エレノアとランドルフ②

「いったい何が起こっているのか。まずは貴公が説明されよ、トリスタン殿」

 入室の許しも待たずに部屋へと押し入り、そうして感情のままに捲し立てるのがこの男のやり方なのだろうか。騎士団長トリスタンは横目で主を見る。エレノアは針仕事の途中だった。

 叛乱軍討伐のために出陣した蒼天騎士団の消息が途絶えた。

 ルダとアストレアの公子が率いる連合軍を、ランドルフは叛乱軍と揶揄やゆする。背後にいるのは白の王宮であり、元老院である。奴らはともかく叛逆者を一掃せよと、そう迫っている。

「アストレアの森は深い。見失ったとなれば戦闘がはじまっているのか、あるいはすでに終わってしまったのか。どちらかです」

「で、では……、蒼天騎士団が敗北したと」

「その可能性はあります」

 ランドルフが歯噛みする。王都からの要請を受け、エレノアはアストレアの騎士団を動かすしかなかった。戦う相手はこの国の公子だ。エレノアは実の息子を殺すために彼らに出撃の許可を出す。そのときの彼女の横顔を、トリスタンはけっして忘れない。

 いかなるときも冷静でありなさい。そう、エレノアは言う。トリスタンはたしかに蒼天騎士団の団長を務めているが、しかし同時にエレノアの騎士でもある。主の心中を思うとやりきれない気持ちでいっぱいになり、自分が騎士だということを忘れてしまいそうになる。

 それでは、いけない。トリスタンは自分を戒める。この男は危険だ。騎士団長として、トリスタンはうなずくしかなかった。

 先遣隊の数は二十、つづいた本隊を合わせておよそ百人の騎士たちとの連絡は途絶えている。これらはあくまですぐに動かせた騎士の数であり、ランドルフは援軍を送るつもりだった。時宜を狙っていたのにもかかわらず、しかしランドルフの麾下きかは蒼天騎士団の先発隊を見失ってしまった。

 これは、いったいどういうことなのか。

 気色ばむランドルフとは対照的にトリスタンは相好そうごうを崩さずに、エレノアの視線も針に注がれたままだ。そのうちにランドルフは部屋のなかを行ったり来たりを繰り返した。とにかく短気なこの男だが、自分の感情を抑えるときに出る癖らしい。もちろん、エレノアはランドルフの心を見抜いている。

「ここはやはり、即座に増援を送るしかあるまい」

 独り言にしては大きすぎる声だ。トリスタンはため息を吐きそうになる。

「お待ちください、ランドルフ卿。まずは戦況の確認を優先すべきかと」

「待ってはおれぬ。こうしているあいだにも、叛乱軍は王都に近づいているのだぞ!」

「でしたら、なおさらです」

 蒼天騎士団が戦った相手が公子ならばまだいい。最悪の事態は防げているはずと、トリスタンはそう思う。

 公子の傍には麾下のジークがいる。アストレアのカラスは、たとえ戦闘が避けられなかったとしても、無駄な犠牲は絶対に出さない。

「連合軍にはオルグレム将軍ならびに、他の騎士団も味方しているときいております。我が騎士団には成人したばかりの者も多い。本当の戦い方を知っている彼らにとって、相手にはなりませぬ」

「では、貴公が行くしかなかろう。トリスタン殿」

 トリスタンの肩が震える。それだけは避けたかった。だが、この男は強要するだろう。

「落ち着いてくださいな、ランドルフ卿」

 トリスタンも。呼ばれて、二人は同時にエレノアを見た。

「し、しかしエレノア殿。これは由々しき事態ですぞ。蒼天騎士団が敗北したのではなく、寝返ったのだとしたら」

「それは絶対にあり得ませんわ」

 如才じょさいない笑みでエレノアは言う。ランドルフは目を瞬かせた。

「この国には女神アストレイアがいます。アストレイアは正しき者を導く女神。敵など、アストレアに許すはずがないでしょう?」

「し、しかし……」

 エレノアはにっこりする。

「それに考えてごらんなさいな。いま、トリスタンをここから離せば一番危険なのは卿ではありませんか?」

「な、なに……?」

「先も申しあげたとおりですわ。聖騎士の元にはルダだけではなく、他のイレスダートの諸侯も集まりつつあるのです。いいえ、イレスダートに留まりません。おそらくはグランも」

 トリスタンは呼吸を殺す。まったくの想定外ではなかった。

 イレスダートから消えた聖騎士は西へと向かった。そして、その先。グランのレオンハルト王子と公子は親しい仲である。竜騎士の力を頼るのは自然と考えるべきだろう。

「そう。ですから、彼らはアストレアを取り戻すつもりなのでしょうね」

「くっ……、グランとは。これは侵略だ。看過するわけにはいかぬ」

 ふふっと、エレノアはすこし意地悪っぽい笑みをする。

「卿にはアストレアを守って頂かねばなりませんね。蒼天騎士団とておなじこと。それに、トリスタンがいなければあの子たちは何をするかわかりませんよ?」

 騎士団には若い者が多い。少年騎士らは軟禁されているエレノアの身を案じているし、怒ってもいる。ランドルフがこの国に来たせいだ。少年騎士たちは声をそろえる。

「ぐっ、では奴らの家族をここに」

「そんなことはおやめなさい。逆効果ですよ。皆は怒り、そうしてまずあなたを攻撃するでしょうね。たとえ武器や手段を奪われようとも。……アストレアの民を甘く見ないことです」

 ランドルフは絶句し、トリスタンもおなじ気持ちだった。これは忠告なんて生やさしい声じゃない。脅しだ。

「それに……」

 エレノアの目が剣呑けんのんな光を宿している。

「民に手を出せば、次はこの私が黙ってはいませんよ?」

 ごくりと、生唾を飲む音がきこえた。粗野そやで乱暴なこの男は冷静さを失うとますます短気を起こす。焦っているのだろう。そもそもランドルフは城塞都市を任されていた。それがサリタ攻略を命じられてあえなく失敗、そののち執政するためにアストレアに来たわけだが、白の王宮の期待を裏切りつづけてきた男だ。おそらく次は、ない。

 先ほどまで肩を怒らせていたランドルフも、すっかり大人しくなってしまった。

 零落れいらくの道をたどる一方でエレノアには勝てない。わかっていても矜持きょうじが邪魔するのだろう。

 こうして旗色が悪くなったときに、もう一人が現れる。仮面の男。卒然そつぜんと姿と現して謹直きんちょくらしい声をする。どちらの味方ともいえないような第三者の言葉を持って、その場を制するのがランドルフの麾下だ。外出中なのだろうか。仮面の騎士の姿はまだない。

「さて、すこし休みましょうか。トリスタン、お茶の用意を伝えてくださいな」

 トリスタンはうなずく。扉の向こうでは侍女がすでに待っていた。エレノアはやおら立ちあがり、ランドルフに向けて微笑んだ。男は戦慄わななく唇を閉じた。

「さあさ、ランドルフ卿もお掛けになってくださいな」

 そうして、美しい刺繍を男の前で広げる。ランドルフは子どものように目を大きくした。

「秋には間に合わせますわ。ご息女もきっと喜ばれることでしょう」

 辛抱強い女性だ。トリスタンはずっとエレノアを見てきた。まだ少年騎士の頃から彼女の家に仕えて、それから公爵家にエレノアが嫁いだあとも、トリスタンはずっとエレノアの騎士だった。

 もうすこしの我慢ですよ。エレノアの目がそう言う。トリスタンは騎士の挙止きょしをした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る