砂漠を越えて

 砂、砂、砂。

 どの方角からも見えるそれに、ブレイヴの口から自然とため息が漏れた。

 砂塵の街を経ってからまだ三日目なのに、黄金色に早くも飽きがきている。せめて他の色を探そうと見あげた先で目が眩んだ。もしもいま、隣に軍師がいたら無遠慮なため息を吐かれただろう。自分でも馬鹿なことをしたという自覚はある。

 呼ばれているのに気が付いて、ブレイヴはふたたび足を動かした。なんということだろう。一番遅れているのはブレイヴだった。

 先頭は案内役のウンベルトが務めている。さっそく砂漠の少年と打ち解けたレナードとノエルは、しっかり付いて行っている。二人はまだ若いからと口のなかで言い訳したものの、すぐに改めた。最年長のジークよりも遅れているのはブレイヴだ。

 シャルワールを長靴ブーツに押し込んで、丈の長いチュニックの上に外套を羽織る。フードもちゃんと被るので暑くてたまらなかったが、強い陽射しから頭を守るためには我慢も必要だ。

 休憩は一時間後、ウンベルトが懐中時計を取り出したのがその合図だ。山羊の皮でできた水袋を回し飲む、その順番が待ち遠しい。ユングナハルの少年は今日最初のオアシスに着くと行った。とはいえ、砂漠の横断には予期せぬ事態が付きものだ。ちゃんと考えながら水を飲まなければならない。

 ウンベルトが駱駝の背に括り付けてある荷物のなかから、水袋を取り出した。たしかあれは、予備の水だ。ブレイヴの視線に気付いて、少年がにこっとする。

「心配要りませんよ。今日中にはたどり着きますから」

 その言葉を信じるしかない。

 ウンベルトは地図を広げずにただ南を目指している。旅慣れた者は、一面が砂だらけでもどこへ向かうべきかをちゃんとわかっている。彼が護衛を必要としたのは、あくまで敵が人間だというわけだ。

 ウンベルトが駱駝を引っ張っていく。二頭の駱駝は乗りものとして扱わずに天幕や食糧を運んでもらっている。だから、自分たちの足だけで砂漠を越えなければならない。

 王都ナナルまでの道程はそこそこに遠く七日は掛かる。まだ半分も来ていない。ブレイヴは砂を見つめながら、何度も幼なじみを考えた。

 大人数でぞろぞろ行くのは却って危ない。そう、ウンベルトは言う。新たに案内人を二人雇って、五人ずつ三組にわけた。

 レオナの傍にはルテキアとシャルロット、それからデューイがいる。西のラ・ガーディア。山岳地帯のグラン。あの険しいモンタネール山脈を途中までとはいえ、登った彼女たちだ。今回も砂漠を自分の足で行くと、そう申し出た。

 とはいえ、ブレイヴ自身がこのざまだ。砂漠の旅はこれまで以上にきつくて辛い。大丈夫だろうかという心配が顔に出ていたようで、ジークが何度か声をかけてくれた。強い姫君たちです。いまは信じて、ともかく自分のことだけを考えてください。

 足取りは重い。レナードとノエルのような元気がブレイヴにも残っていればよかったが、いまは乾いた笑みしか出てこない。

「やっと羽を伸ばせる。そう、考えてみてはいかがですか?」

 ブレイヴはまじろぐ。ジークがそんな軽口をたたくとは思わなかった。考えてみれば、西のラ・ガーディアで再会して以来、セルジュとはだいたいいつも一緒だった。互いに譲らない性格だから口論から喧嘩がはじまるのもしばしば、見ていなかったくせにジークはにやにやしている。

「たぶん、向こうもおなじことを思ってる」

 ブレイヴもにやっとする。セルジュとアステアのエーベル兄弟は、フレイアとクリスと一緒だ。三人目の案内役はヴァルハルワ教徒で、白皙の聖職者との同行を喜んでいた。軍師が何を思ってあちらの組に入ったのかはわからないが、たしかにジークの言うとおりだ。口煩いのがいなくなるのはまたとない機会だし、なによりもアストレアの鴉の説教は軍師よりも長くない。

 思考に使える時間はいくらでもあったので、ブレイヴはあのしかめ面の軍師を頭から追い出した。その作戦は失敗だったかもしれない。チュニックの下に着る肌着は汗びっしょり、頑丈な作りの長靴も暑くて脱ぎたかったし、口元を覆うショールも邪魔で仕方がない。熱風で何度も飛ばされるフードをしっかり被り直せば、額から汗が落ちてきた。惰性で足を動かしている気になってくる。

 初陣のときでさえ、こうでなかった。

 ブレイヴがまだ士官生の時分に戦場へと駆り出され、長距離を歩いた。イレスダート人は健脚であるからか、五時間歩き通しでも休憩は許されなかった。何人もの同級生たちが脱落したのをブレイヴは覚えている。

 あのときも、ジークは傍にいた。

 あれから七年も経っているのに、麾下きかからすればまだまだ未熟な主君というわけだ。ブレイヴは失笑しそうになる。先を行くレナードとノエルは元気いっぱいだ。ジークに背中をたたかれて、ブレイヴは足を止めていることに気が付いた。そういえば、先の内乱でイスカのシオンが駆けつけてくれたとき、ブレイヴを見てすこし痩せたと言っていた。それも関係しているのだろうか。若者たちに比べてあまりの体力のなさに、本気で笑いたくなってきた。

 そのうち、歌声のようなものが耳に届いてきた。

 とうとう頭がおかしくなったらしい。砂ばかり見ていたブレイヴが顔をあげると目が合った。ウンベルトはにこっとした。

「あれは、炎と月の歌です」

 どうやら幻聴ではなかったみたいだ。ウンベルトが左を指差す。広い砂漠で五人だけと思いきや、すぐ近くに隊商が来ていた。

「炎の一族ですよ」

 ブレイヴは目をしばたかせる。あの声は左からきこえる。ならば、あれは旅芸人の一行なのだろう。

「彼らに関わるのはおすすめしませんね。あの人たちは、人間ではありませんので」

「人間じゃ、ない?」

 険のある物言いだったために、ウンベルトはちょっと驚いたように肩を竦めた。隊商はブレイヴたちと反対の方向へと消えていった。

「さあ、がんばって。夕暮れまであとすこしです」

 急かされている。皆がブレイヴを見つめるものだから、思わず笑ってしまった。

 背中を焼く炎が遠ざかっていくのを感じた。太陽が傾きはじめている。永遠とつづく砂漠の旅。時間も無限に流れている錯覚に陥っていたものの、ブレイヴが考えていたよりも進みは遅れていたのだろうか。三日目にして、夜が来るのが一番早かった。けれどもウンベルトの言うとおり、ほどなくして無人のオアシスが見えた。

「順調ですよ」

 ウンベルトが囁いた。少年からはいつも甘ったるい香りがする。香油を好んで付けているのだろう。これは麝香ムスク乳香オリバナムのにおいだ。

 天幕の用意が終わると、次は食事の準備に取り掛かる。レナードが火を焚いてノエルが小鍋をぐるぐる掻き混ぜている。その横で乾酪チーズを切りわけるのはジークだ。

 ぼんやりと眺めていたブレイヴの横に少年が腰をおろす。励ましてくれているのだとしたら、不甲斐なさにまた笑いたくなった。

「本当です。ほら、他のみなさんも」

 地図を広げてその上に魔法石を乗せる。砂漠の地図にぼんやり光が宿る。ブレイヴたちの位置からやや北に離れたところにふたつ。レオナたちとセルジュたち。二人の組も進みは順調のようだ。

 砂漠に沈む太陽を見つめながら、また幼なじみのことを考えてしまう。やはり、アストレアに残ってもらった方がよかったのではないか。それを声に出せば、しばらく幼なじみは口をきいてくれないだろう。

 そのうち、レナードとノエルが喧嘩しだした。

 塩を入れすぎだと揉めている。昨日スープをこしらえたのはレナードでほとんど味がしなかった。今日は役割を交代しているから、ノエル好みの味付けというわけだ。

 もうすこししたらジークの拳骨が落ちる。砂漠で塩は貴重でもつまらない喧嘩で体力を使うなと、二人とも叱られる。

「いいなあ、仲が良くって。兄弟みたいだ」

 くすくす笑っているウンベルトの横顔をのぞき込む。

「きみにも、兄がいるんじゃなかったのか?」

「ええ、いますよ。他にも姉が。俺は末っ子です」

 砂漠の民は多兄弟だと、士官学校で習った記憶がある。良家の息子なら、それだけ兄弟も多いはずだ。それきり口を閉ざしてしまったので、少年の素性を追えなくなった。ブレイヴはひび割れた唇を舌で湿らせてから、別の話題を振ってみる。

「昼間見た、炎の一族というのは?」

 ちょうどジークの拳骨が落ちるところだった。小声で笑っていたウンベルトは咳払いしてからブレイヴに向き直った。

竜人ドラグナーです」

 ブレイヴは思わず息を止めた。少年はにっこりする。

「彼らは歌と舞を得意として、各地を旅する一族です。炎を操り月夜に舞う。その姿は、圧巻ですよ」

 既視感があると思った。ただ、それがいつどこだったか、すぐ思い出せない。竜人なら他にも知っている。人間のブレイヴにしてみれば近くて遠い存在だ。幼なじみのレオナ、グランにて竜の谷で会った青年、それから――。

「でも、どうしたんです? めずらしくはないでしょう? 竜人はあなたの近くにいる」

 それは誰を差しているのか。この少年にレオナを紹介した覚えはない。

「イレスダートでは竜人は神聖なる存在として崇められていますね。アナクレオン陛下は聖竜の末裔として、立派にイレスダートを治めていらっしゃる」

 なにが言いたいのだろう。ふつふつと怒りが込みあげてきた。たぶん、これはやつ当たりだ。いまのブレイヴはそれだけ疲れている。

「ユングナハルではちょっとちがいます。竜人はそこらに紛れていて、時として素晴らしい舞を見せてくれる。だけど、俺からしたら彼らは人間とは別の生きものだ。つまり、獣とおなじです」

 なるほど。この少年は固定観念の塊のようだ。スープができたとレナードが呼んでいる。ウンベルトがさっさと行ってしまったので、話はここで終わりになった。

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