孤独②
「喧嘩をしたの。あの子と」
仲の良い姉妹だった。王家に仕える従僕や侍女たちはそう言う。たとえ母の異なる姉と妹であろうとも、あの姉妹の絆はそんなものを感じさせないと、そういう風に見えているのだろうか。
たしかに幼い頃から彼女たちを知っているディアスもおなじように思う。ささいな口論がきっかけで喧嘩をしても、次の日には二人の関係は元どおりだった。それが、ソニアとレオナだった。
士官学校を卒業したディアスは、祖国ランツェスへと戻っていた。
良い思い出はおろか、そこで過ごした日々をディアスはあまり覚えていない。士官生のほとんどの時間を戦場で過ごしたせいかもしれない。それでも構わなかった。もともと騎士とはそういう生きものだ。
名実とともに騎士となったディアスの元に王都からの
あれは、どういう意味だったのだろう。戦場つづきのディアスはそんなことも忘れていたし、特に彼女と会うつもりもなかった。互いに成人してしまえば幼なじみという関係も遠くなり、あとはただの騎士と姫君というだけだ。
ディアスの
よほど急いでいるのだろう。すぐに中身を読むようにと念を押されて、そうして詫びひとつないままに部屋から出て行った。
面倒な要件ならば後回しにするところでも、麾下が催促に来るのも煩わしく、ディアスは封蝋を切った。送り主はソニアの侍女だった。
「妹ならば、止めるのは当然だ」
喧嘩の理由などきく前からわかっている。それでもきいてほしかったのかもしれない。ソニアはちょっと困ったように笑った。
「あの子はずっと前からああいう子よ。相手があなたでもブレイヴでも、おなじ声をしたわ」
知っているでしょう? 彼女は目顔でそう言う。皆まできかずとも姉妹のやり取りが目に浮かぶ。きっとレオナは泣いていたはずで、ソニアも頑固な妹に苦笑していただろう。
「お前が、レオナの姉だからだ」
レオナはずっと修道院に閉じ込められている。外出の許可が下りるのは特別なときだけ、そんなに簡単には白の王宮には戻ってこられない。
「でも、あなたは何も言ってはくれないのね」
薔薇のにおいがする。ソニアが好んでいる香油は、他の女には許されない彼女のためだけに作られたものだ。
追及から逃れるようにディアスは外を見た。昨日までは雪が降っていたのにいまは止んでいて、冬日とは思えないくらいにあたたかかった。
こういう日に彼女は庭園でお茶をたのしむ。季節ごとに変わる旬の茶葉が好みだから、ディアスが来るときはいつもちがった香茶がたのしめた。円卓には焼き菓子が並ぶ。甘い菓子が苦手なディアスのために、ソニアは大台所の料理長にあれこれ頼んで作らせる。しかし、今日のソニアは自室に籠もりきり、ディアスがここにきてから小一時間が経ってもお茶の用意もされなかった。
扉の向こうに侍女たちは控えていない。ソニアの一番近くにいる者たちがディアスを呼んだのは、そういう理由だ。
ときどき、ソニアが何を考えているのかわからなくなる。
彼女の肌に触れたのは一度や二度ではなかった。拒絶するならばもっと早くできたはずで、そもそも最初に誘ったのはソニアだった。もう会うつもりもないと告げられたとき、こういう日が来るだろうと、それだけを思った。
「俺が止めたら、お前はここに残るのか?」
そうして、彼女が一番ほしい言葉をディアスは唇に乗せる。ソニアはにっこりと笑った。
薔薇の濃いにおいがする。腕のなかにソニアがいる。震えているのを隠すように、ディアスの胸に額を押しつけたまま、動かない。言ってもくれないくせに。そう、きこえた気がした。
「春になる前にここを経つわ。ルドラスに行くの。お父さまといっしょに」
シーツに包まれたままソニアが耳元で囁く。
「でも、お前はもう白の王宮には戻ってこない」
「ええ、そう。私はね、結婚するの」
驚かなかったといえば嘘になるが、想定内だった。
この冬、白の王宮では国王派と元老院派の争いが大きくなっていた。元老院の傀儡と言われていた国王アズウェルがルドラスとの和平に応じたためだ。
王に同行する騎士にはディアスの父親もいて、聖騎士であるアストレア公爵もいた。麾下を含めたおよそ百人が北の城塞都市ガレリアを越える。
つまり妹の身代わりだというわけだ。
口づけをせがむ彼女の要求に応える。青玉石の瞳が
「だめよ。お父さまを一人になんてできないもの。……それにギル兄さまが許さない」
たしかにそうかもしれない。血の繋がった本当の妹であっても、和平のためならば利用する。アナクレオンはそういう人間だ。
「それでも、まだ早い」
「あら? 私はもうすぐ十九歳になるのよ。行き遅れだわ」
冗談をたのしむみたいに彼女は言う。たぶん、これは本音だろう。
「ルドラスの王子は十三歳ですって。弟みたい」
ぷくっと頬を膨らませてみせるソニアの方が子どもみたいだ。ディアスはため息を吐く。なぜ自分のことなのに、他人事のように言うのだろう。
「お前は王子と結婚するのではない。国と結婚するのだ……ですって。ギル兄さまらしいでしょう?」
まるで、道具だ。ディアスは声を喉の奥に引っ込める。王女であっても婚姻は白の王宮によって決められるものであり、それがイレスダートの国内でもソニアの望む婚儀などあり得ないのだ。そんなことはずっと前からわかっている。ディアスもソニアも。
「あの子、ずっと泣いていたわ。行かないでって、そればかりで」
そうして姉妹は物別れしたのだろう。ソニアの声が震えている。行かなければいい。あるいは、行くなと。それがどうしても言えない。
ディアスはいつも彼女の求めるものに応じてきた。だが、言ったところでどうなるのだろう。彼女の心はもう決まっているし、なにより周囲がそれを許さない。アナクレオン・ギル・マイアという人を敵に回してまで、ソニアを守れるような勇気もなければ覚悟もディアスにはない。そういう男だと、ソニアは知っている。だからこんな声をする。
「私のことを、あいしている?」
繰り返された言葉だ。ディアスが返す声も決まっている。
「お前のことは、本当に――」
あのとき、何を応えるのが正解だったのだろう。
いや、いつから間違っていたのだろうか。ディアスの心のなかに自分とは別の他の人間がいることだって、ソニアは気づいていた。それでも彼女は、二人は、満たされない孤独を埋めるために互いの存在を求めていた。
子どもだったのだ、あのときは。大人になりきれなかった子ども。けれども、子どものまま、声を発していれば彼女を失わずに済んだのかもしれない。
ソニアはもう二度と、白の王宮には戻ってこなかった。
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