかった。

「書状をお持ちでしょう? アナクレオン陛下からの。でしたら、すぐです」

 クライドが話したのだろうか。この少年はなんでも知っている。ブレイヴがナナルへと来た目的はふたつ、女王イグナーツとの対話でユングナハル側の意思を確認すること、もうひとつは別れも告げずに去って行った薄情な友人と会うことだ。

「兄の居場所なら知っていますよ。クライドは故郷に戻りましたから」

「故郷はナナルではないのか?」

「はい。クライドは東の出身です。このナナルをもうすこし南下すれば、いくつかの集落が点在しています。どれも対立していますから、近付かない方が賢明ですよ」

 そういうわけにはいかない。目顔で訴えるとウンベルトは肩を竦めた。

「でも……だからこそ、兄は帰ってきたんです。ダビトはずっと、兄の土地を狙っていましたから」

 無意識にブレイヴは少年を睨んでいた。このウンベルトという少年は明け透けになんでも話す。その名には覚えがあった。

 王都マイアに近付かんとするブレイヴの前に立ちはだかったのは白騎士団。優勢なのは明らかに向こうだった。それなのに、白騎士団は急遽マイアへと引き返した。ユングナハルの介入のためだ。

「ああ。そこは左ではなく右です」

 大通りを道筋に沿って進んでいく。ここから先は露天商が連なっている場所だ。思考を途中で遮られたような気になる。この少年はわざと遠回りしているのだろうか。

「月光石ですよ」

「月光石?」

 鸚鵡返しするブレイヴの顔を見ずにウンベルトは言う。

「クライドの土地ではたくさん採れるんです。あれを精錬すれば金になる。ダビトには必要なのでしょう」

 たしか、クライドはそのダビトを自分の兄と言った。ならばウンベルトにとっても兄のはずだが、まるで他人の物言いだ。

「なんのために?」

 揚げパンに砂糖をまぶしたお菓子を売る店に、若者たちが群がっている。通り過ぎると今度は果実を飴で固めたお菓子が見えた。林檎や杏、他にも葡萄など、子どもでも食べやすいように細長い棒が刺さっている。

「そんなの、決まってるじゃないですか」

 ちいさな子どもとぶつからないように、気をつけながら歩くブレイヴは彼の声をきき落としそうになった。戦争。ダビトという人間は本気でイレスダートに争いを仕掛けようとしているのかもしれない。

「馬鹿げている」

 イレスダートを追われて、西のラ・ガーディアとグランを味方に付けたブレイヴが言う台詞じゃない。それでも自然と唇から滑り落ちていた。ウンベルトが笑っている。

「そうじゃありませんよ。あの人は、」

 急にうしろが騒がしくなった。ブレイヴはウンベルトへと手を伸ばしたものの、先に少年がすっ転んだ。

 風だ。ブレイヴはつぶやく。突風に巻き込まれて露店の天幕が飛んでいく。せっっかく綺麗に並べられていた果実の飴もめちゃくちゃになった。若者たちも大騒ぎする。ブレイヴは失笑するところをどうにか堪えた。演出にしては派手すぎる。

「やり過ぎだ」

 助けられたのは事実でも、逃げられたあとだ。そういう目顔をするブレイヴに軍師はいかにも怒った顔でいる。

「寄り道ですか。ずいぶんといいご身分ですね」

 七日ぶりに会った主君に対して最初の声がこれだ。一方の弟の方はくすくす笑っている。

「ちゃんと弁償しなければなりませんね」

 魔道士の少年がさっと銀貨を取り出して店主の手の平に載せた。あともうふた呼吸遅かったら、セルジュはきっと胸倉を掴まれていた。

「あの、だいじょうぶ?」

 アステアのうしろから出てきたのが幼なじみだったので驚いた。レオナはウンベルトが怪我をしたと思っている。たぶんかすり傷だ。

「どうして、ここに?」

「あなたがそれを持ったままだからでしょう。いかにも見つけてくれと言わんばかりに」

 ご明察。けれど、ききたいのはそっちじゃない。

「せっかくだから露店をのぞいてみたかったんです。ルテキアさんたちは先に行っていますよ」

 アステアが言う。兄を庇っているようで本当は幼なじみを庇っている。ブレイヴは懐に仕舞ってあった魔法石を取り出した。淡く光るこの石に魔力を込めたのはレオナとアステアだ。おかげで互いの位置がわかるのだが、これも月光石の一種だとブレイヴはあとで知った。

「まあ、いいでしょう。それよりもあなたです」

 ちょうど幼なじみに手を貸してもらいながら、ウンベルトが立ちあがったところだった。やはり怪我はなさそうだ。ユングナハルで砂嵐が起きるのもめずらしくはない。店主も客たちもこちらには興味を示していなかった。

 ブレイヴもウンベルトを見る。

 彼は聖騎士に護衛を依頼して、その見返りにナナルまで案内してくれた。道中は何も起こらなかったので、襲撃があるとしたらいまだとブレイヴはそう思っていた。当たりだ。ただ、狙いがどちらにあるかをたしかめたかった。ジークを連れてこなかった理由がここにある。供のいない聖騎士なら狙いやすいだろう。それも、これではっきりと判明した。

「狙われていたのは、あなたですね」

 皆の視線がウンベルトに集まっている。ユングナハルの少年は人好きのする笑みを向けた。

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