仮面の騎士


 翌日、レナードとデューイは城下街の外れへと移動した。

 城内へとつづく道はなにもひとつではない。街外れには古びた館があり、廃屋に近しいそこを管理している老爺ろうやはレナードの姿を認めると、ただ黙って鍵を渡してくれた。地下水路に行くためのものだ。

 ここに入るのは二回目だ。レナードは口のなかでつぶやく。でもきっと、三度目はない。そう思う。

 手燭に明かりを灯そうとしてもたもたしていると、横から奪われた。さすがデューイだ。ずいぶんと手慣れている。

 やっとここまで来た。レナードは上着のポケットに手を突っ込んだ。掌に収まるくらいの硝子玉をレナードはいつも忍ばせている。一見、ただの硝子玉に見えるものの、これには魔力が込められている。どんなに遠くとも必ず知らせてくれる代物だ。

 レナードはムスタールの騎士に捕まったときも、神父と子どもに騙されたときも硝子玉を割らなかった。そうしなくてよかったと、いま心から思う。

「ちゃんと整備されているんだな。さっきのじいさんか?」

 それが皮肉だと、最初は気づかなかった。

「やっぱりさ、要人たちにはこういうとこ、必要なんだよな」

 汚水の流れる下水道とはちがう。においに悩まされることもなければ、足が濡れて悪態をつくこともない。ここは、そういう場所だ。

 暗がりで目が合った。デューイはにやにやしている。

「アストレア公爵家がここを使ったのは、あの日がはじめてだ。ジークが、そう言ってたから」

「ふうん」

 そうだ。あのときは逃げるために通ったわけじゃない。ここに、帰ってくるためだ。

 きいているのかそうでないのか。デューイは勝手にどんどん進んで行く。道なんて知らないくせに。レナードは独りごちる。追っ手を惑わすためにここは入り組んでいる。城内への道のりを知っているのはいまレナードだけ、そもそもここの存在を知るのも限られた人間のみだ。

「ずっとききたかったんだけどさ」

「なんだよ」

「お前さ、なんだって騎士になんてなっちまったんだよ」

 デューイは国とか王とか戦争とか、そういったものには興味がない。西の国を旅して自由都市サリタへとたどり着いたのもサラザールがめちゃくちゃになったからだし、妹を探すためだ。そんな奴の口から出てくる言葉とは思えずに、レナードはまじまじとデューイの顔を見た。本気なのか冗談なのか。いつもみたいににやにやしているからわからない。

「それは……」

 正直に言うかどうか迷った。騎士の家に生まれたジークやルテキアがその道を行くのは自然だろう。でもレナードは農家の子だし、ノエルだってそうだ。

 だけどあいつは、騎士になるのが夢だって言ってたな。

 ここにはいない相棒の声を思い出す。俺にはそんな大層な夢はなかったし、志だってあったわけじゃない。

「あのままずっと家にいるのが嫌だったんだよ」

 リアの花はアストレア地方にだけ咲く花だ。

 栽培から加工まで主だって携わっているのが女たちで、男たちは重労働を手伝う傍らで鴨や鶏の世話をする。母親が帰ってくるといつもいいにおいがして、家にはいつもあの白い花があった。

 べつにあの花が嫌いなわけじゃないんだけど。たぶん、小麦農家に生まれていてもレナードはおなじ声をした。

「騎士に憧れてたわけでもないのに、騎士になったってわけだ」

「そうだよ。悪いか?」

「いいや、べつに」

 喧嘩を売っているときのデューイの声はもっと軽い。なんだか調子が狂う。レナードは前を行くデューイの背中を見つめる。二つしか歳が変わらないくせに、いつもあれやこれやと説教をする奴だ。でも、デューイはサラザールでずっと苦労してきたから、何か思うところでもあったのかもしれない。

「だからさ、俺がガレリア遠征に選ばれたとき、嘘かと思った」

「ああ、ノエルは留守番だったやつか」

「そうだよ。あいつけっこう負けず嫌いだから、帰ってきたときもうるさかった」

 デューイの笑う声がする。

「なんて言うのかな、自覚とかそういうの。芽生えたって言うのは大げさかもしれないけど、いつからだなんてわからなくて。でも……」

 呼吸のために間を空ける。こんなにべらべらと喋ってしまうのは、相手がデューイだったからかそれともここがアストレアだからか。

「何も見えていなかったし、子どものままで。はじめて戦場に出たときだってわけもわからずに。きっと、思いあがっていたんだろうな」

 他人事みたいだな。デューイがそうつぶやく。そうだよ。レナードもちょっと笑って応える。

「いまだって、そんなに変わってない気もする。別に特別なことをやってるわけじゃない。ただ、ガレリアを見てアストレアを追われて、オリシスやサリタにたどり着いて、そうやってラ・ガーディアもグランも見てきた。成り行きでここまで来たんじゃない。そう思い込んでるのかな、俺」

「いいんじゃないか? お前は、それで」

「うん。そうだよな。きっとさ、俺は好きになったんだと思う。みんなのこと、公子のこと、姫さまもこと」 

「そこには俺も含まれてるわけだ?」

「ああ、うん……。まあ、その」

「そこははっきりそうだって言うところだろ!」

 デューイに小突かれながらレナードは笑う。騎士の矜持きょうじもよくわからなければ、愛国心も忠誠心だって持っているかどうか問われたらあやしい。

 でも、戻ってきたんだ俺は。声にはせずに口のなかだけで言う。そうだ。自分だけじゃない。みんなだって、もうすぐアストレアに帰ってくる。

「ああ、そこを右だ」

 しかし、順調に進んでいたデューイの歩みが急に止まった。

 どうした? 問いかけようとしたレナードもすぐに気がついた。想定外だったというべきなのだろうか。ここを知っている者がにいるとは思えなかった。

「鼠が入り混んでいると思えば、こんなに早く見つかるとはな」

 デューイをさがらせて、レナードは剣へと手を伸ばす。

 洋燈の明かりに映し出された男は仮面をしていた。髪は黒髪。イレスダート人にめずらしくはない色だ。

「誰、だ?」

 仮面の下からでも男が笑っているのがわかる。ごく自然な問いをしたつもりだった。そうだ。王都の人間がここを知るはずがない。だが、仮面の男が味方だとは思えない。

「侵入者に答える義務はない」

 レナードは浅くなった呼吸を整える。拳のなかに汗が溜まっているのがわかる。明確な殺気が感じられないのに、たとえようもない違和感がレナードを鈍らせている。何かが、妙だ。

「だが、知る必要はない。なぜならお前は――」

 けっして油断をしていたわけではなかった。十分な間合いは取っていた。しかし、仮面の男の動きはレナードは反応するよりも早く、重いと感じたときにはレナードの剣ははじき返されていて、次の攻撃を受け止めきれずにレナードはそのまま吹っ飛んだ。

「レナード!」

 デューイの呼ぶ声がする。そこで、レナードの意識は途切れた。

「さて、どうする?」

 悪魔の誘いみたいに甘美な声だった。デューイは即座に両の手をあげる。頭を打ったのだろう。レナードはぴくりとも動かない。

 敵うような相手じゃない。そんなのは戦う前からわかっている。そもそもデューイは剣が得意ではないのだ。なら、相棒を守るための行動はひとつ。隠し持っていた短刀を投げ捨てると、仮面の騎士はやっと剣を収めた。殺される時間が延びただけなのか、それともこのまま見逃してくれるだろうか。

 仮面の騎士はレナードへと近づく。どうやら前者らしい。やめろ。デューイは仮面の男に向けて言う。

「やめてくれ、そいつは、」

 殺さないでくれ。懇願の声をつづけようとして、デューイは唇を閉じた。

 仮面の騎士はレナードが隠し持っていた硝子玉を取りあげる。砕け散る音がきこえたとき、仮面の騎士の唇はたしかに微笑みを描いていた。

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