カーナ・ラージャ

 洋燈を右手に掲げて、先頭を行くのはアナクレオンだった。

 暗く、深く。王が誘う先には何があるのか、ブレイヴはまだ知らない。足元に気をつけてね。幼なじみが言う。迷いのない声は、この場所を知っているみたいだった。

 宰相や侍従たちは、きっといまごろ白の王宮を駆けずり回っているにちがいない。叱責だけで済むとは思わなかったが、他ならぬ王の命令であればブレイヴは断れなかったし、幼なじみが不安そうにしているのに無視するのは薄情者のすることだ。

 ブレイヴははじめ自分が先に行くと申し出たものの、彼は微笑した。あの扉は選ばれしものでなければ開かない。王の言葉を理解するまでブレイヴはふた呼吸を置いた。天より認められしもの、すなわち王家の人間以外は拒絶されるのだ。

 では、なぜ自分をこんな地下深くへと連れて行くのか。王はブレイヴに何を見せようとしているのか。

 光のない闇のせかいでは洋燈の灯りだけが頼りだった。レオナの力を使えば簡単に光は作り出せる。そうしない理由がブレイヴにもすこしずつわかってきた。ここでは魔力が使えない。いや、封じられているのだろう。

「ブレイヴ、だいじょうぶ?」

 ここが地下だと忘れるくらいに空気は澄んでいるのに、どこか息苦しさを感じる。

 緊張しているのだろうか。ブレイヴはとにかく息を落ちつかせる。幼なじみの声に笑みで返そうとしてもぎこちなさは隠せなかったし、前を行く二人はブレイヴを案じる顔でいる。騎士失格だな。この調子だとそのうちに足を滑らせて、二人を下敷きにしてしまいそうだ。

「ふむ。ただ進むだけでは退屈だろう。ひとつ、逸話をきかせてやろう」

 こちらの心を読んでいるはずなのに、アナクレオンはいつもの声をする。悪趣味だ。否定と嘲罵ちょうばで返せる元気もブレイヴにはない。

「とある双子の兄弟のはなしだ。なに、眠くなるようなつまらない話だと思えば、聞き流していればいい」

 王はふたたび歩き出した。幼なじみもそれにつづいて、ブレイヴも二人のあとに付く。

「その双子はたいそう美しい兄弟と言われていた。雪のように白い肌に青玉石サファイアの瞳を彼らは持っていた。いや、という表現は正しくないのかもしれない。男であったのか女であったのか。ともかく、幼い子どものうちからその双子は人々を陶酔させた」

 双子。ブレイヴは口のなかでつぶやく。イレスダートで双子の存在はめずらしくとも異質ではない。よその国では双子は禁忌だとか、反対に神聖なる象徴だとかも言われているが、少なくともこの国では厭悪えんおも崇拝もされない。ただ、自分の身近にいないだけだ。

「双子の出生には複数の説が残されている。当時の有力者の子、あるいは教会の前に捨て置かれた嬰児えいじ、父親の判明しない子どもを金に困った女が売っただとか、様々だ。さて、美しきものには魔が宿るという言葉があるが、何も植物や鉱物に限った話ではない。人間もそうだ」

 アナクレオンが双子を異質だと強調しているのはそのためか。声が途切れて地下には靴音だけが残る。主君はブレイヴに思考する時間をちゃんと与えてくれる。

「となれば、二つ目の説が信憑性が一番高い。教会関係者ならば金か魔力のどちらかさえあれば、そこで伸しあがることは可能だからな」

 いまなら、この人を本物かそうでないのかを簡単に見分けられそうな気がする。真面目な話をしているのに、急に回り道をしたがるのもアナクレオンの癖だ。

「ギル兄さまは、教会がきらいだからでしょう?」 

 妹姫の指摘に兄は笑って応える。

「いや、その双子が異端だというのは本当だ。人を誑惑きょうわくする容貌は魔の力があってこそ」

「それは……」

「つまり、醜女しこめであろうといくらでも化けることは可能だ。もっとも、この双子においてはそういった類の話ではない。人の目を欺かなくとも、内に眠る魔力が容貌を美しくさせる」

 与太話だから相槌は要らないと、そう言った王の声に素直に応えているわけではなかった。息が切れてきた。ブレイヴはより慎重に足を進める。

「そもそもだ。まったくその身に魔力を宿さない人間などいないのだ。適性があるかないか。本人に自覚があるかないか」

 また話が大きく逸れている。レオナの代わりに指摘するべきか考えて、ブレイヴは唇を閉じる。他者を癒やすもの、火を熾すもの、風を操るもの、どれでもないブレイヴは試そうとも思ったこともなければその感覚すらわからない。自然の力と本人の精神力、それから魔力を合わせて発動させる。ごく簡単な火の玉を作り出すのだって、最初は詠唱を必要とする。魔道士の少年が努力と苦労を重ねてきたのをブレイヴは見た。けれど、そうじゃない人間だって知っている。

「おや、我が妹には退屈な話だったらしい」

「そうではありません。でも、兄上が遠回りばかりするから」

「では、話を元に戻そうか。当時、魔法を自在に扱えるものがどれほどいたことか、おそらくはいまよりももっと少ない。だからこそ、その双子のは異端であったのだろう」

「その、双子は」

「財力も権力も、その身に宿した魔力にしても、国を統べるためには必要な力だ。荒れた土地において、はじめから作るのならばなおさらに」

 自分の爪先ばかりを見つめていたブレイヴは顔をあげる。王と目が合った。

「そうだ。それが、イレスダートの最初の王だ」

 答え合わせをする前に正解を言われてしまった。しかし、それにしては妙だ。そもそも王は二人もいなかったし、マイアの最初の人だって双子とは残されてはいない。少なくとも士官学校ではそう習った。

「双子というものは鏡とも言われているが、事実それは誤りだろう。姿形、あるいは声やにおい、それらは二人を判別するのが困難だとしても、性格や思想までもまるでおなじ人間などいない」

 闇が深くなったような気がする。洋燈が持つのは二時間だ。まだ火が弱くなるには早い。

「人間は自分にとって都合の悪いものや、不利益となるものをとにかく排除する生きものだ。純真たる子どもに、悪しき知恵を囁くのも容易かろう。国を統べるべく王は二人もいらない」

「だから、ふたりは別々の道を歩んだのね」

 まるで、その双子を知っているみたいに、レオナは言う。

「一人では争いにはならないが、二人では争いの種となる。そういうことだ。そうして、一人は南にもう一人は北へ」

 それがイレスダートのはじまりなのだと、アナクレオンはそう言っている。

 ならば、北へと消えたもう一人がおこした国がルドラスなのだろうか。頭が混乱してきた。正しい答えを知りたいのに、アナクレオンの声はそこで終わってしまった。

 そもそも、王はなぜいまこの話を持ち出したのか。

 ようやく最下段へと着いた。寒気がして気分が悪い。幼なじみが手を握ってくれる。そんなに情けない顔をしているだろうか。否定はできそうにもない。

「恐れる必要はない。もっと呼吸を楽にしてみなさい」

 口調はやさしいがほとんど命令だ。深く息を吸い込んで、すこし置いてからゆっくりと吐き出す。二度繰り返してみてやっとわかった。ブレイヴは招かれざる客なのだ。

 歴代の王族たちが眠っている霊園は、王都マイアの敷地内にある。けれども、彼らの御霊が還ってくるのはここなのだろう。そう、守っているのだ。ここには何かが隠されている。

 石の扉の前には門番こそいなかったが、ブレイヴはそこで止まるべきだと思った。

 これ以上、足を進めてはならない。警告がきこえる。しかし、ブレイヴの王はまるで無視だ。アナクレオンは石の扉に手を添えた。祈りや詠唱の時間はなくとも、しかし固く閉ざされていたはずの扉は、王を歓迎するかのように簡単に開いた。

「ブレイヴ」

 幼なじみが呼んでいる。王が扉の向こうで待っている。

「そんなに怖がることもないだろう」

 足が竦んで動けない。言いわけが通じるくらいならば、はじめからここへ来たりはしなかった。ブレイヴはもう一度、呼吸を整える。聖騎士といっても中身はただの人間に過ぎない。聖職の位にある者、あるいは王家の直系並びに傍系にあたる者ならまだしも、ブレイヴはただの騎士だ。

「だいじょうぶ」

 レオナはもうすこしだけ強くブレイヴの手を握った。いつも彼女に守られているような気がする。これだけみっともない姿を何度も見られているのだから、いまさら格好をつけたところで何になるのだろう。ブレイヴは苦笑する。王が来いと命じている。幼なじみがともにいることを望んでいる。

 急に周りが明るくなった。

 心許なかった洋燈の灯りも必要ないくらいに、そこには光が溢れている。誰かの魔力がそうさせたのか。それまで闇だった空間に祭壇が現れた。アナクレオンが止まる。ブレイヴとレオナもそのあとにつづく。

「ここである儀式が行われた」

「儀式……」

 王の視線はブレイヴではなく妹姫へと向いている。

「そうだ。レオナはここでドラグナーとして認められた」

 ブレイヴも幼なじみを見る。王家の子どもは十の歳に洗礼を受ける。マイア王家は竜族の末裔であり、竜の血と力を受け継いできた。それがもっとも濃く現れし者をドラグナーと言う。つまりは竜人としてみなされ、世界を平定に導く光の存在として崇められる。幼なじみも十歳になったときに、あの祭壇にて己の血を捧げたのだ。

「滑稽な話だ。先に生まれた私もソニアも、身体のどこにも聖痕は現れなかった。わざわざレオナをここに連れて来なくともわかりきっていたというのに。それでも、奴らは認めたくはなかったのだろうな。末の妹は側室の子であるのだから」

「やめて、にいさま」

 懇願の声は震えていた。竜人ドラグナーの証は何も長子に現れるわけではない。ある時代には時の王に、別の時代には兄を支えるべく弟に。いずれにしても竜人ドラグナーはイレスダートにおいてあくまで象徴にしかならない。人々はおとぎ話のなかだけの存在だと信じているくらいだ。

「奴らにとって、ドラグナーは扱いやすい存在でなければならない」

「でも、ソニア姉さまではなかった」

「母の嘆きと苦しみはそこからはじまった。なにしろミランダは元老院と繋がっていたのだからな。己が娘がそれだと信じて疑わなかった。そうまでして自分の保身を求めていた。私には、まるで理解ができないが」

 やはり自分はいまここにいるべきではないと、ブレイヴはそう思った。王の声は独り言のような、それでいて自嘲と悔恨が含まれている。

「ギル兄さまは、フィリア母さまを憎んでいるのね?」

「お前はいまでも自分を呪っているのか?」

 兄妹は別々の問いかけをして、けれどもどちらとも答えなかった。アナクレオンとソニアの実母であるミランダ王妃、それからレオナの実母である側室フィリア。前王アズウェルが愛した二人の女はすでに故人である。

 その頃、士官生だったブレイヴはすべてを知っているわけではなかったが、幼なじみの悲しみや苦しみはわかる。彼女は泣かないようにと、震えないようにとしている。そういうときにレオナは自分の心に嘘を吐く。

「でも、わたしは……。この力がなかったら、ここに帰ることができなかった」

 後悔をするとしたら、いつからだろう。

 レオナを理由にして自分を正当化しているだけ、だからブレイヴはずっと認めずにいた。しかし彼女が己の力に目覚めて、そうしていとわなくなったのは白の王宮を離れたせいだ。

 幼なじみは自分から戦場を望んだわけではなかった。そうせざるを得なかっただけで、レオナをそこへと立たせてしまったのはブレイヴだ。

 ほんとうに、そうだろうか? ブレイヴは己の声を殺す。王の目がブレイヴに悟らせようとしている。

「来なさい、レオナ。お前をここへと連れてきたのは他でもない、この剣を生き返らせるためだ」

「剣……?」

 祭壇には剣が祀られている。いや、捨て置かれているというべきかもしれない。

 アナクレオンの言葉どおりに、ブレイヴの目にもこの剣が死んでいるように見える。砕けているわけでもなければ、刀身には傷らしきものも見当たらない。錆も見えずに朽ちているのともちがう。それなのに、生きていないのはなぜか。

「カーナ・ラージャは聖なる竜刃。名前くらいは知っているだろう? 王家に伝えられし聖剣がこれだ」

 聖なる・竜刃カーナ・ラージャ。それこそ、伝承のなかだけの存在だとそう思っていた。だが、納得はできる。この剣はただの剣ではない。

「そうだ。これはのための剣だ。だが、我が妹には扱えまい。だから私はお前をここへと連れてきたのだ」

 ブレイヴはまじろぎ、その言葉が意味するものを考えた。ふた呼吸、それからもうすこし開けてみたものの、次の声はどうやっても出て来なかった。

「一人でなければならない。そんなものを誰が決めたというのだ? 支えるべく存在があっても良いのではないか? お前は聖騎士なのだから」

「おっしゃる意味が、よくわかりません」

 正直な気持ちを述べてみれば王は笑っていた。

「そのうちにわかる。そもそも竜人ドラグナーは一人ではない。だが、レオナを守ることができるのはお前だけだ。そう、あの白の少年――ユノ・ジュールの傍にイシュタリカという名の魔女がいるように」

 ブレイヴは下唇を噛む。妹姫は兄王にすべてを話したはず、いやアナクレオンという人ならばのかもしれない。それなのに、もう一人の妹を魔女だと揶揄やゆする。

「ソニア姉さまは、あのひとに騙されているのよ」

「それも自分でたしかめればいい。もう一度会って、そうして自分の目で観て、自分の耳で聴けばいい」

 レオナはブレイヴの手を離して祭壇へと向かった。王から受け取った短刀で指先に傷を作り、流れた血が聖剣へと落ちた。それは神聖なる儀式の再現だった。いま、彼女の額にはドラグナーの証である聖痕が現れているのだろう。

 妹姫を見守っていたアナクレオンはブレイヴを見た。王はやはり微笑んでいたが、しかし試すような笑みではなかった。

「その剣をどう扱うか、それはお前が決めればいい」

 それは、命令と言うよりも懇願に近い声だった。

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