聖者の行進④

 空の色が変わる頃になってようやく白騎士団は退いた。夜襲の危険はないと見て、騎士たちは天幕を張る。軍師の指示の前よりも早かった。

 最初はルダとアストレアだけの、そのうちにオルグレム将軍の騎士団が加わって、しかしいわば寄せ集めの集団でしかなかった。そこにグランのセシリアが合流し、レオンハルトがさらなる竜騎士団を率いて来てくれた。クレイン家に同調して加わったのは新兵だけはなく、イレスダートの諸侯、または名のある騎士団も加わっている。ロベルトの氷狼騎士団はあの砦に残っている。彼らは同盟軍ではあるけれど、友軍とはっきりとした言葉で表すほどには、こちら側に付いてはいなかった。ブレイヴはロベルトと最後に交わした声を覚えている。おまえは馬鹿だ。やっぱり彼はそう言った。

 ブレイヴがセルジュとともに天幕へと入ったとき、すでに食事は用意されていた。

 固くて酸っぱい黒パンとピクルス漬けに、それからソーセージとチーズに果物がすこしだけ、それでも戦場では贅沢なくらいの食事だ。ところが、今日はそれに葡萄酒とあったかいスープまで付いてくる。あつあつの玉ねぎのスープは疲れが取れるだろう。葡萄酒は短時間でもよく眠れるようにと考えたのだろう。

 おかえりなさいませ。それだけ言って、けれどもルテキアはまだ退出しようとしない。ちゃんと全部を胃の腑に収めるまで見届けるつもりなのだろう。ブレイヴは苦笑する。

「ありがとう。……これから、軍師と話がしたい」

「私は邪魔になりますか?」

 どうにも棘が残る物言いは騎士が怒っているせいかもしれない。同郷の騎士を勝手に行かせてしまったこと、傍付きなのに姫君から引き離していることのどちらかか、あるいは両方だ。

「そうじゃない。そんなに見張ってなくても休めるときには休むよ。君こそ、他に仕事が残っているはずだろう?」

 そろそろ軍師が苛立ちはじめる頃だ。騎士は短気を起こすようなたちではなかったものの、さすがにこの言い方は不快に感じたらしい。こんなところで口論になるのは避けたい。騎士を追い出す形になったとしても。

 ルテキアの背中が天幕から消えてから、やっとブレイヴは腰をおろした。

 玉ねぎのスープに浸して食べると黒パンでも食が進む。騎士の気遣いに、あとでもう一度ちゃんとした礼を言うべきだと思った。悪いことをしてしまった、その自覚はある。

 ブレイヴは横目で軍師を見た。セルジュはまだ食事に手をつけてはおらず、深いため息だけがきこえた。ルテキアを邪険にするつもりではなくとも、話題が話題なので秘匿ひとくにしなければならない。

「ノエルの報告によると、蒼天騎士団の者たちが目を覚ましたそうです。皆、公子に会いたがっているようですが、いましばらく時を置くべきかと」

「わかっている。それより、不可解な点がふたつある」

「どこの誰かは存じませんが、叛乱軍に味方するつもりなのでしょうね。後者でしたらこの目で見ていませんので断言できませんが、そのような魔術を扱える者は異端です。もしくは、食事に毒を含ませていたか」

 チーズを喉に詰まらせかけて、ブレイヴは葡萄酒で流し込む。

「イレスダートでそれは不可能だ」

「イレスダートでなければ可能です」

 少量の睡眠剤ならば見逃されるとしても、それが毒と見做みなされてしまえば罰せられる。イレスダートでは毒薬の所持及び、製法が禁じられているからだ。

 それならば他国から入手するしかない。北のルドラスはもとより西のラ・ガーディアにしても、そのような危険を課してまで手に入れようとする者はいない。あとは自由都市サリタ。いまでこそイレスダートの管轄に置かれているが、その前ならば有り得る話だ。

 ブレイヴは空になった碗を置く。あれこれ考えていても仕方がない。ともかく、アストレアの者たちと戦わずに済んだのだから、それでよかった。毒を盛られたにしても魔術によるものだとしても、後遺症さえ残らなければ心配は要らない。そのはずだ。

「魔術といえば……、他者の心を掌握することは可能なのだろうか?」

 セルジュは露骨に眉間に皺を寄せた。非現実だとでも言いたいのか、ため息が返ってくる前にブレイヴはつづける。

「たとえば、その、魔力で上回る者が弱者を意のままに操ると、そういうことが」

「可能でしょうね。相手が人間ではないのでしたら」

 回りくどいやり方をしても軍師は騙し切れないようだ。ため息で返すのはブレイヴの方だった。この短期間で起こったこと、そのほとんどは軍師に漏れなく伝えていたが、あれは幼なじみはもとよりセルジュにも話してはいなかった。イレスダートの姫君。消えた王女ソニアが女神の名を語る魔女だということも、軍師はもう知っている。

「ですが、私にはどうも違和が残る話にきこえますがね。かのお方が容易く心を明け渡すでしょうか? そうとは思えません」

「お前らしい見識だな」

 セルジュはその人を知らないからそう言うのだ。ブレイヴやレオナはちがう。認めたくないからこそ、そうではないと否定をする。と、ここで天幕の外が急に騒がしくなった。制止をするのはルテキアの声で、しかし間に合わずに入ってきた人物を見てブレイヴは目をみはった。

「密談中に悪いね。邪魔をするよ」

「あなたは……、シオン!」

 名を呼べば西の戦士は破顔した。大股で近づき、それからブレイヴの肩を乱暴にたたく。痛いと抗議すればもっとたたかれるのでブレイヴは大人しくする。イスカの厳しい日差しで焼かれた褐色の肌も、黒髪も意志の強いその目も、彼女は何も変わっていなかった。

「ふむ、すこし痩せたな。ちゃんと食べているのか?」

 ブレイヴは目顔で木机を指す。シオンはちょっと肩を竦めて見せた。まるで母親みたいだ。口にすれば怒られそうなので黙っておく。

「おひさしぶりです。聖騎士どの」

 シオンのうしろからひょこっと顔をのぞかせたのは、成人にも満たない子どもだった。ブレイヴはまじろぎ、子どもは祈りの動作をする。イスカの戦士ならば誰もが知っている挙措きょそだ。

「私の子だ。前に、イスカで会っただろう?」

 記憶を手繰り寄せてやっとたどり着いた。イスカの王城、挨拶を交わそうにも子どもはすぐ母親のうしろに隠れてしまったので、ろくに話もできなかった。

「これが初陣だ。スオウに黙って連れて来たわけではないぞ」

 だとしたら、より込みあげるものを感じてブレイヴは声を失った。

 イスカは世襲制ではなかったが、それでもシオンは愛息を他国の戦争へと関わらせるつもりなのだ。すべては、友と交わした約束のために。そしてイスカの戦士は、ブレイヴが負けるとは思ってはいない。だから幼子とともに、ここにいる。

「よく来てくれた。シオン、感謝する。本当に……、これ以上を何て言えばいいのか」

「お前がいなければラ・ガーディアはいまも荒れたままだった。イスカの民は受けた恩を忘れたりはしない。もうすこし胸を張ったらどうだ?」

「それは買い被りすぎだよ、シオン。俺は……、あなたたちを利用しただけだ」

 子どもが不安そうに母親の目を見たが、シオンはブレイヴから目を逸らさないどころか唇に笑みを作っている。

「それの何が悪い? 損得で物を考えない人間などいないと私は思うがな。だが、あえて言うならば、お前は優しすぎるのだ。自分の前で起こっているものに目を逸らさないし、見捨てては置けない。まあ、早死にする類の人間ではあるな」

 またおなじことを言われてしまった。それに、これは過大評価だ。笑みをやめないイスカの戦士に今度はブレイヴもおなじように笑う。頼もしい仲間がまた増えた。

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