孤独①
彼女があのうたを口遊むときは決まっている。
悲しいのかと、きいてみたこともあった。しかしソニアはいつも微笑んでいた。自分の心に嘘の蓋を被せるのに慣れているような、そんな笑みを見るたびに、ディアスの胸は苦しくなる。理由はわからない。ただ、ブレイヴやレオナのように、ソニアもまたディアスの幼なじみだから。そう、ディアスも自分の心に蓋をする。
「そのうた、嫌いじゃなかったのか?」
意地悪をするつもりで言ったはずではなかった。けれど、歌声はぴたりと止まって、彼女はディアスをじっと見つめた。挑むような目をするのは彼女の機嫌が悪い証拠だ。
「あなたって、ほんとうに意地悪ね」
言葉ほど声が怒っていないのは、それが挨拶代わりだと知っているからだ。ソニアはにっこり笑った。
白の王宮が黒に包まれてから半年が過ぎた。
いまだに王妃の死を嘆く声もあれば、弔問に訪れる貴人の数も減ってはいない。
本当に、うつくしい王妃だった。
あれが魔性の女と呼ばれようとも、失うには惜しい女だった。むしろ若く美しいまま逝けたのは幸せだったのではないか。年老いた女には若い男も見向きもしないだろう。しかし、自ら死を選ぶとは。マイア王家はヴァルハルワ教会を
他人は勝手な言葉を平気な顔をして吐く。傷つかないはずがない。折を見て、ディアスは何度も白の王宮に足を運んでいる。あなたって、心配性ね。いつもソニアはそう言う。
「ギル兄さまが、あなたのことを
「俺なんかに時間を使う必要なんてない。それでも、殿下の言葉はありがたく受け取る」
「ふふふ、伝えておくわね。……でも、次にギル兄さまにいつ会えるかどうか」
ソニアは嘆息する。兄を案じている妹の顔には、ほんのすこしの不満が見え隠れする。
「仕方がないだろう。戦況はいまだに変わらないままだ。夏の敗戦が堪えているのも事実だし、白の王宮は焦っている」
「あのひとたちの言いなりなんかにはならないわ、ギル兄さまは」
「わかっている。お前こそ、」
「なあに?」
「いや、いい」
ひと月ほど前に、白の間にて慰霊式典が行われた。
北の敵国ルドラスの侵攻は突然だった。前線を任されていた騎士のなかには、ディアスとおなじ士官生もいた。そのほとんどの犠牲が彼らだったと言ってもいい。アズウェル王の声はしっかりしていたが、それらの言葉はすべて白の王宮が用意したものだった。元老院の
ディアスはソニアをちらと見た。ここにいる娘は王女というよりもただのディアスの幼なじみだ。あのときの顔とはちがう。慰霊式典で声を震わせながら言葉を紡いだ彼女も、やはりあれは演技だったのだろうか。
「そうだわ。レオナから手紙がきたの。読みたいでしょう?」
「いや、俺はいい」
想定内の返しとばかりにソニアが苦笑する。
「本を借りてきてくださったのはギル兄さまよ。自分で手紙を書いてあげたら良いのに、ね。あなたもそう思わない? あ、でもね。あそこには、あの子と歳の近い子たちがいるみたいで。退屈はしていないでしょうね」
レオナが修道院に入ってから三年が過ぎた。白の王宮に戻る時間は限られていて、だから姉が妹を案じるのは当然の感情だろう。
「あそこにはルダのアイリオーネがいる。事情を知っていようがいまいが、レオナを気にかけてくれるはずだ」
「あら? あなたも会いに行ったのね?」
「いや、俺は」
修道院は近しい家族や友人が面会をするのは許されていても、男子禁制の場所である。にもかかわらず、レオナに会いに行っているのはもう一人の幼なじみだ。
「ブレイヴは見つかって大騒ぎになった」
「きいたわ。レオナは長い反省文を書かされたって」
一年遅れて士官生となったブレイヴは、しかし懲罰室送りを免れていた。黒騎士ヘルムートは、王家の末姫がどこにいるのかを知っているのかもしれない。
「でも、ここよりはずっと安心だわ」
ディアスはソニアを見た。
「私にはあの子を守ってあげることもできないし、救ってあげることもできないの」
「お前らしくないな」
「私を何だと思っているの? ただのあの子の姉よ?」
「それでも、レオナはお前を慕っているし愛している」
「さびしいのよ。あの子は、ずっと白の王宮で独りぼっちだったもの。私は姉として接していただけ」
まるで言い訳のようだ。ディアスは摘み取った違和感を気のせいだと思い込む。偽りは見えなかった。他にどんな感情が隠されていようとも、ソニアの声は嘘を吐いているようにはきこえなかった。いまも、そうだ。
「ねえ、ディアス」
目が合った。ソニアは笑んでいるのに、悲しさを堪えるような、そういう表情をしている。
「救って、あげてね。あの子のことを」
どういう意味だろうか。ディアスはわからないふりをする。ソニアは笑う。ディアスの心のなかなんて、簡単に見抜いているかのように。
「レオナにはあいつがいるだろ」
「ええ、そうね。でも、ブレイヴじゃだめなの。わかるでしょう?」
幼なじみはレオナを自分の命に代えても守るだろうし、レオナをけっして裏切らない。でも、そうじゃない。ソニアの瞳がそう言っている。
「あなたじゃないと、だめなの。だから、いつかきっと……。あの子のこと、救ってあげてね」
一方的に交わされた約束だったと思う。けれども、ソニアの声は否定をさせない強さを持っていた。
幼なじみでしょう? 彼女の目が、そう言う。どうやって逃げようかと考えてみた。
外はとても晴れていて、瑞々しい緑とやわらかな花のにおいがした。ソニアの侍女が香茶のおかわりを注いでくれる。どうも逃げられそうもない。
「ねえ、ディアス」
呼ばれて、彼女を見る。
「もうここには来ない方がいいわ」
亡き王妃と良く似たうつくしい娘は、微笑んでそう言った。
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