砂漠の案内人

 無視を決め込んだ軍師をよそに、ブレイヴは給仕娘を呼ぶ。ほどなくして少年の前にグラスが運ばれた。

「ありがとうございます。あなたは、律儀な方ですね」

 少年はにこっとして、それから一気に酒を呷った。ブレイヴも笑みで返す。中身は林檎酒シードルだ。

「ウンベルトです。出身はナナル」

 砂漠の民らしい褐色の肌と翠玉石エメラルド色の瞳、ひとつにしっかり結わえられた金髪。丈の長い生成りのチュニックと黒のベスト、下にはゆったりとしたズボン。シャルワールと呼ばれるユングナハルの民族衣装だ。一目で高価な服だとわかるものの、少年の連れらしき者は近くに見えない。

「つまり、ナナルまでの護衛がほしいと?」

 問いにウンベルトは目をぱちぱちさせたものの、またすぐ笑顔に戻った。

「はい。さすがはイレスダートの聖騎士ですね」

 ブレイヴも笑みを崩さずにいる。商家の息子かあるいは教会関係者か。この際、どちらでもよかったが、しかし後者はないと考えを改める。敬虔な教徒は酒を飲まないからだ。

「困っていたんです。ここまで来たのはいいけれど、イレスダートは思いの外遠くて」

 ウンベルトは人差し指でグラスを突く。おかわりを要求されていても、長い身の上話に付き合うには高すぎる。

「でも、ちょうどこの街に来ていた行商人から買うことができました。恋人がね、どうしても白粉をほしいとねだるものですから」

 少年が懐から取り出した硝子容器には、女神と天使が描かれている。中に入っているのは真珠パール雪花石膏アラバスターを焼いて粉にしたものだ。これを塗ると面皰にきび雀斑そばかすが綺麗に消えるのだと、少年はつづける。ブレイヴはふと周囲の視線が気になった。女性の化粧事情に明るくないブレイヴでも、一般市民が容易に手に入れられるような代物じゃないことはわかる。

 だとすれば、このウンベルトという少年は世間知らずの坊ちゃんなのだろうか。

「それで? 一人でナナルを離れてここまで来たのか?」

「いいえ。途中まで旅行者と一緒だったんです。彼らはサリタへ向かったので、ここでおわかれです」

 温室育ちのように見えてしたたかな一面もある。すこし、この少年に興味が湧いてきた。

「ここにいれば、聖騎士に会える、と?」

「ああ、それは」

 少年が白い歯をのぞかせる。

「急に兄が戻って来たので、もしかしたらと思いまして」

「兄?」

「会うのは何年ぶりだったかなあ? でも、またすぐいなくなっちゃいました。よそに恋人がいるのかも」

 ブレイヴは内心でため息をする。話題が次から次へと流れるのは、この少年が単なるお喋りなせいか、それとも上手く躱しているのか。

「さあ、行きましょうか。出立は早い方がいいでしょう?」

 グラスに残っていた林檎酒を舐めると、ウンベルトはおもむろに立ちあがった。ブレイヴは苦笑する。気の早い少年だ。まだ交渉は成立していないのに、もう決まったつもりでいるらしい。

 物言いたそうなセルジュにブレイヴは目顔で伝える。どのみち王都ナナルには行くんだ。同行者が一人くらい増えても構わない。それが子どもだとしても。

 酒場を出ると砂嵐は収まっていた。この機を逃してはならない。わかっているから軍師もだんまりでいるのだろう。

 なじみの店があると、ウンベルトがまず案内してくれたのが衣服屋だ。

 せっかくの旅ですからたのしまないと。そう、少年は言う。女性たちには絹のカミーズとストールを、男性用のシャルワールも人数分を買わされる。長靴ブーツと外套も新調し、店主の手の平には金貨を一枚乗せた。天幕をそろえるのも食糧の調達も拍子抜けするくらいに順調だった。どこの店の主人もずっとにこにこしているし、イレスダート人相手でも門前払いにしなかった。

 やはり、この少年は大富豪の息子なのだろうか。良い駱駝も手に入った。金貨が三枚と銀貨が二枚あれば事足りて、残りの半分をウンベルトに差し出そうとして軍師に止められた。

「ナナルまではいくつかのオアシスがありますから、そこまで買い込む必要はないんですよ」

「そうなのか?」

 地図を見ていた少年がにこっとする。

「むしろ軽装の方が安全なんです。砂漠の旅の敵は、なにも自然だけではありません」

 なるほど、それが護衛が必要な理由らしい。

「でも、騎士殿がいっしょでしたら、俺も安心できます」

 騎士は便利屋なんかじゃない。否定するのは面倒なので笑みを貼り付けておく。たしかに、広大な砂漠で一人旅は自殺行為だ。旅慣れた者ならばまだしも、悪い輩はどこにだっている。この街だってそうだ。そこらにたむろする男たちは、値踏みするような目でこちらを見ている。

「ええと、あと必要なのは」

 ブレイヴもセルジュも両手が塞がっている。もう、十分だ。ウンベルトを止めようとして、ブレイヴは前方から向かってくる大柄の男と目が合った。抱えていた合財袋を捨て、ウンベルトの首根っこを掴んだ。

「うわっ!」

 少年は派手に尻餅をついた。大通りから細道へと入ってすぐだった。振り返ると、セルジュが風の魔法でうしろから距離を詰めていた男たちを吹き飛ばした。ブレイヴは前へと視線を伸ばすと、素早く剣を抜く。大柄の男は一瞬怯んだような動きを見せたものの、すぐに逃げていった。

「セルジュ! 追わなくていい」

 ブレイヴは軍師を呼び止める。騙されたのはブレイヴも一緒だ。さっきまでセルジュは完全に酔っていた。

「お前にしては好演技だな」

「あの酒場に入ってから、ずっと視線を感じていましたので」

 たいした役者だ。セルジュは酔い潰れたようなふりをしていたらしい。背後から襲うつもりだった男たちも逃げていた。三人、いやもっといるかもしれない。

「ああ、びっくりした」

 立ちあがろうとするウンベルトに手を貸す。少年は驚いているようでもこわがっているようには見えない。こういう輩はユングナハルでは日常なのだろう。

「あなた、気づいていなかったのですか?」

 ブレイヴが投げ出した荷物を拾いながら、セルジュが言う。少年は気まずそうに笑った。

「ともかく、早く宿に戻ろう」

 旅の支度は調ったとはいえ、ずいぶんと遅くなってしまった。皆が心配している頃だ。

 宿に帰ると最初に迎えてくれたのがアステアだった。ちょうど教会帰りのクリスたちと一緒になったらしい。階段からジークとレオナも降りてくる。レナードとノエルの姿は見えないので、彼らはどこかで息抜きしているのかもしれない。

「すまないが、彼の腕を看てやってくれないか?」

 ウンベルトはなにも言わなかったが、さっきの騒ぎで転んだとき、彼は腕を捻っている。

「では、こちらへどうぞ」

 白皙の聖職者は二つ返事で受けてくれる。反対に警戒をしているのはフレイアだ。

「大丈夫だ。中には入ってこないから」

 ブレイヴの声に、フォルネの王女は黙ってうなずいた。

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