片割れ

 彼が目覚めるときはいつもおなじ場所だった。

 静謐せいひつする空間はがらんどうとしている。灯火などもなにもないのにまったくの暗闇でもなく、彼にはひかりが見える。なんのこともない、彼が己の魔力で作った光だ。

 闇のなかに生きるものたちは光をことさら嫌うとも言うが、彼はそうとも思わない。人間の社会に馴染めず、半ば追放される形でやがてたどり着いた地下深く、言うなればここが彼らのあるべき場所だ。

 呪いを施されたものたちは、悠久のときを生きなければならない。

 己の身を嘆き絶望し、そうして外へと出たものも、けっきょくはこの場所へと帰ってくる。それでも稀に例外もいる。緑の息吹、風のにおい、大地のぬくもり、喉を潤す清らかな水も炎の恩恵も、一度知れば離れがたくなるのだろうか。

 宣教師のように自然の素晴らしさを語った女が自身の母親であったかどうか、彼はもう覚えてはいない。女は彼を置いて外へと行ってしまったが、恨む気持ちもなければ失望することもなく、彼はこの場所が嫌いではなかった。

 無聊ぶりょうを慰めるのも、気まぐれのようなものだったのかもしれない。

 彼はときおり外へと旅立つ。白亜と大理石で作られた宮殿で何年かを過ごし、けれども心が満たされることがないまま、目的を定めずにただ気の向く方へと行く。

 彼の容貌は子どもであったり青年であったりとさまざまだったものの、雪花石膏アラバスターのような透き通る肌と絹糸を思わせる白髪がめずらしいのか、行く先々で娘たちが彼に引き寄せられる。誑惑きょうわくするうつくしさはまさしく魔性のそれで、人とは異なる種族の彼の正体など誰も知らなければ、知ろうともしない。

 となると、やはりあのイシュタリカは異質だったのだろう。

 怯えた目で、けれども凛とした声音ではっきりと、あなたを知りたいと言った娘の言葉は偽りなどではなかった。

 彼はそれ以来、娘を自身の傍に置いている。人間の言葉を借りるならばそれは連れ合いと言うものらしい。人ではない存在のくせに人の真似事をしている、過去の自分がきけばきっと笑うだろう。

 さきほどまで感じていた体温も幻だったようだ。彼女のにおいもとっくに消えていて、彼は一人きりだった。酷使していた魔力も体力も回復しているというのに、身体を動かすのがどうにも億劫で彼は眠るのを繰り返していた。

 そのうちに彼の名を呼ぶ声がきこえてきた。はじめは無視していた彼も、あまりにしつこく呼ばわるものだから、意識がどうしてもそこへと向く。退屈したときのように、子どもは欠伸まじりの声で言った。

「ねえ、いつまでそうしているの? もう飽きちゃったよ」

 彼はこたえなかったが、子どもはくすくす笑っている。

「こんなつまらないところ、早く出て行こうよ。そうだ、またお城で暮らすのもいいね。ユノは王様。今度はイシュカも連れて行ってあげようよ」

 とっておきの秘密を話すときみたいに、子どもの声は弾んでいる。

「きっと喜ぶと思うんだ。だって、あの子は元々お姫さまだから。新しい絨毯にふかふかのベッド、甘いおやつだってたくさん食べられる。綺麗なドレスも似合いそうだなあ。そうだ、きらきらのティアラをイシュカにあげよう。きっと、」

「五月蝿い」

 ユノ・ジュールは目蓋を開き、起きあがった。

 子どもの声も姿も消えていた。いや、はじめからここには彼だけしかいなかった。あの声は他でもない彼の唇から溢れた声で、もうひとりが勝手に喋り出しただけのことだ。

 の存在を自身のなかに認めるようになってから、どれくらいが経っただろうか。

 ユノ・ジュールは裸足で歩き出す。無機質な石は冷たく、彼の長い白髪も地面へと届きそうなくらいに伸びていた。こうなる前にいつもイシュタリカが切ってくれるのだが、あいにく彼女は出かけている。竜人ドラグナーたちの監視役を務めているのだろう。

 放っておけばいいものを。つぶやきはさきほどまでの子どもの声とはちがって、大人の男のものだった。

 彼が目を覚ましたのは同族たちの勝手な行いに辟易したからでもなければ、先の声の煩わしさでもなかった。ユノ・ジュールは石の壁に手を添える。この壁の向こう、ずっと遠いあの聖王国のどこかで力を放ったものがいた。彼はそのにおいを見逃さない。魔力の性質が似ているのは当然だ。あれは、彼の片割れなのだから。

 目覚めつつあるものの、まだ足りない。そうだ、完全でなければならない。彼の内に宿る獣は血と肉を好む。死を恐れずにそのうちに何も感じなくなってくるのも、獣の本質だ。自らに秘められた力を抑制なく使いつづければ、人としての理性を忘れて獣と化す日も遠くないだろう。それこそ、ユノ・ジュールの狙いである。しかし、彼に許された時間はそう長くはない。その日のために揃えた駒をあとは動かすだけ。

「そう、上手くいくかなあ?」

 子どもの声はいつもユノ・ジュールの邪魔をする。

 はたして、そこへとたどり着くのはどちらが先であろうか。彼はふたたび眠りにつく。次に目覚めたとき、彼女イシュタリカはきっとそこで泣いているだろう。

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