もう一度、ここから
「やっと、きてくれた」
けっして後回しになどしていなかった。けれども幼なじみはちょっと怒っていて、正直な声をしても逆効果だなと、ブレイヴはそう思った。
たぶん、何を声にしても言いわけにしかならない。
白の間でアナクレオンと話をした。シオンに呼ばれて、イスカの戦士たちの天幕に行った。そのあとは、どうだっただろうか。ウルーグのエディと別れの挨拶をしたのが前だったのか、それとも白の王宮でフランツ・エルマンと会っていたのが先だったのか。
思い返してみれば他にもありそうで、けれどもそのあいだにもブレイヴは幼なじみの様子を見に行っている。レオナは二日間目を覚まさなかった。ようやく目覚めと侍女からきいて、しかしそのときには会えなかった。ありのまま話しても、けっきょく言いわけになってしまうな。だから、ブレイヴは微笑みで誤魔化すことにする。
白の王宮をずっと西へと回廊を進んでゆく。離れの別塔へとたどり着けば、マイアの末姫のために作られた花たちが迎えてくれる。庭師自慢の庭園では、特殊な技法を使った季節外れの薔薇たちが咲き誇っている。彼女のお気に入りは白と薄紅色だ。レオナはそこでブレイヴを待っていた。
あれは、昨年の春先だった。
軍事会議のあと、幼なじみたちとの約束の日にもブレイヴは遅刻をした。本当はこの庭園でお茶をたのしむはずがあいにくの雨、それにディアスはブレイヴと入れ違いに帰って行ってしまった。
「もう、ずいぶんと前みたいだ」
幼なじみは何も言わずに、けれどもその目はブレイヴとおなじ感情を宿している。
たくさんのものを見た。何かを得たその代わりに他の何かを失った、そんな気がする。彼女は言葉を紡ぎかけて、でも唇は途中で閉じてしまった。たぶん、幼なじみはもう怒っていない。ブレイヴは沈黙で先を促す。あの日のように、レオナは白いドレスを纏っている。
「わたし……、あなたに謝りたいことが、たくさんあるの」
ブレイヴはまじろぐ。謝罪ならば遅れてきたブレイヴが先にするべきだった。あのねと、レオナはつづける。
「ゆめ、なんかじゃない。わたしたち、二人とも帰ってきたの。ここに、マイアに」
一つひとつをたしかめるように、幼なじみは言う。
「わたし……、わたしね、たくさんわがままを言ったね。あなたを傷つけることだって、たくさん」
そんなことないと否定を声にしても、きっと彼女は納得しないだろう。だからブレイヴは微笑する。彼女の声を最後まで待つ。
「かえりたかったの。王都を離れてガレリアに、あなたのところに行ったときから、ずっと。アストレアでもオリシスでも、みんなに守ってもらっていたのに、わたしは自分のことばかりで」
幼なじみに偽りではなく、本当の声を求めたのはブレイヴだ。そのたびに彼女は泣く。いや、ちがう。自分はいつもこうやってレオナを泣かせている。
「でも、そうじゃない。わたし、やっとわかったの。目が覚めたとき、自分の部屋を見てすごく安心した。だけどわたしはもう気がついている。ここじゃないことに。わたしが、戻りたかったのは……」
最後まできく前にブレイヴはレオナを抱きしめていた。二人分の心臓の音がきこえる。大丈夫。ちゃんとわかっている。ここにはディアスもソニアもいない。過去には、もう戻れない。
「本当のことを、言って?」
彼女の耳元で囁く。嗚咽が収まるまで、ブレイヴは幼なじみを抱きしめながら待つ。目を見なくてもよかった。おなじものを望んでいることだって知っていた。
「いっしょに、いたい」
ずるいやり方だと思う。こうやって腕のなかに閉じ込めてしまえば、彼女は逃げられない。声も、ぬくもりも独り占めしている。たぶん、ブレイヴはずっと前からわかっていた。彼女の本当の心がどこにあるのかを。
あるべき場所に戻りたいと、そう願っていた幼なじみの求めるものが、いまじゃないことだって知っている。
「あなたと、いっしょにいたい。これからも……ずっと、一緒に」
どう声を返そうかと迷った。
ブレイヴの心のなんて幼なじみはとっくに知っているし、こういうときに言葉なんて消えてしまいそうなくらいに弱い。では、このまま彼女を連れ去ってしまおうか。それもいいかもしれない。これからブレイヴはアストレアに行く。祖国奪還のためにはまだ戦わなければならない。
「アストレアには、あの男がいる」
「ランドルフね? わたし、次に会ったら、あの人を殴ってやるつもりだったの」
思わぬ声が返ってきて、ブレイヴは笑ってしまった。幼なじみは本気だった。自由都市サリタ。あの街でランドルフに囚われたとき、レオナはよほど嫌な思いをしたのだろうか。
「いっしょに来れば、きみはまた戦うことになるのかもしれない」
「でも、わたしは
そうじゃない。またこの繰り返しだ。真顔で答える幼なじみにブレイヴは苦笑する。
「ねえ、ブレイヴ。巻き込みたくないって、そう思っているの?」
「ちがうよ。ただ、なんていうか、その……」
「わたしはちゃんと答えたのに。でも、ブレイヴは言ってくれないの?」
また怒らせてしまった。これは早めに白旗をあげるのが正しい。幼なじみがブレイヴの頬を両の手で包む。ちいさい子を宥めるときみたいに、そんな目をしている。
「一緒に行こうって。そう、言ってはくれないの? 最初に、会ったときみたいに」
「むかしみたいに、子どもじゃないから」
「わたし、もう子どもなんかじゃないよ?」
知ってる。ブレイヴは笑みでそう返す。
白の王宮に帰ってきたせいだろうか。それとも意地悪をつづけたせいだろうか。少女の頃のように、ちょっとした我が儘を繰り返す幼なじみがいる。子どもではないと言いつつも、いつになく幼く見える彼女を黙らせるのは簡単だ。唇を奪えばいい。しかし、近づきかけた二人の距離はそこで止まった。
「仲が良いのは微笑ましいが、しかしこうも見せつけられては、兄として複雑な心境だな」
予期せぬ声に、二人は同時に振り向いた。
「へ、陛下!」
「あ、兄上!」
いつの間にそこにいたのだろう。
王家の末姫のために造られた庭園に、足を踏み入れる人間など限られている。失念していたブレイヴの失敗だ。幼なじみに一番近しい存在は、他の誰でもないこの人だった。王ではなく、兄の顔をするアナクレオンはくつくつと喉の奥で笑った。
「邪魔をするつもりはなかったが、しかし時間が限られているのでな」
きっと最初からだ。意地悪な人間にはまだ上がいる。声は幼なじみの耳元で囁いていたから届いていないはずで、けれど長い抱擁はぜんぶ見られていた。
「ギルにいさまは嘘つきです。今日は公務で忙しいって、そう言っていらしたのに」
「ああ、だから逃げ出してきたのだ」
平然とのたまう主君に対して、それもこの人らしいという感想を持つべきかブレイヴは考えた。
そのうちに宰相がすっ飛んできてブレイヴもレオナも巻き添えになる。アナクレオンは香茶と妹姫の作った焼き菓子をたのしんでいるから、宰相の声なんてまるで無視だ。私は最初から茶会に招かれたのだ。宰相は主君の声を素直に信じる。そうして矛先はこっちに向かう。良い迷惑だなんて言えたら、どんなによかっただろう。
ところが、いつもならブレイヴより先に香茶を味わっているはずのアナクレオンはまだ席にもついていなかった。彼は目顔で二人を導く。
「来なさい。お前たちに、見せたいものがある」
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