聖者の行進⑤
「では、血で穢すというのか」
王は言った。あの日、軍事会議にて。それがすべてのはじまりであったように、ブレイヴは思う。
一堂に
きっかけが何であったのかなど、誰も覚えてはいない。
ともあれ、イレスダートは竜の加護を受けた聖王国である。マウロス大陸には西のラ・ガーディアや山岳地帯のグラン王国が存在するが、されどもイレスダートこそが大陸の支配者であらねばならない。王都マイア、特に白の王宮では確固たる信念を曲げない者も多く、己らがその象徴なのだと主張する。戦争は、力を維持するためには必要な行為であると、正しさを謳う。
しかし、時の王アナクレオンは血の気の多い元老院とは相対するようだ。
戦争が長引けば国が荒れる。
軍師の呼ぶ声でブレイヴは現実へと戻った。戦場では気が昂って正気をなくす者も多いという。自分はそちら側の人間ではないと思っていたはずなのに、これが何度もつづくと認めざるを得なくなりそうだ。
では、なぜいまここで思い出したのだろう。答えは簡単だ。イレスダートで内乱を起こしたのはブレイヴである。まさしく王都に不吉を運ぶ死神そのもの、罪人の扱いをされても心が痛まないのは、己の罪を受け入れている何よりの理由だった。それでも、ここまで来てしまったのだ。後戻りなどできるはずがない。
「何をお考えになっているのです?」
ブレイヴは応えない。代わりに微笑んで見せた。いままさに、聖騎士を左から襲おうとした騎士を斬った。ふと、右腕が軽くなった気がした。軍師が治癒魔法を使ったのだろう。余計なことを。風の魔法は聖騎士へと敵を近づけさせまいとするが、そろそろそれも限界のはずだ。残りの魔力は自分のために使え。ブレイヴはそういう目顔をする。
白い光をブレイヴは見た。あれは東の空だった。幼なじみを、白の王宮の姫君を戦場へと立たせてしまったのはブレイヴだ。けれども、ブレイヴはレオナをここまで連れてきた。いや、一緒に来たのだ。長い旅路を経て、はるかなるイレスダートへと。
そして、やはりフランツ・エルマンは本気なのだ。
姫君がそこにいるとわかっていて、名だたる宮廷魔道士を向かわせた。ただし、ルダの魔道士たちも負けてはいまい。魔力がぶつかり合い、そうして疲弊したところで騎馬部隊を送る。何千という屍がイレスダートの大地に積み重なっても、彼女は生き残る。それが、狙いだ。
そこからさらに背後を守るのはノエルの弓騎士部隊だ。
王都マイアには弓を得意とする名家が多数存在する。名のある将を送り込んでいることだろう。彼らの負担を減らすために、グランの竜騎士団がイレスダートの蒼空を旋回する。竜騎士たちは
ブレイヴは横目でセルジュを見た。
軍師は奇策を用いたりはしなかった。いや、できなかったというべきか。ここまで来たら何の小細工も通用しないなどわかっているし、全軍を王都マイアへと進めるのみだ。白騎士団は全力でそれを阻止する。他の騎士団も協力を惜しまずに、名のある諸侯たちがこの戦いに引き摺り出された。
これは聖戦なのだと、声高に謳う少年騎士をブレイヴは見た。
「見つけたぞ! アストレアの聖騎士だ!」
湾刀を持った大男が馬を飛ばしてくる。イレスダートではめずらしい褐色の肌と黄金の髪色をした男だった。
大男につづく者たちも似たような容貌をして、これもまた希少な黒馬を駆っていた。だが、彼らはれっきとしたイレスダート人だと、ブレイヴは記憶している。
この大男の名前は何だっただろう。家名もその騎士団も思い出せない。
「援護してください!」
セルジュが叫ぶ。湾刀を操る大男は攻撃ごとに一旦間合いを取る。その隙に次の攻撃に耐えられるほどの余裕はブレイヴにはなく、切り抜けようとも大男の部隊に囲まれてしまった。
「ただの優男に見えて、なかなかやるじゃないか! いや、叛逆者の聖騎士サマだ。こうでなければいけねえ!」
声も大きくてうるさい。思わず顔をしかめたブレイヴに対して大男は満足そうに笑っている。こういう人間を戦闘狂と呼ぶが、一緒にされたくはない。しかし、三撃目を受けたその瞬間、ブレイヴの剣が折れた。
「公子……!」
「おっと、そうはさせねえ!」
聖騎士の軍師が風の魔法を使うのも、大男は知っていたらしい。軍師は大男の配下に阻まれて近づけない。そして、そのたった数秒のあいだだったが、ブレイヴは茫然自失していた。
イスカの剣だった。片手剣ではあるものの、この大刃はイレスダート人が扱うには重くて扱いににくい。イスカの大地に愛された戦士たちだからこそ扱える代物を、けれどもシオンはブレイヴに与えてくれた。それは、イスカに戻れなかった友人が遺した形見だった。
剣を失ったブレイヴに大男の湾刀がしつこく襲い掛かる。歓声がきこえる。大男の配下たちが騒ぎ立てている。もう勝ったつもりでいるようだが、事実それは正解だ。
聖騎士の首を取った者が英雄となりて、そこで叛乱軍も壊滅する。槍はとっくに折れていたし他の武器といえば短剣のみだが、これでは湾刀の相手は務まらない。死を、覚悟するときが来てしまったのだ。
ブレイヴは最期まで戦いつづける。
王都マイアにたどり着けずに、あるいは祖国アストレアに戻れないまま果てるつもりはなかったが、これではブレイヴより先に馬が潰れてしまう。ブレイヴは短剣を取り出して応戦しようとする。ところが――。
突然、大男の動きが止まった。そのままゆっくりと、大男の巨体が黒馬から崩れ落ちる。背に刺さっていた矢は心臓を貫いていたのだろうか。しかし、どこにも弓兵などいなかったはずだ。そして、それはブレイヴ自身の目でたしかめることになる。
次には矢の雨が降った。かろうじて躱したブレイヴと風の魔法で弾き返したセルジュ、それから味方の騎士たちもうまく逃れている。だが指揮官を失い、また思わぬ攻撃を受けた大男の部隊はたちまちに混乱した。
「なんとか、間に合いましたか……!」
なつかしい声が響いた。同時にブレイヴは四葉を目にした。翡翠色に四葉と鷹が描かれたそれは、ウルーグの国旗である。
友の名を呟こうとしたブレイヴに彼は剣を投げる。落とさないようにとっさに両手で受け止めたブレイヴは、その剣を見た。鞘には四葉と鹿の国章が、これはラ・ガーディアのフォルネの証だった。
「使ってください。イスカの剣よりは小ぶりですが、扱いやすいはずです」
「ありがとう、エディ。きみが来てくれなかったら、危なかった」
「遅れてくる方が格好が付きますからね。まあ、それも紙一重でしたか」
こんな冗談を言う人だったかどうか、ブレイヴは記憶になかったのですこし笑った。エディも少年らしい笑みを浮かべている。
「ここは私たちに任せてください。大丈夫です。ウルーグの他にフォルネの騎士団もお借りしています」
すでに激しい戦闘がはじまっているようだ。味方が増え、楽になったブレイヴの部隊も戻ってきた。
「さあ、行ってください。そして、忘れないでください。ブレイヴ、あなたはひとりではありません。ここには姉エリスもルイナスもスオウも、それからガゼルもいません。ですが、彼らの意思を。来られなかった者たちの分まで、私たちは戦います!」
エディの矢が敵の胸を貫いた。相変わらず正確無比なその弓の腕には感服する。軍師がブレイヴを促す。わかっている。感謝を声にするのはもっとあとだ。ブレイヴはふたたび馬の腹を蹴った。
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